第1話 ストロベリージャム

 あ、またやってる。

 

 レジに並んだ患者さんに薬が入った袋を手渡しながら、殿村季依(とのむら きい)は思った。

 アルバイトの高田さんが、日用品が置かれた棚の脇に立ち頭を下げているのが見える。高田さんの前にいるのは、菊川あうるだ。

 高田さんはフリーターの21歳。色白で、ウサギみたいな優しい顔立ちのおとなしい女の子だ。

ーーこんな陳列の仕方って、ある?

 ここからじゃ声は聞こえないから、実際は何と言っているのかわからないけど、おそらくこんなようなことを言っていちゃもんをつけているんだろう。


 ほんと、いちゃもん。


 あうるは新しく入ってきたアルバイトが気に入らないと、徹底的にイジメ抜くのだ。どうでもいい文句を並べ立てて、相手が根を上げて辞めてしまうまで続ける。


「これ、食後でいいのよね?」

 薬を手渡したばかりの患者さんが、袋の中身を見ながら訊いてきた。

「ええ、そうですよ」

 一通り説明は済ませても、大抵、高齢の患者さんの耳には届かない。

 もう一度説明する気にはならなかった。それよりも、あうると高田さんの様子が気になる。

 うつむいていた高田さんが、両手を顔に持っていった。泣き始めたのだ。


 このドラッグストアに薬剤師として配属されたばかりの頃、あうるの横暴な振る舞いに、異を唱えようと思ったこともあったけれど、四ヶ月がたった今、もう、そんな気力は失せてしまった。


 ドラッグストア内にある処方箋受付は、化粧品や日常雑貨が陳列されたフロアとは、一枚の硝子窓で仕切られている。基本的に、自分は、窓硝子のこちら側なのだからと、あちらの揉め事には関わらないと決めている。


 店長の岡野が、あうるたちに近づいた。何やら話している。

 高田さんは両手で顔を覆ったままだ。

 店長がやって来ても、高田さんは救われないだろう。店長はあうるの言いなりだから。あうるの機嫌を損ねたら店が回っていかないと、岡野は思ってるから。


 案の定、あうるは笑顔で場所を離れ、その後ろを、高田さんが引かれるヤギみたいについていく。

 倉庫の品出しをやらされるんだろうか。それだと、あうるはさらにネチネチと高田さんをいびる機会を得る。

 明日か、もって明後日まで。高田さんが辞めたら、店長はまた求人の紙を、モールのトイレの脇の壁に貼らなくてはならない。

    

                  ✩


 昼近くまで、患者さんが立て込んだ。このドラッグストアは、巨大なショッピングモールの一階にある。まわりは田んぼや畑ばかり。ショッピングモールの建物が、城さながらにそびえ立っている。

 ここは、ここらあたりのお出かけスポットだ。


「お昼、先に行っていいよ」

 先輩薬剤師の蘇我が、薬棚の抽斗を開けながら言った。無理して着ているだろうMサイズの白衣が窮屈そうで、背中に妙な皺が寄っている。

「じゃ、いただきます」

 蘇我がこの職場にいるのは、あと半月だ。季依がここに配属されたのは、蘇我と交代するためだ。 

 四十一歳という年齢を考えて、妊活に本気で取り組むというのが、蘇我の辞める理由らしい。妊活と聞いて、季依はぽかんとした表情を返してしまったのを憶えている。妊活というのは、もっと若い人がすることだと思っていたのだ。聞いたとき、季依は蘇我の年齢を知らなかった。蘇我は年齢よりかなり老けて見える。

 季依は三十二歳。結婚をしていないし、付き合っている男もいない。妊活という言葉に馴染みがなかったから、余計そう感じたのかもしれない。


 裏の倉庫へ行き、自分のロッカーに白衣をしまい、季依は店を出た。

 店を出た途端、喧騒に包まれた。往来する人たちの話し声や店々から流される音楽。通路で行われているイベントの騒ぎ。


 上を見上げた。天井が高い。建物全体が大きな卵みたいと思う。丸く膨らんだ天井の半分はガラス張りで、光が注いでいる。


 あそこは暑いのかな。


 季依は今日も、そんなどうでもいい夢想をした。このモール内にあるドラッグストアで働くようになってから、ほぼ季節がわからなくなった。多分、今、外はうだるように暑いんだろう。だが、建物の中はカーディガンを羽織りたくなるほどの寒さだ。


 砂漠の中のオアシスって、こんな感じなんだろうか。


 幅の広い通路に、何本も設置されている偽物のヤシの木を見ながら、そう思う。


 昼食は、同じフロアの端にある蕎麦屋に決めた。安くすませるには、フードコートに行ってもいいが、落ち着かないのは嫌だし。

 店でも、こうして通路に出ても、絶えず喧騒に包まれている。休憩時間くらい静かに過ごしたい。


 蕎麦屋は混んでいた。店の前に行列ができている。ほかの店にしようかなと瞬間思ったが、列の中に知った顔を見つけて思い留まった。

 そろりと、列の最後尾に立つ。


 知った顔は、ドラッグストアの真向かいにある、携帯ショップの店員だった。

 名前は知らない。中肉中背で、短髪。奥二重で細い顎。年齢は、多分、二十、五か六。細身のスーツがよく似合っている。

 真面目で誠実そうな雰囲気。


 彼だったらうまくいったのかな。

 季依は今日もそう思った。彼を見かけるたび、思ってしまう。

 彼のような風貌の男だったら、友達に紹介しても親に会わせても、祝福をもらえたかもしれない。

 

 りーくんとは大違い。

 

 遠目でもわかる、ワックスでほんの少し濡れて見える彼の髪を見つめながら、季依は人にわからない程度に首を振った。

 りーくんのことなんか、思い出しても仕方がない。もう、終わったことなのだ。それも六年前に。


 りーくんとは、当時通っていたライブハウスで知り合った。お気に入りのバンドの前座のバンドの、ボーカルだった。ライブハウスのウエイターも兼ねていた。

 二歳年下の、きらきらした目の、楽しい人。初めてのタイプだった。理系の大学を出て薬剤師の免許を取るまで誰とも付き合った経験はなかったし、まわりにはいないタイプだったから。


 新鮮だった。


 もし結婚しようなんて季依が言い出さなかった、まだ続いていたかもしれない。


 結婚したいって、願っちゃいけなかったのかな。

 いっしょに暮らし、生活費はほとんと季依が出していた。だから、このままずっといっしょにいるんだと思ってた。その延長で結婚しようよって言っただけなのに。


 結婚という言葉を口に出してから、二か月もたたないうちに、りーくんはいなくなった。ある日アパートに帰ってこなくて、心配した季依がライブハウスへ行ってみると、辞めたあとだった。


 あれでよかったのだ。


 季依は思っている。友達も親も、みんなりーくんとの付き合いには大反対だった。あのとき終わりにならなかったとしても、どのみちうまくいかなかっただろう。

 一体、自分は、りーくんのどこがあんなに好きだったのか。今にして思えば、りーくんと過ごした時間は、自分にとっての休暇のようなものだったということ。休暇では、普段行かない場所にも行ってみる。そんな感じ。

 あれから六年。季依は穏やかに暮らしている。収入に不満はない。一人暮らしをやめて両親と同居している身だから、給料のほとんどは貯金している。毎月、同じ額を、モール内にある銀行で別口座に入れている。銀行はいつも混んでいる。お金を移しながら、なんで貯金をしているんだろうと、いつも思う。使う予定なんか何もないのに。


                ✩


 頼んだお蕎麦はすぐに来て、昼休憩の時間は残った。


 時間があるとき、季依はモールの中をぶらぶらして過ごす。

 ほとんどの店は見飽きているが、何度行っても飽きない店がある。

 携帯ショップの隣にある雑貨店だ。名前は、ペイッコ。フィンランド語で、妖精という意味らしい。

 店内には、生成り色をした雑貨が所狭しと置かれている。編籠に入ったきれいな刺繍のナプキンやテーブルクロス。ナチュラルな匂いの石鹸。アロマのキャンドルや、ちょっとしたカジュアルウェアもある。


 寄れば、必ず何かしら買ってしまう。


 店の入口に並んだガラス瓶を、季依は眺めた。

 手に取ってみる。ジャムを入れる瓶だと思う。高さは十センチぐらい。幅もそれくらいだろうか。ちょっとジャム入れというには大きな気がするが、瓶の下方に描かれたイチゴのイラストがそれっぽい。


「買います?」

 ふいに声をかけられて、季依は後ろを振り返った。

 目の前に、あうるがいた。つけまつげに縁どられた大きな目が、季依の顔を見つめている。

「かわいいですよねえ」

「そ、そうね」

 季依は慌てて、瓶を台の上に戻した。すると、横からすっと腕が伸びて、同じ瓶をあうるの手が掴んだ。

「わたしね、ジャムを作るのが趣味なの」

 意外だった。とてもそんなことをするようには見えない。家の中でジャム作りに勤(いそ)しむよりも、外に出て大勢と騒いでいるのが似合っている気がする。

 あうるは、いわゆる美人だ。誰が見てもそう言うだろう。大きな目と口。その上、たっぷりと化粧をしているから、多分、遠くからも目立つ。


「買っちゃおうかな。殿村さんは?」

「わ、わたしは」

 きれいな人との会話は、基本、苦手だ。ブスな女ってかわいそう。そう思われている気がして臆してしまう。

「買わないんですかぁ? いい給料もらってるくせにぃ」

 あうるはそう言って、ぽんと季依の肩を叩いた。以前、あうるに、

「すっごい貯金してそう」

と言われたことを思い出した。ドラッグ部門が忙しくて、レジに駆り出されたときだ。あうると横に並んでレジに立った。

 あのとき、なぜ貯金してそうに見えるのか、理由は訊かなかったが、あうるの言いたいことはわかっていた。地味で真面目だけが取り柄の年上の女は、貯金することぐらいしかやることないんでしょ。


「決めた、買っちゃう」

 あうるはそう言って、手にしていたエナメル質でピンク色の長財布を開けた。

 と、叫ぶ。

「あれ? やだぁ」

「どうしたの?」

「銀行に行くの、忘れてた」

 覗いては悪いと思ったが、くたびれた感じのする長財布に、お金は入っていなかった。お札はもちろん、小銭すら。

「くやしーい。欲しかったのにぃー」

 名残惜しそうな、切ない声で呟く。


「貸してあげようか?」

 つい季依は言ってしまった。

 絶対言ってはいけないセリフなのに。

 あうるから貸したお金が戻ってこないと、蘇我に愚痴られた憶えがある。たった百円だから憶えてないのかもしれないけど。蘇我はそう言っていた。

 あのとき、思ったのに。わたしは絶対に貸さない、と。

 それなのに、貸してかげようかとこちらから申し出てしまったのは、ジャムの瓶とあうるという組み合わせに驚いて油断してしまったせいかもしれない。


「え、いいんですか?」

「すぐ返してね」

「当たり前じゃないですか」

 嬉しそうに声を弾ませるあうるを目の当たりにすると、なんだかとてもいい事をしたような気分になる。

 ジャムの瓶は、税込で五六〇円だった。このぐらいの金額なら、あうるも忘れないだろう。

 千円札を出し、おつりをもらっていると、あうるはぎゅっと瓶を握り締めて、すぐさま踵を返した。

「いっけない、こんな時間」

 そしてあうるは、慌てて職場へ戻っていった。


              ✩


 午後も忙しく過ぎた。

 ショッピングモールという場所は、人が絶える瞬間がない。

 ようやく人の流れがおさまったのは、午後四時を過ぎてからだった。

 季依は十五分の休憩を取りに、倉庫の横にある従業員用休憩室へ向かった。


 休憩室は人でいっぱいだった。一階の店舗の誰もが利用できる場所だから、時間によっては混み合ってしまう。

 食品売り場の三角巾をかぶったおばさんたちが、大きな声で笑い合っている。

 座る場所はなかった。

 仕方ないので、季依は部屋に置かれた自動販売機でペットボトルのお茶を買い、外に設置されている休憩スペースで休むことにする。


 外は、むっとする暑さだった。しかも日差しが照りつけて眩しいことこの上ない。スペースにはテーブルとベンチが置かれているが、とても座ってはいられないだろう。といって、休憩を取らないのはもったいない。あうるからは、いい給料をもらってるなどと言われたが、時給で働いている身分なのは変わりない。休憩分は給料から引かれているのだ。絶対に店には戻りたくない。


 目の前は業者用駐車場だ。その向こうには、細かい葉をつけた大きな木がある。季節がいいときには、木の下で休む者もいる。

 今、この暑さの中、快適とは言い難いが、日差しを避けられるだけましだろう。


 木の下まで来ると、心持ち風が涼やかな気がした。ごくごくとお茶で喉を潤す。忙しい日は、やたらと喉が渇く。薬の説明にしゃべり通しになるからだ。

 お茶を飲み干して店に戻ろうとすると、外の休憩スペースにあうるが姿を現した。季依と同じように、部屋の中では座れなかったんだろう。

 季依はあうるに走り寄った。


「あ、殿村さん」

 季依に気づいたあうるの表情が、瞬間、嫌な感じに曇った。すぐさま表情は戻ったが、そんな表情を見てしまったせいで、季依は言うべき言葉を言えなくなってしまった。

 ほんとうなら、

「お金返してもらっていいかな」

と言うべきなのに。


「殿村さんも休憩ですかぁ?」

 ぎこちない表情は消えている。

「あ、あのね」

 言うべきことはちゃんと言わなきゃ。お金のことなんだし。季依は意を決した。そもそも、貸したほうの自分があたふたするのは変だ。

 ところがあうるの予想外の行動に、季依はまたしても出鼻をくじかれてしまった。

「やあね、あの目つき」

 あうるは眉間に皺を寄せ、顎をしゃくる。

「え、なんのこと?」

 あうるの視線の先には、ゴミ収集車が停まっていた。ゴーゴーと音を立ててゴミを回収している。このモール専用にやって来ている業者の車だ。

 収集業者の作業員は、手際よくゴミの入ったポリバケツを持ち上げ片付けていく。


「ほら、まただ」

 あうるは一人の作業員を見ている。三十代か、もしかすると四十代かもしれない。長い髪を後ろで一つにまとめた痩せた男。腕が赤銅色に日焼けしている。目鼻立ちは帽子をかぶっているせいでよくわからない。

「こっちを見てるのよ」

 あうるは言ったが、こちらを見ているとは思えなかった。作業で忙しそうだし。

「怖いんです、あたし」

「怖い?」

 意外な言葉に、季依は驚いた。

「なんだか最近ね、見られてる気がして」

「見られてる? あの人に?」

 思わず作業員を見てしまいそうになり、季依は慌てて顔を逸らす。

「あいつだけじゃないかもしれない」

 あうるの唇が噛み締められた。ピンク色の口紅が塗られたぽってりとした唇を、白い歯が噛む。


ーーあうるって、ちょっとヤバい人と付き合ってるらしいわよ。

 以前、そんな噂を小耳にはさんだ。

 ヤバい人というのがどういう意味なのか、季依にはわからなかったが、あうるを見ていると、自分が知らない世界を知ってそうな気がする。気さくすぎる異性とのやりとりや、無防備に異性に甘えたりするのを見ると、ちょっと怖さを感じる。


 あうるはいい人間じゃないと、季依は思う。真面目じゃないし、正直でもない。底意地も悪い。だが、あうるは、季依が欲しくてたまらないものを持っている。多分生まれたときから、本人も気づかないうちに。


「見られてるって感じるのよね、あたしだけかな」

 ふたたび、あうるは言った。

「なんか感じません? このモールで」

「仕事中にってこと?」

「仕事中もそうですけど、こうして休憩してるときも」

 季依はまわりを見回した。特に変わったことはないように思える。

「あたしだけかなあ」

 もう一度そう言って、あうるはふうと息を吐き、それから満面の笑顔になった。

「あー、よかった。殿村さんがいっしょにいてくれたから、なんだか怖くなくなったですぅ」

「あ、うん」

 ザッーとタイヤが滑る音がして、清掃車が目の前を通り過ぎていった。

「じゃ、戻ります、お先に」

 あうるが背中を見せた途端に、季依の胸にたくさんの言葉が溢れてきた。

 ねえ、見られてるって意識しすぎじゃないの? ねえ、そんなことより、貸したお金、返してよ。


 結局、声にはならなかった。

 時計を見ると、あと一分で休憩時間は終わってしまう。

「はぁー」

 ため息とともに、季依は店に戻った。


                ✩


 シフト制で働いていても、急な残業はある。

 今日の残業は、あうるのせいだった。誰も口に出さないが、あうるのせいなのは間違いない。あうるにいちゃもんをつけられた高田さんが早退してしまったのだ。

 今日のところは早退だが、もう、彼女は二度とこの職場に来ないだろう。


 人が足りなくなって、仕方なく季依が残るはめになった。季依も社員ではない。ほんとうなら社員が残るべきなのだが、そんな余剰員はいなかった。


 夕方の七時を過ぎると、波が引いたように客足は減る。通路の人通りはまばらになり、煌々と明かりが付いた店々も閑散とする。

 ドラッグストアにも、客はいなかった。店内に流されている宣伝放送が、妙に大きく聞こえる。

「暇ですねー」

 よりにもよって、今夜の最終シフトに入っているのはあうると季依だった。二人でぼんやりレジ前に立っている。

「こんなに暇なら閉めちゃえばいいんですよねー」

 ときどき思い出したかのように、あうるがしゃべる。

 だが、季依に借りた金については一言もない。

 季依は心の中で、何度も練習を繰り返した。

ーー忘れてるかもしれないけど、貸したお金、返して欲しいんだけど。

 いや、もっと、こちらが怒っているとわからせたほうがいいかもしれない。

ーーね、貸したお金、いつ返してくれるわけ?

 ちょっときつすぎるだろうか。

 いや、そもそもあうるは年下なのだ。ここでの勤務日数はあうるのほうが長いが、年齢はこちらが上。諭すような言い方のほうがいいかもしれない。

ーー借りたお金を返さないなんて、信用なくすわよ。

 このほうがいい。

 そう決めて口を開こうとしたとき、あうるが跳ねるように売り場へ出た。


「暇だから、棚の整理でもしてきます」

「あ、そう?」

 季依の返事などどうでもいいといった感じで、あうるは洗剤の棚の整理を始めた。右端から順に、両手でプラスチックボトルを整列させていく。

 そんなあうるを、季依は見るともなしに眺めた。

 やればやれるんじゃない。

 またしてもあうるにはぐらかされたことは忘れてしまい、ただ、あうるの働きぶりに感心してしまう。

 あうるは働き者じゃないと思う。店長の岡野は遠慮して何も言わないが、ほかのアルバイトに比べて明らかに休んでいる時間が長いのだ。

 それが、どうだ。

 今はこんなにきびきびと体を動かしている。


 数の足りない商品があったのか、あうるは一度倉庫に行き、ダンボール箱を抱えて戻ってきた。ダンボールを床に置き、からしゃがみこんで洗剤を出し始める。

 結構補充品は多いようだったが、季依は手伝わなかった。いくら店内に客がいなくても、一人はレジ前に立っていなくてはならない。


 ダンボールをずらしながら、あうるはヘア製品の棚に移った。変わらずかいがいしく棚の整理をしている。

 あくびが出そうになって、季依は口元を歪めて我慢した。終業の八時まではあと約三十分。どうせなら、このまま客が来ないといいのに。


 店内に宣伝放送は流れているのに、瞬間、しんとした静けさに包まれた。人の気配が途絶えると、こんなにも静かなのだ。田んぼの中のショッピングモールはもうすぐ眠りに入る。

 瞼が重くなって、季依は無理矢理頭を振った。

 立って眠って倒れたら、しゃれにならない。


 はっと顔を上げた。

 あれ?

 あうるがいない。

 レジ台から体を乗り出して、季依は店内を見回した。

 いない。

 倉庫にでも行ったのだろうか。まさか、帰るはずはないし。


 レジ後ろにある防犯カメラのモニターを見た。店内の天井、六ヶ所に設置されたカメラの映像が見られるしくみになっている。


 なんだ、いるじゃない。

 あうるは化粧品棚の前にしゃがみこんでいた。うつむいて、ダンボール箱に手を入れている。レジ台から乗り出さないと、まったく見えない位置だから気付かなかった。


 あそこは、オバジ化粧品がある場所だ。

 効果が高いと評判の基礎化粧品。値段も高い。一度は使ってみたくて、何度も棚の前で買おうか悩んだから憶えている。結局、美容液に二万円を出すのはためらわれて、いまだ買えてない。


 すっと、あうるが立ち上がった。足先でダンボール箱をどかす。その拍子に、あうるの手が素早く動いた。


 あ。


 声を上げそうになって、思わず季依は唾を飲み込んだ。

 あうるの手が1番上の棚から細い箱を掴み、そして戻ったのだ。細い箱は棚に戻されない。


 万引き?


 目を疑った。店側の人間が、万引き?


 モニターの画面に顔を近づけて、注視する。

 あうるは今日、ふわふわとした袖の、水色のブラウスを着ている。体に密着しないタイプの、緩いデザインだ。この店では、白衣を着るのは薬剤師だけで、ほかのアルバイトは私服にエプロンを付ける。


 棚から取った細い箱が、あうるの体のどこに隠されたのかわからなかった。割合鮮明なモニター画面だが、揺れるブラウスの生地のせいではっきりしない。

 だが、あうるが、商品を棚に戻さなかったことだけは確かだ。それだけははっきりしている。


 あうるはダンボールを持ち上げ、倉庫に向かいはじめた。


 呼び止めようか。


 季依は焦った。

 倉庫の扉を開ける前なら、あうるの体から商品が出てきても言い逃れがきく。

 いや、言い逃れというより、なかったことにできる。棚に戻せばいいんだから。

 

 だけど。


 季依は画面の中のあうるを見つめ続けた。

「取ってません!」

 そう言われたらどうしよう。

 あうるなら言いかねない。借りた金だって返さないのだ。盗ったなんて認めるはずない。


 バタンと音が響いて、あうるが倉庫に入ったのがわかった。

 もう手遅れだ。

 季依は唇を噛んだ。あうるのようには魅惑的でない薄い唇を、ただ噛み締めるしかなかった。

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