第3話

 不倫を目撃してからおよそ一年が過ぎた頃、珍しく参加した会社の飲み会で、思いがけず浜田氏と松野さんのことが話題になった。


「ねえねえ、システムの浜田さんと庶務の松野さん、絶対不倫してるよねー」


「あー、あの二人ね。そうよ。社員旅行でもいつも一緒にいるじゃん」


「このまえさ、私、会社帰りに見たんだよね。二人が駅の近くのカフェに入るところを。それでちょっと気になって、ガラス越しに店内をのぞいてみたの。そしたら、二人で隅の方に座ってキスしてた」


「えーっ!?」


 彼女たちの話を聞いていると、どうやらもう数年ほど前から彼らの不倫のことは社内で噂になっていたらしい。二人が社内でイチャついているところを、その飲み会に参加した者だけでも数人が目撃していた。


 それを知ったとたん、僕は、急に馬鹿馬鹿しくなった。すでに周知の事実を、僕は滑稽にも律儀に隠そうとしてきたのである。お酒が入っていたこともあって、僕の口は糸の切れた凧のように勝手に回りだした。


「僕も見たよ。会社のサーバーの裏でね、浜田さんが松野さんの胸をもんでたよ。こんな感じで」


 僕は、両手の平を上に向けて何かをワシワシとつかむようなマネをした。


「書庫のスイッチを入れにいったときにばったり出くわしてさ。二人が僕に気付いてその場から立ち去ろうとしたとき、浜田さんが急にこんなふうに『肩だよ、肩をもんでたんだよ!』なんて言い出すんだぜ、全く勘弁して欲しいよ」


 そう言いながら今度は、両手の平を下に向けて何かをワシワシとつかむようなマネをした。


 そのとき異変に気付いた。場が静かになっていたのである。飲み会に参加していた全員が僕の話を聴いていた。


 あれ? そう思った直後、


「ぶわははは! 橋本、それいつの話だよ? 初めて聞いたぜ」


 二つ上の池上先輩がジョッキグラスを片手に満面の笑みを浮かべながら、いそいそと僕のそばに寄ってきた。


「い、一年くらい前ですかね」


「一年!? お前ずっと黙ってたのか? そんな面白いことを?」


「いや、でも、彼らがそういう仲だってことは、もうだいぶ前から知られていたみたいじゃないですか」


「そんなコアな話なんて誰も知らねえよ。それにしてもあの浜田がね、最高に笑えるぜ。橋本、お前も松野に頼んで『肩』を揉ませてもらったらよかったのに。俺なら絶対そうするけどな、ワハハハ」


 その後その飲み会は、浜田氏に対する悪口雑言がとめどなく噴出して異様な盛り上がりをみせていた。僕の話がきっかけで場が盛り上がるなんてことは初めての経験で、ちょっと怖い感じがした。飲み会の終わりの方になると僕の酔いはもう冷めていた。


 その飲み会があってから二月ぐらいした頃、浜田氏が急に会社を辞めることになった。システム部の友人に聞いたところ、退職理由は一身上の都合ということで、詳しいことは分からなかった。


 僕のせいか? 飲み会で話した「肩もみ」のネタで誰かにイジられでもしたのか? そう思うと、重苦しい罪悪感のようなものが僕の心を気だるく覆った。


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