第2話
ピンポーン、ピンポーン
昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえる。ゆっくり目を開けると、デスクトップパソコンのモニターが現れて、その左側に積まれたファイルの山が見える。
モニターの右側には、仕事の書類は一切置かない。これは僕のルールだ。勿論やむを得ない場合もあるけれど、できる限りそうなる前に仕事を片付けてゆく。自分ルールは他にもあって、昼休みには必ず仮眠をとるようにしている。
誰かが言っていたんだよな。15分間の昼寝は、約3時間の睡眠に値するって。もしそれが本当ならこんなに有難いことはない。
徐々に意識がはっきりとしてきた。僕は両腕を上げて伸びを一つした。
(さてと、つづきをやるか……あっ、そうか、資料が必要だったんだ)
資料は、そのフロアの北側の書庫のエリアにある。そのエリアは、ふだんはあまり人が入らないから照明がおちていて薄暗い。照明のスイッチは、さらに奥の隅の柱に設けられていて、近くに大型のサーバーが置かれている。
僕は自席を立って書庫の方に向かった。えーっと、スイッチはと。書庫の中の薄暗い通路を足早に歩いてサーバーの裏側に廻ろうとした。
(え?)
思わず声を上げそうになったが出なかった。サーバーの裏側に人がいた。二人。女と男。
「あっ」
まず女と目があって、彼女が声を上げた。二人は、総務の松野さんとシステム管理者の浜田氏だった。松野さんは40代後半の未婚の女性、浜田氏は50代後半の妻子持ち。
浜田氏は松野さんの背後から覆いかぶさるように立っていて、彼女の胸をその両手で下から持ち上げるようにしてわしづかんでいた。
僕の存在に気づいた二人は、すぐにやめて気恥ずかしそうにそそくさと僕の前を通り過ぎた。その去り際、
「肩だよ、肩をもんでいたんだよ!」
そう言いながら浜田氏は、両手の平を下に向けてパクパクさせる動作してその場を離れていった。松野さんは、浜田氏のそのセリフに思わず顔をニヤつかせて彼の後を追った。僕は黙ったまま彼らを見送っていた。
なぜ? なぜ僕なんだ? 社内不倫の現場に出くわすなんて、くそっ、あんなもの見たくも知りたくもなかったのに!
僕は、そのことをしばらく誰にも話さなかった。彼らに逆恨みされるのが怖かったし、仕事のこと以外に職場で気を使うことがとにかく嫌だったからだ。
不倫を目撃した日から数日して、妙なメールが一通、僕のPCに届いた。そのタイトルを見ると、普段の仕事に関するメールのもつ雰囲気とは全く異質な、いかにもどこかのアダルトサイトからのスパムメールのような卑猥な文言が並んでいた。
……罠だ。そう直感した。そういう類のメールが僕のPCにそれまで一度も来たことはないし、周りの様子もうかがっていたが、そんなメールが来たと騒ぎ立てるような人は誰もいなかった。そもそもそういう迷惑メールは、メールソフトの排除フィルターによって取り除かれるはずだ。つまり、このメールは特別なルートを介して僕だけに送られてきたものなのだ。特別なルート、そう、そんなものを設定できるのは浜田だけだ。
おそらく、そのメールを開封することで妙なウイルスに感染してしまうことだけでなく、それが届いたことを誰かに相談したりすること自体もアウトなのだ。そんなことをすれば浜田はきっとあたかも僕が勤務中に如何わしいサイトにアクセスしていたかのような嘘をでっちあげるだろう。
浜田という男は、ITのことにあまり詳しくない社員(僕も含めて)のことをかなり見下していたように思う。使用しているPCに何か不具合が発生すると、問題に対処してくれるというよりも、不安を煽ることに重きを置くような言動をとるのである。
社内システムの責任者である浜田は、勿論メールソフトの管理もしていた。彼はとにかく融通がきかなかった。セキュリティを強化し過ぎるあまり、お客さんからのメールが届かなくなったり、逆にこちらからメールが送れなくなったりなど、実際に仕事に支障をきたす場合もしばしばあった。
そんな浜田が、あの現場を僕に目撃されたのである。心中決して穏やかではなかったはずだ。
僕は、そのメールを未開封のままゴミ箱のフォルダに移動させた。仕事場が不当に汚されたようなそんな気がした。
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