第9話 ミス

 浅霧さんと向かい合っている。少し薄暗いフロアで浅霧さんが持っているナイフが不気味に光って見えた。今いるフロアは普通のビルの1フロア程度の大きさだ。この広さなら逃げ回ろうと思えば逃げられるかな。



「シッ」

「なッ!?」



 鉛色の閃光が走り、私はすぐに後ろへ飛んだ。



「痛っ!?」



 胸に痛みが走る。左手で痛みが襲う場所を触れた。服が切れている。血は出ていないようだが、まだ痛みが強い。



「ただ無策に距離を取るのは悪手です」

「はぁ!?」



 眼前にナイフが投擲される。それを反射的に腕で払った。



「視界を自分で塞いでしまうのは、より悪手ですよ」



 目の前にいたはずの浅霧さんがいない。どこへいった!? 腹部に衝撃が走る。そのまま壁へ吹き飛ばされた。視界が歪み、上下も左右も分からなくなる。



「ぐああ!――っ!?」



 土煙が舞う中、正面の煙がはれ、拳が顔面へ放たれる。それを首を捻って躱す、このままじゃまずい。後ろは壁だ。正面に浅霧さんがいるなら既に逃げ道は左右だけ。うっすら煙が舞うのが見え、私は反対側へ走った。しかし――土煙の先に浅霧さんがいた。なぜここへ。その疑問が頭を支配する前に、顎を下から殴られた。そのまま服を掴まれ身体を引っ張られる。そして腹部に膝、そのまま身体がくの字に折れた所を胸と顔にそれぞれ拳を放たれる。




 膝が折れ、身体が床に沈もうとする。剣崎さんの言う通りだ。いくら魔力が使えようと所詮は素人。戦闘訓練を積んだプロに勝てるはずなんてない。






 


 ――ああ。でもこうも一方的に殴られるなんて……分かっていた、分かっていた!





 けど! やっぱり少し腹が立つ。勝てないにしても、せめて――。






「ぼかすか殴りやがって! 一発くらい殴ってやるからなッ!!」





 全身の力が更に漲る。私が声を上げ、こちらを少し驚いた様子で見ている浅霧さん目掛け走った。走りながら拳を握る。握り慣れない人を殴るための手の形を強く意識する。



「いい魔力です。ですが馬鹿正直に正面からでは!」



 集中しろ。魔力量だけなら私の方が上のはず。だったら! 魔力による身体能力の強化だって相手の戦闘経験値を覆すだけの力が出せるはずだ!



「おおおおおッ!!」



 さらに加速する。私の踏み込んだ足が床を破壊し、浅霧さんに肉薄する。





 ――見える。浅霧さんの動きが。左の掌底打ちが私の顎を狙っている。浅霧さんの左腕は私の右腕の内側から顎へ最短距離を進んでいる。カウンター狙いだ。




 もう一歩。さらに踏み込む! 全力で握った右の拳が更に加速し、胴体を捉えた。人を殴る感触が拳から伝わり、そのまま振り抜いた。浅霧さんの身体が吹き飛び壁を破壊する。



「や、やった……?」




 明滅する室内の電灯に舞い上がる粉塵。思いっきり一撃入れられた。これなら――。




「伏せて下さい」

「ッ!?」




 





 舞い上がる土煙が切れるという現象、そして浅霧さんの言葉に反応し私はすぐに身体を伏せる。すぐに顔を上げると、このフロアの壁が一直線に切れている。





「すばらしい。ある程度追い込めばその蓋を外せると思っていましたが、いやはや、想像以上です。本当はまだ教えるのは早いのですが、こういう事も出来ると覚えるのはいいでしょう」




 煙がはれ浅霧さんの姿が見える。身体の服が破け、紫色に変色した肌。口から大量の血が流れ、その姿は見るからに重傷だ。




 だというのに、浅霧さんの魔力は煌々と輝き、その手にあるナイフが不気味に輝いている。





「魔力を武器に流す。とりわけ刃物は相性がよいのです。だから人造魔法使いでも、全力で魔力操作を行えばこういう事も出来るのです。まあもっとも……」




 さらに口から血が流れ、膝を地面についた。




「流石に魔力切れですね。郷田さん、少々はしゃぎ過ぎました。申し訳ないです」




 そういって浅霧さんは倒れた。


 

 





 





 

「――くそ、不味ったな」


 郷田葵にとって今回の模擬戦の目的は2つ。



 1つは凶器を持った人間から襲われる恐怖を体験するため。

 仮にナイフを刺されて無事だとしても、30歳まで普通に生活していた人間であればまず人を傷つける物、そうナイフや包丁などを向けられる恐怖は拭えない。なんせ刺されたら場所が悪ければ死ぬのだ。そんな凶器を持った人間と相対すれば恐怖し身体は固くなる。それの恐怖を、緊張をこの模擬戦で体験してほしかった。



 もう1つは人を傷つけるという恐怖を体験するため。

 普通の人間は喧嘩程度の経験はあれど、戦闘不能にするレベルで人を攻撃しようとすることはほとんどない。人を躊躇せず、本気で攻撃するという事は素人には無理だ。そう人を拳で殴れても、バッドで頭をフルスイングするのは躊躇するのと同じように。




 それらの2つの目的は大よそ達成できたといっていい。ナイフを持った浅霧の猛攻に耐え、魔力を練った拳を繰り出している。あとは桜桃への精神的なケアを集中的に行っていけばいい。だが――――浅霧が桜桃との模擬戦で重傷を負ってしまった。桜桃は心配していない。回天さえ維持していれば重傷を負う事はないと判断していた。だがまさか――圧倒的な経験値の差を、技術的な戦闘能力を、魔力で強引に埋めるとは想像もしなかった。まだ魔法使いに覚醒して1週間程度の男がだ。




「このレベルになるのは後1か月程度はかかると思ったんだが……」




 正直浅霧の欠員は手痛い。東京の天然魔法使いは人数が少ないため、能力の高い人造魔法使いは貴重だ。その中で浅霧は東京支部としても重宝していた。少なくとも訓練をしていない野良の魔法使い程度なら十分な程に。




「回天を維持すれば回復能力も上がる。全治数か月の怪我でも、恐らく1ヶ月程度もあれば完治するはずだが……」




 ピピピピ




 電子音が鳴り郷田はスマホを見て、その顔を歪めた。




「……まったくこういうときに限ってか」




 



 【東京都千代田区1丁目にて魔法使いと思われる人物を発見。至急向かわれたし】




 



 

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