第1章 2人で失った時間を

第7話 またあえた


 どうやら、自分はベッドで眠っていたらしい。


「どうなってるんだ……?」


 起き上がった悠也が周囲を見渡すと、思わず、そう呟いていた。


 何度見ても、やはり見間違えるはずがなかった。


 小学生の頃から使っていた勉強机には、真新しい教科書が山積みになっている。


 ずっと使っていたテーブルには、2個のコップと2Lのペットボトルが置かれていて。


 そして本棚に詰め込まれた漫画とテレビの前に置かれたゲーム機。更にゲームソフトが床に散らばっている光景を見ているだけで、悠也に懐かしさがこみ上げてくる。


「……やっぱり、俺の部屋だ」

 

 胸の内から溢れる懐かしさが、悠也を更に困惑させた。


 あの頃。ずっと昔、子供の頃に住んでいた実家の自室に自分がいる現状が全く理解できず、ただ呆然としてしまう。


 間違いなく、さっきまで外にいたはずだった。月の明かりもない暗い夜で、気温も冬だから寒かった。


 そのはずなのに、なぜか部屋の窓から日差しが差していて。先程まで感じていた寒さも、いつの間にか消えていた。


「……だるくない?」


 悠也が呆けていると、ふと自身の違和感に気づいた。


 いつもあった倦怠感がなかった。動かすだけで辛いはずだった鉛のように重い身体の感覚もなく、むしろ羽でも生えたかのように身体が軽い。


 まるで、若返ったような気分だった。


 なにげなく自身の手を見ると、また奇妙な違和感が悠也を襲った。


 小さな手が、彼の視線の先にあった。


「なんで、小さくなってるんだ?」


 大きかった悠也の手が、まるで子供のように小さくなっていた。


 手から肘まで見ても、やはり小さい。半袖で見えた腕全体も、妙に肌白い。


 それは昔、インドアだった子供の頃を思い出すような肌だった。


「鏡……あったよな」


 そう言えば、もしこの部屋が本当に自分の部屋なら鏡があった気がする。


 昔、咲茉に置いてくれと言われて仕方なく鏡を置いたはずだ。


 視線を巡らせると、テーブルの上に伏せられた鏡があった。


 手を伸ばして、悠也が鏡を手に取る。


 そしてなにげなく鏡で自分の顔を見ると――


「は……?」


 鏡を映った自分に、悠也は言葉を失っていた。


 その鏡に映っていたのは、子供の頃の自分だった。


 目立っていた白髪は一本もなく、心労と疲労で老けてしまった顔も嘘のように若返っている。


 鏡を見るに、おそらく中学生くらいだろう。それぐらいの若い自分が鏡に写っていた。


 あり得ないと悠也が咄嗟に触って確かめてみるが、やはり鏡に映ったままの感触が彼の手にあった。


 皺も、髭もない。瞼の痙攣もない。手に感じる触り心地の良い肌が、人間の若さを否応なく悠也に感じさせる。


「なんだよ……これ」


 自然と、悠也の手から鏡が落ちた。


 夢でも見ているのかと悠也が頬を全力でつねれば、当然のように痛い。


 痛い。痛みがある。それが彼に今の状況が現実であることを告げていた。


「一体、どうなって……何が起こって」


 若返っている。その事実が、より一層に悠也を困惑させた。


 さっきまでの光景と、今の光景が違い過ぎて、頭が追いつかない。


 なぜか大人だった自分が子供になっている。


 さっき刺されて殺されたはずなのに、刺された脇腹を触っても傷も痛みもない。


「……夢でも見てたのか?」


 悠也がそう呟いてしまうほど、さっきまでの出来事が夢だったのではないかと思わせる。


 あの時まで、あの男に殺された瞬間までの全部が夢だった。


 今の現状にそう思いたくなる悠也だったが、あり得ないと一蹴した。


 そんなはずはない。もし今までのが夢だったなら、約10年も夢を見ていたことになる。


 そんなことがあり得るはずがない。今まで夢の中で感じたこと、思っていたことの全てが、実は夢だったと言われても悠也には到底信じられるはずがなかった。


 絶対に夢ではない。今までのことが夢であるはずがない。その確信だけは決して間違えてないと悠也は確信していた。


 だが、もし今までのが夢ではないとすれば……果たして、今の状況はどういうことなのか?


 どれだけ考えても分からず、悠也が顔を歪めた時だった。


「ん……!」


 唐突に、悠也の背後で声が聞こえた。


 呻き声のような、寝起きだと言いたげな女の声が聞こえて、思わず悠也が振り返る。


 そして振り返ると、ベッドで寝ている女を見た途端――自然と悠也は泣きそうになった。


「咲茉っ……⁉︎」


 子供の咲茉が、ベッドで眠っていた。


 大人の時の彼女と違い、手入れの行き届いた綺麗な肌と艶やかな長髪も枝毛ひとつない。


 髪を染めているのか、黒だった髪色が明るい茶色になっていた。


「うっ……ゆーや」


 そんな彼女が悪い夢でも見ているのか、苦しそうに寝言を呟いて顔を歪めていた。


 何度も悠也の名前を呼びながら、苦しそうな声を眠っている咲茉が吐き出す。


 よく見れば、彼女の目から涙が出ていた。ひどい悪夢でも見てるのかもしれない。


「おい、咲茉……起きろ」


 そう思うと、悠也は咲茉に声を掛けていた。


 泣きそうになるのを我慢しながら、そっと彼女の肩に触れて身体を優しく揺する。


「咲茉……おい、咲茉」

「んっ……?」


 そして何度も悠也が咲茉を呼ぶと、吐息を漏らしながら彼女が目を覚ました。


 ゆっくりと目を開いて、寝起きの咲茉が何度も瞬きを繰り返す。


「泣いてるぞ? 怖い夢でも見たのか?」


 目から溢れていた涙を悠也が優しく拭うと、咲茉の目が彼を見つめていた。


「ゆーやぁ?」

「……どうした?」


 舌足らずな声で名前を呼ぶ咲茉に、悠也が泣きそうになりながらも頷いて見せる。


 死んだはずの彼女が目の前にいる。


 どうしようもなく溢れてくる愛おしさで、無意識に悠也の手が咲茉の頬に触れる。手から感じる咲茉の体温が生きていることを証明していた。


「んんっ……」


 少しだけくすぐったそうにする咲茉だったが、どこか嬉しそうに笑みを浮かべる。


 まだ微睡みの中にいるのか、幸せそうに彼女は微笑んでいた。


 また生きてる彼女に触れられる。


 そっと悠也が頬を撫でれば、また咲茉が嬉しそうに笑っていた。


「ッ……⁉︎」


 今も手に感じる彼女の存在に、咄嗟に悠也は空いている手で自分の口を塞いだ。


 漏れそうになった嗚咽を我慢する。涙が出そうになるのを必死に堪える。


「よかったぁ……また、ゆーやとあえた」


 頬に触れている悠也の手に、咲茉が自分の手を添えると安堵の声を漏らした。


 彼女もまた、頬に触れている悠也の手を優しく撫でた。


「ここって、てんごくかな?」

「……なんでそんなこと言うんだ?」


 寝惚けた声で話す咲茉に、悠也が震えた声で訊き返す。


 すると、彼女は朗らかに微笑みながら愛おしいそうに悠也の手を撫でていた。


「だって、しんじゃったのに……ゆーやとまたあえたんだもん」

「えっ……?」


 今にも出そうだった悠也の涙が、一瞬で消え去った。


「ここがてんごくじゃなかったら、しんじゃったわたしとゆーやがあえるわけないもん」


 そう言って、幸せそうに笑う咲茉を悠也は呆然と見つめていた。

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