第8話 10年前だよ


 大人ではなく子供の咲茉えまが、自分が一度死んだことを知っている。


 まるで子供の姿に若返ってしまった悠也と、全く同じように――


 それが、一体なにを意味しているのか?


「まさか……!」


 そのことに悠也が気づいた瞬間、急いで咲茉を叩き起こしていた。


「おい! 咲茉! 早く起きろっ!」

「んっ……?」


 悠也に身体を揺らされて、今だに微睡まどろんでいた咲茉の目が薄く開いていく。


「えへへっ……子供のゆーやがいる。やっぱり天国だからかなぁ……かわいい」


 しかし悠也の顔を見た咲茉が嬉しそうに微笑んだと思えば、またすぐに目を閉じていた。


 心地良さそうに彼女が眠ろうとする。しかし、それを悠也が許すわけがなかった。


「寝ぼけてないで早く起きろッ!」

「ふえ……?」


 再度、悠也に身体を強く揺さぶられた咲茉が呆けた声を漏らす。


 激しく身体を揺すられて、寝ぼけていた咲茉の目がハッキリと開かれていき――


「……あれ?」


 そして何度か瞬きをした後、彼女は悠也を見るなり不思議そうに首を傾げていた。


「なんで悠也が子供になってるの?」


 ようやく寝ぼけていた意識がハッキリしたのか、子供の悠也に咲茉が怪訝に眉を寄せる。


「良いから早く起きろって」

「え? う、うん?」


 訳が分からないと困惑している咲茉が、悠也に催促されて渋々とベッドから起き上がる。


 そして何気なく周囲を見渡すと、更に彼女は困惑していた。


「もしかして……ここって悠也の部屋?」


 そう呟いて、忙しなく咲茉が首を動かして部屋中を見渡す。


 困惑の表情を浮かべていた彼女だったが、部屋を見渡していると次第に嬉しそうに頬を緩めていた。


「うわぁ、懐かしい。昔、よく来てたなぁ。でも、なんで私が悠也の部屋にいるんだろ?」


 なぜ自分が悠也の部屋にいるのか理解できず、不思議そうに咲茉が首を傾げる。


「もしかして、死んじゃったから夢でも見てるのかな?」

「もし夢だと思うならコレは痛くないぞ?」


 悠也がそう言うと、不思議がる咲茉の両頬をそっと掴んでいた。


「……ふえ?」


 唐突に頬を掴まれて、呆けた声を咲茉が漏らす。


 そんな彼女に、悠也は淡々と告げていた。


「ほら、夢なら痛くないぞ」


 悠也が割と力を込めて咲茉の頬を引っ張る。


 その瞬間、両頬から全身を駆け巡る激痛に咲茉は暴れていた。


「いふぁい! いふぁひって!」

「夢なら痛くないだろ?」

「いふぁい! わふぁった! わふぁったからはなひてっ!」


 暴れる咲茉に何度も腕を叩かれて、すぐに悠也が掴んでいた彼女の頬から手を離す。


 悠也の手が離れると、咲茉は少しだけ赤くなった頬を痛そうに優しく撫でていた。


「痛かった……急に引っ張らないでよ!」

「悪かったよ。でもこれで夢じゃないってことはお前も分かっただろ?」

「……え?」


 悠也に夢ではないと告げられて、頬をさする咲茉から唖然とした声が出る。


 そしてしばらく固まっていると、彼女は呆然と声を漏らしていた。


「……夢じゃない? ここって天国じゃないの?」

「ほら、鏡。自分で見てみろ」

 

 困惑してる咲茉に、悠也が先程落とした鏡を拾って手渡す。


「……なんで急に鏡?」

「その方が早い」


 唐突に悠也から鏡を渡された咲茉が怪訝な表情を浮かべるが、渋々と鏡を見ると、それは次第に困惑した表情へと変わっていた。


「……子供の私?」


 その反応は、先程の悠也と全く同じだった。


 鏡に映る自分の顔を咲茉が何度も手で触って確かめる。


 そして色んな角度から自分の顔を見た彼女は、あり得ないと目を大きくしていた。


「……コレ、どういうこと?」

「分かったら苦労してないって」


 困惑している咲茉に、悠也が苦笑して見せる。


 悠也も今の状況が分からないと知って、咲茉は困ったと眉を寄せていた。


「……ここが天国じゃないなら、もしかして今までのが夢だった?」


 現状を少しずつ把握した咲茉が、そう呟く。


 今の状況が現実ならば、彼女もまた悠也と同じように先程までの出来事が全て夢だったと考えてしまう。


「俺も同じこと思ったよ。起きたら自分の部屋にいるし、殺されたことも全部夢だったのかって思ったけど……」


 しかし、もし本当に全てが夢だとしたらおかしなことがあった。


 悠也の話を聞いて、その違和感に咲茉が気づいた。


「……殺された? もしかして悠也も?」

「俺も殺されたよ。10年振りにお前と会って、知らない奴に脇腹刺されて死んだよ」

「嘘でしょ……?」


 夢は眠っている本人だけしか見ない。自分以外と夢を共有することなどあり得ない。


 悠也と咲茉が同じ内容の夢を見ていた。果たして、そんなことがあり得るのだろうか。


「同じ夢を見てたなんて、普通あり得ないよね?」

「あるわけないだろ、そんなこと」


 咲茉にそう訊かれて、当然のように悠也は頷いた。


 現実的に考えて、それはあり得ない話だった。


 ならば、この状況はどういうことなのか?


「なんで二人揃って子供になってるんだろ?」

「それ、俺が聞きたいくらいだって」

「だよねぇ……」


 その二人の疑問の答えは、やはり分からないままだった。


「とにかく咲茉も俺と同じだって分かったから安心したよ」

「なんで安心するの?」

「たった一人でこんな状況だと頭おかしくなるだろ?」


 死んだと思えば、起きた途端、急に子供の姿になって実家の自室にいる状況。


 一人なら気でも狂いそうだった。同じ境遇の人間がいれば、少しは気分も紛れた。


「そう言われれば確かに……私だけだったら怖くて動けなかったかも」


 悠也と一緒ではなく一人だった場合を想像したのか、咲茉の表情が不安で歪む。


 しかし悠也を見ると、その表情もすぐに消えていた。


「私も悠也と一緒で良かったよ」

「……俺もだよ」


 安堵している咲茉の優しい笑みを見ていると、なぜか悠也に頬が熱くなる感覚が襲い掛かった。


 彼女を見ているだけで、どうにも顔が熱くなった。


 大人だった時と違って、今の彼女は見違えるほど綺麗だった。


 大人の時は意図して整えていなかった肌や髪が、今は見惚れるほど綺麗になっている。


 ずっと記憶の中にいた過去の咲茉。それがそのままの姿で目の前にいる。


 まるで好きな人を目の前にした中高生みたいな反応をしている自分が恥ずかしくなって、悠也は気を紛らわせるために左右に頭を振っていた。


「……急にどうしたの?」

「いや、なんでもない」


 大人の自分が子供みたいな反応をしてしまったと言えず、悠也がわざとらしく肩を竦める。


「もしかして目眩でもしたの?」

「大したことじゃないって。俺も起きたばっかりだからボーッとしただけだ」

「なら良いんだけど……」


 怪訝に眉を顰める咲茉だったが、悠也にそう答えられれば渋々と納得する。


 これ以上追求されるのは、どうにも気恥ずかしい。


 そう思った悠也は、気を取り直して現場の把握を優先することにした。


「とにかく、今の状況を調べてみよう」

「その方が良いかも……って、悠也? ここにスマホあるよ?」


 視線を巡らせた咲茉が、ベッドの隅に置かれていたスマホを手に取る。


 それは、ピンク色のカバーが付いているスマホだった。


「あ、これ……私が昔使ってたスマホだ」

「スマホ? なら今の時間とか分かるか?」

「ちょっと見てみる……え?」


 悠也に頼まれた咲茉がスマホを操作すると、突如、唖然とした声を出していた。


 目を大きくして、驚愕している咲茉がスマホの画面を凝視する。


 その表情に、悠也も気になって彼女の側に近づいた。


「どうしたんだよ?」

「これ……見てよ」


 咲茉に差し出されたスマホを悠也が見ると、


「は……?」


 彼も、また言葉を失っていた。


「この日付って――」

「10年前だよ」


 咲茉のスマホに表示されていたのは、悠也達が大人だった時から10年前の日付だった。

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