第6話 だいすき


 もう悠也の身体は、なにも感じていなかった。


 咲茉えまの身体が倒れてきても、今にも消えそうな視界が揺れたことしか感じられなくて。


 荒かった呼吸も浅くなり、もう指の先すら動かすこともできなかったが――それでも、悠也は消えゆく意識を繋ぎ止めて全てを見届けていた。


 どうしようもなく好きだった咲茉が知らない男に身体を弄られ、何度もナイフで刺されていく光景を。


 その結末が、悠也の身体に血塗れで覆い被さる咲茉の姿だった。


「……えま?」


 力なく倒れる咲茉に残る力を注いで悠也が声を掛けるが、なぜか彼女から返事がない。


 胸の上にあった彼女の顔から見えた目は、瞬きすらしないまま開いていて。


「……え、ま?」


 もう一度、悠也が名前を呼んでも反応が返ってくることはなく。


 その姿は、まるで抜け殻のようだった。


 電池の切れたオモチャのように、なにか大切なものを失ったと告げている彼女の姿が、否応なく悠也に事実を突きつける。


「えま……? え、まっ……?」


 だが、それでも認めなくないと、悠也は震えた声で彼女の名前を呼んでいた。


 しかし何度呼んでも、彼女の身体は動くことはなく。


 名前を呼ぶ回数が増える分だけ、問答無用で悠也に事実を認めさせた。


「なんで……」


 そして、遂に悠也は“その事実”を認めてしまった。


 目に涙がにじむ。狂いそうになるほどの喪失感が悠也に襲い掛かった。


 溢れる涙を抑えることもできず、ただ悲しみに暮れる悠也だったが――すぐにそれは別のモノに変わっていた。


 本当に、人を殺したいと思う日が来るとは思わなかった。


 彼女を傷つけたあの男に、生きていることを後悔させるほどの苦痛を与えて殺してやりたい。


 何もできず、ただ見ていることしかできなかった情けない自分を呪い殺してしまいたい。


 もっと周りを見ていれば、刺される前に気づけたかもしれない。もし自分が刺されてなければ、彼女を守れたかもしれないのに。


「――――ッ⁉︎」


 とめどなく湧き上がる憎悪の感情に悠也が絶叫したくなるが、彼の口から出たのは掠れた吐息だけだった。


 どれだけ心が生きようとしても身体は違った。もう、声すら出せる力も残っていなかったらしい。


 ゆっくりと、悠也の瞼が落ちていく。ふわりとした心地良い感覚が彼の身体を襲う。


 それが悠也に、時間切れを知らせていた。


 もう自分も、あと少しで彼女と同じようになってしまうのだろう。


 必死に繋ぎ止めている意識が無くなれば、もう目の前にいる彼女を見ることすらできない。


 やっと会えて、気持ちを伝え会えたのに。


 過去に何かあった彼女が、自分と一緒に居てくれると思っていたのに。


 これから、彼女と一緒の時間を過ごせることが堪らなく嬉しかったのに。


 それが、一瞬で壊れてしまった。


 なぜ、なんで、どうして。その言葉達が、悠也の頭を埋め尽くす。


 自分と彼女が幸せになることを神様が拒んでいるのか?


 なにか悪いことを自分がしたとでもいうのか?


 きっと辛い目に遭ってきた彼女に恨みでもあるのか?


 もし神様が本当にいるのなら、きっと今の悠也なら呪い殺せたかもしれない。そう思わせるほどの憎悪が、悠也から生まれていた。


 このまま死ねば、悪魔になってでも殺してやる。


 そう思いながら、悠也が目を閉じかけた時だった。


「ゆーや?」


 ふと、悠也の耳に声が聞こえた。


 紛れもなく、それは咲茉の声だった。


「――ッ!」


 しかし声を出したくても、もう悠也の口から声は出なかった。


 かすむ視界の中で、必死に悠也が咲茉を凝視する。


「ごめんね……ゆーや」


 その視線の先で、咲茉は目を開いたまま、口だけを動かしていた。


 一体、彼女は何に対して謝っているのか。


 全く理解できない悠也が困惑するが、咲茉は淡々と口を動かしていた。


「もうね、なにもみえないの……だから、さいごにいいたいことだけ、いうから」


 最後。その言葉が悠也の心に突き刺さる。


 なにか答えてあげたくても、やはり悠也の口から出るのは掠れた吐息だけで。


 声を出さないことに発狂したくなる悠也に気づくこともなく、か細い声を咲茉は吐き出した。


「ずっと、ずっとむかしから、すきだったよ」


 途切れ途切れになりながらも、彼女が呟く。


「こんなに、すきだったのに、きづくのがおそくなって……ごめんね」


 声を出すことすら辛いはずなのに、それでも彼女が声を絞り出す。


「わたしね、きっとうまれかわっても……ゆーやのこと、すきになるから」


 震えた声を咲茉が溢していく。


「だから、ゆーやも……わたしのこと、すきなってくれたら、うれしいな」

「――ゥッ‼︎」


 暴れ回りたいほど悠也が身体を動かそうとしても、やはり身体は微塵も動かない。


 ただ僅かに、彼の身体は小さな痙攣を繰り返すだけだった。


 しかし、その僅かな動きを咲茉は感じ取ったのだろう。


 悠也の反応に、僅かに彼女の声が弾んだ。


「ゆーや」


 嬉しそうな声で、咲茉が悠也を呼ぶ。


 そして、口元だけ小さく笑いながら――彼女は最後の言葉を紡いだ。


「だいすき」


 その言葉を最後に、もう咲茉から言葉が出てくることはなかった。


 呼吸もしなくなり、開いていた目の瞳孔も大きく開いていく。


 その変化に悠也が気づかなくても、もう彼女がどうなったかなど分かりきっていた。


 一瞬だけ、死に際に見せた彼女の言葉。


 それになにひとつも答えられなかった。


 そのことに激しく悠也が後悔する。


 できることなら、死に際の彼女を抱きしめてあげたかった。それすらもできない。


 もう僅かに開いていた瞼も閉じていく。


 きっと瞼と閉じれば、もう二度と目を覚まさなくなる。


 唐突に湧き上がる死の恐怖に悠也が震えるが、その恐怖に抗いながら、彼は願っていた。


 今、彼女が言ったように、生まれ変わりがあるのなら。


 自分が、またどこかで生まれ変われるのなら。


 また咲茉のことを好きになろう。今度こそ、必ず後悔しないように。


 悪魔でも神様でも良いから叶えてくれと、そう願いながら――悠也の意識は消え去った。



 そう思った瞬間。



 先程まで抗えなかった意識の消える感覚が嘘のように無くなり、自然と悠也が目を開けると――


「……あれ?」


 どこか見慣れた天井が、彼の視界に広がっていた。


 先程まで外にいたはずなのに、なぜかいつの間にか室内になっていて。


 僅かに視界に入る日差しが、今の時間が夜ではないことを知らせる。


 何気なく視界を巡らせると、周囲を見た悠也は呆然と声を漏らしていた。


「……俺の部屋?」


 気づくと、なぜか悠也は昔住んでいた実家の自室にいた。





――――――――――


ここまでお付き合いありがとうございます。


大人編、終了です。次から高校生編。

ようやくタイムリープしました。お待たせして申し訳ないです。


これから悠也と咲茉の二人が幸せになっていく姿を見届けてくれたら嬉しいです(波乱はあるけど)


当作を読んで面白い、続きが読みたいと思って頂けたなら応援、コメント、フォローやレビューなどして頂けると大変励みになります。


良ければ何卒、よろしくお願いします。

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