第3話 好きだった
先を歩く咲茉に追いつくと、すぐ悠也は先程の疑問を口にした。
「
「流石にクリスマスイブだと街も綺麗だよねぇ〜」
しかし彼が話し掛けても、またもや咲茉の声によって遮られてしまう。
先程と同じように。彼女のことを訊こうとした途端、強引に話を逸らそうとしている。
それはどう見ても不自然だった。あまりにも
「……言いたくないのかよ」
「でもクリスマスなのに雪がないのって少し寂しいよね。私達の地元だと冬になれば雪が降るのが当たり前だったなぁ」
綺麗に装飾された
しかし悠也の隣を歩いている咲茉に、彼の声が聞こえないはずがなかった。
「雪を見てないと言えば、悠也っていつからこっちに住んでたの?」
「なんで答えないんだよ」
どうにか強引に悠也が訊こうとしても、先程と変わることなく咲茉が一貫して無視を貫く。
「私も結構前から住んでたんだけど、意外とばったり会えないものなんだね」
「おい、咲茉……!」
決して答えることをせず、悠也の疑問を頑なに無かったことにする彼女の対応は、当然のように悠也の不安を煽っていた。
答えたくないとも言わず、悠也の疑問を聞くことすらしない。それは彼女から向けられた尋常ではない拒絶の証明だった。
やはり、今まで会わなかった10年間で咲茉に何かがあった。おそらくそれが原因で、あんなにも綺麗だった彼女がここまで変わってしまったのだと悠也は確信した。
「私もこの辺りはバイトの帰り道なんだけど、悠也は――」
その確信が、彼の身体を動かした。
「咲茉ッ!」
そう叫ぶと、咄嗟に悠也の手が咲茉の肩を掴んでいた。
「ッ――!」
しかし悠也の手が咲茉の肩に触れた瞬間、先程まで穏やかだった彼女の表情が一変した。
まるで恐ろしいものを見たような、日常では決して見ることのない
「……なんだよ、それ」
一瞬にして変わり果てた彼女の表情に、思わず悠也の身体が硬直してしまう。
その時、咲茉の肩を掴んでいた手に震えてる感触があった。
「……なんで震えてるんだよ」
触れる手の先で、咲茉の縮こまった身体が小刻みに震えていた。
そんな顔になるまで自分のことが嫌いだったのか。そこまで嫌いだったのなら、初めから話し掛けて来なければ良かったのに――
いや、違う。単に嫌いな人間に触れられただけで、ここまで常軌を逸した反応は普通じゃない。
もし本当に嫌われていれば、見かけても話し掛けない。わざわざ嫌いな人間に話し掛け、10年振りに会えたことを喜ぶなんて無意味なことをする理由がない。少なくとも声を掛けられた時点で、彼女に嫌われてる可能性は限りなく低い。
ならば、それとは違う理由が彼女をそうさせている。他人に触れられただけで怯えるほどの何かがあったのだと。
「……えっ?」
その時、唐突に咲茉から小さな声が漏れた。
怯えた表情で、ゆっくりと彼女の視線が自身の肩を掴む悠也の手に向けられる。
そして呆然と咲茉が悠也の手を凝視していると、いつの間にか彼女の身体の震えは消えていた。
「あれ、なんで……?」
先程と変わり、今度は目を大きくした咲茉が驚愕する。
その様子を見つめながら、悠也は震えた声で問い掛けていた。
「……なにがあったんだよ、咲茉」
喉の奥から絞り出した彼の疑問に、咲茉の顔が強張った。
なにか思いつめた表情で俯いた後、咲茉が視線だけを悠也に向ける。
口を小さく開いては閉じ、それを何度も繰り返す。
なにか言おうとしてる咲茉を悠也が見守っていたが、しばらくして彼女から出てきた言葉は、拒絶の言葉だった。
「……なんでもないよ」
「なんでもないわけないだろ!?」
あまりにもふざけた返事に、反射的に悠也が声を荒げた。
二人の周囲を歩いていた人達から視線を向けられるが、そんなことを気にする余裕などなかった。
「気にしないで、大丈夫だから」
「そんな顔して大丈夫だって? 嘘つくならもっとマシな嘘つけよ!?」
引き攣った笑みを浮かべる咲茉に、叫んだ悠也は彼女の身体を強引に向き合わせる。
「本当になんでもないの。本当に」
「……咲茉!」
咲茉の肩を小さく揺すって悠也が問い掛けるが、それでも彼女は
「なんでだよ……幼馴染だった俺にも言えないのかよ」
「……ごめんなさい」
そう告げられた咲茉の謝罪で、もう悠也は抑えきれなくなった。
突然いなくなった彼女とようやく再会できたのに。
きっとどこかで幸せになっていると信じていたのに。
「なんで教えてくれないんだよ……頼むから言ってくれよ」
気づくと、悠也の声に嗚咽が混じっていた。
「お前が急にいなくなってから、どれだけ俺が心配したか分かってるのか? 何度も電話しても繋がらないし、メッセージだって送っても無視しやがって……ふざけんなよッ!」
喉の奥から勝手に出て行く声も我慢できず、目の奥が熱くなった悠也が堪らず俯いてしまう。
あんなに綺麗だった彼女が、こんなにも変わり果ててしまって。
その理由すら教えてくれないことが、彼女に信頼されてないと言われてる気がして。
彼女に何もできない自分がどうしようもなく情けなくて。
「そんなに俺が信用できないのかよ……なんでだよ、なんで」
そう考えるだけで、自然と悠也の目から涙が溢れていた。
拭うことすら放棄して、我慢もできない嗚咽が口から洩れていく。
俯いてむせび泣いた悠也を、咲茉は呆然と見つめていた。
「なんで……悠也が、泣くの?」
目の前の彼が泣いている理由が分からないのに、なぜか勝手に咲茉の喉奥が苦しくなっていく。
「そんなの決まってるだろ……!」
俯く悠也が嗚咽交じりに、震えた声を吐き出す。
あの日からずっと心配していた。
離れても連絡できると思っていた。しかしそれすらもできないと気づいて。
でも時間が経つにつれて、次第に彼女がいなくなった事実を受け入れた瞬間、気づいてしまった自分の気持ち。
社会人になって、辛い日々で一度忘れかけていたことでも。
失ってから気づいたこの想いは、ずっと心の奥底にあった。
今更伝えたところで意味のないことでも。
今を逃せば、二度と彼女も会えなくなるかもしれない。
だから、もう自分勝手でも良い。
後悔しかない人生だとしても、この後悔だけはしたくなかった。
「咲茉のこと、ずっと好きだった」
その言葉だけは、嗚咽の混じる声でも詰まることはなかった。
突然の言葉に、咲茉が言葉を失った。
「えっ……?」
「ずっと一緒だと思ってた。でも咲茉が居なくなってから、ずっと寂しくて……なにをしてもお前のこと考えて、なんで急にいなくなったのか考えても分からなくて、辛くて忘れようとしたけど……どうしてもお前のこと、思い出すんだよ」
感情のままに、滅茶苦茶に悠也が言葉を吐き出していく。
「俺、馬鹿だから気づかなかった……こんなに、お前のこと好きだったのに、気づかなくて……今更言っても意味ないのに、咲茉に好きだってずっと言いたくて。別に言ったところで、お前がなにも教えてくれないって分かってるのに――」
言葉が口から出る度に言葉が小さくなっていき……そして次第に、それは言葉にすらなっていなかった。
最後は、ただ声を殺して、悠也は泣いていた。
むせび泣く悠也を、呆然と咲茉は見つめていた。
「……言えなくて、ごめんなさい」
一方的に向けられた数々の言葉に、咲茉が呟く。
「……心配させて、ごめんなさい」
肩を掴む悠也の手が、強くなる。
一瞬だけ怯える咲茉の手が、そっと彼の手に添えられた。
「悠也も、私と同じだったんだね……本当に、ごめんなさい」
そう口にした瞬間、咲茉は我慢できなかった。
目の奥が熱くなって、勝手に喉から声が漏れる。
彼女も、また目の前の彼と同じように声を殺して泣いていた。
泣いている咲茉を、悠也がそっと抱きしめる。
突然抱き寄せらせて咲茉の身体が小さく震えたが、決して彼を拒むことはなく。
彼女の手が恐る恐る動くと、ゆっくりと悠也の背中に両手を伸ばしていた。
二人の腕に力が入る。弱くもないが、決して強くもなく、その腕の先にいる人の存在を確かめるような強さで。
そしてほんの少しだけ二人が身体を寄せ合うと、ただ声を殺して、涙が枯れるまで泣いていた。
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