第2話 面倒
「お前……本当に、あの
その笑顔を見た瞬間、悠也はあり得ないと、自身の目を疑っていた。
今まで10年間も行方知れずだった幼馴染と、こんな場所で偶然再会するなんて――あり得るはずがない。
きっと仕事で疲れ過ぎて、頭がおかしくなったのだろう。
咲茉のことを久々に思い出したから――これは彼女に会いたいという願望が生み出した幻覚に違いない。
そう思うしかなかった悠也が、必死に目を擦る。
しかし何度も目を擦っても、彼の前から咲茉の姿が消えることはなかった。
「久々に会えたのに……そこまで驚かれると流石に傷つくなぁ」
目を伏せて苦笑する彼女の表情は、ひどく悲しそうだった。
「いや、だって」
見れば見るほど、目の前の彼女が思い出の中にいる涼風咲茉と重なっていく。
「もしかして……会うの久しぶりだったから幼馴染の顔、忘れちゃったの?」
そっと首を傾げる仕草も、あの時と同じままだった。
たとえ姿は変わっても、彼女の中にあるものは何も変わってない。
幻覚だと思っていた存在が、本当に実在している。
そう確信した瞬間、思わず悠也は息を呑んでいた。
「……俺が咲茉のこと、忘れるわけないだろ」
「ふーん? あんなに驚いてたのに?」
10年間も行方知れずだった幼馴染と偶然再会すれば、嫌でも驚くに決まっていた。
それに加えて、あの頃から変わり果てた今の彼女を見てしまえば、本当に彼女が涼風咲茉だと分かっていても悠也は到底信じられなかった。
「それは……お前があの頃と全然違ったから」
悠也の知ってる咲茉は、誰もが見惚れる美人だった。
楽しそうに笑う顔がどうしようもなく可愛くて、気さくで人懐っこい彼女は周りから好かれていた。
勉強が好きだったから頭も良くて、スタイルも良かった彼女なら――きっとどこかで幸せな人生を歩んでいると勝手に思っていた。
そう思っていたのに――今の咲茉は、その正反対だった。
もっと彼女には綺麗な服が似合うのに。肌も、髪だって手入れさえすれば綺麗になれたのに。誰よりも可愛くなれる素質を持っているはずなのに。
まるでそれを全て捨てたような姿に変わり果ててしまった彼女を、あの咲茉だと悠也が思えるはずがなかった。
「10年も経てば誰だって変わるよ。そう言う悠也だってビックリするくらい変わってるよ?」
そう言われれば、悠也も返す言葉がない。
自分も、変わり果ててしまった。
人目を気にすることすらしなくなった、みすぼらしい姿に。
この姿を咲茉に見られていると思った途端、とてつもない羞恥心が悠也に襲い掛かった。
「あんま見るなよ……ひどい格好なんだから」
「別に気にしないよ。私だって似たような感じだし」
朗らかに笑う咲茉だったが、悠也は恐る恐ると乱れた服を直していた。
首からぶら下がっていたネクタイを外し、スーツのポケットに捩じ込む。はみ出していたワイシャツをズボンの中に無理矢理入れる。そしてくたびれたスーツのボタンを閉めれば、多少は見れる姿になった。
だが、髪や髭だけはどうしようもなかった。
「仕事、忙し過ぎて……色々と面倒になって、適当になったんだよ」
心の底から居心地が悪そうに悠也の手が髪を触る。触れる髪の感触が、ひどい髪型であるのことを本人に知らせていた。
「それはちょっと分かるかも。私も、色々と面倒になって手入れとかしなくなったから」
頬を赤らめて、咲茉が恥ずかしそうに苦笑する。
彼女の言う“色々”とは、一体なんだろうか。
自分と同じなのか、それとも別の事情なのか。
あんなにも綺麗だった彼女をここまで変えてしまった理由が、悠也はどうしようもなく知りたくなった。
「色々って――」
「でも悠也の場合、ちゃんと整えた方が良いかも」
思わず悠也が訊こうとしたが、それよりも先に咲茉に遮られてしまった。
「悠也って整えたらカッコイイんだから、ちゃんと整えたほうが良いと思うな」
「お前、急になに言って――」
「白髪だって染めれば良いし、きっと疲れた顔も休めば大丈夫」
「別に――」
「今って化粧品とか安くても良いのあるし、少し手入れすれば……あの頃みたいにカッコイイ悠也に戻れるよ」
「お前だって――」
「悠也もまだ25歳で若いんだから素材の良い人はピシッとした方が素敵だと思うし、その方が絶対モテるよ」
なぜか悠也が話そうとしても、止まることなく咲茉が話し続ける。
まるで彼から話をされることを拒んでいるように。
その妙な違和感を、当然悠也も感じていた。
「きっと、その方が彼女さんも喜ぶよ」
そしてそう言うと、咲茉は楽しそうに笑っていた。
つい見惚れそうになる笑顔だったが、その表情を見た悠也は不思議と分かってしまった。
楽しそうに笑っているが、決して今の彼女は笑っていないと。
今さっき会った時とは、違う笑顔。同じに見ても全く違う、取り繕った笑顔であると悠也は確信していた。
「……彼女はいない。ずっと前に別れた」
「そっか、今は居ないんだね。でもすぐできるよ。自分に自信持って良い。幼馴染だった私が保証するもん」
「お前――」
「そうすれば結婚だってできるし、悠也が幸せになった方が私も嬉しいし」
また悠也の声を遮って、咲茉が話し続ける。
その奇妙な彼女の態度が、自然と悠也の声を大きくさせた。
「……お前は、どうなんだよ」
「えっ……?」
決して大声を出したわけでもないのに、悠也がそう言った途端、咲茉の表情が強張った。
「お前も、なんで色々面倒になったんだよ?」
「わ、私……?」
悠也に問われて、咲茉が戸惑う。
「別に、私のことはどうでも良いでしょ? それよりも悠也のこと聞かせてよ? 久々に会ったんだし、その方が絶対楽しいよ?」
しかしすぐに彼女が取り繕った笑顔を見せると、強引に話を逸らそうとしていた。
あまりにも強引な咲茉の行動に、悠也が顔を顰める。だが、それでも彼女は一方的に話を進めていた。
「それにここで立ち話するのもアレだし、歩きながら話そ? 悠也も駅まで行くんでしょ?」
「そうだけど……」
「なら私も同じだから、そこまで一緒に行こうよ」
そう言うと、咲茉は足早に歩き出していた。
「ほら、悠也。早く行こ?」
そして振り向く咲茉に急かされて、渋々と悠也が頷くと足早に彼女の後を追い掛けていた。
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