第3話 思春期まっさかりの少年は、名の改善を望む!


 ――教師に相談を持ちかけると、その日のお昼すぎ。

 八年の教室がつらなる校舎二階のはしの一室にその機会がもうけられた。


「……おまえの名前。字はそんな悪いとは思えないがなぁ」


 どこがですか? と。

 俺はぐっとこぶしをかためて反論したいのをこらえた。


「〝ましり〟くんと読むよりは、じゃないか?」


 ……だじゃれのつもりですか?

 それとも〝尻〟とか〝マシ〟と茶化して馬鹿にしているんですか?


 おもしろくなんてないし、俺はそんな中途半端な変更を望んでいるのではんじゃないのです。


万知吏まちりくんの方がまだ知的? (といっても珍奇だが、安全)……なのかもしれないし、意味的にも悪くない」


音だけの改名そんなん、したいと思ってません。いさぎよく、まともな名前に変えてしまいたいんです」


「個性的ないい名前じゃないか。改名をおし進めるには少しちょいと弱い気もするし…。名字珍奇ちんきなのよりずっといいだろう。

 オレの知りあいなんて悲しいぞ。名字と名前がどっちもおかしいのに比べたら、こんなのは…――」


「……担任先生に相談したのが間違いでした」


「そうあせるな。おまえは十四だ。十五にならないと自己申請できないのだし、いま目の前にせまる大事を優先するべきじゃないだろうか?

 まずは目標とする高校に無事、合格すること! 改名するのは落ちついてからでも遅くない」


 変にらすなと思っていれば、保留を進言された。

 手段・妙手みょうしゅをたずねているのに、反対する~な~わけだ。


 むっとしたので、不服をめいいっぱい視線にこめる。


 そんな俺の耳を掠めたのは、担任教師の大仰な溜息と「〝龍飛伊るふぃ〟でも〝園風ぞふぃ〟でも〝瑛磨えーす〟……〝黄熊ぷぅ〟でもないんだし……」と――こっそり、こぼれた独白ぼやきだった。


 他人事ひとごと認定、上等だ!


 〝ぞふぃ〟と〝ぷ〇〟以外はこの学校でも聞くにもいるが、奇妙な名前がもたらすストレスやジレンマは、当事者でなければわからないものだ。


「どうしてもというなら、まず両親の了解をとり付けること――おまえが未成年であることには違いないし、親の承諾・理解があるとないとではお役所さんの反応が違ってくるからな」


 確定的だった。

 この大人——役に立たない。

 少なくとも、俺にとっては。

 親を説得する方向に舵をきるならまだしも、俺の考えの方を押しとどめようとしている。

 そこで俺は椅子の背もたれを押しやった。


「わかりました。もういいです」


「まてまて、久木ひさき

「(いや)待たちたくない待たないです!」


 さっと距離をとり「(これで)失礼しました失礼します」とおなざりな一礼で後追いの言葉を退しりぞけて、相談室から退出あとにする。


🕧🕧🕧 


 時間を無駄にした。


(――まともな名前で高校かよいたいから、いまから相談してるんじゃないか! 申請してから、どれくらいで変わるのかもわからないし……)


 俺は荒ぶる感情を抑制して、どうするべきか問題のほうを重要視することにした。

 聞くところによれば、手続きする前からこれと思う名をおおっぴらに使っているとその名前への変更許可がおりやすくなるという。


(まずは名前を決めておくか……。

 ぱっと思いつかないけど、〝万知まち〟とか〝万吏まり〟とするのも……やっぱ、響きで女や文字違いにもに間違われそうなのは却下きゃっかだな)


 兄の名前が〝万吏ばんり〟でもある。まぎらわしいあたりは除外しておくべきだろう。


 こうして悩んでいると、つくづく思うのだ。

 兄も姉も、読みに軽度の課題を残すなかにも、まともな名前だというのに、どうして俺が〝万知吏まちり〟なのだろうと。


 名付けた張本人(親父)は、いきだの、あか抜けているだの、もてはやすが、自分の名を嫌っている子供からすれば、そこまでのおしつけは嫌がらせイジメ虐待ぎゃくたいでしかない。


 ほんとうは、自分が〝欲しくなかった子〟だからなのではないかと親のはらを疑いたくもなる。


 兄と姉は、からかい半分にも理解を示してくれるが、両親は俺の改名に非協力的なのだ。

 俺の名を気に入っている母は理解不能~謎~としても(おそらく本気で愛着している)。親父の方などは、改名申請しないまでも源氏名の〝千万かずま〟を乱用しているというのに——


 なんでも本名の総画数が、かんばしくないらしい。

 そんな父の本名は通名と同音異句の〝千眞かずま〟である。


 どちらも仕事運は悪いままだそうだが、親父いわく、


 〝長所は短所にも通じる。すべてが素晴らしいめざましい名前なんて芸がない。なかなかできることではないが、良いも悪いも乗り越えてこそ通人つうというものだ。流派によっては結果も違ってくる。とにかく総画が悪くなるよりは良い〟


 霊能者を語る家系にあるからなのか、もっともらしいことを言って人の疑念を回避するかわすのがうまい。


 幼いころは俺もはぐらかされていたが、十代半ばにもなれば、いいかげん子供にも免疫ができようというもの。


 自身は源氏名を本名のように使いながら、息子が改名することには反対する――

 そんな明らかなダブルスタンダードを前にして言いくるめられたりはしないのだ。


 占いなど、当たるも八卦当たらぬも八卦。

 それでも。そういったものの結果がいいに越したことはないのだろう。

 たとえ張りぼてでも、響きや印象がいい方がお得に決まっている。


 ともあれ俺にとって名前のおかしさは人生の打撃にして、悲劇なのだ。


 考えてもすぐに思いつくものがなかったので、こんなとき頼れるのは文明の利器だと…——さっそく手もとの画面にその答えを求めてみる。

 名字まで変える気はなかったので、それを基準として。


(――良さそうな候補、もうクラスにいるじゃないか。字が似通いすぎるのも避けたいよな……)


 検出される文字は似たり寄ったりで、そこに弾きだされたなじめそうにない文字の羅列には、奇妙な違和感もおぼえる。


(——億劫だめんどくさ


 そこでなにげに画面から目を外した俺は、その視界の片隅かたすみが立ちつくしているのを見いだした。

 朝だろうと昼だろうと、幼きから度々たびたび目撃することがあった怪しい影。

 かわいかろうがなんだろうが、いつも時代を超越した変わりばえのしない服装をしている。

 微妙に透けても見える女童おんなわらべ

 つまりそれは、生身の人間ではないということだ。


(校内に不審者がいるぞ——この子供、ほかに見えてる奴はいないのかよ……)


 悩んでいれば、わけがわからないものまで目にする。

 どこまでもすげない現実に浮かされこぼれた溜息が、いまの俺には非常に重く感じられたのだ。


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