告白
朝から30度近い炎天下の中。
オレは木陰で土井と一緒に公園の中を走り回るじいさんを眺めた。
腰の曲がったおじいちゃんが、一分に一歩のペースで走っており、恨めしそうに太陽を睨んでいる。
「で。話って?」
「あー、……本当はゆっくり話したかったんだけど」
飯でも食って、こいつが疲れを取ってからにしたかった。
でも、帰ってきて暴走が止まらず、止むを得ないって感じだ。
「何から話したらいいかな。オレ、初めてアイドルのライブ見たんだけどさ」
土井が口をツンと尖らせ、足元を這う芋虫を蹴り飛ばす。
それがオレの靴について、反射的に足を空振りにしてしまうと、靴だけが脱げてじいさんの腰に当たった。
《あ”ぁ”っ!》
オレは慌てて、靴を回収し、じいさんを助け起こした。
とりあえず、日の当たらない場所に移動させ、ベンチで休ませる。
それから、土井の待つ木陰に戻り、話の続きを話す。
「ハァ、ハァ、……んぐ、ハァァ……」
「で、なに?」
「あぁ、……その、ライブを初めて見てさ。感動した」
「ふ~ん」
「お前の歌声が響いて。バックの映像がマッチして。いくつも奇跡が起きたみたいに、どんどんカナデを含めた映像が変化して……」
オレは昨日見た奇跡の情景を覚えている。
「今話してる土井が、あのカナデなんだって。マジでワクワクした」
土井は照れ臭そうに俯いた。
後ろ手を組んで、つま先をグリグリとして、静かな間があった。
朝早くから蝉の声が、そこら辺の木から聞こえてくる。
夏特有の蒸した風がオレ達を包み込み、土井は「じゃあ」と口を開く。
「惚れ直した?」
「ああ……」
素直に答えた。
「教室で会った時より、今は素直に言える。土井は本当にすごいし、メチャクチャ惚れたよ」
「……んふ。えへへ」
「でも、――オレだけじゃない」
土井の事をただの女としてしか見ない奴もいる。
そういうのは、たぶん土井に対して独占欲が湧くと思うんだ。
当然と言えば当然。
土井は魅力的な女の子である事に違いないからだ。
だからこそ、純粋なファンは100%こう答える。
「オレは、土井とは絶対に付き合わない。付き合いたくない。いや、……付き合ったりとかしちゃいけないんだ」
土井は無言で見上げてきた。
驚いたように目を見開き、服の裾を掴んできた。
「……何でよ?」
殺意を感じた。
眉間には小さな皺が寄る。
裾を握りしめた手からは、ギリギリと音がする。
「アイドルだから恋愛禁止? バカじゃないの?」
「そういう問題じゃないんだよ」
「じゃあ、どういう問題?」
土井の――。
玄道カナデの手を握りしめ、オレは真っ直ぐに目を見る。
「オレと、お前は生きる世界が違う」
ライブを見た時、確かに感じた伸びしろ。
素人にだって分かるほどの伸びしろがあるカナデは、これからもっと伸びる。こいつが前に進めば進むほど、オレみたいのはいつしか足枷になる。
その時、必ずカナデが転ぶ事を喜ぶ奴らがいる。
あれだけ世間の注目を浴びて、確かな実力を持っているアイドルは、嫉妬されて当然なのだ。人間の好意だけではない。醜い感情だって、一気に押し寄せる。
「何かあった時。カナデは事務所が守ってくれる。でも、オレはただの一般人だ。オレの方にお鉢が回ってくれば、確実にお前がダメージを受けるんだよ。そうなったら、伸びしろの妨げになる。下手したら、消えるかもしれない」
手を握りしめて、オレは続けた。
「オレは玄道カナデの歌が好きだ。アイドルとしてのお前を応援したい。だから――」
土井から数歩後ずさり、オレは頭を下げた。
「二度と、……オレなんかを好きなんて言わないでください。お願いします」
土井は返事をしなかった。
無言で近づいてくる足音は聞こえるが、何もしてこない。
残酷な答えではあるけど。
アイドルとして活動する土井の背中を押すには、これが一番の答えだ。
余計な不純物が、こいつの周りにいたらいけない。
「……なに……言ってんの?」
ぺちっ。
頭を叩かれるが、オレはジッと耐えた。
「意味わかんない。あたしが、誰を好きになろうが勝手じゃん。あたしは、人形じゃない! 一方的に突き付けて、勝手に納得しないでよ!」
べちっ。
強めに殴られ、オレは膝頭を強く握った。
「だったら、……お前。アイドルはどうするんだよ」
「何とかする」
「何とかってなんだ? お前、本気で取り組んでるんだろ」
怒る真似はしない。
分かるまで、何弁でも口で説明する。
「お前、今自分がどこのステージに立ってるか分かってないだろ」
「……風見くんだって、分からないでしょ」
「分かるよ」
顔を上げ、土井の目を覗き込む。
涙をグッと堪えているせいか、土井の目は潤んでいた。
「アイドルの事知らないからさ。勉強したんだ。友達にも聞いた。他にもVのアイドルっているのかな、って。アポカリプスのライブってのは、いわばVアイドルの頂点みたいなものだ。でも、V自体がまだまだ若い業界だから不安定で、頂点に立ってる奴は、今後他の奴らも引っ張って行かないといけない」
上に立って終わり、ではない。
上に立ってからが、本番なのだ。
「一方的に言われて、イラっときたなら謝るよ。でも、お前が本気でアイドル活動に取り組むように。オレだって、お前の歌が大好きだから、お前の事を本気で推したいんじゃないか」
大粒の涙がこぼれる所を見るのは、胸が痛くなった。
傷つけるって、本当に最悪の気分だ。
だけど、こいつに好きになってもらえた人間だからこそ、誰よりも一番カナデの事を考えてやらなきゃいけない。
「これ以上、お前を本気で応援してくれてる人を無下にするな。みんな、お前が好きで仕方ないんだよ。配信環境が必要なら、一人暮らしするだっていいんじゃないか。どうしても無理なら。環境くらいは貸すよ」
土井は両手で顔を覆った。
「ひっぐっ。……酷い」
「ああ。分かってる。オレは最低だ」
「やっと帰ってきたら、これなの?」
気持ちの整理がついたら、絶対に分かってくれるはずなんだ。
「土井に対しての純粋な気持ちなんだよ。それとも、……土井は、アイドルをもう辞めるのか? 絶対に妨げになるぞ?」
「……う、ううううう! ううう!」
「土井……」
「後悔……させてやる……」
涙で濡れた顔から手が離れると同時に、甲高い音と衝撃が左頬に走った。
パァン。
怒りのビンタだった。
「絶対に、後悔させてやる……ッ!」
最後に突き飛ばし、土井は公園から出て行った。
残されたオレは、左頬を押さえて、土井を見送る。
歩道に出ると、小さくなっていく土井の背中が見えた。
オレは、ここまでして、土井には輝いてほしかった。
本気で頑張ってる分、誰も辿り着けない所まで行ってほしいと、心から願うのだった。
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