静かな攻防

 近藤さんが来てから、2日目。

 昼下がりだ。


 午前中は、お互い配信のために一時離れていたが、今は一緒に洗濯物を干している。


 部屋干しのため、リビングのカーテンレールに掛けている。

 オレはポケットに結束バンドを忍ばせ、近藤さんの尻を見た。


 ――いや、これ、絵面的にヤバいな。いよいよ言い訳ができなくなる。


 濡れ衣の言質を録音したデータ。

 それを抹消すればいいだけだ。

 何だったら、コンサートが開催される日に、どうにか拘束に持ち込めればいいだけ。拘束は一時的な物で、終わり次第解こうと思っている。


 再び、尻を見た。


 ――何だろうな。多分、二つの狂気に当てられて、ストレス過多でおかしくなってきたのかもしれない。


 女の子に乱暴は絶対に良くない。

 オレは、そういうことをする人間じゃない。


 ため息一つ吐いて、パンツを干した。


「レンくん」

「はい。何でしょう?」

「お尻、……気になるの?」


 声だけを聞くと、甘酸っぱい、ちょっとエッチな瞬間を予想すると思う。ただ、現実は――特に近藤さんの場合は違った。


 イノセントな目つきで、オレをジッと見てくる。

 その目が、「何で?」と言っているのだ。

 近藤さんは、独占欲が強く、結構疑り深い。

 だから、この場合の「何で?」は、「何の企み?」的な意味である。


「あ、いえ。……すいません。失礼なことを」

「……敬語に戻ってる」

「徐々にで、いいじゃないですか。無理っスよ。もう、糸が切れちゃったもん」


 ぷくっ、と頬を膨らませ、近藤さんがスマホを取り出す。

 なぜか、自撮りモードにして、自分の下半身を映し出した。

 何やってんだろう、と見ていると、


「んー、……触っていいよ?」


 ドクン、と心臓が強く脈を打ったのが分かった。


 尻を触る。――これは、男が責められる言い訳のできないれっきとした犯罪行為。まあ、合意の上でなら、別なんだけど。


 しかし、近藤さんの場合、この選択肢は『社会的な死』を意味していた。


 オレは、もうちょっとでバカをやらかすところだった。

 血迷った選択肢を取らなくてよかった。


 言質に加えて、映像まで撮られたら、本当に言い訳ができない。

 濡れ衣じゃなくなる。


「どしたの?」


 近藤さんが、照れながら尻を突き出してくる。

 彼女の尻には、『処刑』の文字が浮かんでいた。


「ふぅ……。やっべ。……これ、やっべぇな」


 何だかんだ言って、昨日は近藤さんがお泊りをした。

 当然、何もなかったが、何かあったように物的証拠を作られるのは時間の問題。


「あの、勘違いしないでほしいんだけどね」


 すす、と寄ってきた近藤さんは。オレの胸元に頭を預けてきた。


「誰でも、……良いわけじゃ、ないからさ」

「……なるほど」

「わたし、レンくんに告白した時から。ずっと覚悟決まってるから」

「そっかぁ。……ふう、わっかり、ましたぁ」


 何で、オレの周りって、触れちゃいけない女の子しかいないの?


 別に触りたいわけじゃないけどさ。

 触ったら『ある意味の死』が待ってるって、ハニトラより質が悪い。

 天然でその辺いるんだもん。


 ていうか、何でコンサートの配信見たいだけで、ここまで追い詰められなきゃいけないのだろう。


「こ、近――」

「ゆ~め」

「ユメさん。一つ、聞いてもいいかな?」

「な~に?」

「いつまで、オレの家にいるつもりだい? ここは、健全な男子のお宅さ。うら若き乙女が、おいそれと訪れる所じゃないよ」

「えぇ? って、まだ先でしょぉ?」

「……へえ」


 あ、ダメだ。

 この人、夏休みの間、ずっといるぞ。

 オレのプライベート、全部破壊されるぞ。


「でもね。コラボの予定が入ってるからぁ」

「あぁ、カナデの?」

「んーん。別の人。スタジオ行かないといけないから、たまに空けちゃうかも。あ、って、浮気はだめだよ?」


 やっぱり、有名な配信者ってなると、違うな。

 365日、スケジュールが空っぽなオレと違って、予定表を組んでいるらしい。


「あ……」


 その時、オレは閃いた。

 そうだよ。

 本人が見てない時に、スマホを取ればいいんじゃないか。


 オレの目的は、あの忌々しい録音データの消去。

 それ以外は興味がない。


 この人がスマホから手を離す時といえば、お風呂だ。

 あとは、寝ている時も無防備だ。

 このどちらかで、データを消すことができれば、オレの方から強めに言えるだろう。


 ……たぶんな。


「え? なに? なんか、嬉しそう」

「え? へへ。いや。自分の才能が怖いな、って」


 天はオレを見放していない。

 狂った日常を後らされた時には、天地の全てを恨んだが、閃きをくれた今は感謝してる。


 お風呂。

 就寝時。


 ――決行だ。

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