静かな敗北

 オレが作った料理を二人で食べて、夜が来た。

 ソファに背中を預け、平静を装う。


「先にシャワー浴びてこいよ」

「……へ? うん」


 ネットで調べたが、こういう時女の子はプレイボーイ風の男に弱いらしい。ブログの記事に載っていた情報だが、低評価が2万で、高評価は3だった。


 オレは、3の方を信じた。

 結束バンドは、コンサートの開催日に使う。

 そして、今はデータの抹消が目的。


 自分の中で目的を整理し、気合を入れる。


 ブー、ブー。


 意識を研ぎ澄ませていると、スマホが鳴った。

 土井から着信だ。


『声、聞きたい』

『ダメだ』

『へこむこと言わないでよ』

『悪いな。今から、オレは戦場に向かう』


 少し間があり、再びチャットが送られてきた。


『なんかされたの?』

『話せば長くなるが、尻を触ろうと思ったら、それはデッドフラグだった』

『ばーか』

『だけど、触ってないんだ。止めたんだ。死ぬって気づいたからね』

『何でさぁ。風見くんって、の?』


 そうか?

 オレはオレで頑張ってる。

 真面目にこの状況を打破しようとしているので、土井の一言は心外だった。


 何度でも言ってやる。

 オレは大真面目だ。


『今さ。リビングにいるの見てたけど』

「なんだと?」


 すぐに顔を上げ、オレは辺りに目を走らせた。

 ペット用のカメラが仕掛けられているのは、一つだけじゃなかった。

 おかしいと思ったんだ。

 どうして、寝る時以外入る事のない部屋に、カメラが仕掛けられていたか。


 土井は、家のそこら中に仕掛けていたのだろう。


『ちなみに、どこと、どこに仕掛けた?』

『リビングと、キッチン。風呂場。お母さんたちの寝室。あと、一応物置? 納戸なんど? かな』

『ほぼ、全部じゃねえか』

『そのおかげで、助かったでしょ。どっかの誰かがややこしくしたけど』


 バタン。という音を聞いて、近藤さんが風呂に入った事を耳で確認した。


『だったら見てろ。オレは今から、日常を取り戻しに行く』


 スマホをソファに置き、いざ戦場に向かった。


 *


 曇りガラス一枚のドアを隔て、向こうには近藤さんがいる。

 今のオレには、悪魔的母性の裸体はどうでもいい。

 スマホが先決だ。


「……マジ……か」


 声のトーンを落とし、オレは愕然とした。

 脱衣かごには、脱いだばかりの下着やら何やらが入っていた。

 これを手に取ると考えただけで、謎の罪悪感が湧く。


 でも、やらないと、争いは終わらないんだ。


 そっとパンツを摘まみ、奥にあるスカートを退かす。

 一番下にスマホがあった。


「はぁ……。何期待してるんだろう。わたし。……ふふ」


 冷や汗がボタボタと額から落ちてくる。

 危ない橋を渡っている事は、重々承知の上だ。


 音を立てないように、スマホの画面を付ける。

 パスワードの入力画面が出てきた。


 やはりな。

 こんな事もあろうと、オレは風呂に入らせる前、こんなことを聞いた。


『ユメさん。電話番号とか教えてよ』

『え、いいけど?』


 まるでイチャつくカップルの振りをして、オレは隣に座った。

 この腰を下ろす瞬間だ。

 オレは近藤さんのスマホをチラ見した。


 5、6、4、8。


 パスワードを打ち込み、ロックを解除。

 確か音声データは、内臓フォルダにあるはずだ。

 事前に調べてある。


「ああ!」


 急に大きな声が聞こえ、全身の毛が逆立った。


「いっけない。シャンプー持ってくるの……忘れちゃったぁ……。あぁ、昨日、気づいた時点で買ってくればよかったぁ……」


 曇りガラス越しに見えるシルエットが、しょんぼりとした様子で肩を竦める。


 視界に収めながら、オレは急いでデータを探した。

 ところが、見当たらない。

 音声ファイルの中に保管されているはずなのに。

 音楽用のファイルや他のファイルも覗いてみるが、オレの音声データは見当たらなかった。


「うそ……だろ……」


 オレは焦った。


「後で、一緒に買いに行けばいっかぁ」


 シルエットが振り返り、近づいてくる。

 もう、ダメだ。


 ガチャ。


「はぁ~~っ。最近、忘れっぽいなぁ」


 オレは浴室から出た辺りで、近藤さんの声に耳を澄ませた。

 特に怪しんでる様子はない。

 そのまま、足音を立てず、早急にリビングへ戻っていく。


 結果は、惨敗だ。


 音声データは、必ずどこかに保存されているのに。

 どうして、見つからなかったんだ。

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