駆け引き

 たぶん、オレが飲まされたのは睡眠薬だと思う。

 初めての感覚に戸惑っているが、頭が超痛かった。

 たっぷり眠って、もう十分なのに、瞼は上がらない。

 まだ寝ようとしている。


「うー……あぁー……」


 カチャ。カチャ。


 万歳のポーズだった。

 腕を下ろそうとしても、手首に何かがハマっていて、身動きができない。


 ぼんやりとだが、意識はある。

 体は死んでるも同然だ。


「……ホラーじゃ……ねえか……」


 部屋は明かりが点いていたので、すぐに自分の部屋だと分かった。

 近藤さん、意外と力あるんだな。

 二階にまで、オレの事引きずったんだ。


 足は自由だったので、踵と爪先を擦り合わせる。

 小さなすり傷ができていた。

 おかげで、ヒリヒリして痛い。


 どうなったのか、状況を整理しようと首を回す。

 オレが最初に目がついたのは、机だった。


 カチ。カチ。カチ。と、近藤さんが何かしていた。


 何してんだろう、と見ていると、近藤さんが「なるほどぉ」と振り返る。


「レンくん。モテるもんね」

「……ぇあ?」

「今、家にいないってことは、……そっか。コンサート近いもんね。雑談配信なら、スマホで十分かぁ」


 机に置いているのは、土井のパソコンだ。

 オレのノートパソコンより遥かにスペックが良い。

 ゲーミングPCで、サクサク動く上に、画面がデカいので、ほとんどデスクトップのパソコンと変わらない。


 その画面には、外枠オーバーレイが映っていた。

 配信する時に上下左右にあるフレームの事だ。

 そして、真ん中には玄道カナデが映っていた。


「テスト中だから。大丈夫だよ」

「ユメさん……」

「わたし、男の人と交際したことないから。間違ってるのかもしれないけどさ。……でも、浮気はダメだよねぇ」


 近藤さんがため息を吐いて、ベッドに腰かける。

 全体的な雰囲気は変わらずに優しいのに、目つきだけが異様に冷たかった。


「ね、レンくん。君は、どうしたらわたしの物になってくれるの?」

「……すいませ、ん。今、頭……ボーっとしてて」

「言い訳はいいよ。意識はあるじゃない」


 おいおい。

 何か、雲行き怪しいぞ。


 頭では分かってるのに、体が動かない。

 体が重すぎて、喋るのも億劫だ。


「……すっごいだろうなぁ。まさか、業界を席巻せっけんしたアイドルが、男の子の家で配信してました、なんて」


 顔を近づけられ、額と額が密着する。

 近藤さんは、甘い声色で囁いた。


「中傷じゃ済まないねぇ……。レンくん。本当殺されちゃうんじゃないかな。カナデちゃん、事務所前で待ち伏せされちゃうよ? ふふ。ねえ。どうしよっか?」

「待ち伏せ、なんて……」

「するに決まってるでしょう? 1つ、方法としては、応募して面接受けるんだよ。会社の人来るでしょ? 付いて行っちゃうもの」


 勘弁してくれ。

 最悪の未来じゃないか。

 どうして、近藤さんは物騒な事を口走って、優しい笑顔でいられるんだ。


 オレもオレで、こういう時は話を合わせて、流せばいいのに。

 余計な事を言った。


「……させねっスよ」


 この気持ちは、たぶん純粋なリスナーと何も変わらない。

 どこの誰が、頑張ってほしい人間の涙を見たいんだ。

 例え、そういう性癖があっても、純粋に応援してる気持ちがあれば、たぶん見たくないぞ。


 証拠も根拠もないけど、オレは確信していた。


「怒んないでよぉ。悲しくなっちゃうじゃない」

「ユメさん。お願いだから、これ解いてくれない?」


 細いゴムみたいな感触だ。

 引っ張ると、ベッドの金具がカチャカチャ揺れる。


「や~だ」

「……頼むよ。どうしちまったんだよ。こんなの、ユメさんらしくないぜ」

「わたしは、ずっとわたしだもん」

「お願いだから、ど――、カナデには、手を出さないでくれ。頼むよ。あいつ、今メッチャ頑張ってんだ。やっと夢の道に進めてんだよ。怖くても挑戦してんだよ。邪魔しないでくれ」


 近藤さんは、「んー」と目を別の方に向け、ベッドから離れる。

 机に置いていた自分のスマホを取り出し、何やら操作する。


「勘違いしないでほしいの。わたし、レンくんがわたしの物になってくれたら、それでいいから」


 向けられたスマホには、録音開始ボタンが表示されていた。


「今から言うことを復唱して」


 目じりを持ち上げ、見た事もない笑みを浮かべた。


「”オレは、近藤夢を”」

「……は?」

「言って」


 マズいって。

 これ、言質だろ。

 しかも、録音の証拠を作ろうとしてる。


 こんなの録られたら、さすがに社会的な死が待ってる事は、想像に難くない。首枷くびかせ同然だ。


「なあ。ユメさん。……本当に、どうしちまったんだよ」

「言ってよぉ! は~や~く!」


 近藤さんはオレの顔の上に頬を乗せると、見えるようにパソコンの画面を指した。


「テスト画面中だって言ったよね。配信して、暴露しちゃおっか。君が声を出すだけでいいんだよ? どうして、玄道カナデの配信で男の声がするのか。み~んな疑問に思うから。……ふふ、はははは」


 近藤さんの行動は、最早普段のそれとは異なっていた。

 前髪を引っ張られ、呪文のように耳元で囁かれる。


「言え。言え! 言え!」


 あんなメチャクチャなアイドル。

 放っておけばいいのに。

 アイドルが落ちぶれるのは、珍しい話じゃないのに。


 何より、自身の人生が懸かっているというのに、オレは喉の奥から絞り出した。


「オレは、……近藤夢を……」


 ワクワクとした様子で見守る近藤さん。

 その先を言ったら、取り返しが付かない。


 分かっているのに、オレの口は止まらなかった。


「お――」


 その時だった。


 ブー、ブー。と、スマホの震える音が聞こえた。

 オレが口ごもると、近藤さんは録音を停止した。

 オレのズボンのポケットに手を突っ込むと、スマホを取り出す。


 着信相手は――土井セイカだった。

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