舐め取ったもの

 生まれて初めてお家デートなるものをした。

 お家デートって言っても、家の中でできる事は限られている。


 もっぱら、映画を一緒に観ることや料理をしたり、か。


「レンくん。痛くない?」

「……はい」


 オレは、今近藤さんに耳かきをされている。

 太ももに頭を乗せ、猫みたいに体を丸くしてるわけだが、恥ずかしいったらありゃしない。


 念のため言っておくと、オレはしっかり断った。

 すると、こんな事言われた。


『わたしがしたいの~~~~~~っ!』


 子供みたいにぷりぷり怒ったのだ。

 怒る仕草を見せた後、にへらっとすぐに笑い、自分の膝を叩いた。

 オレは負けてしまった。

 甘々なお姉さんの駄々を捏ねる姿に、もう断れなくなった。


 かり……っ……かり……っ。


 カーテンのように、頭上からは長い髪が垂れてくる。

 男と違い、筋肉のない柔らかい指先が、耳の周りを押さえてくる。

 ふにふにしており、羽毛みたいだった。


 さすがに、ジッとしているのは気まずい。

 オレはポケットからスマホを取り出し、気になっていたカナデの動画を再生した。


「……それ……好きなの?」

「んー、友達に勧められたんですけど。まあ、悪くないかな、って」

「御茶乃マリアさんが好きなんじゃないの?」

「好きですよ」

「見てていいよ」

「はい」


 フリフリの衣装を着て踊るカナデを目で追いかけ、クールっぽい外見に似合わず、可愛い動作をするアバターへ夢中になった。


 がり……っ。


「いっで!」

「あ、ご、ごめん」


 耳の穴を強く引っかかれ、オレは片耳を押さえた。

 近藤さんは泣きそうな顔で謝ってくる。


「ごめんなさい……っ! 痛かったよね⁉ あぁ、ごめん。本当に。……やだ、わたしったら……」


 床に落ちたオレのスマホを持ち、近藤さんは言った。


「血、出てないか見てあげる」


 テーブルからティッシュを取り、また自分の膝を叩いた。

 大丈夫だと思うけど、念のため見てもらう。

 視界の片側にライトの明かりが当たり、眩しかった。


「うん。だいじょぶ。……はぁ……ふーぅ……っ」

「おお⁉」


 耳の穴に息を吹きかけられた後、ティッシュを突っ込まれ、軽く拭かれた。


「それじゃ、今度はこっちね」

「あの、近藤さん。もう、大丈夫ですから」

「ううん。やらせて」

「……はは。ちと怖いかな、って」

「な~んにも怖くない。さ、どうぞ」


 ぐいっ、と肩を掴まれ、やや無理やりに反対側を向かせられた。

 目の前には、近藤さんのお腹。

 ワンピースの生地越しに伝わる体温。

 何となく、小さい頃、母ちゃんに耳掃除された時のことを思い出してしまう。


「見えないなぁ……」


 頭の位置をずらされ、顔がお腹に近づく。

 オレは目を閉じて、無心を決め込んだ。


「軽くでいいですよ」

「うん。分かってる」


 かりかり、と優しい耳掻きが再開。

 鼻先にお腹の温もりを感じていると、耳元で近藤さんは話した。


「ね、レンくん。あの、アイドルの子……」

「……カナデですか?」

「うん。どんな所がいいの?」

「歌ですよ。っすね」

「あはっ。そうなんだぁ」


 綿で耳をくすぐられ、「ふーっ」と最後は息を吹きかけられ、掃除が完了。起き上がろうとするが、近藤さんが首筋を押さえてきた。


「……わたしと……どっちがいい?」


 掃除は終わったはずなのに、また耳掻き棒の先端を突っ込まれた。

 鼻で呼吸するのが分かる距離に、近藤さんの顔がある。


「アイドルを悪くは言わないけど。アイドルに恋したって付き合えないよ」

「ですねぇ。まあ、オレは恋することはないですよ」

「ふぅん。……でも、動画見てる時、笑ってたよ」

「えぇ⁉ マジっすか?」


 うわぁ、オレ気持ち悪。

 動画見て、ニヤケてしまったようだ。

 それを見られていたようで、近藤さんは真顔で問い詰めてくる。


 引かれたかな。

 でも、ドン引きされたなら、このまま交際断ってしまおう。

 なんて、考えた時だった。


「料理作ってあげるから。……絶対に食べてね」

「おお。何を作るんです?」


 ていうか、耳掻きをどけてほしい。

 起き上がれないって。


「肉じゃが、とか。ありきたりだけど、美味しいよね」

「助かります。自炊とか面倒なんで」

「ねえ、レンくん。いつになったら、敬語やめてくれるの?」

「へ?」


 そこで、ようやく変な空気を感じ取った。

 近藤さんは、何やら怒っていた。

 相手が怒る時の、独特な空気。

 あのピリッとした真面目な空気に気づいたオレは、何で怒ってるのか原因を探る。


「レンくんは、彼氏でしょ?」

「すいません」

「だから、……それ……やめてよ……」


 近藤さんの声が震え出した。

 やらかしたな、と思い、「どうすりゃいいんだろ」と思考を巡らせる。


 次の瞬間だった。


「は、ぐっ」


 かぶ、と耳全体が温かい物に包まれた。

 目の前には、近藤さんの胸元が迫る。

 体勢から察するに、耳を噛まれたらしい。


「あの、ちょ!」

「ふ、ぐぅ、……ふー……っ……ぐぐ……」


 初めは甘噛みだった。

 前歯に挟まれていた耳は、徐々に上下から加わる圧力で、痛みを伴っていく。


「ちょちょちょ! ごめんなさい! ごめん! ごめん!」


 最早、女性に対しての配慮とか、そういうのが一瞬でぶっ飛んだ。

 本気で噛み千切られると思ったのだ。

 オレは慌てて、片手を近藤さんの口の中に入れ、もう片方の手で鎖骨を押さえた。


 引きはがすと、近藤さんは見た事もない顔をしていた。

 俯いた角度から、ジロっとした目つきで睨んできて、本気の怒りが伝わってくる。


「ごめんね。……怒っちゃった」


 と、睨んだまま謝るのだ。

 びっくりして固まったオレは、両手を前に突き出したまま、もう一度謝る。


「ごめんなさ……」

「っ」

「ごめん! そっか。敬語嫌なん――だね。おっけ。もう、言わないから」


 謝りながら、薄く赤みのある唇を見つめた。

 下唇に何かついているのを見つけ、思わずオレは噛まれた耳を押さえる。


「……ん」


 意外と長い舌が、下唇についた血を舐め取った。

 耳の付け根はヒリヒリとしており、オレは近藤さんを警戒しつつ、ティッシュで耳を押さえる。


「じゃあ、料理作っちゃうね。……ふふ」

「わか、った」


 ぎこちない返事をして、オレは台所に向かう近藤さんの背中を見送った。

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