狂犬は、小心者

 翌日の朝。

 ちょっと問題が発生した。


 珍しく緊張した様子で、土井は靴を履いている。

 オレはガチガチに固まった背中を見守った。


「今日からリハーサル入るんだろ?」


 残り9日。

 いよいよ、土井はリハーサル期間に入る。

 その事を話されたのは、ホラーミュージックを聞かされた昨日の夜だった。


「ん。あたしは、まだマシな方。先輩たちは一カ月くらいリハーサル仕込んでるから」


 別にからかうつもりはないが、オレは思った事を口にしてしまった。


「お前でも、……緊張するんだな」

「そ、そりゃね」

「出番はいつよ」

「二日目の、お、おおお、お昼? あ、スケジュール確認、……うん。す、少しだけ……」


 オレが言うのも難だが、本当に心配になってきた。

 昨日までは何ともなかったのに、いざ行くってなったらこれだ。


「少しの出番なら、まあ、肩の力抜けばいいんじゃないか?」

「む、無理」

「なんでだよ」

「先輩達が、き、築き上げてきた舞台だもん。……あ、あたし、運営から、きた、期待されてるから……」


 言葉だけ聞けば、大きく出ている。

 でも、実際は違う。


 横から覗き込めば、土井の目は、瞳孔が開いていた。

 きゅっと噤んだ唇が、小刻みに震えている。

 震えの元を探すと、顎にあった。

 顎が上下に小さく震えていて、それによって唇の肉が揺れているのだ。


 何が言いたいかというと、


「お前……」


 オレは古参のリスナーや熱狂的なファンとは違い、昨日まともに見たばかりだ。

 いわゆる、にわかってやつだ。

 だから、知った風な口は利けないけど、こんなオレでも、土井がアイドルっていう仕事に情熱を注いでいるのは伝わってきた。


「ほら。深呼吸しろ」

「ハァァァァァァァァァァ……ッ!」

「まずは吸おうぜ? 何で酸素足りないのに全部出すんだよ」


 最後の方は手まで震えていた。


「だって、土井ってさ。たぶんだけど、ミニライブやったの、事務所の中で一番早いだろ?」

「……スウウウウウウウウ……ッ!」

「その時は、どうしたんだよ」


 馬島からは緊張していたような話は聞いていないな。

 あいつ、人の細かい所とか注目するし。

 それに、オレも切り抜きっていう一部だけをアップした動画を見たが、特におかしな所はなかった。


「ミニライブとは、ち、違うってぇ……。うぅ。もん。今年は全員集合するんだよ。まだ一緒に遊べてない先輩達と、うぅぅ、初めて、か、顔を会わせるからぁ……」


 一度は立ったのに、土井はその場に座り込んでしまった。

 膝を抱える土井を励まそうと、オレも同じ目線にしゃがんだ。


「チケット買ったぞ」

「もおおおおお! 余計に緊張するじゃん!」

「い、いや、オレも見てるから、頑張ってほしいというメッセージを……」

「ダメ。返却して。やっぱ見ないで。無理」

「落ち着けって。おぉい」


 土井は相当参ってるらしく、八つ当たりをしてきた。

 意味の分からない一方的な暴力だったら、「こんにゃろ」と思うが、土井の場合は違う。


 緊張とか、不安とか。

 グチャグチャになった感情をぶつける矛先がないのだろう。

 それが伝わってきたから、オレは甘んじて八つ当たりを受け入れた。


「うううううう!」


 咄嗟に天井を見上げ、オレは両腕を上げた。

 ホールドアップをするオレの腹には、土井がしがみついてきた。


「昨日に時間戻してほしい!」


 本当なら「離れろ」と言ってやりたい。

 でも、体全部が小動物みたいに震えている子をどうして無下にできる。

 せめて、オレができる事は、電車に乗る男が痴漢免罪防止のために腕を上げるように、極力触らないようにすることだった。


「そんなに大きいのか?」

「全体ライブだから」

「全体ライブ……」

「年に一度、事務所に所属する人達が、一か所に集まるの。全員集まるのって、実は4年ぶりらしいけど。分かんない。全員いるから、みんな気合入ってて。三期生は、特に、新人だから。頑張らないと。先輩たちの足引っ張りたくない。盛り上げないと」


 土井の吐き出す言葉は、途中から自分に言い聞かせていた。


 こんな状況だけど、オレは気づいてしまった。

 こいつ、だったんだ。


 普段はネジの外れた行動が目立つし、色々とヤバい事もしてくる。

 裏を返せば、それはリラックスをしている状態であると言える。

 でも、本気で取り組んでいるアイドル活動となれば、話は別だ。


「もしかして、……お前、……。オレの家きたのか?」

「配信、環境。あと、あと、浮気しないため」

「言いたいことはあるけど。それだけじゃないだろ」


 何か、やたらと押しが強いなって思ったんだ。

 こいつがグイグイと家に押し掛けた時から、ずっと心の中では不安が膨れ上がっていたのかもしれない。


 オレが何とも言えずに黙っていると、家のインターフォンが鳴った。


 ピン、ポーン。


 磨りガラス越しに見えるシルエットは、女性だった。

 たぶん、土井のお姉さんだろう。


「はい。今、出ます」


 ファンの人には悪いな、と罪悪感を感じながら、オレは土井の肩に手を置いた。


「なあ、土井。オレさ。アイドルって、どういう活動してんのか。いまいち、分かってないんだ。人から注目の的に晒されたことって、実はあんまないし。その中で、お前みたいに頑張ってる奴の気持ちは分からないけどさ」


 土井の腕に力が込められた。

 ギリギリと締め付けてきて、一向に離れようとしない。


「土井のしたいように、暴れてくればいいんじゃないか?」

「……無理ぃ」

「できるって。失敗したって怖がる必要なんかねえよ。成功も失敗も。全部、お前のかてになるじゃないか。やればやるほど、レベルアップするんだよ。昔のお前より成長するから、今これだけ怖いんじゃね?」


 体を抱きしめるのは、さすがに抵抗がある。

 だから、小さい頭を乱暴に撫でまわした。

 セットをグチャグチャにしてやり、無理やり顔をひっぺ剥がす。


「ていうか、ここは怖がるところじゃないぞ」


 目元が赤らんでいた。

 涙をグッと堪えているのだろう。


「自分の足で立って、進むところだろ。ほら。立て」

「手、貸して」

「嫌だ。自分で立て。……ほら」


 オレは立ちあがり、土井を見下ろす。

 へたり込んだ姿勢で見上げる土井を笑ってやった。


「立てって。歌ってる時のお前、……すっげぇカッコ良いよ。頭空っぽにして、リハーサルでも本番でも望んでこい」


 リハーサルでこれだもんな。

 本番はもっと震えるだろう。


「……好ね……」


 ムッとした土井が、やっと自分の足で立ち上がった。


「好ね!」

「い、って!」


 怒りのままに腹を殴ってきた。


「甘えたかっただけだし! バカ! っざけんな!」

「おぉ、気をつけてな」

「べー」


 荷物を持つと、土井は舌を出した。

 でも、これぐらいメチャクチャな方が、土井らしいと思った。

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