死の文字

 カナデの公式配信を見ると、あまりにも住む世界が違うことに改めて驚かされる。


「うへぇ。すっげ。EN(英語圏)とID(インドネシア)もいんのか。総勢、40人以上かな。メチャクチャ多いな」


 コンサート開催予告の動画だが、普通にすごい。

 何がすごいって、全員が声を当てて、目まぐるしく変わる背景の中をわちゃわちゃと動き回っているのだ。


 動画のテンポが速いし、盛り上がっているのが伝わってくるから、見ているこっちまでワクワクしてくる。


「ん。もぐ……っ。あたひ、ソロ枠、んぐ、あふから」

「何言ってっか分かんねえんだよ。つか、離れろって」

「……やだ」


 泣き止んだ後、土井は駄々っ子のように甘えてきた。

 オレは炎上を恐れて、「絶対に手出さないから」という気持ちのもと、無視してお菓子作りをした。


 土井の考えは、自分を持っていて立派だと思う。

 ただ、それでもオレ達は付き合ってないから、恋人のように振る舞うのは、ちょっとおかしいかな、と遠慮してる。

 あと、大して受けてもいない配信者が炎上するのが、謎過ぎる。

 色々あるが、オレは節度を守っているだけだ。


 現在は、クッキーを食べながらオレの腕にしがみついている。

 コアラ状態の土井が、口元の汚れをガッツリと肩に拭ってくる。

 何事もなかったかのように、頭を預けて動画を見ていた。


「……んふふ。トルテちゃん。可愛い」


 ピンク色をベースに、水色や金色のメッシュが入った頭の子だ。

 見た感じだと、賑やかで明るい雰囲気のライバーだ。

 全く興味ないから知らない。


「んねー、風見くん」

「はい」

「……泊まりたい」

「ダメだよ。絶対にダメ」

「家にいたくないもん」


 気になってたんだけど。

 こいつ、家庭の事情があるんじゃないか?


 そう勘ぐった時、オレは過去を思い出した。

 土井を初めて見かけたのは、電車のホームか。

 その時も似たようなことがあった気がする。


「親とトラブル?」

「……んー……」

「答えたくないならいいけど」

「……トラブルです」


 躊躇った後に、土井は答えた。


「アイドルって、未成年だと契約書で躓くだろ?」

「お姉ちゃんが保護者。無理だったら、お母さんをお姉ちゃんが説得してくれるつもりだったから」

「姉さんと仲良いのね」

「お姉ちゃん、大好き」


 さっきまでのギスギスした空気が一変して、甘々になってしまった。

 中身が女児になっているではないか。

 クッキーをボリボリ食べながら、爪が食い込むほどの力で腕に抱きついてくる。


 本人は申し訳ないけど、今の土井を見て、『壊れた人形』という言葉が浮かんだ。


「んね。レンたん」

「遠距離から至近距離まで、距離が縮んだな」

「ん」


 目を閉じて、顎を持ち上げる。

 すぐ隣には、唇を少し尖らせた土井がいた。


 オレは土井の口元に注目する。

 油でコーティングされた桃色の薄い唇。


「あのさ。食べかすが……」

「ん!」


 気になって仕方ないので、オレはティッシュを探した。

 ティッシュ箱はテーブルの上にあるが、パソコンの裏側に置いてある。


「よっ、――こほぉ! ふん、ぬ!」


 左腕に重しが付けられているので、腰が持ち上がらない。

 指先が箱を掠めるけど、あとちょっとの所で取れないのだ。


「もういいや。洗濯するし」

「んぐっ。んんっ」


 袖を使って、口の周りを拭く。

 ものすっごい嫌そうな顔をしたが、関係ない。

 オレには土井の唇に『死』の文字が見えている。


 あれが触れたら、毒が回ってオレは死ぬ。

 地獄の業火で焼かれるのはゴメンだった。


 腕を締め付ける力が緩んだところで、オレは立ちあがる。


「ぬ~~~~~~っ!」


 ムッとした土井が立ち上がり、再び目を閉じて口を尖らせる。

 その無様な姿をオレは笑った。


「くくっ。お前、身長いくつだ? ん?」

「う、ぐ」

「答えてみろよ」

「……158」


 怒られた小学生みたいに、土井がオレを見上げる。

 ちなみに、オレは185cmだ。

 ここに身長差が生まれる。

 立ち上がったオレに土井が死のキスを迫ろうとも、届くわけがない。


 オレの腹に手を突いて、つま先立ちをするけど、まったく口は届かなかった。


「はっはっはっは! ちっちぇ~~~~~!」

「くっ……」

「甘いんだよ! オレはな、お前のデスキッスを食らうわけにはいかないんだ! ていうか、何が悲しくて、有名配信者でもないのに炎上しなきゃならんのだ! アホか!」


 土井は意地でもキスをしようと、オレの体をよじ登り始める。

 だが、途中で諦めて、オレの脛を蹴る攻撃に出てきた。


「やめなさい」

「うう! ううううう!」

「やめなさい!」


 一回や二回なら耐えられた。

 だが、何回も蹴られていると、本当に痛い。


「キスしたい! キス! ねえ。何で逃げるのぉ!」

「燃えるからだよ!」

「その話は終わったじゃん!」

「ちが、お前の考えは尊重するよ! でも、お前の考えに納得のいかない奴だっているんだよ! そいつがオレを殺す奴だからな⁉」


 土井の脳天を手で押さえ、進攻を防いだ。

 土井はしかめっ面で手を振り払い、腹を殴ってくるが、オレは防御の手を緩めない。


「んじゃ、ぎゅってして!」

「ほらよ」


 頬を両側から挟み込み、望み通りギュッとしてやった。


「……


 土井がガチでキレた瞬間だった。

 オレから離れると、すぐに自分のカバンを漁る。

 取り出したのはスタンガン。


「へえ。そうくるか」


 オレはこの瞬間、どう逃げようか考えだした。


「キスさせないと死ぬよ?」

「お前、何言ってんの?」


 押しが強すぎる。

 もはや、脅しである。


 バチバチと青白い火花を散らし、土井がゆっくり迫ってくる。

 こいつの事だから、本当にやりかねない。


「待て。キスはダメ。本当にダメ」


 死ぬぅ。


「じゃあ、何ならいいの⁉ ベッドイン⁉」

「何でそれ以上を要求すんだよ。おかしいだろ」


 既成事実作られたら、外堀完全に埋まるじゃねえか。


「あれだ。えーと」


 すぐ目の前に立ち、オレの返答を待つ土井。


「コンサート。。そうしたら、うん。なんか、プレゼント考えとくわ。それで許して」


 下を向いて、横を向いて。

 土井は黙考した。


「……わかった」


 スタンガンを下ろし、土井が俯く。

 拗ねた子供のようだった。


「……好ね」


 ぶつくさと言いながら、スタンガンをしまい、土井は再びクッキーを食べるのだった。

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