本音

 汗を流した後、自宅前で異変があった。


「……おかえり」


 土井が玄関前で膝を抱えていた。

 目が据わっており、ただならぬ雰囲気を感じた。


「どこ、行ってたの?」

「運動に」

「あ、そ。あたし、今日配信休んだから」

「な、何で? あ、……やっべ」


 そうだ。

 配信環境を与えるって言っても、家の鍵はオレが持っている。

 つまり、オレが帰ってくるまで、土井は家の前で待ちぼうけってわけだ。


「風見くんは悪くないよ。でも、一回だけ叩かせてほしい」

「キレてんじゃん。ガチギレじゃん」

「ううん。あたしが悪いの。他人の家に土足で入るわけにはいかないもん」

「超最近のこと思い出してみ? 真逆のことやってるから」

「だからぁ! そういうところじゃん!」


 バチン。

 何かが膝に当たって、火花が散った。


「い、って」


 肩で息をしながら、土井が立ち上がる。

 手にはスタンガンを持っていた。

 オレは電流を流された膝を擦り、数歩下がる。


「あたし達、……付き合ってるんだよ?」

「オレ達、マジで付き合ってんの⁉」


 一歩近づいてきたので、一歩下がった。

 道路に出るギリギリの所で、オレは両手を前に出した。


「ま、待て。人目があるから。な? 中に入ろ」

「配信休んだのに?」

「……いやぁ、まあ、ご飯くらいは、さ。作るから」

「クッキー。……食べたい」

「手作りで? マジで?」

「レッスンで疲れたもん」


 口を尖らせ、土井がその場に座り込む。

 疲労のため、不機嫌になっているようだった。


「材料あったかなぁ。くそ。チョコレート味でいい?」

「……うん」


 土井の横を通り、玄関の扉を開ける。


 オレは早速頭の中で、クッキーの作り方を整理した。

 卵とか、小麦粉はあるし。チョコレートや砂糖もある。

 バニラエッセンスもあるから、たぶんイケる。


 こう見えて、オレは自炊をしているから、料理は作れる。

 お菓子だって、自分で作ったりもする。

 凝ったものは作らないけど、ホットケーキやクッキーくらいなら簡単に作れるものだ。


 靴を脱いで、かまちに上がる。


 くいっ。


 その時、後ろからシャツを引っ張られた。

 首だけで振り向くと、何やら土井が生気を失った表情で立っている。


「なんか、……女の子の匂いする……」

「えぇ? スン、スン。いや、汗の臭いしかしないよ」


 腕や脇の臭いを嗅いだが、塩素みたいな汗の臭いしかしない。

 だが、土井は何かを確信したようで、眉間に皺が寄っている。

 ジロっとした目つきで見上げてきて、やたらとスタンガンをチラつかせた。


「浮気?」

「……そもそも、付き合ってないでしょうが」

「つ、付き合ってるもん」


 オレはため息を吐き、土井に言ってやる。


「あのな。お前はアイドルなの。誰かと付き合うなんて、リスナー裏切ったようなもんじゃねえのか? ん?」

「は?」


 何が気に入らなかったのか。

 片目だけを剥いて、アイドルが一番しちゃいけない顔をしやがった。


「なにそれ?」

「いや、だから、アイドルって恋愛禁止……」

「言っとくけど。恋愛禁止なんてルールないよ?」

「え? でも、恋愛発覚したら、炎上するじゃんか」

、恋愛事情をみんな隠すんでしょ?」


 相当、逆鱗に触れてしまったらしく、土井は顔を真っ赤にして怒った。

 靴は雑に脱ぎ捨て、家に上がると、勢いのままにオレへ詰め寄ってくる。


「んじゃ、聞くけどさ。あたしが、もしも、リスナーの誰かを好きになったとするじゃん?」

「は、はい」

「告白します。付き合ったと仮定します。……これで炎上するの?」

「するんじゃ、ないんでしょうか?」

「なんで?」


 アイドルって、確か疑似恋愛とか売りにしてたような。

 いや、でも、今の時代、色々なアイドル像があるから、一概には言えない。


「あたしね。アイドルが好き。好きでアイドルになったの」

「うん」

「リスナーのみんなには感謝してる。片時も忘れてない。本当に心から感謝してるの。応援してくれてありがとう、って」

「……うん」

「でも、――あたしは


 きっと、SNSでは大荒れで、炎上する一言だ。

 でも、冷静に考えると、当たり前のことだ。

 これを土井はキッパリと言った。


「バーチャルの姿では、あたしは玄道カナデとして生きるよ。でも、カメラがない場所では、土井セイカだから」


 堂々と言ってのける土井に、開いた口が塞がらなかった。


「リスナーを裏切ったとは思ってない。思った事すらない。だって、リスナーと何かを約束して、すっぽかした事ないからね。それに、あたし自分の配信で、自分の好みを言ってる。をバンバン言ってるよ。けど、さっきも言った通り、バーチャルではカナデとして生きてるから。カナデとして振る舞うよ。バーチャルから出たら、もうあたしだから。あたしは、あたしが本当に好きだと思った人に、気持ちを伝えてるだけ」


 息を荒くして、土井は気持ちをさらけ出した。

 語気を強くして言い切った土井は、感情のあまり出てきた涙を手首に拭い、鼻を啜った。


「それとも、……機械みたいに言いなりになる奴隷が欲しいの? そんなアイドルよ」


 オレは、つくづく女の涙に弱い。


「泣くなって」


 自分のシャツを土井の目元にトントン押し当てる。


「悪かったよ。アイドルに先入観持ちすぎたわ」

「……ばか」

「うん。ごめん。色々考えてるのな」


 折り合いをつけるのが難しい話だろう。

 土井の場合、自分を持ってアイドルをやっているから、自分の答えが出ているわけだ。


 不覚にも、自分の意思で、腹の底から気持ちを言える土井がカッコいいと思ってしまった。

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