玄道カナデ

 チャット蘭に書き込まれる、情緒不安定な文章。


『他の人は見るクセに。あたしの事は、何も見てくれない』


 生唾を呑み、オレはスマホを床に置く。

 今、オレはリビングの窓の前にいる。

 大きな窓はガラスが分厚くて、冬の寒さにも耐えられる北海道推奨の作りだ。


 だから、コツコツ叩いたくらいでは、傷しかつかない。

 割る事は難しいと思われる。


 そんな頑丈な窓の外には、唇を噤んだ土井が立っている。

 玄関とは違い、外灯の明かりは届きにくい場所だ。

 後頭部に明かりを受けたせいで、顔には陰が差している。


 一言で表すのなら、怖かった。


「か、帰ってくれ」

『何で?』

「いや、声は聞こえるから。普通にしゃべって」


 ポコン。


『好ね』


 スマホを下ろすと、土井は棒立ちした。

 包丁を片手にしたまま、何も言わずにオレをジッと見ている。


「なに? なにが、お前をそこまで駆り立てるの?」

「あたしを見てください」


 くぐもった土井の声が聞こえた。


「あたし付き合って、あたしだけを見てください」

「……その、……オレさ。土井は可愛いと思うんだけど」


 包丁にしか目がいかねえ。


「オレ達って、お互いの事何も知らないじゃん? それで付き合うっていうのは、なんか、違うっていうか」

「お互いを知るために付き合うんじゃないんですか?」

「……理屈も達者かよ」

「あたしは風見くんのこと、本当に好きなの。まず、顔面が好み。本当に、好き。王子様だもん。でも、それだけじゃない。風見くんのことは、一番信用できる」


 窓ガラスに額を押し付け、土井がオレを見てくる。

 目玉の白い部分に赤い血管が浮き上がっていた。

 ギョロっと動いて、オレの目を真っ直ぐに見つめてくる。


「ずっと一緒にいたい。一緒のお布団で目覚めて、一緒にお風呂入って、一緒にトイレにこもりたい」

「ねえ。トイレは一人でいいだろ。ヤバいって。用足せないから」

「もしも、離れるなら風見くんの一部をお守りにしたい。それくらい、いいでしょ?」

「一部って、それ、どこの部分だよ。怖いよ。注文が猟奇的過ぎるんだよ」


 包丁の切っ先でガラスを引っ掻き、ザリザリと心臓が寒くなる音を立ててくる。土井の吐息でガラスが白く霞み、額には青筋がいくつも浮かんでいた。


「もう一度言うね。あたし、風見くんが好き」


 ザリ……ザリ……。


「絶対に結婚します」


 ギ、ギィィィィィ……ッ。


「ん”っ」


 オレは心臓を押さえた後、両耳を描いた。


「お願い。正しい道を歩んで。このままだと、風見くん学校で孤立しちゃうんだよ? 先生からは停学を食らうかもしれない。女子からは、気持ち悪いって蔑まれるよ? あ、そこは、いっか。ねえ、お願い! あたしを、……女にしてくださいッ!」


 ギ、ギギギギ……、ギィィィィッ。


「ん”ん”っ! ん”っ!」


 耳障りな音がオレを追い詰める。

 あと、こいつの言ってる事、脅しがワンセットになっているので、いちいち怖い。女にしてください、とか言っちゃいけない事を口にして、目が血走っているという狂気。


 本当に怖かった。


 オレが心臓を押さえて震えていると、土井は自分のスマホを見た。

 何かチャットでも送るつもりだろうか。


「怖すぎて、気づくの遅れたけど。籠鳥かごとりって、お前かよ」


 身近な場所にリスナーがいた。

 本当は、「お前かよぉ!」と言ってやりたかったが、緊急事態のために思考と行動が遅れてしまったのだ。


 オレの話なんて土井には届いていない。

 彼女は自分のスマホを弄り、ふらっと、どこかへ行ってしまう。


「……今度はなんだ? 帰るのか?」


 後を追いかけ、オレはリビングを出た。

 玄関の扉の前に立つと、曇りガラス越しに、土井の影が過る。

 影を見つめていると、ガラスの前から消えてしまい、姿が見えなくなった。


「……なんだよ」


 気になったオレは、躊躇いがあったけど、玄関の鍵を開けてしまう。

 少しの間、鍵を開けたまま扉の前に立つ。

 押し入る気配はないので、恐る恐る扉を開け放った。


 ――何か、声がするな。


 電話だろうか。

 耳を澄ませてみると、こんな声が聞こえた。


「はーい。どうも。アポカリプス三期生の玄道カナデでーす」


 聞き間違いじゃなければ、そう聞こえた。


 低音のやる気がなさそうな挨拶。

 でも、直後に「ふふ」と照れ臭そうに笑う声が聞こえた。


 あいつ、何してんだろう。


 そう思ったオレは、玄関から出て、首を前に伸ばして辺りに目を向けた。


「んねー。更新頻度ちょい落ちたかな。でも、喉大事にしたいからさ。ふふ。……うん。コンサート近いからね」


 つくづく、オレは自分で配信をやっていてよかったと思った。

 配信をやっていなかったら、絶対に声を出していた。


 オレはブロック塀に寄りかかる土井に近づき、肩をチョンと指で突く。


 すると、何かメモ用紙の切れ端みたいのを見せてきた。


『男の声入ると、荒れるよ?』

「~~~~~~~~~っ!」


 こいつ、わざとだ。

 土井は、にっと笑って、メモ用紙をひらつかせた。


 家の前で配信するなよ!


 本当は叫んでやりたい。

 何の当てつけだ、と土井のスマホを覗く。


「?」


 そこで、オレは気づいた。

 さっきの挨拶みたいなのが、何だったのか。

 聞き間違いかと思ったが、頭の中で土井の声が修正されていく。


 小さく、若干聞き取り辛いセリフが、クリアに修正。


 こいつは、確かに言ったのだ。


『アポカリプス三期生の玄道カナデでーす』


 玄道カナデ。

 セミロングの髪を片側で結んだ毒舌のバーチャルアイドル。

 アポカリプスに所属していて、化け物並みの歌唱力とポテンシャルで、地上波にまで進出した配信者。


 そして、オレが苦手なタイプの配信者である。


「んー、今、外。ふはは。いやぁ、家だと、ちょい居づらくってさ。まあ、コラボもあるし。ちょうどいいかな、って」


 そんな奴が、オレの家の前で配信をしていた。

 

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