第22話 一人でいればよかった
一階の共用スペースに、男子生徒の声が響きます。
まるで時計の針が止まってしまったんじゃないかと思うくらいに静かです。
私と晴天君、そして新島さんは固まっていました。
ただ一人だけ――時雨君は、外に向かって走り出しました。
「時雨君ッ!!!」
声をかけますが、時雨君は振り返らずそのまま走り去っていきます。
私は沸々と怒りが湧き上がってくるのを感じました。
それと同時に、胸がキュッとなるほど悲しい気持ちになりました。
複雑な感情が、私の心の中をぐるぐると回ります。
なんで、どうしてこんなことが起こってしまったんでしょう。せっかく最近、時雨君が毎日を楽しそうに過ごし始めたというのに。
神様はどうして、私たちの人生をそっと後押ししてくれないのでしょうか。
これじゃああんまりです。時雨君は一体何をしたのでしょうか。私を助け、みんなと好意的に接し、みんなを笑顔にして……一体時雨君が、どんな悪いことをしたでしょうか。
私はとても、許せない気持ちになったのです。
「なんだよアイツ。やっぱり言ってなかったのかよ」
「ったく、逃げるとか最悪だな。変わってねぇよな、ほんと」
男子生徒たちが何でもないように、ケラケラと笑っています。
「いやいや、そんなわけ」
「冗談にしてはきついよ? そういうの、良くないと思う」
晴天君と新島さんは男子生徒の言葉を受け入れられていません。
「いやいや、全部ほんとだから。ってかさ、襲われたのあの子だよ。だよな――涼風」
「「っ⁉」」
みんなの視線が私に集まりました。
晴天君と新島さんは、困惑した様子で私の言葉を待っています。
私はドロドロした感情が溢れ出そうなのを、必死にこらえていました。
でも気づいたんです。――堪える必要など、ないのだと。
「なぁ涼風。そうだよ――」
「私は、時雨君に襲われてなんかいません!」
私は強く、そう告げます。
あの時できなかった分まで、私は大きく言い放ちます。
「私は時雨君に助けられたんです。何も知らないで、何も知ろうとしなかったあなたたちに、時雨君の何が分かるんですか……!」
面を食らったように、男子生徒たちは言葉を失っていました。
「涼風さん……」
「聖奈ちゃん……」
私は畳み掛けるように続けます。
「時雨君は私の恩人です! 時雨君は、そんな人じゃありません! 時雨君は――すごい人なんです!」
私はそのまま、時雨君を追いかけて駆け出しました。
もう二度と、手遅れなんかにはさせない。
あの時、時雨君のお母様と誓ったんだ。
絶対に、時雨君を離さないんだって。
◇ ◇ ◇
暗い森の中を、夢中で走った。
息が切れても、胸が苦しくても、俺は遠くに行きたくて、すべてを忘れたくて走った。
宿舎の喧騒から遠ざかり、辺り一面真っ暗で、音すらない場所で立ち止まる。
乱れた呼吸を整えるように膝に手をつき、額に滲む汗を拭う。
どうして、俺はいつもこうなんだろう。
ようやく新しい日々がスタートし始めたというのに。
ようやくあの日々を忘れることができていたというのに。
人という生き物は、やはり残酷にできている。
忘れるためにはこんなにも時間と労力がかかるのに、思い出すときは一瞬。
すべての記憶と感情が、一瞬で引き出される。
俺はすべてを一から始めるために、この高校に入学したのに。
すべてをあの場所に置いて行くために、こんなにも遠くにきたのに。
やっぱりその人の持つ過去とは、一生離れることができないんだろうか。
「……そんなの、あんまりだろ」
呟いた言葉が、地面に落ちて消えていく。
何も見えない、何も感じない、何も聞こえない。
きっとこれで、俺はまたすべてを失う。
せっかく友達になってくれた、気の合う晴天も。
みんなから好かれていて、尊敬している新島さんも。
体育祭で打ち解けた竜見や川上、その他クラスメイトたちだって。
もう俺の近くには、誰もいなくなるんだろう。
「俺って、弱い人間だな」
昔から、ずっと孤独だった。
それがあの事件を境にみんなから避けられて、孤独以上の孤独の辛さを知って。
でもそれは俺が、一人は嫌だと思っていたから、孤独が辛かった。
そう気づいてから、孤独が当たり前なんだと、一人でいるべき奴なんだと思うことで辛くなくなった。
人間はやはり、残酷にできている。
身が引き裂かれるほどに辛い孤独だって、慣れてしまえば辛くなくなるのだから。
そうやって高校に入って、もう傷つかないように過ごすはずだった。
でも、涼風さんに出会った。
そこからいろんな人に出会って、気づけば一緒にいて。
一人でいることが当たり前じゃなくなって、誰かといることが当たり前になった。
そうか、逆に一人にならないことが、傷つかない方法でもあったんだ。
本気でそう思っていた。
でもそれは間違っていた。
永遠なんて、どこにもない。不変なんて、存在しない。
いつか必ず失うのだ。切り離せない過去によって失うのだ。
「こんなんだったら、最初から一人でいればよかった。こんな気持ちになるなら、最初から誰とも関わらなければよかったんだッ!!!」
大粒の涙が、地面にぽたぽたと落ちる。
そしてまた、俺は一人になっていく。
一人になって、それが当たり前になって、辛さがなくなって。
俺はきっと――
「時雨君ッ!!!!」
その声に、涙がぱたりと止まる。
荒い息遣いに、今にも泣きだしそうな声。
振り返るとそこには、涼風さんが立っていた。
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