第18話
いつものようにバイトで遅くなった柚花を送って行った純が「じゃあ」と帰ろうとした時、1人の青年が暗闇から姿を現した。
「おいっ、柚花!!」
「神田君!?どうしたの、こんな時間に?」
柚花の驚いた声に純は振り返り、突然現れた神田というらしい青年の顔を見た。
「やっぱり悟や健吾が言った通りだったんだな…」
「どういう事?」
神田が何を言っているのか分からず、柚花は不思議そうに問い掛けると
「悟と健吾が言ってたんだ。時々お前が違う男と会
ってるのを見かけるって。本当だったんだ…。お
前はそんな奴じゃないって俺は信じてたのに!」
「何を言ってるの?神田君、私は何も…」
「じゃあ、その男は誰なんだよっ」
「この人は同じバイト先の先輩で斉藤君っていうの
よ」
「そうか、そいつが例の新しい男って奴か?」
例の男とはもしかして俺の事なのか…?
少し後ろで柚花と彼女の彼氏らしい青年とのやり取りを黙って見守っていた純は、彼が自分と柚花の事を疑っていることに驚き困ってしまった。ヘタに何か言うと事情が複雑になってしまうかもしれないが、とんでもない誤解をしている様子の彼に2人は何も無い事を何とか説明して納得してもらわなければ柚花があらぬ誤解をされたままになるのでは!?と考えている内に、柚花が先に説明し始めていた。
「この人は本当にバイト先の先輩なのよ。同じシフ
トで帰りが遅くなる時には家の近くまで送ってく
れるの。前にもちゃんと神田君にも話したじゃな
い。忘れたの?大体私は、誤解される様な事なん
てしてないわ!」
必死に説明をして誤解を解こうとする柚花の話が信じられないのか、完全に頭に血が上って怒り狂っている神田は、
「嘘吐くんじゃねぇよ!!だったら何でその男とこ
っそり映画観たりカフェで会ったりしてんだよ。
俺との約束断って!」
「約束を断ったのは、先に友達と約束してたからよ
。斉藤君と会ったのは偶然が重なっただけで…」
「はぁ、偶然!?何だよそれ。こんなに人が溢れて
る街中でそう何度も会ったりしないだろ、普通。
それでも偶然って言うのかよ?あり得ねぇだろ。
もっとマシな言い訳しろよ!!」
「言い訳も何も本当に偶然、会う機会が多いだけな
んだってば」
「偶然、偶然って…。もういいよ、人をバカにすん
のもいい加減にしろっ。はっきり言えばいいだろ
、他に好きな人ができましたって。」
「本当に違うの!私達そんな関係じゃない。お願い
神田君、信じて…」
これは完璧に彼氏に誤解されてるぞ、俺…
そう理解した純は、今度は自分がちゃんと説明して分かってもらおうと口を開いた。
「あの…君、俺らの何を勘違いしているのか分から
ないけど本当に彼女と俺はバイト仲間以外なんで
もないから。それに彼女が二股や浮気をする様な
娘じゃないのは君が一番分かってる事だろ?」
と純が柚花の援護をしてみたものの逆上している神田には純の言葉はかえって逆効果にしかならなかった。
「うるせぇよ!あんたに偉そうな事言えんのかよ?
どうせ2人で口裏合わせでもしたんだろ。…柚花
もういいよ。別れようぜ。信じろって言われても
もう無理だ。じゃあな」
悲痛な声で名前を叫ぶ柚花を振り返ること無く、神田はバイクに跨るとエンジンを噴かせ急発進させた。彼の去って行く姿が見えなくなると、柚花はその場に泣き崩れる。
「どうして…どうしてこうなっちゃうの…」
声を殺して泣き続ける。
「ごめん、俺が余計な事言ったばっかりに彼をます
ます怒らせちゃったみたいで…」
こんな時に何故もう少し気の利いた言葉が言えないんだろうと悔やむ純に、消えてしまいそうな声で
「ごめんね…斉藤君、もう1人で帰れるから…」
柚花はやっとそれだけ言うと止まらない涙を拭うことなく自分のアパートへ走り去った。
それから柚花は3日間バイトを休み、やっと出て来た柚花の目元はあの後も寝ずに散々泣き続けた事を証明する赤い痕とクマがくっきり残っていた。それを見た純の心の奥にチリッと焦げた罪悪感の様なものを感じ胸に痛みが走る。
「ごめんね、斉藤君。この間は変な所見せちゃって
…私、もう大丈夫だから」
そうやって元気に笑ってみせる柚花の姿が、空元気だと分かる純には痛々しく映った。
その日、休憩時間になった純がスタッフルームに入ると、先に休憩していた柚花が丁度電話で話をしていた。純は邪魔しちゃいけないと少し離れた椅子に座ってコーヒーに口を付けていた。すると小声で話す柚花の声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「ごめんない小町さん。私、今そういう気分じゃな
いので本当にすみません」
聞き覚えのある名前が聞こえ、純は危うく飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
んっ!?小町?さっき小町って言わなかったか?聞き間違いだろうなぁ。それに他人かもしれないし。
でもそう小町という名前はないだろう!?まさか…
気になった純は電話を切り終えた柚花に
「ねぇ、柚花ちゃん盗み聞きしたみたいで悪いんだ
けど、さっき小町って言わなかった?」
「・・・・」
「確かに小町って言ったよね?」
「・・・・」
「その小町っていう人さ、名前と外見が全然似合わ
ない女の人じゃない?」
「えっと…」
「俺の知り合いに同じ名前の女の人がいるんだけ
ど」
「…ごめんなさい!その通りですっ」
最初に一瞬しまったという顔をし、しばらく黙っていた柚花がもう隠し切れないと思って頭を下げた。
「少し前にここに来たの。斉藤君の知り合いだって
言って何故か私に会いに来たんだって。ごめんね
斉藤君には絶対内緒だという約束したから言えな
くて…」
柚花の返事に純の頭の中で次々と今まで疑問に思っていたモノと出来事がパズルの様に埋まっていく。
急に柚花と偶然会う機会が増えたのは何故か。それによって彼女が恋人と別れる事になって深く傷付いた事。
すべてに関して小町が関わっていたなんて…
「斉藤君?」
コーヒーの缶を握り締めたまま黙っている純に不安そうに柚花が声をかけると
「あぁ、ごめん。何でもないよ。こっちこそ問い詰
める様な聞き方してごめん。教えてくれてありが
とう」
と笑って答えた。
バイトを終えると純は無言で帰宅した。ソファーでゴロゴロしながらテレビを観ていた小町は何も言わず部屋の入り口に立ち続けている純を見つけ、
「びっくりしたぁ!何突っ立ってんのさ。帰って来
たならただいま位言いなさいよっ。びっくりすん
じゃない」
と驚いて文句を言ったが、純は小町の言葉を無視して荷物を乱暴にベットの上に置いた。無視された小町は
「ちょっと純、聞いてんの?」
不機嫌になってもう一度不満の言葉を口にしようとしたが、純がいつもと違う怒気を発しているのを感じて口を閉ざした。
「・・・小町」
いつになく低い声で名前を呼ばれた小町は、今まで見た事無い雰囲気の純に
「なっ、何よ?」
と思わずどもってしまう。
「お前…俺が違うバイトの時を狙って柚花ちゃんに
会いに行っただろう?」
そう聞かれ、ビクッとなった小町だったが
「何それ?どういう事?それに柚花ちゃんって誰?
純の知り合いなの?あたし、知らないよ」
テレビに顔を戻し、シラを切った。
「とぼけるな。ちゃんと俺の目を見て答えろ。お前
柚花ちゃんに会いに行ったんだろ。わざわざ俺が
家教のバイトでいない日を選んで、俺にバレない
よう会いに行ったんだよな。しかも来た事を柚花
ちゃんに口止めまでして!」
「何言ってんのか意味分かんない。柚花っていう娘
知らないってば!純の勘違いじゃないの?あたし
本当に知らない」
純の目を見る事が出来なくて、テレビに顔を向けたまま小町はあくまでシラを切り通そうとする。
「じゃあ何で俺の目を見れないんだ?自分にやまし
い事があるから見れないんだろう。俺は柚花ちゃ
んの口からはっきりお前の名前を聞いた。今日、
柚花ちゃんに電話しただろ。その時俺、偶然その
場に居合わせたんだよ。そして柚花ちゃんは申し
訳なさそうに教えてくれたよ、お前が会いに来た
って。内緒にするって約束したから言えなかった
ってな」
純の言葉に最後までシラを切り通すつもりだった小町も流石に答えに詰まってしまった。そしてここまでバレてしまっているならこれ以上は隠し切れないと思い、チッと舌打ちして
「あーもう!柚花ちゃんったら、あれほど内緒だっ
て念を押したのにぃ。約束したんだから最後まで
言わなきゃ良かったのにさ…。そうだよ!柚花ち
ゃんに会いに行ったよ。悪い!?だってどうして
も会いたかったんだもん。純と一緒に働いて、純
がわざわざ送って行くような女の子だよ?どんな
娘なのか興味がわくってもんでしょうが!だから
会いに行った。それに純が居ない時じゃないと絶
対会わせてくんないじゃん!!」
と開き直った。続いて
「だって純の恋人になるかもしれないから、どうい
う娘か、ちゃんと純に相応しい女の子かあたしが
直々に確かめに行ってやったんだから。感謝して
欲しいくらいだね」
「…俺がいつお前にそんな事頼んだ!?」
俯いて両手の拳を握り締めながら必死に怒りを抑えている。そうとも知らず、すっかり開き直ってしまった小町は調子に乗ってベラベラと話し始める。
「だってあたしが手助けしてあげなきゃ純、バイト
ばっかして恋人作ろうとしないじゃん。だから柚
花ちゃんに会いに行って、話したらすごく良い娘
だったから2人をくっつけてあげようと思ったん
だぁ。名付けて『あらっ偶然会うなんて運命の赤
い糸ですね作戦!!』」
楽しそうに話す小町に対して純は込み上げてくる怒りで吐き気がしてきた。その吐き気を我慢しながら
「じゃあ街や映画館で何度も彼女に会うようになっ
たのも全部小町、お前が仕組んだって事なんだな
…」
「そうさ、そうでもしなきゃ奥手の純君には恋人な
んて作れないでしょうが。我ながら良い事思いつ
いたなぁと思う。徹夜で考えてたんだからね!そ
れなのにこの小町様が何度もチャンスを与えてや
ったのに、2人ときたら最後の最後でちっともあ
たしの計画通りに動いてくれやしない。だから見
てるこっちが歯痒いわイラつくわで何度、2人の
前に出て行こうとした事かっ」
思い出して不服そうにしれっと話す小町の態度に純の心の中は怒りに染まっていく。
「柚花ちゃんな、お前のくだらないお遊びのせいで
彼氏に誤解されて別れる羽目になったんだよ…」
怒りの為に小声で言う純の言葉に小町はびっくりしたものの少しも悪びれた様子もなく首を傾げて
「なんだ、柚花ちゃん彼氏いたんだぁ。いるならい
るって教えてくれれば良かったのに。そうしたら
別の方法を考えたんだけどなぁ」
こいつ・・・
閃いたように、小町がポンっと手を打ってナイスアイデア!!とばかりに笑いながら
「あっ、もう別れたってことは今はフリーって事じ
ゃん!じゃあ純、今がまさに一番チャンスだよ。
失恋したばっかりの女の子は弱ってるから、今柚
花ちゃんに優しい言葉を掛けてあげれば、純のこ
と…」
バシッ!!
部屋の中に乾いた音が響いた。
「…痛いか?」
小町は何が起きたのか分からず、じわじわと痛みの広がる左頬を押さえた。
「え・・・・!?」
「痛いだろ?でもな今の柚花ちゃんの心の方がそれ
より何十倍、何百倍も痛いんだぞ」
小町の頬を叩いた右手を握り、純は怒りを必死に抑制しながら静かに言った。
「純・・・」
「何がチャンスを与えてやった!?俺がいつお前に
チャンスをくれって頼んだ!?お前のやった事は
全て自分が楽しむ為の身勝手なお遊びなんだよ!
自分の思い通りに動いてくれないなんて良く口に
出せたもんだよな。俺達はお前が退屈しのぎで遊
ぶ人形でもなけりゃゲームでもない。ちゃんと自
分の意思や感情を持ってる人間なんだ。誰にだっ
て踏み入って欲しくない領域ってモンがあるんだ
よ。小町、お前にだってあるだろう?それに心の
傷ってやつは目に見えないからこそ身体の傷より
治りにくい。心の傷は忘れる事は出来ても消える
事は一生無いんだよ、傷が深ければ深いほどな。
それなのにお前は柚花ちゃんの心の中に平気な顔
して土足で入り込んで、滅茶苦茶に踏み荒らした
挙句深い傷まで付けたんだ。お前は人の心の中に
土足で入り込んで良いと思う程偉い立場なのか?
自分のこと一体何様だと思ってるんだよ!?世の
中お前中心に動いてる訳じゃないんだぞ。人間に
は感情の中に他人を想う気持ちがあるんだ。彼女
が彼氏の事を好きだって想う気持ちだよ。その気
持ちをお前は弄んで無理矢理壊した。そんな事も
分からない奴にここに居る資格も権利も無い、居
て欲しくも無い。出て行ってくれ。今すぐ出て行
け!!」
いつもは静かに話す純の大きな怒声に、小町は純を本気で怒らせてしまった事、柚花に自分がしでかした罪の重大性にようやく気付き
「純・・・ごめ・・・」
「言い訳も謝罪の言葉も聞く気は無い。謝らなきゃ
いけない相手は俺じゃなくて柚花ちゃんだろ。と
にかく早く出て行ってくれ、顔を見るのも不愉快
だ!!」
そう言い切り、強引に小町を玄関の外に追い出すと純は勢いよくドアを閉め鍵を掛けた。
外では小町がドアを叩き、純の名前とともに謝る声が聞こえるが純はチェーンを掛け、耳を塞いでその場に座り込んだ。
しばらく小町の声は続いたが、段々声は小さくなりやがて聞こえなくなって静寂が訪れた。純がそっとドアを開けてみると、そこに小町の姿は無くなっていた。再びドアを閉め、フラフラと立ち上がると純はイヤホンをしプレイリストのボタンを押した。
流れてきた歌はHansonの『I Will Come To You』だ。この歌は純が落ち込んだり自信を無くした時など精神的に疲れた時によく聴く歌。
その夜、純はこの歌をエンドレスで聴きながら眠れぬ夜を過ごした。
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