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——九月二十六日(火)夜明け前——
昨夜も、結局一睡もできないまま朝を迎えることとなりました。これで三日連続になります。
日中、何度かうとうとするのですが、到底睡眠と呼べるほどのものではなく、身体の倦怠感が日々増してゆきます。どうやら今飲んでいる導眠剤は、わたしの体質に合わないようです。
あれ以降、あの子はうんともすんとも言わなくなりました。お腹に手をやると、そこはひんやり張りつめて、石のように黙り込んでいます。つわりに似た悪心や異常なまでの食欲も、今はもうすっかり
やり切れない想いに胸がつまります。わたしとあの子は確かに繋がっている。なのに、実体がそこにないなんて。
あの子に近付くには『眠り』が不可欠なのだ。そんな想いが確信へと成長し、わたしを苦しめます。何を愚かなことをと先生には笑われてしまいそうですが、当てずっぽうを言っているのではありません。実際わたしたち母子の再会は、夢の中で果たされたのですから。
わたしとあの子の間に横たわる『呪いの淵』。何かの因縁が働いたとしか思えない、不可思議で忌まわしい断絶。
先生、どうかわたしを眠らせて下さい。対岸でわたしを待ち侘びるあの子のところへ一刻も早く行きたい。そのためには眠りという渡し舟が必要なのです。このままではいけない。嫌な予感がするのです。わたしにはあの子に会って果たさなければならないことがある。そんな気がしてならないのです。
妊娠も、消えたあの子のことも、それに派生する諸々の事柄も、明かしているのはこのノートだけ。ためらう必要もなく、ありのままの自分を曝け出せる場所があるのは頼もしいようでいて、その実、妙な不安に取り憑かれることもあります。
これまで胸の内で黙殺されてきた様々な想いが紙の上に写し取られ、やがて筆を執るわたし自身の制御をもきかないように勝手に独り歩きする。自分はこんな風にものを見、思考する人間だったのだろうか。読み返すたび、他人の日記を盗み見しているような後ろめたさと、底知れぬ大きな力に操られている自分を感じます。
あの子の一件があったからでしょうか。近ごろわたしは、『血』というものが持つ怪異な力について、深く思い至るようになりました。
現在わたしが一緒に暮らしている姉夫婦には
そんな不思議な偶然(?)があったせいか、わたしの小織に対する愛情は単なる姪へのそれではありません。時折ふと、小織の寝顔にあの子の幻影を見出してしまう。
今では確信しています。わたしが姉夫婦のもとへやって来たのは、小織と出会うためだったのだと。でなければ、わたしと姉が一つ屋根の下で暮らすなどありようはずもない。実を言うと今回のことがある前、わたしたち姉妹は長らく音信不通だったのです。それはもう、互いの生存さえあやふやになるほどに。
姉は現在、北海道の道東にあるY高原でペンションを経営するかたわら子育てと家事に追われています。自ずとできあがってしまった役割とでも言いましょうか、わたしも姉をサポートすることに日々忙殺され、早朝からペンションの業務、その合間に家事と小織の子守り、ふと気付けば夜……とまあこんな具合です。不眠がたたって身体がしんどくなることも多いですが、姉の役に立つことで居候を後ろめたく思わずに済みますし、だいいち何もせずベッドの中にいても症状が改善するわけではないのです。姉もわたしの病気のことは知っていて、「できる範囲でやってくれればいい」と気遣ってくれています。
義兄は獣医師で、大学の獣医学部で教鞭を執りつつ、酪農が盛んなこの集落の牧場を回り診療にあたっています。牛が産気付くと昼夜問わず出かけていき、帰りはいつになるか分からない。人間を診る医師も大変ですが、動物は言葉を話せないので診察や治療にはより優れた観察眼と忍耐力が必要とされるでしょう。その意味においてわたしも彼に一定の敬意を払ってはいるのですが、熊のような体躯に髭だらけの顔、気難しげな眉間の皺とメガネの奥の鋭い眼光、お世辞にも清潔感があるとは言いがたい薄汚れたつなぎ姿を目の前にすると、どうしてもうつむきがちになってしまう。
でもだからといって、彼との仲が険悪なのかといえば、そんなこともないのです。多忙を極める仕事のせいで義兄はほとんど家にはおらず、たまにわたしと顔を合わせても軽い挨拶をかわすだけ。つまり、互いの相性の良し悪しを判断できるほど、わたしたちはまだ関わっていないのです。
去年の今ごろは、自分が北海道に移り住むなんて想像だにしませんでした。不眠による心身の不調に押しつぶされそうになっていたのは確かです。このままではいけない。いずれ大学に休職願いを出すか当直のない別の病院に移るかして体調の改善に努めなければ。焦燥は常に心の一部を占めていました。しかし、その後次々に起こった思いがけない出来事は桁違いの破壊力を持ち、わたしは荒波に翻弄される小舟のごとく、未知なる世界へ押し流されていったのです。
思いがけない出来事——そう、あの日姉からかかってきた電話が、まさしくその一端だと言えるでしょう。
それは、呆れるほど連日雨が降り続いた、六月初旬のある夕刻のことでした。一筋の光も通さない分厚い雲が一日中空にへばり付き、そのせいか持病のめまいがいつになく頻発しました。湿った大気は耳底を転がる鈴の音を粘着かせ、しつこいその残響の中で、夢なのか
……ふと我にかえり壁際に目をやると、つい今しがた朝の八時であると確認した時計の針が、すでに午後四半を回っていました。スマホには二件の着信があり、一件は洋介からのメール、もう一件は見知らぬ番号からの電話。少し迷ってから留守電メッセージのアイコンをタップすると、再生されたのは陰鬱な空模様とは正反対の、晴れやかな女性の声でした。
〈遥子ちゃん? 私だけど……〉
思わずスマホを握る手に力がこもり、背筋には怖気が走りました。遥子ちゃん——いったい誰が、わたしのことをそんな風に呼ぶでしょう。思い当たる人物は一人しかいません。わたしはそれを続けて三度聞き返し、確信しました。「これは、姉だ」と。
黄泉の世界から託け《ことづけ》を預かったような、妙な気分に襲われていました。耳に入ってくる声と、脳裏に浮かぶ姉の面影とがまるで結びつかない。無理もありません。姉がわたしの前から消えたのはもう二十年以上も前のこと。二人がそれぞれ十八歳と十二歳の時でした。過ぎた時間は記憶を風化させ、姉はわたしにとって、すでに故人のような位置付けとなっていたのです。
散々迷った挙げ句こちらから電話を折り返すと、姉は時間の隔たりなどまるで気にしてない口ぶりで自分の近況を切れ目なく語り出しました。
「あ、遥子ちゃん? その後どうしてた? 今日はちょっと相談があって電話したんだけどね、遥子ちゃんて内地からわざわざこっちの病院に通院してるんでしょ? ならばいっそのこと、しばらく私のところに来てみない? 実を言うとペンションがこれから避暑のシーズンで大忙しになるの。私も赤ん坊を抱えた身でしょ? 遥子ちゃんがうちに来て手伝ってくれたらありがたいの。もちろん、無理せず体調と相談しながら。働いてくれた分はお給金も払います。あ、でもそんなに多くは期待しないでね。その分食べることと寝泊まりする部屋はちゃんと用意します」
ペンション? 赤ん坊? 話の筋をまるで追うことができず、無言のまま呆然とするわたしをよそに、姉は「とにかく一度よく考えてみて」と言い置いて、こちらの返事も待たずに電話を切ってしまいました。
姉はどうやってわたしの携帯番号をどこで入手したんだろう? 最初に頭に浮かんだのはそのことでした。しかもその口ぶりから、姉は、わたしが現在仕事を辞めて療養中だということも知っているようなのです。
姉がわたしの現況を知る手段とは? わたしたち姉妹の間を取り持つような人物とは? あれこれ思いをめぐらせてみましたが、両親は二人ともすでに他界していますし、共通の知人もおりません。そもそもわたしには友達らしい友達などいないのです。ふと思い立って、『黒田遥子』をネットの検索エンジンにかけてみましたが、目ぼしいものは何もヒットしませんでした。当然です。わたしはごく平凡な一庶民で、SNSの類もいっさいやっていない。個人情報が巷に流れるわけはないし、またその需要もないはず。
姉のところに行く? 一つ屋根の下で一緒に暮らす? 頭が冷静になるにつれて、事の異常さがくっきりと輪郭を露わにしました。わたしと姉が向かい合って食事をしたり、一緒に買い物に出かけたり、家事や子守りなどのあれこれを分業をしたり……そんなこと、ありえない。両親の葬式にさえ列席しなかった姉なのに。それが突然今になって連絡をよこしたのは、いったいどんな了見からなのか。
姉に直接問う以外、真相を突き止める術はありませんでした。けれど結局、わたしはそうしなかった。怖かったのです。失職、妊娠、胎児の消失、そして長い隔たりの後突然現れた姉……因果関係などありようはずもない各々の出来事が、薄気味悪い連結性を帯びてわたしにこう警告する気がしたのです。
〈立ち止まるな、お前はただ流れに身を任せればいい——〉
姉のところに来てはや三ヶ月。いまだ何かの拍子に考えることがあります。わたしは大切なことを見過ごしてるのではないか? 決して引き返すことのできない恐ろしい闇の底に、すでに半身を沈めているのではないか?
今は見る影もありませんが、姉はその昔、天才少女と謳われた若手バイオリニストのホープでした。幼少から非凡な才能を発揮し、中学に上がる頃には、音大生をはじめプロを目指す若き音楽家が、その登竜門としてエントリーする国際音楽コンクールに史上最年少で優勝したのです。
姉はわたしにとって、希望そのものでした。周囲の誰もがその神童ぶりを
毎朝その日一日の姉のスケジュールを確認し、姉の帰宅前には必ずレッスン室の掃除を済ませておく。バイオリンは非常にデリケートな楽器なので、空調にもよく気を配る。サイドテーブルのメトロノームはねじをしっかり巻き、譜面台は窓から一メートル離れた右側四十五度の位置へ。楽譜は基礎教則本、エチュード、ソロ、アンサンブル、コンチェルトの順に重ねて置く。姉の手助けとして何をすべきなのか、どうしたら姉が喜んでくれるのか。頭の中は常にそのことでいっぱいでした。
自分が担う数々の仕事の中で、わたしが最も重要だと考えたのが、バイオリンの
花柄の壁紙と小さな出窓、曇り一つなく磨かれた譜面台、踊るように歌うバイオリン、風になびくと金色になる姉の後れ毛——そんな絵画的空間を、わたしの塗る松脂のアンティークな香りが包む。姉の奏でるバイオリンはわたしにとって『天使の翼』でした。願いさえすれば、どこでも好きな場所へわたしを連れて行ってくれる、自由の翼、救いの翼。
姉がバイオリンをやめたのは誰もが想像だにしていなかった、まさに不意打ちの出来事でした。姉はそれまで特待生として研鑽を積んできたパリの国立音楽院を中退し、当時まだ獣医になりたてだった義兄と婚約したのです。当然、両親が賛成するはずもなく、結果的に姉は、駆け落ちのようにしてわたしたちの前から姿を消しました。
音楽と獣医学。接点などまるでなさそうな道を歩んでいた二人を引き合わせたのは何だったのか、わたしには今でも分かりません。でも、そんなことはもはやどうでもいい。重要なのは、姉が幼少からあれほど熱心にやり続けてきたバイオリンを義兄との出会いによってあっさり捨ててしまったことにあるのです。
何かの間違いだと思いました。あえて口にせずとも、わたしたち姉妹の心は常に通じ合っていると思い込んでいたから。姉がわたしに何の断りもなくバイオリンをやめてしまうなんて。わたしを置き去りにして他の誰かのもとへ行ってしまうなんて。結婚なんて嘘だ。表向きはそんな風に語っていても、もっと特別で複雑な事情があるに違いない。
〈結婚? バカバカしい。誰がそんなことを言ったの? 訳あって学校は中退したわよ。でも、だからといって、バイオリンそのものをやめるわけがないじゃない。水のない所でどうやって魚が生きるの? そういう話だと思うけど。……そんなことよりも遥子ちゃん、私、来春にヨーロッパ各地で演奏会が予定されているの。あなたも春休みの間いらっしゃいよ〉
軽く唇を尖らせ、おどけたように、でもどこか得意げに語ってみせる姉の姿が思い浮かびました。
大丈夫、姉は勝手にいなくなったりしない。『天使の翼』がわたしを裏切るはずがない。これからもレッスン室の掃除は毎日欠かさずやろう。姉がいつ帰ってきてもいいように——わたしは自分自身を繰り返しそう説き伏せました。
一年、二年と月日が過ぎ、その間姉からはなんの便りもありませんでした。病気にでもなったのだろうか? あるいは事故で重度の障害を負っているとか? 思いきって両親に訊ねてみようかとも考えましたが、家の中に醸し出される「姉の話題はいっさいタブー」という空気がわたしにそうすることを許さないのでした。
さらに数年。もしかしたら姉はもうこの世にいないのかもしれない。そんな想いがふと頭をよぎるようになりました。けれどその
そうして丸六年が過ぎた頃、いつものようにレッスン室を掃除していたわたしは、耳元で誰かがこんな風にささやくのを聞いたのです。
〈あてのない希望にしがみつくのは、心が腐るのを待つのと一緒〉
わたしは十八歳。いつのまにか姉が家を出た時の年齢に追いつき、春からは遠く離れた町の医科大学に進学することが決まっていました。それまでの人生の三分の一を、
〈あてのない希望にしがみつくのは、心が腐るのを待つのと一緒〉
姉は戻ってこない。わたしはその事実を受け入れなければなりませんでした。自分の心が腐り切ってしまう前に。
わたしだけでなく両親にとっても、姉は心の拠り所でした。思い起こせばわたしたちは皆、危うい家族間のバランスを姉と姉の弾くバイオリンによってどうにか保っていたのです。頼れるべきものはもう他にない。ここから決して手を離してはいけない。それを各々が本能で感知し、姉を取り囲んでいました。
わたしの父は医師でした。そのことを誰かに語ると、わたしが父のことを敬愛し、それ故に同じ道を歩んだのだろうと早合点する人がいますが、決してそんなことはありません。わたしが医師を志したのは、両親の呪縛を離れるのに一番安全で確実な手立てを模索し、消去法を重ねた上で、最後に残ったものがそれだったからです。
父のことを考えると、わたしは今でもやり切れなさに心が塞がれ、自分の命がひどく無意味もののように思えてきます。まぶたの裏に浮かぶ父の幻影に「お前に安住の場所はない。お前の望みなど何一つ叶わない」と言い渡される気がするからです。
父は家にいる時間のほとんどを書斎にこもり、音楽を聴きがら酒をあおることに費やしていました。食事の際もそこを離れず、家族との団欒などはなから眼中にない。八畳ほどの部屋にはレコーディングスタジオさながらの音響機材が備え付けられ、毎夜恐ろしいほどの大音量で交響曲やオペラが何本も流される。
世の中には何か特定の事物に偏執的愛情や無尽の情熱を注ぐ、いわゆる『△△マニア』と呼ばれる人がいますが、父の場合、その奇行は単なる『クラシックマニア』で見過ごせるほど生易しいものではありませんでした。そもそも父は、クラシックにそこまで深い造詣があったのかどうか。子供のわたしでも分かる間違い(シベリウスをロシア人だと言い張ったり、R・シュトラウスとJ・シュトラウス二世を混同していたりなど)がたびたびありましたし、音源のコレクションもオーディオシステムの豪華さから比べるとずいぶん見劣りするものでした。だいいち書斎にいる時の父は大抵アルコールによる混濁した意識の中にいて、音楽鑑賞などまともにできていたとは思えません。
〈嘆かわしいわね——〉
姉はたぶん、そう言いました。ある晩、酒臭い息を吐きながらふらふらとトイレに向かう父と廊下ですれ違った時のことです。たぶん、と書いたのは、その時起こったすさまじい音の突風に、姉の声がかき消されてしまったからでした。
ドアが開け放たれた書斎から、天変地異を思わせる地鳴りのようにティンパニの打音が轟く。あまりの衝撃に耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだわたしを、姉が抱き抱えるようにして自身のレッスン室へと
「ショスタコーヴィッチ交響曲五番。音楽史に燦然と輝く名曲も、パパの手にかかると台無しね。パパは堕落しきってるんだわ。自分をとことんいじめ抜いて、もう何も考えられないくらい追い込まないと立ち行かないのよ。可哀想にね……」
いったい何を言ってるんだろう? わたしには姉の言葉がまるで汲み取れませんでした。憐憫の対象を見誤ってはいないか? 酔った父の姿が視界に入っただけで息が詰まり、身動きできなくなるほどの恐怖に怯えている妹が目の前にいるというのに。
わたしが極度に口数の少ない(知能に欠陥があるのではないかと疑われたほどです)、感情表現の乏しい子供だったのは、環境がもたらした当然の成り行きでした。
人間にとっての言葉と情操は、森でいうところの樹林と水脈の関係に似ています。それぞれが互いを支え養うことで、より大きくて豊かな、揺るぎない命の循環へと結実する。いつ暴発するか分からない音の凶器と、それに引きずられるようにしてふらふらと歩く父の姿は、わたしがわたしになろうとする力、いわば感性の水源とでも呼ぶべき場所を
先生、わたしの言ってることって被害者意識の塊ですか? 何もかもを親のせいにしすぎてますか? でも考えてみて下さい。無邪気に感情を表したくてもその受け皿がない。路肩に咲く可愛い花をしきりに指さしても、濁った目をした父親は無反応のままそれを踏み潰していく。「笑顔が足りないわね」「もっと元気よく」——学校で教師に注意されるたび思いました。笑顔ってどう作るの? 元気って何?
それでも酔っていないうちはまだましで、いったんアルコールを口にすると、父はそれまでとは打って変わった、悪魔的陰翳を身にまとうのでした。暴力をふるうとか、怨みごとを繰り返すとか、理不尽な言いがかりをつけてくるとか、そういうたちの悪い酔っ払いにありがちな醜態とは違う。振る舞いは平素よりむしろおとなしいくらいなのに、こちらが
父という人をイメージする時、わたしの脳裏に浮かんでくるのは、気弱な顔でその場を立ち去る骨ばった背中か、魂ごと絡め取られそうなおどろおどろしい眼光。そのどちらかしかありません。
母はわたしが物心つく頃すでに、とある新興宗教の敬虔な信徒となっていました。教団の活動に熱心に取り組み、週末は大抵家にいない。小学校に入った頃からわたしも母に連れられて祈祷会や勉強会に参加するようになり、大きな催事の際には他の信徒たちに混ざって炊き出しやバザーの手伝いに駆り出されたりしました。
「この世界はただ一つの法則によって動かされている——このことさえ知っていれば、未来などまったくもって恐るるに足りません。言い換えると、これを知らずしてあなた方に真の幸福は訪れない。知力、財力、名声……これら世俗的成功と心の安寧は必ずしも結びつきません。ひとたび往来に出れば、そこは魑魅魍魎。嫉妬、憎悪、欺瞞、謀略、災疫など、厄難は石ころのようなさりげなさであちこちに転がり、あなたを躓かせ、それまでの生活を一変させようと目論んでいるのです。思い悩み、自分を見失いそうになった時、大切なのは枝葉末節にとらわれないこと。すなわち原則に立ち返ることです。
この世界はただ一つの法則によって動かされている。
ではこの法則とは何なのでしょう? 一言で言えばそれは、あらゆる生命、森羅万象の
科学の足らぬところを補い、
逆に、
母は教団の広報役員として聴衆の面前でよく講説を行いました。もともと美しい人でしたが、
子供が生きる世界というのは、目に触れるもの耳にするものがごく限定的な、狭い世界です。彼らはそのぶん、大人にはない感受性や洞察力を有してはいますが、判断の基準はたった一つの物差しに委ねられる。親です。心のどこかで親の思考や習性に違和感や嫌悪感を覚えても、子供は結局それを肯定するしかない。そうしないと、自分とそれを取り囲む世界のあり方が
わたしが母の異常さに気付いたのも、ずっと後になってからでした。小学生のうちは朝晩にやるお祈りの儀式もさほど苦痛ではありませんでしたし、教団の行事や催事にも半ばお遊び気分で出かけていました。街頭での宣教活動中に学校のクラスメイトと遭遇した時は気まずかったですが、それさえどうでもいいと思えるくらいに信徒の人たちはみな優しく、わたしを可愛がってくれました。何より、まばゆいばかりに美しい母のことが、わたしには自慢だったのです。
そんなわたしとは違い、姉は母の信仰のいっさいに踏み込もうとしませんでした。表立った批判はしなくても、自分が興味のないこと面倒なことには決して組み込まれない。
『
万事がこんな調子なのに、母は決して姉に腹を立てたり、その態度を咎めたりはしませんでした。むしろ従順なわたしの方が、
あれは確か、わたしが小学四年生の頃。学校から帰り自宅の玄関ドアを入ったとたん、いきなり母に頬を
「燃やしなさい」
ぞっとするような冷たい声がして、母が一枚の写真を差し出します。
「この世界の正義は
それはわたしが学校のバス旅行で鎌倉を訪れた際、クラス全員と撮った集合写真でした。母が問題にしたのは背後に映る大仏で、「神=
痺れを切らしたのか、母はマッチを一本擦って写真に火をつけると、ソファーテーブルの灰皿にそれを落としました。炎はそこに映る人たちを舐め取るように揺らめいて黒い灰に変えていきます。
「ごめんなさい……」
わたしができるのは、ひたすら許しを乞うことだけでした。ごめんなさい、成り行きで周囲の行動に
「……そう。なら、あなたは周囲に
返す言葉がありませんでした。もしここで誤ったことを言えば、それこそ取り返しのつかない事態を招きかねない。母は矢継ぎ早に捲し立てます。同じクラスの子供たちが低俗すぎるわ、今後はいっさい付き合いを許しませんからね、だいたい担任教師の管理が杜撰すぎます、さっそく明日学校に行って校長に談判を……いや教育委員会の方が先かしら? とにかく困った時あなたがすべきは
わたしは母の前にひざまずき、自分の肩を抱くように両腕をクロスさせてから額を床につけました。
〈
母をはじめ多くの信徒が折に触れて口にするため、わたしの記憶にも刷り込まれていた言葉でした。
しばらくして平伏した頭を恐る恐る上げると、そこにはいかにも満足げな笑みでこちらを見下ろす母の顔がありました。「よくできました」と、判子を押されたような気分でした。
コンクールでの優勝以降、姉の周囲はにわかにざわつきはじめました。雑誌やテレビで『日本クラシック界に彗星あらわる!』などと
そのことはわたしたち家族の間にも少なからず変化をもたらしました。父は姉の練習に配慮してステレオの音量をしぼるようになり、母も教団関連の外出が減って姉のための夜食やステージ衣装の準備に時間を割くようになりました。
外聞などまるで気に留めない様子だった両親が、姉を
馴染みのない『平穏』という舞台の上で、家族の各々がわざとらしくそれらしい役割を演じる。いかにもぎこちない日々ではありましたが、日常生活というものは、真実が突きつける渾沌よりも、虚構に彩られた安寧の方に遥かに高い親和性を持ちます。少なくともわたしにとってはそうでした。呼吸する、食べる、排泄する、眠る。生命維持に不可欠なこれらの事柄が、滞りなく淡々とやり過ごせればそれでいい。他に望むことなど何もない。
ただそんな割り切りの良さも、根底にはそこはかとない不安がありました。こんな平穏がいつまでも続くわけがない。しわ寄せはいつか必ず襲ってくると。
事件が起きたのはある日曜の午後、姉が某音楽大学主催の特別公開レッスンを受講しに遠方へ泊まりがけで出かけている時のことでした。
姉はまだ中学生だというのにどこに行くのも大抵一人で、よほどのことがない限り母の帯同を拒みました。いつだったかわたしがそれについて訊ねると、「レッスンを受けるのも、演奏をするのもわたしでしょ? わたし以外の誰がそこにいる必要があるの?」とそっけなく返答されました。今でも時々思うのです、もしわたしたちが普通の家族で、あの日母が姉と連れ立って出かけていたら、あんなことにはならなかっただろうに、と。
姉の不在が長引くと、家の中はたちまちその綻びを露にします。実際その日も、休日の午前中だというのに、モーツァルトの『魔笛』が耳を塞ぎたくなるほどの大音量で流され、それをまるで気に留めず立ち働く母の側には『
何がきっかけだったのかは分かりません。気付くと、ソファに腰掛けていたわたしの背後で、父が怒鳴り声を上げていました。辺りに響くソプラノのけたたましい歌声に塗り潰され喋っている内容までは分からないものの、母に向かって目をひん剥き前のめりになったその姿が、彼の憤怒の激しさを物語っていました。驚きました。父がそんな風に猛り立つ姿を、わたしはそれまで見たことがなかったのです。しかもその顔に、酒気はまったく見当りませんでした。
眼前の光景は、さながら無声映画のワンシーンのようでした。キャストに台詞はいっさいなく、BGMと身振り手振りだけが彼らの心情を代弁する。はじめは父の勢いに
女王は歌います。
〝復讐の心が地獄のごとく我が心に
不思議でした。父も母も、これまで見知ってきたどんな二人よりも生々しく、嘘がないように見える。口づけを交わすかのように相手に接近したかと思うと、不意にその肩を突っぱね、またしばらくするとどちらともなくにじり寄り……の繰り返し。男がダイニングテーブルの『灯』を引っ掴んで床に叩きつける。女は発狂したように頭を掻きむしり、その胸ぐらを掴む。組んず解れつするうちにそれぞれの手脚は知恵の輪のように組み合わさって、踠けば踠くほど複雑に絡み合い離れられなくなる。
〝お前は永遠に見棄てられるのだ! あらゆる絆を断ち切られるのだ!〟
無声映画の世界に極めて異質な効果音が差し込まれたのは、その直後でした。母の頭蓋骨が砕ける音です。実際、そんなものが聞こえるはずもありません。けれどその時、聴覚とは違う別の何かが骨伝導のようにわたしの内部を貫き、確かな手応えをもたらしたのでした。父の手にはいつのまにかヘルメットが掴まれていました。自転車に乗る際、わたしが常用していたものです。白い硬質の球体は、母の頭部や顔面めがけて何度も振り下ろされました。悲鳴が轟き、血があちこちに飛び散り、力尽きた殉教者が赤黒く腫れ上がった顔で「
……と、不意に何かが弾けたように家の中からすべての音が消え、直後、人間とも動物とも判別のつかない雄叫びがわたしの鼓膜を
〈もしかすると、これが
そう思って振り向くと、そこにはバイオリンを構えた姉が立っていました。
〈なんだ、神様が現れたわけじゃないのね……〉
落胆しかけたわたしに姉は挑みかけるような目を向け、一呼吸おいてから馬の疾走のごとく激しいアルペジオを弾きはじめました。一つ一つの音を
わたしは自分が大変な過ちを冒していたことに気付きました。なんて素晴らしい演奏なんだろう。耳から流れ込む音律が、そのまま胸の高鳴りとなって
曲のフィナーレを飾る踊るようなトリルと締めの一音を颯爽と弾ききると、姉はそこにいる観客一人一人に視線を止めてからゆっくりとお辞儀をし、その場から立ち去りました。
わたしは溢れ出る涙を拭うことも忘れ、感動のステージを披露してくれた演者に賞嘆の拍手を送りました。生まれて初めて、自分が本当に泣いているのだという気がしました。部屋の中は惨憺たる有様で、観葉植物のプランター、壁掛け時計、フロアライト、液晶テレビ、ダイニングチェア、炊飯器、オーブントースター、薬缶、コーヒーメーカー、調味料の瓶など、様々なものが床の上に投げ置かれて乱雑に混ざり合い、その隙間を、食器の破片や、大量の『灯』が埋め尽くしているのでした。
ヘルメットを掴んだまま気を抜かれたように立ち尽くす父と、その足元にうずくまり嗚咽を漏らし続ける母。二人の間にはどす黒い血溜まりができあがっていて、それらの光景はわたしを幸福な気持ちで一杯にするのでした。姉の演奏が放つ高潔な光は、あらゆる悪意や汚濁を一瞬にして拭い去る。『夜の女王』でさえ、隙のないその神威の中では、
姉にとってバイオリンとは何だったのか。大人になった今それを改めて考えると、胸が苦しくなってきます。
あの家には怪物がいました。普段は息を殺し、どこかに潜んでいて分からない。あまりに上手く生活の中に溶け込んでいるので、やがて家族はそれがもともと存在していなかったような錯覚に陥ってしまう。でも、だからこそたちが悪い。一度暴れ出すと、それは各々の心の隙間に見事に滑り込み、何かを確実に壊してしまう。家族間の信頼だったり、共有してきた想い出だったり、互いへの敬意や労いだったり……そういうものが、もう二度と元には戻れないというほど大破されてしまう。姉だけが頼りでした。怪物に催眠をうながすセレナーデを奏でられるのは、姉だけだったのです。
姉は自分を見つめる周囲の目に、飢えた物乞いのような声が含まれているのを感じ取っていたでしょうか。
〈どうか我々を見捨てないで下さい。その弱さを受け入れて下さい。あなたなしでは生きていけないのです。これからも、ずっと、ずっと——〉
姉がいなくなってから、父はあれほど傾倒していたクラシックをいっさい聴かなくなり、ますます酒に溺れるようになりました。酔って意識が混濁するとところ構わず失禁し、足が向かうに任せた場所で寝入ってしまう。警察から連絡を受けたことも一度や二度ではありませんでした。
手の震えが止まらなくなり、眼球や皮膚には黄疸が現れ、とうとう仕事もまともにこなせなくなったある日の深夜、父は泥酔したままふらふらと路上に飛び出し、通りかかった車に撥ねられました。内臓破裂による即死。あっけない最期でした。
父の死後、もともと精神疾患のあった母はそれがさらに悪化し、教団の活動はおろか日常生活も一人ではままならなくなりました。丸三年、通院の時以外はほぼ家に引きこもり、むさぼるように薬を飲み続ける毎日。頭髪は真っ白で身体は痩せ細り、何か話しかけても大きく飛び出した目をギョロギョロと動かすだけ。その姿に昔の美しい面影はありませんでした。
母が浴室で死んでいるのを発見したのは通いのヘルパーさんでした。洗剤を多量に飲んだことによる服毒自殺。現場検証を行った検視官が、死の直前に書かれたものだろうとわたしに手渡した紙切れには、震える筆跡でたった一言、「
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