雪の音

鴨居 麦

 ——九月二十一日(木)午前一時十五分——

 お腹の赤ん坊が消える。

 自然の摂理や医学的見地からしても、こんなことは本来あってはならないのです。にもかかわらず、その時のわたしは、自分が直面したこの事実をすんなりと、いとも簡単に受け入れていました。恐怖に慄いたり、取り乱して涙を流したり、釈明を求めてドクターに詰め寄ったりすることもせず、それどころか、「ああ、やっぱり」という、妙に腑に落ちる心地さえあったのです。

 だからその場に居合わせた人の中で最も憐れむべきは、母親であるわたしよりもむしろ、主治医の産科医の方だったかもしれません。彼は見たところ四十代半ばから五十代前半、真ん丸メガネとしきりに上下する触覚のような眉、小柄で手足は細いのに腹回りだけがパンパンに膨らんでいる姿は、どことなくコオロギを連想させます。今にもピロピロと鳴き出しそうですが、その時彼が漏らしたのは「そんなバカな、そんなバカな」という低く震える声でした。

 R先生もご存じの通り、専門は異なりますが、わたしも一応医師免許(整形外科)を持つ身です。体調を崩し、仕事の継続が困難になる前は、毎日多くの患者と関わり、その治療に携わっていました。

 産科医にとっては、それがどれほどの救いだったしょう。素人に病態を説明するのはなかなか厄介です。今回のように科学的論拠に乏しい奇異なケースとなればなおさらのこと。『医療訴訟』なんて言葉を頭の中にちらつかせながらくどくどと不毛な言い訳をせずとも、基礎知識のある患者本人が自ずとそれを納得してくれる。これがどれほど有難いことか。同業者であるR先生ならば容易に想像していただけますね? 実際、こちらに開示されたあらゆる検査データやそれに基づく診断には何の瑕疵もなく、文句のつけようがありませんでした。

 妊娠自体が誤認だった可能性も頭をよぎりましたが、すぐに打ち消しました。前回の診察の時点でお腹の赤ん坊はすでにキウイフルーツくらいの大きさになっており、骨格や内臓の形成もほぼ完了。

「そろそろ髪の毛や爪が生えてきます、あくびやおしゃぶりの動作なんかもするようになるのですよ、お母さんは近いうちに胎動を感じるかもしれませんね、出産前の性別告知はご希望ですか?」 

 どこか得意げなコオロギ医師の声も生々しく耳底に残っていました。つまり、今さらわたしの妊娠をなかったことになど、できようはずもなかったのです。

 エコー検査のモニターには、空っぽになったわたしの子宮が、闇を漂う霧のようにぼんやり映し出されていました。そう、わたしの赤ん坊は流れたのでも、殺められたのでもない。文字通り、のです。

 古い病院でした。床や壁にはシミやひび割れが目立ち、天井には剥き出しの蛍光管が光っていました。薬剤コンテナーも、診察ベッドも、パーテーションも、みな一様に薄く黄ばんでいて、それらの傍にナースキャップを被った痩せぎすの老女が不機嫌そうなへの字口で立っているのでした。彼女は看護師というよりはむしろ降霊術を執り行う口寄せのようで、白衣がまるで身体に馴染んでいません。

 人も物も、すべてが時の流れに蝕まれたような空間で、たった一つ異彩を放っていたのが、デスク横のガラス戸棚に入った真新しい胎児模型でした。子宮内膜は明るいピンク色で胎盤はくすんだ緑色、動脈と静脈はそれぞれ鮮血色と紫に色分けされ、それらが唐草紋様のように周囲を縁取った中心に、そら豆形の胎児が身体を縮め横たわっています。深海生物に似たグロテスクさと、今にも動き出しそうな生々しさ。こんなものが自分の体内にも巣食っていたのだと思うと、背筋がうそ寒くなりました。

「……もう、帰っていいですか?」

 これ以上ここにいても仕方がない。そっけなく椅子から立ち上がったわたしを、コオロギ医師は触覚眉を静止させて、口寄せ看護師はへの字口をさらに際立たせて見つめていました。

 子供を失った母親としては、もっとそれにふさわしい、打ちひしがれた面持ちでも浮かべるべきだったのでしょうか? けれどその時のわたしは、一刻も早くその場から立ち去りたい、淀んだ空気の息苦しさから逃れたい、そんな想いでいっぱいだったのです。

 会計の際、窓口の小太りな中年女性は怯えたような目でわたしを見、「念のため、近いうちにもう一度診察を受けにくるよう、医師が申しております」と消え入りそうな声を漏らしました。予約は入れませんでした。だって、そうでしょう? わたしのお腹に赤ん坊はもういないのです。とはどういう意味ですか。数日経てば赤ん坊がひょっこり舞い戻ってくるとでもいうのでしょうか。『◯△産婦人科 黒田遥子様』。返された診察券は財布に戻さず、破って病院のトイレに流しました。

 

 駅へと向かう長い下り坂の途中、突然視界がかすみ、わたしは思わずその場に立ち止まりました。閉じたまぶたの上に指先を当て、ふらつきそうになる足元に必死に抗う。

 子供の頃からわたしにはこうした突発性のめまいが起こることがあり、一時期はひどく悩まされたこともあったのですが、身体の成長と共にその頻度は低くなり、成人を迎える頃にはほとんどおさまっていました。三十路を過ぎてからそれが再発したのは、妊娠が原因に違いない。そう信じて疑わなかったのに、赤ん坊が消えた後も症状が続くなんて。

「一度、ちゃんと検査してみた方がいいね」

 気遣わしげな声色とは裏腹に、さして興味なさそうな顔をしていた洋介のことが思い浮かびました。

 彼、佐藤洋介は、以前わたしが勤務していた病院の上司で、温和な人柄と真摯な仕事ぶりから同僚にも患者にもたいへん評判の良い医師でした。年齢は、わたしより三つ年上の三十五歳。そしてこの彼こそが、消えた赤ん坊の父親なのです。

「小さい頃からの持病みたいなもので、すでに複数の医療機関で検査しているの。原因はよく分からないのよ。日常生活には支障ないからいいのだけれど、ただ……」

 と、ここまで言ってわたしは口をつぐみました。洋介がこちらの話などまるで聞いていなかったからです。彼はゆったりと足を組んでソファーに座り、手に持った科学雑誌を一心に読んでいるのでした。わたしは静かに息を吐き、後に続くはずだった言葉を胸の内につぶやきます。

〈ただ、このめまいが普通の貧血症状や立ち眩みとは違うのは分かるわ。すごく際立った特徴があるもの。まず前兆として、耳の奥にチリリンと小さな鈴が転がるような音色が響いてくる。可愛らしいのにとても冷ややかな音。するとそれを合図にしたように、身体が重力から解き放たれたように軽くなる。自分が綿毛になってフワフワと宙を舞っているようよ。視界は濃い霧に包まれたように真っ白で、向こうに何かが蠢く気配があるのだけれど定かじゃない。あと少しすれば霧が薄らぐ。そうすれば、そこにいるものが明らかになる……と、そんなことを考えているうちにハッと現実に引き戻されるの〉

 見ると、洋介はいつの間にか雑誌を放り出し、コクリコクリと寝息を立てていました。

 わたしたちはいつもこうです。固く手を握り合うこともなければ、背を向けて拒絶することもない。洋介だけが悪いわけではありません。わたしとて、彼が話すこと、考えていることに大して興味はないのです。

 ……だから、なのでしょうか? わたしは自分の妊娠を洋介には告げませんでした。黙っていてもいずれはばれてしまう。彼は自分に子供ができたと知ったらどう思うだろうか? もしこれを機に結婚しようなどと言い出したら厄介だ……あれこれ思案に暮れたこともありましたが、赤ん坊が消えた今となってはそれも徒労に終わりました。

 洋介との結婚など、一度も考えたことはありません。なぜかと訊かれたら説明に窮するのですが、とにかく彼はわたしにとってのです。彼の方も同じだと勝手に思い込んでいましたが、どうやら目算違いだったようです。ある頃から彼は二人の今後について結婚をほのめかすようになり、わたしが無職になってからは、それがさらに露骨になっていました。

 そろそろ別れを切り出す頃合いかもしれない——生理が止まっていると気づいたのは、わたしがそんなことを考えていた矢先でした。


 R先生。先生はこのノートをわたしに手渡すとき、これが『MPD(Mental Picture Dairy・心の絵日記)』と呼ばれる心理療法の一つで、今後のわたしの病状回復に有効なのだとおっしゃいました。

「私のクリニックを訪れる患者さん、ほぼ全員にお勧めしています。単なる日記との違いは、記し方に規定がないことです。ランダムな雑記、と受け止めて頂いても結構です。変にかまえたりせず、独り言でもつぶやく気分で、日常のあれこれやふと思いついたこと、心に浮かんだ情景、夢などを書き留めてごらんなさい。必ずしも文章である必要はありません。イラストや抽象的な素描のようなものでも良いのです。書いたものも見せたくなければ見せなくていい。すべてはあなたの自由ですよ」

 心の絵日記? 正直はじめのうちは、なぜこんなものを書かされるのかと割り切れない想いで一杯でした。わたしは長年苦しめられてきた睡眠障害の治療でこのクリニックを訪れているのだ、別に精神を病んでいるわけじゃない! と。

 そんな苛立ちからか、ノートの前半には「全身倦怠」「本日も不眠」「食欲不振、口内炎あり」など、まるでカルテの記載事項のような無機質な一行が目立ちます。実際、仕事もせず回復の兆しがまるで見えない身体を持て余していれば、思いつくことなどこの程度なのです。

 ただこのところ、事情がすっかり変わってきています。ふと気付くと、わたしはのことばかり考えてる。のことを誰かに語りたくなっている。とは……そう、わたしのお腹から突然消えてしまった、のことです。

 気づけば、産科での最後の診察からすでに半年がすぎています。薄情な女だと思われるかもしれませんが、わたしはその間まるでのことを思い起こさなかった。それはもう、ただの一度も。

 それが今になってなぜ頭から離れないのか。きっかけは数日前に見た夢でした。

 ご存じの通り慢性的な不眠で、浅い眠りゆえに夢を見ること自体は珍しくないわたしなのですが、はこれまで経験したどんなものとも違う。見るもの、聞くもの、触るもの、そこで体感したすべてが生々しい現実そのもので、今思い出しても身の毛がよだつ、破滅の隠喩のような世界でした。

 夢の中で、わたしはただ一人、夜の海を漂っていました。頭上にはまん丸に肥った月が浮かび、潮の香りのする湿った風が頬を撫でてゆきます。海水は血を湛えたように生温くぬめりとしていて不快極まりない。何より妖しいのが、直立不動の姿勢でありながら身体が沈んでいかないことでした。

 空と海はひと続きの漆黒で、見回しても景色の輪郭がまるでわからない、自分の手のひらさえ確認できないほどの濃厚な闇。その不気味さは、経験した者でなければ理解できないことでしょう。意識を保ちつつ自分という存在が消滅した感じ。いや、自分がそこにある闇そのものになった感じ。

 頭上で赤ん坊の声がしました。泣いている、笑っている、怒っている、おどけている……感情の色が透けて見える様々な喃語なんごが雨のようにぱらぱらとこちらへ降り注ぎます。考えたら実に妙でした。月がこんなに明るいのに、なぜその光が海面まで届いてこないのか。何も見えないということは、そこから脱出する術もないということです。逼迫したわたしの様子を揶揄するように、赤ん坊の声は熱を帯びてゆきます。これはの復讐なのだ。そう確信しました。

 たしかにわたしはひどい母親だった。一度としてあなたに慈しみの心を抱かなかった。病院のモニター越しに初めてあなたに対面した時も、その心臓が必死に脈打つのを聞いた時も、役所の窓口でおめでとうございますと母子手帳を手渡された時も、わたしにはなんの感慨もなかった。でもわたしがあなたを殺めたわけじゃない。勝手にいなくなったのはあなたの方じゃないか——あらんかぎりの力でそう叫ぶと、頭上の声はぴたりと止み、訪れた静寂の後を引き継ぐように、今度は月がぷるぷると痙攣しながら膨張しはじめました。

 膨らむだけ膨らんで極みに達したのでしょうか。黄身色の球体は熟れすぎた果実のように身を持ち崩し、横一文字にパックリと裂けて包皮をめくると、巨大な目玉を露わにしました。先生、わかりますか? 月が血走った巨大な目玉に変貌したのです。ジロリとこちらを見下ろしているのです。人の心というのは不思議なものですね。気を失いそうなおぞましさの中で、わたしは笑っていたのです。見えない触手にくすぐられるかのように、身をよじってケタケタと。

 目玉はさらに進化します。二つ、三つ、四つ……さながら受精卵の成長過程のように分裂増殖。やがて空は魚卵のような目玉の大群に埋め尽くされ、各々が黒目を右へ左へ回転させて口々にこうわたしを詰るのでした。

〝オマエノセイダ、許サナイ、逃ガサナイ……〟

 わたしは愉快すぎて涙が出てしまいます。あはは、あはは、あはは……。

 鋭い刃で両断にされたかのごとく、わたしは夢の世界から切り離されました。パッと目を見開き、身体を捻ってアラーム時計を確かめると午前四時。わたしにしては珍しく、立て続けに三時間眠ったことになります。朝方は大抵気分がすぐれず、しばらく横になっていることも多いのですが、その日は目覚めの直後から身体の内側に力がみなぎり、わたしは跳ね起きるようにしてベッドを離れると、そのままの勢いでキッチンへと向かいました。

 冷蔵庫のドアを開ける。わたしの目がまず捉えたのは、黄色が鮮やかないかにもみずみずしい二個のレモンでした。ドレッシングやマリネのためにと買い置きしておいたものです。考えるより先にわたしの手はそこに伸び、見た目よりはるかにずっしりとした果実の重みを実感すると、そのままそれを口に運んでいました。ムシャムシャと音を立てて丸齧まるかじりする。ほとばしる酸味にまぶたが痙攣しようが、指の間を滴る果汁が足元を濡らそうが、一向に構わない。ひたすらそこにかぶりつき、咀嚼し、飲み込む。その繰りかえし。それしかない。

 レモンを平らげてもなお、食欲はおさまるどころかますます激しくなりました。セロリ、トマト、ラディッシュ、ニンジン、キュウリ、アボカド……野菜室の食材を片っ端から切り刻み、オリーブオイル、ワインビネガー、塩コショウでシンプルに味付けする。皿やフォークでちまちま食べるのに耐えきれず、ボールから手掴みで直接それらを口に運ぶ。ボールはたちまち空になる。

 まったく満たされない。他にもっと食べるものはないか。腰をかがめて戸棚の中やシンクの下を探します。フランスパン、レトルトのクリームシチュー、カップラーメン、板チョコ、カステラ、栗蒸し羊羹、桃缶、ドライフルーツ、ミックスナッツ、ポテトチップス、ソルトクラッカー……大量の食品が次々と口に放り込まれては胃袋に消えてゆきます。

 食べたい、食べたい、食べたい——内なる飢餓の叫びに気が狂いそうになりながら冷凍ピラフをレンジに放り込んだ時でした。不意に、みぞおちを抉るような激しい吐き気に襲われたのです。

 口元を両手でかばいつつ、前屈みでトイレに駆け込む。便器の縁を掴んでそこに頭を突っ込んだとたん、到底自分のものとは思えない、敵を威嚇する獣のような声が響きました。先ほどわたしの食道を下降していった食物たちが、揉みしだかれるようにして口から飛び出してゆきます。液体とも固体とも言えない、ひどくでたらめで無遠慮な、悪意の塊のような物体……。

 ねばつく口を洗面所ですすいだ後、鏡に映る青ざめた顔に向かって、「これじゃまるで妊婦じゃない」と独りごちていました。我慢できない猛烈な食欲と、つわりさながらの嘔吐。それらはまさしく、産科の待合室で妊婦たちが嘆いていた調そのものでした。当初わたしにはそれが体感できず、妊娠自体どこか他人事の節があったのですが、それが時機を見誤ったかのように今ごろ現れるなんて。

〝オマエノセイダ、許サナイ、逃ガサナイ……〟

 夢の中で聞いた目玉の声がよみがえりました。

 が再びわたしのもとへ帰ってきたのだろうか。いや、そんなないはずはない。実際その時のわたしは二日前に生理を終えたばかりでした。

 ただその一方で、こんな確信も働いていました。は死んだんじゃない。夢で見たどこともわからぬ闇の中で息を潜め、少しずつ成長しながらが来るのを待っているだ、と。

 『母子一体ぼしいったい』。妊娠中、母体と胎児は一個体。肉体的精神的に相互に深く影響しあう。身体に突如として現れた不可解な兆候は、わたしたちがまだ繋がっている証。

〝オマエノセイダ、許サナイ、逃ガサナイ……〟

 もしが帰ってきたら——そう考えて目を閉じ、下腹部に手を当ててみると、まぶたの裏に分厚い雲のようなが浮かんできました。そう、蛇のとぐろやアンモナイトの殻に象徴される、あののことです。それはぐるぐると絶え間なく回転する運動性の異空間で、わたしととを繋ぐ、いわば臍帯の役割をしているのでした。意識をそこ集中させれば、今ここにいないの息づかいや鼓動までもが感じ取れそうな気がします。

 でも結局のところ、肝心なことは何一つわかりません。が今どんな場所にいるのか。そこに近付くにはどうすればいいのか。は求心性・遠心性どちらに向かって回転しているのか……。

 R先生。先生はわたしの病状を「諸々の不定愁訴をともなう神経症の一種」と診断なさいました。でもこの手記を読んで、以前ご自身が下した見立て以上に、わたしのことを頭のおかしい、要注意人物だと危惧なさってはいませんか?

 わたしは最近、ますます自分のことがわからなくなっているのです。正常と異常、あるいは真実と嘘。それらはどのように判断し、区別されるのでしょう?


 ……先生、大変困ったことになりました。いったい、どうすればいいのでしょう。わたしは今この瞬間、全身が総毛立ち、心臓は激しく脈打って、筆を持つ手の震えが止まらなくなっています。わたしはやはり、狂っているのでしょうか?

 たった今、がお腹を蹴りました——。



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