§029 二人乗り
俺と水無月さんは水無月さんが習い事の日を除いて一緒に帰るようになっていた。
以前は遠回りしたルート上にあるコンビニで待ち合わせをしていたが、今では学校の正門で堂々と待ち合わせをした上で。
それもこれも全て『赤也カミングアウト事件』の賜物であると言える。
赤也のあの日のカミングアウトのおかげで、俺と水無月さんが付き合っているということは思いのほか早く学年全体に浸透した。
次の日には他のクラスのやつにも「付き合ってるの?」と聞かれたりもしたが、皆の反応はクラスの時の反応と同じで「おめでとう」とか「お幸せに」という爽やかなものばかりだった。
懸念していた俺や水無月さんへのバッシングだが、どうやら水無月さんは男子達の中では高嶺の花認定がなされていたらしく、現実的に告白しようとしていた人は皆無という状況だったようだ。
そのため、思いのほか男子からの反感はなく、むしろ、「あのレベルの女の子でも付き合えるんだ」と「アイドルってう○こするんだ」みたいな感想を抱いた人の方が多かったようで、逆に男子達に希望を与える結果になったようだ。
そんなわけで、今では晴れて学年の公認カップルとなった俺と水無月さんは、こうして正門で待ち合わせをして帰ってるわけだが……。
「今日はなんで自転車なんですか?」
早速、水無月さんからの厳しいツッコミが入った。
何を隠そう、最近は水無月さんとの交際が順調すぎて気が緩みすぎていたのもあり、今日の朝はバッチリ寝坊してしまい、遅刻ギリギリの時間だったので、一か八か自転車で登校したところだったのだ。
そのことを水無月さんに説明すると、両手で口を押さえるほどに驚いているようだった。
「え、律さんの最寄り駅からですよね? かなり遠くないですか?」
そんな水無月さんの言葉は尤もで、実際、家から学校まで40分ほどの時間を要した。
ただ、俺にとって40分程度なら大して苦にもならない時間だった。
なぜなら、俺の地元である千葉県八街市は完全なる田舎であるため、移動手段は主に徒歩か自転車に限られていたからだ。
最寄り駅から1時間歩くなんてざらだし、電車の本数も多くないので、自転車で長距離移動することも往々にしてあった。
そんな環境で育っていたため、東京でも自転車は必要だろうと思い、実家からママチャリを持ってきていたのだが、都内は俺の想像を遥かに超えるレベルで鉄道網が整備されていたため、結局、高校に入学してからは自転車にはほとんど乗っていないのが現状だった。
「まあ、俺、結構自転車乗るの好きだし、それに最近ちょっと太り気味だから運動も兼ねて」
そう言って寝坊の言い訳をしてみる。
「律さんが太り気味? その体型でその言葉は全ての女の子を敵に回しますよ」
わずかに頬を膨らませる水無月さんだったが、俺の顔をまじまじと見つめて、一拍置いた上で、「確かに少しだけ顔が丸くなりましたかね……?」とポツリと言った。
「え?マジ?」
この前の柏倉さんとの一件以降、こうやって水無月さんが前よりも素直に感情を出してくれるようになったのは素直に嬉しいことだった。
けれど、それは置いておくとして、先ほどの「太り気味」というのは方便で言っただけであって、「顔が丸くなった」というのは聞き捨てならない言葉だった。
「え、俺、マジで顔丸くなってる?」
「うぅ~ん、心なしか最初に会った頃よりは。まさか一人暮らしで身体に悪いものばかり食べてるんじゃないですか」
そう言って訝しむように眉を顰める水無月さん。
けれど、そんなことないと俺は首を横に振る。
「いや、親にも栄養のあるものを食うようにって言われてるからできる限りバランス良く食べるようにしているよ。ラーメンも週1に控えてるし……」
「ラーメンを週1回……」
それが原因なんじゃ?という表情が水無月さんの顔にありありと現れた。
まあ、ラーメンの件はこれでも我慢している方だからいいとして、もし本当に俺が太ってきているのだったら、原因に心当たりがないわけじゃなかった。
そう……高校デビューを心に決めて以降欠かすことのなかった筋トレを、最近は幸せに輪をかけてサボるようになってしまったのだ。
俺はそんな実情を水無月さんに吐露する。
「実は最近筋トレをサボり気味でして……もしかしたらそれが原因かも」
何となく水無月さんは『美』にストイックなイメージがあったので、てっきり否定的な意見がくるものだとばかり思っていたが、俺の言葉を聞くと逆に頬を緩め、どういうわけか満足そうな表情を浮かべる水無月さん。
この反応に「あれ? 水無月さんってふくよかなタイプの方が好きなのかな?」と思ってしまうが、さすがに太っていると言われたら、運動しなきゃと焦ってくるのが人間というものだ。
「マジでこれからもたまには自転車で通学しようかな。今日走ってみたけど、そんなにキツくなかったし」
「それは一緒に帰れなくなるということですか?」
「あ、いやそういうわけじゃなくて。例えば、水無月さんが習い事の時とかだよ」
一瞬しょんぼりした表情を浮かべた水無月さんだったが、すぐに安堵の表情に改めると、何かを言いたそうにもじもじし出す。
「なに?」
「あの……」
「ん」
「……私、後ろに乗ってみたいです!」
「へ?」
水無月さんから紡がれた予想外の言葉に、俺の思考はフリーズした。
え、それって俺と二人乗りをしたいってこと?
俺は某青春映画で、高校生の主人公とヒロインが二人乗りをしている光景を想起する。
あれって……かなり身体を密着させることになるよな……。
俺は友達がいないため二人乗りの経験は皆無だったが、どうにもその印象が強かったことから俺はやんわりと難色を示す。
しかし、水無月さんは尚も食い下がってきた。
「実は……私、青春映画が大好きでして、そういう映画だと大体二人乗りをするシーンが出てくるじゃないですか。それにすごい憧れてて人生で一度はやってみたいなと思っていたんです」
ああ、思考回路が俺と全く同じだとどうにも納得させられてしまう。
確かに俺も青春映画の二人乗りのシーンに憧れはあるし、人生で一度はやってみたいというのにも同意するが……。
俺は密かに水無月さんの肢体に視線を向ける。
細身ながら女性らしく膨らんだお山に、スラリと伸びた綺麗な足。
二人乗りをするとなると、水無月さんは荷台を跨がなきゃいけなくなるため、スカートだとパンツが見えちゃうんじゃないかと不安になるし、最大の懸念事項はやはりあのお山。
あれが押しつけられる未来を想像すると、いくら陰キャな俺でもいろいろと思うところが出てきてしまう。
そのため、やはり断ろうと思うが……。
「やっぱりダメでしょうか?」
そんな上目遣いで見つめられて、断れる男はいなかった。
「じゃあ駅までなら」
俺は彼女の可愛さに観念すると、水無月さんが乗りやすいように自転車にまたがった。
「本当ですか!」
そんな俺の反応に、心から嬉しそうにする水無月さん。
けれど、繰り返しになるが、俺は地元に友達がいなかったので当然二人乗りは初めて。
周りのヤンキー達がやっていた感じを思い出しながら、見様見真似でやってみる。
「どうぞ」
「はい。それでは失礼します」
俺の促しに、これまた淑やかに自転車の荷台に座る彼女。
ここで俺は大きな過ちを犯していたことに気付いた。
水無月さんの乗り方が、荷台を跨いで座るように乗る「前乗り」ではなく、跨ぐことなく横を向いて座る「横乗り」だったのだ。
地元のヤンキーは皆、「前乗り」をしていて「いかにもヤンキーの座り方だな~」と思っていた記憶があったのだが、水無月さんの乗り方はヤンキーになんて全然見えない。
むしろ淑やかに横乗りをする水無月さんは絵になりすぎていて、まるで白馬に優雅に乗るお姫様のようだとすら思った。
そんな水無月さんの姿に見とれていたのも束の間、この時点で更なる誤算が出た。
なんと荷台に座った水無月さんは、俺の腰に腕を回すと、身体をこちらにもたれてきたのだ。
前乗りの場合は、バランスが取りやすいため、俺の脇腹当たりを摘まんでいれば落ちることはないのだが、横乗りはバランスが取りにくいのため、俺の腰にがっつり腕を回す必要があるということのようだ。
「乗れました。結構怖いですね」
それは君がそんな乗り方をしているからだ~とツッコミを入れたくなるが、女の子に対して、さすがに大股を開いて乗ってくれとは言えない。
「んじゃ、動くぞ」
俺は無心を意識して、足に力を入れる。
すると、水無月さんは想像以上に軽く、自転車はすぐに動き出した。
「わぁ~」
水無月さんは感動したように声をあげ、俺は運動法則に従ってスピードを段々と上げていく。
さすがに今日ばかりは生徒が多くいる通学路を通るのは気が引けたので、俺は別の道へと舵を切った。
「あれ? 律さん。駅の方向と違いますよ」
そんな声が後ろから聞こえるが、そのまま進める。
「こっちに行けば河川敷の道があって、そのまま行けば水無月さんの最寄り駅までいけるからこのまま送るよ。30分もかからないと思う」
「え、さすがにそれは悪いですよ。律さんばかりに漕がせてしまって」
「言っただろ。運動のためだと思えば30分くらい全然余裕だから。逆に水無月さんもお尻が痛くなったら早めに言って」
「は、はい! ありがとうございます!」
普段は遠慮がちな水無月さんだが、二人乗りの興奮からか、俺の提案に素直に賛同する水無月さん。
そうして俺達は、ほどなくして遊歩道に入り、夕焼けの河川敷を静かに駆け抜けた。
この時には水無月さんの身体は完全に俺に預けられており、背中には水無月さんの頭と……何か控えめに柔らかいものが当たる感触だけが残った。
20分くらい漕いだ時に、水無月さんの声が聞こえた。
「あの、そろそろ降りてもいいでしょうか」
さすがにお尻が疲れてきたのだろうと思って、俺は減速した。
「疲れちゃったよね。ごめんね」
そう言うと水無月さんはふるふると首を横に振った。
「律さんの方が疲れましたよね? 私、重いですし」
そんな冗談なのか本気なのかわからない言葉に俺は「いや、マジで全然大丈夫」と返す。
というか、途中からは水無月さんの感触が伝わってきて疲れなんて気にするどころじゃなかったというのが正直なところだ。
俺が自転車を押し始めると、彼女が横に並ぶ形になった。
「初めての二人乗りはどうだった?」
「……そうですね。最初は新鮮で楽しかったですけど、私はやっぱりこうやって歩いている方がいいなと思いました」
ああ、やっぱりお尻が痛かったんだなと思って俺が複雑そうな表情を浮かべると、彼女は恥ずかしそうに視線を伏せて言った。
「……会話ができないのが少し寂しかったので」
「え」
「いっぱい漕いでもらったのにすみません」
そう言うと、彼女は俺の方に少しだけ身体を寄せた。
そんな彼女の行動が、仕草があまりにも可愛くて、顔の温度が急激に上昇するのを感じた。
夕焼けの赤さで誤魔化せているといいなと思いつつ、俺もぼそっと彼女に告げる。
「……自転車だと一瞬で家に着いちゃう気がするから、俺もやっぱり歩いて帰る方がいいかな」
「……そうですね」
「家まで送るよ。通り道だし」
「はい。お願いします」
こうして俺達はいつもどおり、歩いて帰りながら、最終的には水無月さんの住むマンションの前まで送った。
確かに二人乗りも悪いものではなかったが、こうやってお互いの顔を見て、話しながら登下校をする楽しさに気付いてしまった以上、俺達はもう二人乗りで帰ることはないだろうと思った。
そんなこんなで、俺の自転車での通学計画は、初日にして頓挫したのであった。
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