§030 犬カフェ
「わぁ~可愛い」
とある日曜日。
俺と水無月さんは、池袋にある『犬カフェ』を訪れていた。
なぜ、犬カフェに来ることになったかというと、例の柏倉さん事件のお詫びも兼ねて水無月さんの好きなところに行こうと提案したところ、彼女は迷うことなく犬カフェを希望したのだ。
犬カフェとは、御存知のとおり、可愛らしい犬たちと触れ合ったり、犬と一緒に飲食が楽しめるくつろぎの空間だ。
聞いているところによると、水無月さんは無類の犬好きらしく、犬カフェに入店した瞬間から「可愛い~」とテンションは高めだ。
広めの部屋に放たれたいろんな種類の犬とふれ合いながら、時には抱っこをし、時には頭を撫でを繰り返している。
ここまでテンションの高い水無月さんを見るのは初めてのことだったので、俺はつい犬よりも水無月さんに視線がいってしまっていた。
今日の水無月さんは犬カフェに合わせたのか、珍しくカジュアルなファッションだ。
黒色のニット地に近いブラウスに、脚の形がはっきりとわかるスキニージーンズ。
ブラウスはジーンズの中にインされているため、身体のラインがはっきりと強調されている。
うん、細身ながらやはり女性らしいスタイル。
水無月さんの私服姿を見るのは、最初の渋谷、この前の公園と今日で3回目。
1回目も2回目も、清楚な雰囲気のスカート姿だったので、てっきりそういった服装が好みなのかなと思っていたが、高校デビューの際に相当ファッションについて勉強したらしく、どうやら水無月さんは様々なタイプの服を着こなせるらしい。
普段の水無月さんを清楚なご令嬢で喩えるなら、今日のパンツスタイルはさながらOLさんのお出掛けファッションという感じだ。
と、そんな感じに俺が水無月さんのファッションをガン見していると、水無月さんは俺が抱っこしている犬を見ていると思ったのか、笑みをこちらに向けてきた。
「この子、本当に可愛いですよね。おりこうさんだし、甘えん坊さんだし。うちの子によく似てるんですよ」
水無月さんに抱かれているのは、可愛らしい小顔の茶色いトイプードルだった。
この感じだとどうやら水無月さんの実家でも犬を飼っているようだ。
「水無月さんの犬もトイプードル?」
「そうなんです。ちょうどこの子と同じでアプリコットのトイプードルで、もうちょっとで1歳になる男の子です。本当に甘えん坊さんで、私が家に帰ると飛び出してきて抱きついてくるんですよ。ああ、都内でもペットが飼えればいいのに……」
そう言って幾分か寂しい表情を見せる水無月さん。
俺達は都内で一人暮らしをしているため、実家に頻繁に帰るわけにもいかない。
当然、ペットに会える時間は限られる。
もちろんこれほどの犬好きなら都内で飼うことも考えただろうが、ペット可の物件はそもそも多くないし、どうにか見つけられたとしても家賃がそれなりに高くなるため、実際問題として、都内でペットを飼うことはがなかなかに厳しい。
水無月さんもそれがわかっているからこそ、今日は犬カフェに行きたいと言ったのかもしれない。
「よしよし、お前は可愛いな~」
トイプードルの頭を撫でる水無月さんは、俺に対しては敬語なのに、なぜか犬に対してはタメ語だ。
でも、逆にそれが可愛いと思ってしまう俺はもはや病気なのだと思う。
トイプードルは水無月さんの手が気持ちいいのか、目を細めて気持ち良さそうな顔をしている。
水無月さんと一緒に寝られる犬とかどんだけ幸せなんだ、俺も生まれ変わったら犬になりたいなどとくだらないことを考えていると……そう言えばと、中学の時に仲の良かった子もトイプードルを飼っていたことを思い出した。
何度かその子が散歩をしている時に会ったことがあり、俺は犬を飼ったことはないので恐る恐るだったが、その子の導きで撫でさせてもらった記憶がある。
でも、確か……その子の飼ってた犬は……病気か何かで死んじゃったんだっけか……。
ふと、その子が図書館で泣いていた時の記憶がフラッシュバックしてきた。
「大丈夫ですか?」
俺がボーッとしてたから心配してくれたのか、横から水無月さんの声が聞こえた。
「ああ、ごめん。ちょっと昔のことを思い出していて」
「昔のこと? 昔、ワンちゃんを飼っていたとかですか?」
「いや、俺は飼ったことはないんだけど、友達に犬を飼ってる子がいて。なんかトイプードルを見てたらその時のことを思い出してしまって」
何とも言えない表情で俺を見つめる水無月さんだったが、すぐに口の端を緩めると、小首を傾げて聞いてきた。
「律さん、犬は苦手ではないですよね? 抱っこしてみます?」
「苦手というわけではないけど、扱いがわからないというか……落としちゃうのがちょっと怖いかも」
多分、これは犬を飼ったことのない人あるあるかもしれないが、決して犬は嫌いじゃないし、むしろ可愛いと思うのだが、どう接していいかわからないと尻込みをしてしまうのだ。
でも、水無月さんはそんな俺の気持ちもわかってくれているのだろう。
優しく犬の抱き方をレクチャーしてくれた。
「私が横についていれば大丈夫です。なので、ちょっとだけ抱っこしてみましょう?」
「じゃあちょっとだけ」
いつもの水無月さんの上目遣いに負けてしまった俺は彼女の提案に乗ることにする。
そんな俺の返事に嬉しそうに頷いた水無月さんは、「それでは……」と言って、犬を抱っこしたまま俺の横に身体を移動させてきた。
え、近っと思い、次の瞬間には水無月さんと手が触れあっていたが、さすがに今は色恋にかまけているわけにはいかないので、慎重に犬を受け取ると、膝の上に乗せた。
すると、トイプードルは俺のことを受け入れてくれたのか、手をペロペロと舐めてきた。
「わぁ……律さんに懐いてますよ。よかったですね」
確かに犬も安心してくれているのか暴れもせず、ひとしきり俺の手を舐めた後は、ゆっくりと目を閉じた。
そんな彼を慈愛に満ちた目で見つめる彼女。
「水無月さんって本当に犬が好きなんだね」
「へ?」
水無月さんは何か考え事をしていたのか、ハッとしたように肩を揺らすと、「どうしてそう思ったの?」という表情を湛えた。
「いや、なんていうか、俺の昔の友達もそんな感じだったから」
理由になっていない理由に「……そうですね」と相槌を打つ水無月さん。
そして、彼女も昔を回顧するかのように、ほんの少しだけ視線を遠くへ向けた。
「……確かに犬は大好きですよ。でも、実は今の子を飼う前にも犬を飼っていたのですが、私が中学二年の時に病気で死んじゃったんですよね」
「え、なんかごめん」
俺は悪い話を振ってしまったと、咄嗟に謝るが、水無月さんは首を横に振る。
「犬って本当に家族みたいなものなんですよね。ずっと一緒に暮らしていると愛着以上の感情が湧いてくるというか……私達人間よりも先に死んじゃうというのは頭ではわかっているのですが、当時の私はそれをどうしても受け入れることができなくて……どうして私を残して先に死んじゃうの?と……ちょっとだけ塞ぎ込んでしまう時期があったんです。毎日毎日めそめそ泣いて……もうこんな悲しい思いはしたくないから、今後一生犬を飼うことはないだろうと思っていました」
「…………」
「でも、学校の……唯一といっていい友達がある言葉をくれたんです。――きっとその子も一緒にいられて幸せだったと思うよ。だから笑って送ってあげよう?って」
「…………」
「その人にとっては何気ない言葉だったのかもしれません。ただ、私を励ましてくれようとしただけなのかもしれない。それでも、私はこの言葉に救われました。一緒に過ごした思い出が私にとってかけがえのないものであったように、あの子にとっても私や家族と過ごした時間はきっと楽しい時間だったんじゃないかと……だから私がいつまでも泣いていたらあの子が笑って天国に行けないんじゃないかと思って」
そこまで言うと、水無月さんはスッと顔を上げた。
「だから、今の子をお迎えできたのは、その人の言葉があったからこそなのです。今でもその人には感謝してますし、本当なら直接感謝の言葉を伝えたいと思っているのですが……なかなか思い切りがつかなくて……」
そこまで言うと、水無月さんの頬を一筋の涙が伝った。
「……すみません。ちょっと昔のことを思い出してしまって。せっかくの楽しいデートなのに。私ったらしんみりしちゃって」
そう言って泣き笑いを見せた水無月さんに……俺はここまで出かけていた言葉を……グッと飲み込んだ。
そして、一度ふぅと息を吐いて瞑目すると、彼女に微笑みを向ける。
「――今度、実家に帰った時、よかったらその犬を連れて散歩しよう。その話を聞いてたら、なんだかその犬に会ってみたくなっちゃった」
そんな俺の提案に目を丸くする水無月さん。
確かに水無月さんが驚くのも無理はない。
普段の俺なら「実家の犬に会わせてくれ」なんて積極的なことは絶対に言わなかったと思うから。
でも……なんとなくわかってしまった。
全てのピースがハマるような感覚と言った方が正しいのかもしれない。
だからこそ、俺は彼女に問うたのだ。
彼女は……俺の言葉を噛み閉めるように一度目を閉じたものの、すぐにスッと目を開けると、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「はい。必ず」
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