§024 彼女の特権
「私……これから……今までのように律さんと会話をできる自信がありません……」
堰を切ったかのようにここまで気持ちを吐露した水無月さんは俯いて嗚咽を漏らすと、最後に絞り出すように言った。
彼女の言葉を受けて、俺の心の中を様々な感情が駆け巡っていた。
彼女は自分にも非があると言っていた。
でも、それは絶対に違うと思った。
今回悪いのは……全て俺だ……。
付き合っていることを隠すように提案したのも俺。
女子にLINEの交換を求められてそれに応じたのも俺。
柏倉さんに誘われて断らなかったのも俺。
水無月さんと付き合っているのかと問われて嘘をついたのも全て俺の選択だ。
俺は水無月さんのことを可愛い、一緒にいたいと思う他方で、彼女と「付き合う」ということに全然真摯に向き合っていなかったことを今更ながら痛感していた。
だって、俺は彼女が言うように……水無月さんがどう思うかなんて考えもせず、ただ上辺だけの交際を続けていただけなのだから……。
俺は山田から水無月さんを守ったという優越感に浸っていた。
俺は自分に自信が持てなかったから交際を伏せるように提案した。
俺は女子にLINEの交換を求められて、表向きは迷惑だと言いつつも、自分の価値を確認し調子に乗っていた。
俺は「柑奈ちゃんの話」という言い訳を手に入れて、こういう結果になる可能性が多分にあったにもかかわらず柏倉さんの誘いに乗った。
結局、俺は……自分のことしか考えていない最低人間だ。
これじゃ水無月さんのことをアクセサリーのようにしか考えていない山田と何が違うんだろうという話だ。
「……ごめん」
俺は彼女に精一杯の誠意を込めて謝るが、これが正解ではないことは自分が一番よくわかっていた。
水無月さんが今日の話を聞いて最初に問うた内容は、「律さんはどうしたいとお考えなのですか?」だった。
彼女はもちろん俺の振る舞いを許すつもりはないのだろう。
けれど、それは単なる拒絶ではなく、今までの全てを踏まえた上で、将来、未来、今後、これから、俺にどうしたいのかという最後の選択肢を委ねてくれているのだ。
俺は今後……水無月さんとどうありたいのか……。
その答えをどうにか考えようとするが、俺は今まで人と関わることを避けてきた陰キャオタク。
逆に言えば、ここまで俺を叱ってくれる人もいなかったし、ここまで心の内を打ち明けてくれる人もいなかった。
だからこそ、俺の中には、彼女に対する罪悪感があり、彼女に謝罪した気持ちがあり、彼女とやり直したい気持ちはあるが、では、具体的に、彼女にどんな言葉をかけて、彼女にどうやって誠意を伝えて、彼女にどういう風に償いをすればいいのか……俺にはわからなかった。
「……わからない……んだ」
そんな言葉が口から漏れてしまった。
水無月さんからは「え?」と言葉が漏れるが、俺も溢れ出した感情を止めることはできなかった。
頭を両手で押さえながら、思うがままに言葉を紡ぐ。
「俺の取った行動は、本当に最低だったと思っている。水無月さんがそんな不安を抱えているとも知らずに、高校デビューが成功したことに調子に乗って、自身が変われた……モテるようになったという状況に優越感を抱いて、でも、やっぱり心の内では自分に自信を持てない自分がいて、水無月さんと俺なんかが釣り合うんだろうか、周りから何か言われるんじゃないかという気持ちが先行して、水無月さんと付き合っているということを言うのを先延ばしにして、そんな気持ちに蓋をしてしまっていた」
「…………」
「でも、今更こんなこと言っても信じてもらえないかもだけど、そんなつもりは全然無くて、水無月さんを傷付けてしまっているという自覚も無くて……もっと水無月さんのことを考えていれば気付ける部分もあったと思うのに……そんな当たり前のことを……思い当たりもしなくて……」
「…………」
「……でも、今までこんなに深く人と接した経験が無いから……今、水無月さんにどんな言葉をかけて……水無月さんにどうやって誠意を伝えて……水無月さんにどう償いをすればいいのか……わからなくて、それが何より悔しくて……そんな俺って、マジでかっこわりぃって思って」
気付いたら、俺の目からは大粒の涙が溢れていた。
その変化に一番驚いているのは、何を隠そう俺だった。
正直、泣くなんていつ振りのことだろうと思った。
元々、中学時代は誰とも関わらずに過ごしていた。
当然、心を動かされる経験など無かったし、卒業式で泣いている人達を見ても、「なんでこの人達はこんなことで泣けるのだろう」と半ば他人事のように客観視しているぐらいだった。
でも、今ならその人達の気持ちもわかる気がした。
人との関わりは多くの感情を生み、その関わりが真剣であればあるほどそのうねりは激しさを増す。
今までの俺は何に対しても真剣じゃなかった。
ただそれだけのことだったのだ。
そんな俺の嗚咽を聞いて、驚いたような表情を浮かべた水無月さんの視線がこちらに向けられる。
「律さん、泣いてるの?」
「ごめん。情けないこともわかってるし、こんな俺、軽蔑されても仕方ないと思ってるけど……どうしたらいいのかわからない自分が本当に情けなくて……」
そんな俺を目を丸くして見ていた水無月さんだったが、一度瞑目して「ちょっと難しく考えさせてしまいましたかね」とポツリと呟くと、身体をほんの少しだけ俺の方に寄せた。
「もう一度聞きますね。律さんは……これから私と……どうしたいですか?」
「正直に言うと、告白した時はまだ『好き』とかそういう感情はわからなくて……でも、水無月さんと付き合うようになって、カフェデートしたり、一緒に帰ったりするうちに、水無月さんの笑顔をもっと見てみたいなと思うようになって、学校の女神様じゃない水無月さんを見られるのが嬉しく感じられるようになって、もっと水無月さんと一緒にいたいと思うようになって……」
「…………」
「……だから、俺はこれからも水無月さんと付き合っていたいよ」
ここまで言った時には俺の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
もう顔も上げることもできずに俯いたままでいると、水無月さんは俺の隣に距離を詰め、ベンチに置いていた俺の右手に左手を重ねた。
「……律さんの今の姿、最高にかっこ悪いです」
「え」
そんな予想外の言葉に思わず顔を上げると、彼女は優しい笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。律さんの素直な気持ち……聞けてよかったです」
「素直な気持ち?」
「そうです。律さんってなんだかんだ私にも心の内を話してくれるときって少ないんですよ。だから時々律さんは私のことをどう思っているんだろうと不安に思うこともあって。でも、それは律さんの……人付き合い? 恋愛の経験の無さゆえだということがわかったので少し安心したというか、涙を流してまで私のことを考えてくれたのが嬉しかったというか……」
そう言って水無月さんは口の端を緩めた。
「この際だから私も正直に言ってしまうと、私はただ『これからも一緒にいたい』という言葉を聞きたかっただけだったのです。まあ、言葉にしてもらって安心を得たいという女の子特有のわがままみたいなものだったんですけど、それなのに律さんは、どう償えばいいとか、これからどうすればいいとか難しく考えて、言わなくてもいい心の内を全部打ち明けて、挙げ句、涙を流して……そんな学校での律さんからはでは想像もつかない姿が、とてもかっこ悪くて……」
そこまで言うと彼女は目を細めて俺に笑いかけた。
「でも、私はそんな律さんを見られて嬉しかったです。そんな律さんを見られるのは彼女である私の特権だと思うから」
そこまで言って、逆にいっぱい考えさせてしまって申し訳なかったです……と心苦しそうに頭を下げる水無月さん。
「それに律さんは『わからない』と言いましたが、私だって男の人とお付き合いするのは律さんが初めてなのです。何が正解かなんてわかりませんよ。でも、それでいいじゃないですか。確かに今回の件は世間一般から見たらマイナスなイベントなのかもしれないですし、場合によっては破局の危機だったのかもしれません。でも、私はこの程度じゃ律さんのことを嫌いにならない自信がありますし、この程度のことで律さんと別れようなんて思いません」
あ、浮気をしたら話は別ですよ、と頬を膨らます水無月さん。
ただ、すぐにいつもの嫋やかな笑顔に戻すと、握る手の力を強めた。
「――私達は恋愛経験ゼロの元陰キャ同士なのです。何かを間違ったら、それを次に活かせばいい。わからないことがあったら、手探りをしながら正解を模索していけばいい。周りの目なんか気にしないで、私達は私達のペースで恋愛というものを知っていけばいいじゃないですか。今回はそれを再確認するきっかけになったと前向きに考えて」
そこまで言った水無月さんは俺の方に身体を向けると、今日一番の笑顔を見せて言った。
「だから、今回はこれで仲直りにしましょう。律さんが女の子とLINEを交換したことは、今回に限り無罪放免としますし、今後、私達が付き合っていることを公言するかどうかはまたの機会に決めましょう」
「……ありがとう」
俺はそう言うと、彼女の左手を握り返した。
初めて握る彼女の手は、想像していたよりもずっと温かく、想像していたよりもずっと柔らかかった。
そうして、俺達は既に暮れきった宙を見上げる。
「問題は柏倉さん……ですね」
「……そうだな。でも、柏倉さんには明日もう一度会って謝ろうと思うよ。柏倉さんからは嫌われるだろうし、もしかしたら水無月さんへの風当たりが強くなるかもしれないけど、水無月さんをこれ以上不安にさせるわけにはいかないから」
「……私のことは気にしないでください。でも……律さんの立場がどうなるか」
そこまで言った水無月さんは、「恋愛って難しいですね」と付け加えた。
「……そうだな。人と関わるってこういうことなんだな」
「……知らなかったですね。中学までは」
こうして夜風が強くなってきたので、俺は彼女をマンションの入口まで送った。
俺は今日の水無月さんとのやり取りを噛みしめつつ、明日の柏倉さんとのことを考えながら帰路についた。
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