§019 変化
体育の授業の翌日、学校に登校した俺は、教室の前に人だかりができていることに気付いた。
まるで出待ちをするかのように、教室の中には入らないが、教室の中の様子を窺っているという感じ。
その中にはBクラスやCクラスなどの他クラスの女子のほか、上級生の姿も見て取れた。
俺は「何かあったのかな?」と軽い気持ちで教室に入ろうとしたのだが、
「あれが加賀見律だ!」
「来た! あいつだ!」
俺を見つけた瞬間、そんな人だかりが俺に向かって移動してきた。
「え、え……」
俺は状況がわからずその辺の人に状況説明を求めると、この人だかりは俺を目当てに集まったものらしい。
どうやら俺の50メートル走の話は、クラスを越え、いや学年を越えて広まってしまっていたようだ。
何人かの運動部と思しき男の先輩には、
「お前、めっちゃ速いらしいじゃん。今、帰宅部なんだろ? もしよければ陸上部入らないか?」
「いや、絶対野球の方が向いてるでしょ。その足なら盗塁王も夢じゃない」
と部活の勧誘をされ。
何人かの名前も知らない他クラスの女子からは、
「よかったらLINE交換してもらえませんか?」
「私もお願いします」
「これ、私のIDです」
とLINEの交換を迫られ。
入学の高校デビューの際に、一度このような状況は経験しているとはいえ、まさか50メートル走がきっかけでこんなことになるとは思っていなかった俺は、周りの反応に戸惑うしかなかった。
俺は昨日の出来事を「たかが足の速さ」と軽視していたが、事態は俺が想像していたよりも遥かに大きなことになっていたようだ。
正直、昨日は、自分が想像以上のタイムを出せたこと、山田に勝つことができたこと、水無月さんが応援してくれたことなどで気持ちがハイになっていたこともあり、自分の置かれている状況を省みる精神状態ではなかった。
でも、今更ながら冷静に考えてみると、確かに中学校に入学した時のスポーツテストでは、50メートルのタイムは学校の中ではかなり速いほうだった気がする。
けれど、うちの学校は田舎だったこともあって、周りの奴らもそれなりに足の速いやつらばかりだったし、俺は中学時代は一切運動をしていなかった。
それに加えて、俺は中学三年の体育祭でバトンを落として散々な負け方をしていたので、自分は全然ダメなのだと思っていたが……。
うちの高校は進学校であり、スポーツ特化の奴がそれほど多くなかったこと、運動不足だと思っていたが、中学まで毎日40分ほど歩いて通学していたため、想定よりも身体能力が落ちていなかったことという偶然が重なった結果、自身の想像を上回るタイムを出せてしまったようだ。
だからと言って、俺は部活などに所属するつもりは毛頭なかった。
確かに足は想像よりも速かったことは認めるが、球技が苦手なのは動かしがたい事実であるし、体力も50メートルはギリギリ保つことができたが、あれが100メートル、200メートルと続くものだったら、俺は確実に途中で倒れていたと思う。
それに何より、俺は容姿を改善することによりどうにか高校デビューを果たすことができたが、内面はまだまだ改善の余地があり、俺のコミュ力では集団行動なんてもってのほか。
何かしらのタイミングで俺が元陰キャであることが露呈する可能性が高まると思っていたのだ。
そんなこともあり、俺は部活の勧誘組には丁寧に断りを入れる。
「すみません。今回のタイムは偶々出たものですし、それに俺はバイトで学費を稼がなきゃいけないので部活をやるのはちょっと……」
そんな咄嗟の言い訳だったが、『学費を稼ぐ』という理由が結構大きかったのか、部活の勧誘組の先輩は落胆の表情を浮かべながらも、さすがに家庭の問題には踏み込めないなと思ったのか、これ以上粘ってくることはなかった。
一方のLINE組はと言うと……部活勧誘組のように何か理由を挙げて求めてきているならまだしも、純粋にLINEの交換を求められているだけだから何とも断りづらい。
本来なら水無月さんという彼女がいるからと断ればいいのだが、彼女との交際を隠している以上、それを理由にするわけにはいかない。
結局、断る理由が思い付かなかった俺は、言われるがままに何人かの女子とLINEを交換した。
こんなに多くの女子とLINEを交換したのは、高校デビューに成功した入学直後以来のことだったので、精神的にかなり疲れてしまった。
俺はふと気になって水無月さんの机の方に目をやるが、彼女は正面を向いて座り、一人で何かの本を読んでいるようだった。
そんな朝のゴタゴタも先生が教室に入ってきた瞬間にはパッと散ったため、俺は戻ってきた平穏に安堵の溜息をついた。
その後はもう部活の勧誘に来る生徒もLINEを聞いてくる生徒もいなかったし、もうすぐで初めての中間テストが始まるということで、クラスの話題は俺の50メートル走の話題から中間テストの話題へと移っていった。
そして昼休み。
「お前、マジですごい人気だったな」
赤也が俺の朝の出来事を揶揄うように話しかけてきた。
「部活の先輩はどうでもいいけど、あのLINE聞いてきた子達は皆お前に気があるってことだろ? マジで羨ましいわ~モテモテやん」
いや、どう考えてもお前の方がモテるだろ。この前だってめっちゃグラマーなお姉さんと一緒に歩いてたじゃんと口をついて出そうになるが、俺は朝の一件で披露困憊だったこともあり、脱力した感じに適当に返答する。
「正直戸惑いの方が大きすぎて、全然嬉しいなんて感情なかったよ。まさか足が速い程度でこんなことになると思ってなかったし」
そんな俺の反応に「わかってないな~」というジェスチャーをする赤也。
「足の速い奴がモテるのは小学校からの常識だろ? これから体育祭とかでお前が目立つことは間違いないんだし、将来性を考えても、あのLINEを聞いてきた子達の行動はむしろ合理的とも言えるぜ」
「……俺は投資物件かよ」
そんな打算みたいな恋愛はしたくないな~とボーッと考えていると、
「ねぇ、加賀見くん。今、大丈夫?」
突如、背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
聞き覚えのない声だったので、俺は何だろうと思いながら後ろを振り向く。
すると、そこにいたのは、クラスの中でもどちらかというと派手めなグループに属する女子――
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