§017 順調な落とし穴(柑奈視点)
律さんとの通話を切った私はパジャマ姿でベッドに横になります。
でも、残念ながらすぐには寝られそうにありません。
だって今日の会話は刺激が強すぎましたから。
どうにも心臓がドキドキしてしまって、静まるにはもう少し時間がかかりそうです。
私は先ほどのまでの会話を反芻します。
まず、今日最も大きなトピックとしては、何と言っても律さんの50メートル走でしょう。
律さんの50メートルの時の姿。
本当に……めちゃめちゃ……言葉にならないくらい……カッコよかったんです。
実のところ、私は律さんの足が速いことは知っていました。
確かに律さんは球技はダメダメです。
サッカーをすればドリブルができませんし、バスケをすればパスが投げれませんし、ソフトボールをすれば全部エラー。
もし、今日の体育の授業が球技だった場合は、女子からブーイングが起きるほどに凄惨たる結果を残していたでしょう。
でも、殊、短距離走においては話は別です。
最も印象に残っているのが、中学最後の体育祭のクラス対抗リレー。
これはクラス全員でバトンをつないでいく全員参加の競技なのですが、私はもちろん、律さんも参加していました。
私は鈍足でしたし、誰も期待などしてくれていなかったので、特に目立つこともなく無難に自分の時間を終えました。
一方の律さんの順番は、私よりも遥かに終盤だったこともあり、皆の注目を集めることになったんですが、不運なことに、律さんにバトンが回るタイミングでは、律さんのクラスは圧倒的なビリだったのです。
相当な奇跡が起きない限り、勝利はない。
そんな敗戦ムードの漂う中で、更に最悪なことに、律さんはバトンを落としまったのです。
こうして負けを決定付けてしまった律さんのクラスは、当然の如く、ダントツの最下位。
勝負事ですので、それはそれで仕方ないのですが、律さんのクラスは「負けたのはお前のせいだ」とその責任を全て律さんに押しつけたのです。
しかし、律さんを注視していた私はすぐに気付きました。
あれは律さんが落としたのではなく、バトンを渡す側の女の子がわざとバトンを落としたのだと……。
もちろんその真偽はわかりません。
でも、結果として、この後、律さんが戦犯のような扱いを受けていたのを見ると、どうしてもあの子が負けの原因を律さんに押しつけようとしていたのではないかと勘ぐってしまうのです。
けれど、私が今言いたいのはこの点ではありません。
その後、バトンを拾った律さんはものすごいスピードで他のクラスを猛追したのです。
律さんのクラスは敗戦ムード、私達のクラスは最下位のクラスなど見向きもしておらず、しかも、追いつくには距離が離れすぎていたために誰もそのすごさに気付きませんでしたが、律さんを常に目で追っていた私だけはちゃんと気付きました。
ああ、律さんは足が速いんだな……と。
律さんは運動部に所属していませんでしたし、こうやって短距離を走るのも体育祭くらいのものなので、律さんは自分の速さを自覚していなかったのでしょう。
私しか知らない秘密を皆に知られてしまうのは少しだけ惜しいなという気持ちはありましたが、皆さんにも律さんのすごさを認めてほしいという気持ちが勝ったのだと思います。
私は気付いた時には、他の女子に混ざって応援の声を発していました。
授業の後、クラスの女の子に「加賀見くんのことめっちゃ応援してたじゃん」って揶揄われて、ちょっと目立ちすぎたかなと反省はしていたのですが、律さんも「迷惑なんかじゃない」と言ってくれましたし、何よりも律さんが嬉しそうだったので、応援してよかったなと今では思っています。
次に、印象に残った会話は……やっぱり「タイプ」の話でしょうか。
最初は山田さんの話をしていたと思ったら、いつの間にか私のタイプの話になっているし、律さんも意地悪だなと思いましたよ。
だって言えるわけないじゃないですか。
私のタイプは……ドンピシャで律さんなのですから。
もちろん律さんの顔はカッコイイと思っています。
でも、何より私は律さんの純粋で、優しくて、気遣いができて、頑張り屋さんなところが大好きなのです。
でも、それを律さんに話してしまったら、さすがの鈍感な律さんだって自分のことを言われていることに気付くわけじゃないですか。
そうなると、私が律さんのことを大好きなのがバレてしまうわけじゃないですか。
さすがにそれは恥ずかしすぎるので……「優しい人」と濁しておきました。
あ、最後にもう一つ。
今日、一番安心したのは、『律さんが白薙さんのような女の子はタイプじゃなかった』ということです。
知ってのとおり、私は元根暗女子。
いくら容姿が変わろうと、自分に自信など持てるわけもなく、心の中は常に不安でいっぱいです。
だからこそ、卑屈だなと自分でもわかっているのですが、周りに一際輝く存在がいると、どうしても自分と比べてしまうのです。
今回の白薙さんがまさにそうでした。
彼女は明るくはつらつとしていて、山田さんと付き合っているということを隠すことなく自信を持って応援してまさに太陽のような子だなと思いました。
他方の私は律さんと付き合っているのに、「頑張って」の一言も言えない根暗女子。
どちらが魅力的かどうかは火を見るより明らかです。
私は山田さんの一件もあって、偶々、意中の律さんと付き合うことができましたが、もし、私と付き合うよりも先に白薙さんが律さんに告白するようなタイミングがあったら、私では太刀打ちができなかっただろうなとどうしても思ってしまうのです。
実際、律さんは元陰キャとはいえ、今は、完全に高校デビューに成功したカースト上位の陽キャイケメンです。
なので、もしかしたら、律さんも白薙さんのような派手目なタイプが好きなのかなと勘ぐってしまっていたので……。
――いやぁ……ギャルだな。
この言葉を聞いて、心底安心しました。
だって律さんの感想は私が白薙さんに対して抱いた感想と全く同じだったのですから。
それに加えて、体操服の話の時も、律さんは、クラスの男子達が私のことをいやらしい目で見ていることに対して、私が『彼女だから』不快感を感じたと言ってくれましたし、律さんも私のことをしっかりと彼女と認識してくれているのだと思うと、私の胸はポカポカしました。
こんな律さんの言葉一つ一つで一喜一憂して、私は本当にチョロい女だなという自覚があります。
でも、恋は盲目。
好きになってしまったんだからしょうがないじゃないですか……。
律さんと付き合って、もう少しで2週間ほどになります。
この2週間、律さんとは今日みたいにLINEでたまに通話もしてますし、一緒に帰ったりと簡易的なデートのようなことをしています。
恋愛経験0の私が言っても説得力がないのかもしれませんが、私達の初めてのお付き合いは非常に順調だと個人的には思っています。
でも……順調な時ほど落とし穴があることを私は知っています。
――お前みたいな暗いやつを誰が好きになるか、ブス。
この言葉だって、私にとっては順調のど真ん中で言われた言葉なのですから。
一つの出来事がきっかけで……一つの言葉がきっかけで……急転直下な展開を迎えることだって往々にしてあるのです。
そこまで考えて、律さんが何の気なしに紡いだであろう最後に言葉を思い出しました。
――今のパフォーマンスを維持するには続けるしかないんだよね。
筋トレが日課になっていると律さんはただそれだけの意味合いで言ったのだと思うのですが、私はどうしても不安になってしまうのです。
既に高校デビューに成功し、恋人もできた。
それなのに……なぜ今でも努力を続ける必要があるのだろう……と。
「律さんは……女子にもっとモテたいと思ってるのかな……」
私はギュッと唇を噛みしめます。
「……それだったら、やだな」
私はそんな心の片隅にあった愚痴を一言こぼして、部屋の電気を消してゆっくりと目を閉じました。
しかし、私の意識がまどろみに消えたのは、それから時計の針が2周ほどをした頃のことでした。
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