§015 体育の授業②

 ――俺の隣には山田がいた。


 俺はこの瞬間に、初めて『山田』という人物を『山田』として認識するのだが、俺の作り物の容姿と違い、生まれたその時から次元が違うと思わされるほどの完成されたイケメンだった。


 超絶小顔に、端整な顔立ち。


 身長はおそらく185センチくらいで、俺とは10センチほどの差がある。


 肩幅も広く、さすがはバスケ部の特待生という風格だ。


 やや切れ長の目をしているため、人当たりがよく人懐っこい犬系男子という感じではないが、クールな風貌だからこそ成り立つ圧倒的な存在感というものがあった。


 いや~こりゃモテるよな、とそんな人並みの感想を抱きながら山田を観察していると、ふとした瞬間、山田がこちらを睨んだような気がした。


 俺は「やべっ」っと思って、反射的に視線を逸らす。


 そして、今更ながら気付いた。


 山田は水無月さんに振られているんだから、その彼氏である俺のことをよく思ってない可能性だって十分あることに。


 正直、山田のことは気に入らない。


 山田は水無月さんに対してかなり強引な告白をしているし、そもそも論として、一日に水無月さんと白薙さんの両者に告白したというのは不誠実だ。


 けれど、あの日以降、山田は水無月さんに接触していないようだし、俺と水無月さんが付き合っているという事実も学校に広まっているわけではない。


 現段階では実害が出ていないとも言えるので、とりあえず我関せずでいこうと、俺は山田から視線を逸らした。


 そんなことを考えていると、前の列が進み、段々と俺達の順番が近付いてくる。


 その時、


「山田くん、めっちゃ応援してる!」


 と、明るくはつらつとした女子の声がグラウンドに木霊した。


 声の主は白薙さんだった。


 そんな彼女の声に応えるように山田が手を振り返すと、白薙さんはまるで「山田は自分の彼氏だから」というのをアピールするかのように、もう一度、大きな声で「頑張って!」と叫んだ。


 女子はそれまで走り幅跳びをしていたようだが、ちょうど別競技への移動になったみたいで、山田と白薙さんのそんなやり取りをきっかけに、他の女子達もこちらに注目する。


 当然のことながら、そんな女子の中には水無月さんもいる。


 この状況に山田以外のおちゃらけ系のモブ男子達は、


「これ、いいところ見せるチャンスじゃね?」

「やべ~、女子が見てると思うとめっちゃ力湧いてくるんだけど」


 と調子のいいことを言っている。


 しかし、当の俺は気が気ではなかった。


 ……彼女である水無月さんが見ている。

 ……しかも山田と一緒に走ることになるから惨めさ倍増。

 ……やべぇ。早く女子達どっか行かないかな。


 そんな俺の願いも虚しく、順調に俺達の順番が回ってきた。


「はい、最後の列。位置につけ」


 先生から声がかかり一歩前に出るが、どうにも顔が強ばってしまう。


 そんなガチガチの俺を見た赤也が、心配して声をかけてきた。


「お前、そんなに走るの自信ない感じ? 雰囲気的にスポーツできそうじゃん」


 赤也は俺が高校デビューの元陰キャオタクであることを知らないからこんなことが言えるのだ。


 当然、俺は中学時代は部活に入っていなかったし、体育の授業は球技が多かったのだが、ドリブルできないわ、パスもまともに投げられないわで、結局、グラウンドの隅で試合の邪魔をしないようにポツンと立っているのが大半だった。


 体育祭は一応出場していたが、陰キャオタクに人権が認められるわけもなく、リレーとかは蚊帳の外。


 唯一、走ることのできるクラス全員参加の対抗リレーでも、俺がバトンを落としてしまってダントツのビリ。


 ……そんな俺が走るのが得意なわけがないじゃないか。


 でも、これをまともに返してしまうと、俺の高校デビュー列伝が揺らぎかねないので、イメージを壊さないように適当な嘘を混ぜる。


「いや~、中学の時に足を痛めちゃって、そこから全然走ってないんだよね。だから50メートルは正直自信ないかな」


 そんな俺の言葉を聞いて、ふぅ~んと鼻を鳴らす赤也。


「まあ、俺達はスポーツ特待生ってわけでもないし、転ばない程度に走ればいいんじゃね。どうせ山田には勝てないんだし。あいつ、50メートル6.5だっていうから」


 正直、運動に縁がなさ過ぎて、「6.5」というのがどれくらいすごいのかわからなかったが、赤也の語感的に山田の足が速いことだけはわかった。


 俺は赤也の言葉のとおり、転ばないことだけに意識を集中することに決め、スタートラインに付く。


 スタートラインにはクラウチングスタート用の機械が用意されていて、使い方がイマイチわからなかったが、適当に操作して足を乗せる。


 チラリと女子の方を見ると、水無月さんが願うように胸の前で手を組み、心配そうな表情でこちらを見ているのが見えた。


 ……そんな顔で見ないでくれよ。

 ……水無月さんは俺が元陰キャオタクなの知ってるだろ。

 ……スポーツなんかできるわけないじゃないか。


「山田くん、絶対勝ってね!」


 ここでもう一度、白薙さんの声が聞こえた。


 まるでチアガールのようにテンションの高い白薙さんに辟易しつつ、「ああ、もうどうにでもなれ」という投げやりな気持ちもあり、俺は聴覚を遮断するイメージでゆっくりと目を瞑った。


「……位置について。よーい」


 全ての喧騒が消え、一瞬の静寂の後……。


(パンッ!)


「――加賀見くん! 頑張って!」


 スタートを告げる空砲と同時に、そんな言葉が俺の耳に届いたような気がした。


 低い姿勢から段々と身体を起こし、視野が思いっきり広がる。


 すると、そこには男子の50メートル走を応援するたくさんの女子。


 その中には、水無月さんの姿もあった。


 これは只の体育の授業。

 そこまで頑張るものでも無ければ、勝敗が付くものでもない。

 全力でやる方がむしろかっこ悪いかもしれない。


 でも……。


「――加賀見くんっ! 頑張って!」


 そんな声がもう一度聞こえた気がした。


 気付いたら俺は無我夢中でゴールを駆け抜けていた。


「え、なにこれ、速っ!」

「山田、負けてるじゃん」

「あの子、何部の人?」


 そんな声が口々に呟かれたが、俺の耳には入らず。


 俺は「はぁはぁ」と息を切らしながら、只々、彼女が立っていた方に向き直っていた。


 俺の視線に気付いた彼女は、普段の控えめな笑みとは真逆な勝ち気な笑みを見せると、俺にしかわからないような小さな動作で、親指を立ててグーサインをしてくれた。


「え」


 この時初めて、俺が山田に勝ったことに気付いた。


 後々聞いたところによると、俺の50メートルの記録は『6.3』。


 うちの学年の中で最も速いタイムだったとのことだ。








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