§013 タイミング

 どういうわけか水無月さんが俺のことをチラチラと見てくる日があった。


 水無月さんの席は窓側の前から二番目。

 対する俺の席は真ん中の一番後ろだ。


 つまり、俺からは水無月さんの動向は丸見えであり、俺は普段の授業中はボォ~っと水無月さんを眺めていることが多いのだが、この日の水無月さんはいつもと様子が違った。


 どういうわけか授業中も休み時間も俺の方を気にする素振りをして、チラチラとこちらに視線を向けてくるのだ。


 本当に一瞬のふとした動作であるため、彼女ももしかしたら無意識なのかもしれないが、普段から水無月さんの動向を気に懸けている俺としては、違和感を拭いきれなかった。


 ……俺、何かしちゃったかな。


 そんな不安感が俺の感情を満たし、どうにも授業に集中することができなかった。


 休み時間。


 気分転換にトイレでも行くかな~と席を立ち、廊下に出ると、


「律さん」


 後ろから聞き覚えのある声がした。


 でも、それがあまりにも珍しいタイミングだったものだから、俺は驚いてすぐさま向き直ると、そこには予想通り水無月さんが立っていた。


「あれ? 水無月さん?」


 学校では付き合っていることがバレないように極力話しかけないようにしているはずだが、もしかしたら何か急用だろうか。


「何かあった?」


 俺は周りの視線を気にしながら言葉を重ねると、水無月さんも一瞬周りを気にする素振りをして、俺にしか聞こえない小声で呟いた。


「あの、ちょっと渡したいものがあるので、ついてきてくれますか?」


 そう言うと先導するように歩き始める水無月さん。


 正直、「なんだろう」という思いが強く、俺は少し距離を取りながら彼女についていく。


 案内された場所は、誰もいない階段の踊り場だった。


 水無月さんはそこまで来て、「ここならいいかな」と呟くと、ブレザーのポケットから小さな包みを取り出した。


「あの、これ作ったので、よかったら食べてください」


「え、」


 彼女から差し出されたのは、袋詰めされたクッキーだった。


 俺は彼女からそれを受け取って中を見ると、ハートや星形の色とりどりのクッキーがぎっしりと詰まっており、更には『加賀見くんへ』と書かれたネームプレートも入っていた。


 俺はそんなサプライズイベントに思わず水無月さんに視線を向けると、頬を赤らめてもじもじしながら立つ彼女の姿があった。


 ……やばっ。クッキーとか初めてもらったし、その恥じらっている姿もめちゃくちゃ可愛い。


 そんな素直な感想を抱くと同時に、これで水無月さんの今日の行動の不自然さにも合点がいった。


 彼女は俺にクッキーを渡すタイミングを窺ってくれていたのだ。


 なんとなく俺にも経験があるからわかる。

 何かの目的があると、それに意識がいってしまい、その他のことが上の空になってずっと気にしてしまう現象だ。


「ありがとう。水無月さんが今日ちょくちょく振り返ってたのはそういうことだったんだね」


「……あ、え」


 照れ隠しと共感から出た言葉だったが、どうやら俺のほうを振り返っていたのはどうやら無意識のことだったようで、俺の言葉を聞いた水無月さんの顔は見る見るうちに真っ赤になり、最後にはサッと顔を伏せた。


「……すみません。帰り際にでも渡そうかなと思っていたんですが、今日はピアノの習い事があったのを思い出して。でもどこかのタイミングで渡さなきゃと思って……」


 そこまで言った彼女は顔を赤くしたまま、更に小声にで言った。


「……それに仕方ないじゃないですか。誰かのためにお菓子を作ったのは生まれて初めてだったんですから。緊張ぐらいしますよ」


 そんな水無月さんから漏れた不貞腐れたような口調に、俺もつい顔を赤くしてしまう。


「デリカシーがないこと言って俺の方こそごめん。……実は俺も女の子からお菓子をもらうのなんて初めてだったから……なんかテンパちゃって。照れ隠しに変なことを口走っちゃったんだ。本当はめちゃくちゃ嬉しかった」


 そこまで言うと、水無月さんはほんの少しだけ視線を上げて、でもまだ拗ねたように口を尖らせる。


「……ちゃんと食べたら感想ください。今日中にLINEくれなかったら明日はもう口を利きません」


「絶対! 絶対感想送るから!」


 そんな必死の俺に機嫌を直してくれたのか、水無月さんはくすりと微笑んだ。


「黒いのがチョコ、茶色いのが紅茶味です。味は保証しません!」


 そうして言い切った水無月さんの笑顔が可愛くて、ついここが学校だと言うことも忘れて彼女との会話を楽しんでしまった。


 そして、予鈴が鳴り、俺と水無月さんは時間差で教室へと戻った。


「お前、トイレ長過ぎじゃね?」


 そう言って疑いの表情を見せてくる赤也。


「うっせ。近くのトイレは混んでたから別の階のトイレまで行ってたんだよ」


「ふぅ~ん」


 どう考えても納得のいっていない感じだったが、俺はどうにか誤魔化して、皆にバレないようにクッキーの包みをブレザーのポケットから鞄に移した。


 その際に中に入っていたネームプレートの文字が見えたのだが……。


 ……あれ? 水無月さんって俺のこと普段は『律さん』って呼んでるよな? なんでこれは『加賀見くん』って書いてあるんだろ。


 そんな疑問が一瞬頭を過ったが、先生の「授業を始めるぞ~」という声で、いつしかそんな疑問は忘れてしまっていた。


 ちなみに水無月さんのクッキーは本当に美味しすぎて一瞬にして平らげてしまった。


 作ってから時間が経っているはずなのにサクサク感が健在であり、お菓子作りの初心者が作ったという感じはまるで無く、水無月さんはおそらく結構な頻度でお菓子作りをしているんだろうなと思わせるものだった。


 そんな感想を水無月さんに伝えると、彼女からもすぐに返信があった。


「(水無月)喜んでもらえてよかったです。また作りますね(^_^)」


 そこから今日のピアノはどうだったとか、明日は初めての男女合同の体育があるね~とか他愛もない会話を何通かして、お互いに寝ることにした。


 俺はベッドに横になってふと思う。


「……俺も何かお返ししなきゃだよな」


 でも……クッキーに対するお返しって何がいいんだろ。


 高価な物だと逆に気を遣わせちゃうし、だからといって男の手作りのものなんで欲しくないだろうし……。


 え、マジで何をあげればいいんだろ。


 そうして、悩みに悩んでしまった俺は、結局一睡もできずに学校に行くことになるのであった。



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