§008 告白
俺は彼女から指定された場所に行くと、そこはブランコとベンチしかない住宅街にひっそりと佇む公園だった。
水無月さんは既に到着しており、一人ブランコに腰掛けていた。
俺は水無月さんに声をかけ、そのままブランコを囲うレール柵に腰を下ろした。
彼女にそっと目を向けると、纏うオーラは暗い。
でも、前回の入学式の日の「申し訳ない」という感じとは異なり、何というか、何かに怯えて縮こまってしまっているような感じだ。
話は昼間に赤也から聞いた『山田の告白』の件だろうと見当は付いていた。
きっと彼女は山田と付き合うことになったのだろう。
聞いているところによると、山田という男は、運動神経抜群の長身イケメン。
まさに高校デビューを果たした水無月さんに釣り合う存在と言えるからだ。
でも、それにしては、彼女から全然ハッピーなオーラが出ていないのはなぜだろうか。
俺に対して何かしらの感情を抱いているのだろうか。
例えば、山田と付き合ったことについて、『なんで俺と付き合わなかった!』と叱責されることを恐れているとか……。
もしそう思われているなら全くの誤解であり、申し訳なさすぎるので、変に気を遣わせないよう、今回は俺から水を向けてみることにした。
「話したいことって山田……のことか?」
それまで沈黙を守っていた水無月さんは、驚いたようにハッと顔を上げた。
「……え、どうしてわかるんですか?」
「いや、噂になってたからさ。隣のクラスの山田が水無月さんに告白するって」
「……そうだったんですね」
どうやら彼女は噂になっていること自体知らなかったようだ。
少なからずショックを受けている様子で、また暗く視線を落とした。
「それで……付き合うことになったんだろ? おめでとう。これで水無月さんも本格的に高校デビュー成功だな」
俺は精一杯の強がりで彼女に祝福の言葉を送る。
しかし、彼女は俺の言葉を受けて、事態を飲み込めていない表情を浮かべた。
「え、どういうことですか? 私、山田さんと付き合いませんよ」
「え、」
俺は梯子を外されたような感覚に陥り、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「え、でも、話したいことって山田と付き合うってことじゃないのか?」
その言葉に彼女は首を横に振る。
「山田さんに関連することではありますけど、付き合うとかそういう話じゃありません。私、山田さんからの告白はちゃんとお断りしましたので」
「……え」
そこまで聞いて、嫌な予感が俺の脳裏を過った。
どうして彼女がこんなにも暗く、怯えたような表情を浮かべていたのか。
「山田に……何かされたのか?」
その言葉に彼女はコクリと頷いて視線を落とすと、事の顛末を話し始めた。
まとめると、彼女は今日の放課後、山田に校舎裏に呼び出されて告白を受けたとのことだ。
しかし、山田とはレクリエーションの際に少し話したことのある程度の関係で、彼女にとってみれば顔と名前が一致する程度だったようだ。
もしかしたら山田はそれなりに知名度があると思っていたのかもしれないが、彼女にとってみれば、「えっと誰だっけ?」みたいな人からの告白が最近多いようで、入学してから既に彼女に告白した男子は五人目だという。
当然、彼女もそんなどこの誰かもわからない男と付き合うつもりはないとのことだが、変に期待を持たせるのも申し訳ないという彼女なりの配慮から、今までは「ごめんなさい」と一刀両断する断り方をしていたようだ。
そんなあまりにも清々しい断り口に、ああ、見込みすらないんだな……と、今までの男はすぐに引いてくれたらしいが……。
「山田さんはどうにも私の断り方が気に入らなかったみたいで、声を荒げながら私に迫ってきたのです」
そうして当時の状況を絞り出すように話す彼女。
俺はそんな彼女の華奢な肩が小刻みに震えていることに気付いた。
そりゃそうだ。
最近は学校での女神様である彼女を見慣れていたが、本当の彼女は、自分に自信が無くて、引っ込み思案で、本当は泣き虫な普通の女の子なのだ。
そんな彼女が、バスケ部でエースを張れるような長身の男に迫られたとあっては、その恐怖は察するに余りある。
俺の中に山田への怒りが沸々と込みあげてくるのを感じていた。
しかし、この話にはまだ続きがあった。
「そんな迫ってくる山田さんが本当に怖くて……それで気付いたら叫んでしまっていたのです。――私、彼氏がいます!って」
「え、」
「もちろんその場凌ぎの嘘です。そう言えば、さすがの山田さんでも諦めてくれるかなと思って。でも山田さんは諦めてくるどころか、更に逆上して『彼氏は誰だ』って恫喝してきて……それで私は咄嗟に口にしてしまったのです。――律さんの名前を」
どうやら俺の知名度は思ったよりも高かったみたいで、この言葉で山田は引いてくれたらしい。
そこまで言うと、彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
その目からはボロボロと涙が零れ落ちており、顔はぐしゃぐしゃで、それでも必死に唇を噛みしめながら俺に謝罪の言葉を口にしてきた。
「……本当にごめんなさい、律さんまで巻き込んでしまって。本当に本当にごめんなさい」
彼女は繰り返し、そう呟いた。
正直なところ、処理しなければいけない情報が多すぎて、俺の脳は既にキャパオーバーを迎えていた。
だからこそ、理性ではなく、感情で最も強く思うことがあった。
――彼女はこんなにも怖い目にあっているのに、どうして俺の心配なんてしているんだ。
そうして、気付いたら俺は、彼女のことを抱き締めていた。
「……ぇ」
その突然の行動に、大粒の涙を流していた水無月さんからも小さく吐息が漏れる。
それでも俺は腕の力を強め、更に彼女を抱き寄せた。
これは彼女がホテルで泣いている時は出来なかった行動だった。
「……水無月さんは悪くないよ。悪いのは全て山田ってやつだ。だからそんなに謝らないでほしい。俺なんかでよければ、彼氏の振りでも何でもするから」
しかし、俺の言葉に水無月さんは必死に首を横に振る。
「ダメです。律さんを巻き込むわけにはいきません。山田さんには明日事情を説明してわかっていただきます。でも、やっぱり律さんには話しておかないといけないと思っただけで……私、そんなつもりで律さんを呼び出したわけでは……」
「でも、もし君に彼氏がいないとわかったら、その山田って男はきっとまた水無月さんに付き纏うよ」
「……それはそうかもしれませんが」
「それに噂というのは想像以上に広まるもので、おそらくだけど、明日には俺と水無月さんが付き合っているという噂は学校中に広まっていると思う。に学年のアイドル水無月さんのこととあっては、皆、興味津々だろうし。だから……水無月さんさえ迷惑じゃなければ……俺を利用してもいいよ」
「め、迷惑だなんて……私は律さんであれば……」
そこまで口にして、わずかな逡巡を見せる彼女。
「……あの、律さん。今まで彼女っていたことありますか?」
「え、いや無いけど」
その言葉に水無月さんはコクリと唾を飲む。
「そんな大切な初めてが……私でよろしいんですか?」
彼女の透き通るような漆黒の瞳が期待と不安に揺れ、自然と、二人の視線が交差する。
肌寒くなってきた風が公園を吹き抜け、彼女の墨を落としたような黒髪をさらさらと揺らした。
そして、わずかな沈黙の末――
「水無月さん、俺と付き合ってください」
――俺は人生で初めて、告白をした。
そんな俺の言葉に、彼女の大きな瞳が更に大きく見開かれる。
しかし、そんな驚きの表情も次第に、多幸感に満ちた微笑みへと変わる。
その表情は、彼女が入学式の帰り道に見せてくれた、俺がこの世で一番好きな眩しいほどの笑顔だった。
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
こうして、俺と水無月さんは恋人になった。
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