§006 帰り道

 俺は入学初日の帰り道、水無月さんと人目の付かない場所で落ち合うことにしていた。


 さすがにあの事態はまずいということで、急遽、打合せを行うことになったのだ。


「ごめんなさい。私、律さんと知り合いのことをうっかりしゃべってしまって……」


 待ち合わせ場所に姿を現した水無月さんは開口一番に謝罪を口にした。


 責任を感じているのか、既に涙目になっている水無月さんをなだめつつ、事の経緯を説明してもらった。


 水無月さんの話によると、彼女を取り囲んでいた女子の何人かがをしてきたようで、その時に反射的に「律さん」と呼んでしまったのが事の発端だという。


 そんな一言に目ざとくも反応した女子達に「知り合いなの?」、「紹介して」と猛追を受けた水無月さんは、混乱して、結局、俺のところまで彼女達を案内してしまったようだ。


 そこからの炎上を止めるのは、本当に骨の折れる作業であった。


「え、加賀見と水無月さんって知り合いなの? やばっ! やっぱ美男美女って引かれあうんだ」

「『律さん』って……どういう関係? 同じ中学とか? もしかして二人は付き合ってるの?」

「あ、オレ、加賀見の友達! 水無月さん、オレとも仲良くしようぜ!」


 俺と水無月さんが知り合いであると知るや否や、まるでアイドルのスキャンダルをキャッチしたパパラッチの如く、質問攻めをしてくるクラスメイト。


 頃合いで予鈴が鳴ったため、どうにか追及を回避することはできたが、さすがに何かしらの意思疎通をしなければと、放課後、俺が彼女を誘ったというわけだ。


 まあ、見たところ、彼女も反省しているようだし、彼女の控えめな性格を知っているからこそ悪気が無かったのはよくわかる。


 なので、俺は彼女を責める気など毛頭なかった。


「そんなに謝らないで。高校デビューであることがバレてしまったならかなりの痛手だけど、元々、俺達が知り合いであることを隠すという約束はしていなかったはずだし、別に水無月さんが責任を感じることはないよ。だからもう顔を上げてこれからのことを話し合おう」


 その言葉を聞いて、まだ涙目ながらも少しだけ顔を上げる彼女。


「……律さんはやっぱり優しいですね」


 そうして、俺達は帰りの道すがら、今後の対策を話し合うことになった。


 幸いなことに、今、クラスに広がっている情報は俺と水無月さんが知り合いであることのみ。


 だから、何かしら俺と水無月さんに接点のようなものが存在すればこの問題は解決するのだが……。


「あ、例えば、塾が同じだったとかにすればいいんじゃないのかな?」


「……私、独学で勉強していたので、塾のことを追及されたら誤魔化せる自信がないです」


「うぅ~ん、じゃあ部活とかは?」


「……すみません。私は帰宅部だったので、部活の話題は……」


 接点すら見つけられないのはコミュニティの狭い陰キャの苦しいところである。


 どうにも行き詰まりを見せていると、水無月さんの方から提案があった。


「律さんは千葉県の八街やちまたの中学校出身ですよね?」


 千葉県八街やちまた市は、千葉県の北部に位置し、千葉県内でもこの漢字を読めるのはそう多くないという、低知名度のいわゆる田舎の市だ。


 ちなみに東京までは約2時間と決して通えない距離ではないのだが、俺は親の厚意で東京で一人暮らしをさせてもらっている。


 でも、あれ……?


「俺、水無月さんに八街やちまた出身って話したっけ?」


 そんな会話をした記憶がなかったので、俺は思わず小首を傾げてしまった。


「自己紹介で律さんが言ってた中学校が聞いたことある中学校だったので。実は私も八街やちまた出身なんですよ」


「え、マジ?」


 そんな衝撃的な告白に俺は感嘆の声を上げてしまった。


「じゃあ八街やちまたのイオンとか行ったことある感じ?」


「もちろんですよ。 ほら、あのなんか犬みたいな名前の雑貨屋さん。あそことか特に買うものが無くてもよく行ってました」


「あ~ブルドッグでしょ? 俺もよく行ってた」


「そうそう、それです。なんか同郷だと親近感が湧きますよね」


 これは本当にそのとおり。

 地元の話題が出来るというだけで、変な親近感が湧いてくるのは人間の性なのだろう。


 もし、これが高校デビューという秘密を共有していない人だった場合は冷や汗ものだったこと間違いないが、水無月さんとなら地元トークがいくらでもできそうな気がしていた。


 地元トークにより、水無月さんも元気を取り戻しつつあるようだったので、もう少し地元トークを続けてもよかったのだが、時間は有限なので、話を元に戻す。


「じゃあ俺と水無月さんは同郷出身の知り合いということでいいかな?」


「はい。私はそれが一番かなと思っています。自己紹介を聞いていたところ、私達以外に八街やちまた出身の人はいないようでしたので、おそらく大丈夫かと」


 田舎出身であることを感謝したのは今日が初めてかもしれない。


 どうやら彼女も彼女なりにいろいろと考えてくれていたみたいだ。


 こうして、ひとしきり打合せを終えたところで、俺達は電車に乗る。

 そして、今日の総括として、最も根本的な感想を述べる。


「それにしても運命って本当にあるものなんだな。この広い東京でまさか水無月さんと同じ学校になるなんて」


「それは私も思いました。入学式の時に律さんと同じクラスであるとわかった時は心臓が止まりそうになりましたもん」


 同じクラス?


 まるで同じ学校になることはわかっていたような言い方だなと違和感を覚えたが、あくまで言葉尻の問題だろうと流す。


「まあ、何はともあれ、水無月さんが高校デビューに成功できたみたいでよかったよ。マジですごい人気だったじゃん。常に水無月さんの周りには人がいる感じで」


 そう言うとつり革に捕まった彼女は、少し照れた表情を浮かべる。


「いえ、高校デビューに成功できたのは勇気をくださった律さんのおかげですよ。私一人じゃ多分昨日の時点で挫折してしまっていたと思いますし……」


 水無月さんはそう言うが、決して傲らずに常に謙虚な姿勢が彼女の人気に拍車をかけているのはまず間違いないと思った。


「それに律さんも十分に高校デビューを果たしていると思いますよ。クラスの女の子も『加賀見くんってカッコイイよね』と言ってる子が何人もいましたし。なんだか少し妬けちゃいました」


 え、マジ? とつい反応してしまいそうな単語が目白押しだったが、さすがに童貞丸出しなので、俺は少しおちゃらけた口調で返す。


「あんなにも女子に囲まれたのは初めての経験だったから、正直、どう対応したらいいか四苦八苦だったよ。マジでハウツー本読んでおいてよかったと思ったわ」


「え、ずるいです。今度私にもそのハウツー本貸してください。私、今日は全然うまい切り返しが見つからなくて、笑って誤魔化しちゃうことが多かったので。あ、あと、トイレに行くタイミングが一番難しかったかもしれないです」


「あ、それめっちゃわかるわ。陰キャだった時代はトイレに行って時間潰すのがお家芸みたいなものだったのにな」


「確かに!」


 こうして、ひとしきり昔話などに華を咲かせた後、俺は少しトーンを落としてしみじみと言った。


「それにしても俺達がここまで変われるとは思わなかったよな」


「ですね。私もまだ夢心地な気分ですよ」


 そこで一度言葉を切った水無月さんだったが、ほんのりと視線を落とすと、更に声のトーンを落として言った。


「……今日、こうやって律さんと話せてよかったです」


 感慨深げな声音を出す彼女に、俺は視線を向ける。


「……やっぱり高校デビューの自分はまだ慣れないので、こうして素を見せられる方が一人でもいると思えると……なんていうか……とても安心します」


 そうして彼女は学校で見せる余所行きの笑みではない朗らかな笑みを浮かべた。


 俺はそんな彼女の笑顔に思わず見惚れそうになったが、高校デビューの自分になれないというのは全く同じ気持ちだったので、俺もその気持ちを素直に告げる。


「……俺も一緒だよ。だから、これからもたまにはこうやって素の俺達で話せるとありがたいかな」


 その言葉を聞くと、彼女は安堵したように、眩しいほどの笑みを更に深めた。


 そして、数刻の後、「じゃあ私はここなので」と言って、とある駅で彼女は下車した。


 そこは俺が一人暮らしをしている駅から3駅ほど離れた駅だった。


 水無月さんも八街やちまた出身ということだし、さすがに通いは厳しいだろうなと思っていたが、案の定、都内で一人暮らしをしているようだ。


 俺は水無月さんを車窓から見送ると、空いていた席にどっかりと腰を下ろし、ふぅと軽い溜息をつく。


 今日は本当にいろいろなことがあった。

 でも、結果だけ見れば万々歳な一日だった思う。


 明日からは普通の高校生活が始まるためまだまだ油断してはいけないのだが、今はどうにもこの気持ちを噛みしめたい気持ちでいっぱいだった。


 そういえば……と、水無月さんが最後に見せた表情を思い出す。


 高校デビューという作り物ではない、素の彼女の笑顔。


 学校での彼女ももちろん可愛かったが……。


「……俺はこっちの笑顔の方が断然好きだな」


 そう独り言ちると、俺はゆっくりと目を閉じた。


 こうして、俺は無事に最寄り駅を寝過ごし、人生で初めて終電を逃すというものを経験したのだった。

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