§005 高校デビュー

「皆さん、初めまして。千葉県の中学校出身の水無月柑奈みなづきかんなと申します。クラスの全員と友達になることが目標です。よろしくお願いしますね」


 そんな運命のいたずらに俺は只々笑うしかなかった。


 同じ高校、しかも同じクラスにいたのは、紛れもなく、俺が昨日渋谷でナンパをした――水無月さんだったのだ。 


 昨日とは打って変わって制服姿の彼女。


 黒色のブレザーに朱色のリボン。

 スカート丈はやや短めだが、その代わりにデニールの高めなタイツを履いている。


 皆、同じ制服を着ているはずなのに、彼女だけが輝いて見えるのは、彼女が纏うスター性によるものであろう。


 艶のある綺麗な黒髪は昨日と変わらないが、青色のインナーカラーはどうやらエクステだったようで今日は付けていない。


 インナーカラーの入っている水無月さんも遊び心がある感じで魅力的だと思ったが、黒髪ストレートロングの水無月さんはまさに清楚を体現したような淑やかさで、俺はどちらかといえば、こちらの方が好みだった。


 そんな控えめでありながらも、どうしても人目を引いてしまう彼女の容姿は、クラス(の特に男子)を一瞬にして魅了していた。


 彼女が自己紹介を続ける中、所々から「可愛すぎ」、「レベル高すぎ」、「マジ天使……」などの声が漏れ聞こえてくる。


 この時点でも、既にクラスのほとんどの男子の人心を掌握していた水無月さんだったが、それに加えて、先生からのダメ押しの一言。


「ちなみに水無月さんは新入生の首席合格者です」


 容姿端麗であることに加えて、成績優秀の完璧超人とあらば、男女問わず一目を置く結果となる。


 「おぉ~」という声が自然と教室内を満たしていく。


 この後、自己紹介をする人が不憫になるほどに、クラスの雰囲気は水無月さん一色に染まっていた。


 誰もが彼女に羨望の眼差しを向ける教室内。


 けれど、は、彼女を純粋な目で見ることが出来なかった。


 だってそうだろう。


 このクラスで唯一俺だけが――彼女が高校デビューの元陰キャオタクであることを知っているのだから。


 ♦♦♦


 自己紹介を終えた後、どうしてこのような結果になってしまったのだろうと、俺は水無月さんを遠目に見つめていた。


 俺は千葉県の中学校出身だ。

 でも、高校デビューをするならば、知り合いのいない学校に進学する必要があると、都内の私立高校を受験したのだ。


 自己紹介によると、水無月さんも千葉県出身のようだから、なかなかの確率で同じ高校に通うことになったことになる。


 それにしても彼女はすごい人気だ。


 先ほどから男女問わずたくさんのクラスメイトに取り囲まれ、引っ切りなしに質問を受けている。


 それにもかかわらず、これは彼女の長所と言えるところなのだと思うが、嫌な顔一つせずに、対応している。


 元陰キャということだしそれほどコミュ力が高い方ではないのだと思うが、多弁ではないが静かな笑みを湛えて丁寧に話す様は、彼女の清楚な容姿ともマッチしているように思えた。


 どうやら彼女の高校デビューは本格的に成功したようだ。


 まあ、俺と彼女が運命のいたずらにより同じ高校に通うことになってしまったという困惑の気持ちは置いておくとして、俺は彼女が無事に高校デビューを果たせたという事実に少なからず安堵の情を抱いていた。


 俺と彼女は昨日会ったばかりだし、時間にしてみれば、関わった期間はごく僅かだ。


 でも、その分、お互いに腹を割って話し、お互いに秘密を共有し、お互いに高校デビューを誓い合った仲であるからこそ、ある種の『情』のようなものが生まれているのだと思う。


 もちろん、俺は彼女のを暴露するつもりは毛頭ない。

 というか、昨日の出来事は二人だけの胸にしまって墓場まで持っていこうと心に決めている。


「おい、加賀見! 水無月さんのこと見過ぎ!」


「お、ああ。すまん。ちょっとボーッとしてた。で、部活の話だっけ?」



 あ、一応、俺の名誉のために言っておくが、俺の高校デビューもどうやら無事に成功したみたいだ。


 正直、同じクラスに水無月さんがいた衝撃で、一か月がかりで考えてきた自己紹介文は頭から吹っ飛んでしまったが、どうにかこうにか無難に自己紹介を終えた俺は、今、数人のに囲まれて話題の渦中にいる。


「その髪型、どこの美容院で切ってるの?」

「絶対彼女いるでしょ? めっちゃモテそうじゃん」

「身長高くね? 一緒にバスケ部入ろうぜ」


 もちろんクラスの話題の全てをかっさらった水無月さんと比べれば月とスッポンではあるが、空気だった中学時代の俺から考えれば人に話しかけてもらえるだけで大きな進歩だ。


 さて、俺はこれからどう立ち振る舞おうと思った。


 元より俺の目標は『高校デビューをすること』であって、自身のスクールカーストを標準以上にまで引き上げることができれば、それ以上を望んでいるわけではなかった。


 もちろん、自信をつけて好きだった人に告白するという最終目標は存在するが、これはあくまで気持ちの持ち様の問題だ。


 当然、自分磨きは続けるつもりだし、クラスのイベントなどには積極的に参加していくつもりではあるが、俺は現状の自分に満足しつつあった。


 それにいろいろと想定外なことが重なったが、俺は今後、水無月さんと積極的に関わるつもりはない。


 もちろんクラスメイトとして最低限の会話をすることにはなると思うが、昨日の渋谷での一幕が一場夢であるとするならば、俺と水無月さんが知り合いであるのはおかしいし、それ以上に【秘密】を共有していることが明るみに出るのもよくない。


 俺はアドリブに弱いタイプであることを自覚しているし、変に水無月さんと関わってボロを出してしまう方が余っ程リスクだと思った。


 そのため、俺は水無月さんとは一定の距離を置こうとしていたが……。


「あの……律さん」


「え、」


 頭上から鈴の音のような声が俺の名を呼んだ。


 驚いて顔を上げると、そこには数人の女子を引き連れて、気まずそうに俺を見つめる水無月さんの姿があった。




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