第3話 幼き幼初期の日々③

もっとも死後の世界なんておめでたい物を信じ崇めさせるだいたいの宗教と言う物が誕生する背景には今みたいにスマホや医薬品それに教育や文化なんかも未熟で無いまだ文明が未熟時代、飢饉や争いそれに病などと言った死が身近にはびこっていた時代に偉大でありがたい神や仏に縋り(すがり)崇め崇拝し死後は幸せな世界に行けるという教典(教え)を信じることにより生きる意味を失わず死を恐れる事無く前向きに生きる為の物だ。


また宗教学的概念でいうと経典に決まり事(戒律)を入れることによって病気の原因を絶ち生存率を上げる物まである。

イスラム教なんかが最たる例だ。イスラム教の教祖ムハンマドが唯一の神アッラーから啓示を受け設立したイスラム教の教えには豚を食べてはいけないと言う教えがある。

この教えは7世紀当時の時代背景を元に紐解いていくと医学水準が低い当時、豚は寄生虫(代表的なのは嚢虫症と言う有鉤嚢虫に寄生され起きる病気)やウイルス細菌を媒介させるという今では常識的な事がまだ解明されてないため病気で命を絶たれる者が立たたなかった。

そのため今ほど医学が発展してなかった為(当然薬と言う物がそもそも一般化していない)病気を防ぐ目的で経典に不浄なものと言う教えを入れたという話は有名だ。


医学が発展し今では一般的な抗生物質をフレミング(Alexander Fleming 1881年8月6日 - 1955年3月11日)が発見したのが1928年で、それまで同じものとされていた菌とウイルスがルーデンベルク(Reinhold Rudenberg 1883年2月4日 – 1961年12月25日)によって発明された電子顕微鏡により全く別な物と解明されたのが1931年。7世紀のそんな物があるわけなく、豚を食べたら死ぬという教えを経典に作ることで死者を減らすという目論見は当時としては非常に正しい判断と言えるだろう。


今は21世紀。私の死んだ祖母同様宗教を信じる人も多々いるし、中には不安定な精神を持ち病気や事故と言った出来事で窮地に追い込まれた時、神からの啓示を得た(と言う一種の妄想に過ぎない)ことで自分に対して万能感や真理を獲得し、自分を崇め崇拝させ支配し服従させ承認欲求に地位や名誉を得るために教祖と言う立場になるナルシストのエリート(俗に言うカリスマ性に目覚めた)みたいな人間もいる。

猿を売り歩く牧師から人民寺院の教祖にまで成り上がり、最後はガイアナで信者と共に死を遂げたジム・ジョーンズ(James Warren "Jim" Jones、1931年5月13日 - 1978年11月18日)や熊本の畳職人の息子として生まれ東京大学文科1類を目指すも挫折しミカンの皮から抽出した薬を売って薬事法で逮捕されたり数年後に傷害罪でも逮捕された後、青山の小さなビルの一室で開いたヨガ教室を起源にカルト的思想の宗教の皮をかぶったテロ集団を後に作る麻原彰晃(松本智津夫、1955年3月2日 - 2018年7月6日)なんかが代表的な例だ。

あいにく私は神を信じる側でも先ほど述べた人物見たく信じさせる側にも属さず、そもそもそういったものに対しては馬鹿らしいと一蹴りしてしまう人間だ。だから死の先は永遠の闇=無だと思っているが死後の世界なんて物があったらあったで面白そうだとは思う。

死ぬ手前の最後の楽しみがまさか死後の世界があるかないかの確認とはなんとも皮肉な物だ。


そんな私が生まれたとき、父とあの女、それに祖母は私が生まれた病院からは車で15分のところにある小さな団地の一室に住んでいた。その団地は部屋こそ小さいものの高度経済成長期にできただけあって非常に建物が密集しており大人でも初めて来ると迷うほどだ。

現に二年前の春ごろだろうか。

たまたまネットニュースを見ていたら取り壊されると知り一人ノスタルジックな気持ちに浸るため足をむやみに踏み入れた結果ノスタルジックな気分には浸れた物の見事に迷い頭の中ではノスタルジックな気分と歩きすぎによる筋肉痛による痛み、その二つの感覚がブレンドされ相殺された結果何とも言えない気分になった。今思えば笑い話だが人に言えるわけなくこうやって死ぬ間際だからこそ言えるわけであり恥ずかしい限りだ。

そんな団地に実は過去にも迷子になったことがある。

2歳になった頃だったか、ほとんど記憶にないが当時の私は何を思ったのか夕方あの女と買い物を終え団地についた時

「ママ三輪車に乗りたい」といい走って駐輪場に止めてある三輪車に乗りいつの間にか行方不明なってしまったそうだ。

秋風が吹き上げ赤く染まった落ち葉が吹く黄昏時の空の下、一人三輪車を漕ぎ続け気づけば迷子になった私はいくつもの夕日に染まった昭和の名残である団地をよそに一人三輪車で駆け回った。

うっすらとした記憶をたどってみても団地なだけあってとても広く一時間だろうか駆け回ったのは覚えている。

黄色く黄昏ていた空はやがて深い紺色に代わりあたりの気温も下がっていった。

月や夜空に散らばる星の瞬きが美しく団地を照らす中当時の私は帰ろうと

「ママ~,パパ~!」と泣き叫んでいたところあの女と父の通報で駆けつけていた警察官に「美晴ちゃんだね。もう大丈夫だよ」保護されたらしい。

あの時の保護された安心感と暗い闇中一人泣き叫ぶ非常に怖かった思い出は24年たった今でも覚えており恥ずかしい思い出だ。

そんな幼初期を通した26年の人生で私は果たして名前の由来みたいに素晴らしい人間に私はなれたのだろうか。団地で迷った一年後に死んでしまった祖母がまだ生きているのなら

「おばあちゃん、私って名前にふさわしいなれた?」と

聞いてみたかった。

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