第5話 駆け引き





俺はナチュラルアメリカンスピリットのメンソールの封を切り、タバコの頭を叩き一本取り出すと、百円ライターで火をつけて煙を吐き出す。


カマちゃんとジェニーはまだ眠っていた。

岸田の倉庫の二階は、長い事、足を踏み入れられる事も無く、埃っぽい空気が澱む様に充満していた。


「おい。カマちゃん、ジェニー、起きろ」


俺はタバコを咥えたまま、二人を揺さぶり起した。


「もう朝かよ…」


カマちゃんは目が開かない様子だった。


「やべえ…俺、仕込みしなきゃ…」


「馬鹿か…どこの世界に、朝から真面目に仕込みする不良がいるんだよ…」


ジェニーは笑っていた。

不良だった時間を、不良じゃなかった時間がはるかに超えた証拠だろう。

けど、俺たちはその時間を飛び越えて今、また不良としてここに居た。


「仕方ないな…オフクロに頼むよ」


カマちゃんは携帯電話を掴んで倉庫を出て行った。


城見も寝息を立てて眠っていた。

明け方までブツブツと何かを言っていたが、疲れて眠ったのだろう。


ジェニーの肩を叩いて、城見を指さした。

ジェニーは頷き、城見の肩を大きく揺さぶる。


「起きろ…城見」


城見はそのジェニーの声で飛び起き、無意識に後退った。


「勘弁してくれ…。俺は何も知らねえんだよ。もう全部話しただろ…」


「アンタ、会社と家に電話しとけ。心配してるかもしれないから…」


俺はジェニーに城見の携帯電話を渡した。


城見は口を開けて茫然としていた。

城見に家にはそのまま仕事に行くと言い、会社には体調不良で休むと電話させた。


「朝メシ買って来たぞ…」


カマちゃんは、コンビニのビニール袋を提げて帰って来た。


俺たちはカマちゃんの買って来たサンドイッチを食った。


「俺にも何か、食わせてくれないか…」


城見が情けない声を出していた。


カマちゃんは悪戯っぽく笑って、


「良いよ。ほら、口開けろ…」


そう言った。


城見がゆっくりと口を開けると、その口にカマちゃんはサンドイッチを放り込んでやった。


「どうだ、美味いか」


城見は物凄い勢いで貪る様に食っていた。


「もっと食うか…」


その声に城見は頷き、さっきよりも大きな口を開ける。

カマちゃんはニヤリと笑って、床に落ちていたタイヤの切れ端を城見の口に放り込むと、城見は噛み切れないタイヤの切れ端を必死に噛んでいた。

それを見て三人で笑っていた。


「で、次は何をするんだ」


「まず、奥さんの救出が最優先だろう」


俺は小さな声で二人に言った。


「まあ、見てろよ…。一網打尽にしてやるさ…」


俺は缶コーヒーをグビグビと一気に飲み干した。







「大口の契約が取れそうだ。一キロ準備出来るか」


俺が城見の携帯電話で岸田の息子にそうメールを入れると、すぐに返信が来た。


「西田さんに訊かないとわからない。しばらく待って下さい」


これで上手く西田を釣る事が出来る。


しばらくするとまたメールが入った。


「今日は四百グラムしか準備出来ないそうです。オヤジが百グラム程持っていると言うので五百かな」


岸田の息子からのメールを俺たちは見ながら笑っていた。

面白い程にシナリオ通りに乗って来る。


多分、その量になると、西田は自分で岸田の店にシャブを届けるだろう。

その西田を追えばジェニーの元嫁の居場所はわかる筈だ。


城見は自分の愛人をシャブ漬けにして、更にシャブ欲しさにその愛人を西田に売ったと言う。

城見は西田の隠れ家に遥は囲われているのだろうと言っていた。


「コイツ、何にも疑って無いんだろうな…」


カマちゃんは携帯電話の画面を覗き込んでいた。


「コイツは筋金入りだからな。けど、西田とコイツのオヤジはわからんな…」


俺は城見の携帯電話を閉じた。


俺は城見の携帯電話で再びメールを返した。


「先方に今日は五百でOKしてもらった。すぐに準備出来るか」


「西田さんが十二時なら大丈夫と言ってますので、その頃、店に来れますか」


「十二時は微妙だが、午後に必ず行く」


「了解しました」


岸田の息子は素直にシャブを手配している様だった。


オヤジが百グラムも持っているという事は、やはり西田とつるんでシャブを捌いてる主要人物は岸田本人という事になる。

息子は言わばパシリだろう。

岸田の情報はジェニーから聞いた。

しかし西田の情報が少な過ぎた。


「もう少し西田の情報は無いのか…」


俺は窓辺に立つジェニーに訊いた。


「そうだな…。多分、俺も見ていると思うんだけど、どれが西田かってのはわからない」


ジェニーは店で、何度か会っていると言うが、その男が西田かどうかは定かではないと言う。


「俺の考えてるヤツが西田なら、黒のキャデラックに乗って来る筈だ。身長の低い、いつもニット帽をかぶっている、目のギョロっとした男の筈なんだが…」


その情報が確かだという補償はなかった。


「いつも海産物を持って来るんだよ…。カキとか海老とかホタテとか…」


「海産物…」


ある程度のシャブを持ち込んでるのだ。

何かそういう荷物を運び込む必要はある。


「岸田は海産物が苦手で、食わないのによ…。何故か毎回、持って来る。そこに居た客に全部分けてしまうんだよ…。俺も何度かもらった事がある」


岸田が食わないのに持って来る。

それはおかしい。

多分、その箱の中にシャブは入っているのだろう…。


「黒のキャデラックだな…」


「ああ…でもそれが西田かどうかは…」


「いや…それが西田だよ…。十中八九、間違いないだろう」


俺は立ち上がり、上着を着た。


「俺は西田が店に入るのを見て、店を訪ねる。話をして少し情報が手に入れば御の字だ。カマちゃんとジェニーは少し離れたところで、車で待機しててくれ。西田が帰ったら追いかけるんだ。今日一日、何処へ行くか追ってくれ」


二人はコクリと頷いた。






とりあえず、ジェニーの元嫁の遥は無事であろうという事はわかった。

どんな目に遭っているかまでの補償は無いと城見は言う。

どう転んでも相手はヤクザだった。

しかもシャブを売り捌く様なヤツら。

ジェニーには申し訳ないが、完璧に無事だとは言えないかもしれない。

ジェニーが店の客のヤクザから仕入れた情報だと西田というヤクザは未認可の風俗店を数店舗やっている可能性があると言う。

そこで働かされているのかもしれない。


俺とジェニーは岸田の店が見えるマンションの非常階段にいた。

そろそろ西田がやって来る時間だろう。

黒のキャデラックがやってくればビンゴだった。


ジェニーは非常階段で何本もタバコを吸っていた。


「お前、吸い過ぎ…」


俺はジェニーの吸うタバコを取り上げて咥えた。


その時、岸田の店の前に黒のキャデラックが停まった。


「来た…」


「間違いないな…」


俺はタバコを床に落とし、踏み消した。


「ジェニー。後は頼むぞ。俺は店で西田の情報を聞き出す」


そう言って、非常階段を二人で駆け下りる。


好き好んでこんな危ない事をやっているのでは無い…と、言いたいところだが、今は百パーセント好きでやっている。

そう言うのが正しいだろう。

ジェニーの元嫁を救出するだけならこんなまどろっこしい事をする必要も無いのだ。

俺たちが不良として、まだまだやれる事を証明したい。

俺はそう思っていた。


マンションを出て、俺は店の方へ、ジェニーはカマちゃんの待つ車の方へと歩いた。

ちょうど西田らしき男が店の中へ入るのが見えた。

ジェニーの情報通り、小柄で目のぎょろっとした男だった。

発砲スチロールの箱を抱えて、西田は店に入って行った。

俺は足早にそれに追い着いた。


店に入る前に中を覗くと、顔を寄せ合って西田と岸田が話をしているのが見えた。

俺はそこに入って行った。


「あ、いらっしゃい…」


岸田はバツの悪そうな顔で俺を見た。


「あら…アンタたしかオカちゃんの…」


「あ、はい。先日、少し見せてもらって、良い車ばかりだったんで…」


俺はニコニコと笑いながら頭を軽く下げた。


「オカちゃんは辞めたよ」


「あ、そうなんですか…。アイツも長続きしないですね…」


「おい、社長」


西田が苛立つ様に岸田に言うと、それを制する様に手を上げて、


「ちょっと座って待っといて…これ、冷蔵庫に入れるんで…」


そう言うと岸田は奥に入って行った。


「表のキャデラック、良い車ですね…」


俺はショールームの中を歩きながら言った。


「あー。俺のじゃないけどな…。借り物だ」


西田は苛立ちながら俺の顔も見なかった。


「そうなんですか…でも良いな…」


俺はショールームに停めてあったベンツのドアを開けた。

中を見る振りをする。

そんな事はどうでもいい。

この場で岸田は西田に金を渡すのだろうか…。


「いや…西田さん。今日のもでっかい海老だな。ありがとう。今日の晩飯は海老に決まりだな」


岸田は奥から出て来た。


「コーヒーでも飲んで行くか」


「いや…良い。今日は忙しいから帰りますわ」


西田は立ち上がった。


「じゃあ息子さんにもよろしく言っといて」


西田はそそくさと店を出て行った。


予想は完璧に当たった様だった。

後は西田をジェニーとカマちゃんが追跡してくれれば完璧だった。


「オカちゃんとは…」


「あー小学校の友達です。昔はアイツに虐められて」


俺は頭を掻いた。


「そうか…。まあ、座って。コーヒーでも入れますから」


岸田は奥に引っ込んだ。


「いや。お構いなく。すぐに帰りますので」


「何をおっしゃる。ここはショールームですからね…長く居てもらわないと仕事になりませんよ…」


岸田はニヤリと笑って、再び奥へ入って行った。


そこにちょうど入口の自動ドアが開いた。


「オヤジ。西田さん商品持ってきた」


そう言って岸田の息子らしき男が入って来た。

見るからに今風の頭の悪そうな男だった。


「商品って何…。今日は海老持って来てくれたよ。四百グラムあるらしいけど…」


奥から岸田の声が聞こえた。

岸田の息子も俺に気が付き、


「あ、ああ…そうか。四百グラムってすごいな」


わざとらしい会話になっていた。

それが俺にはわかる。

知らないヤツは気が付かないだろうが…。


「いや…お客さん。どうですか。うちの品揃え」


岸田は奥からコーヒーを持って出て来た。


「すごいですよね。良い状態でこんなに残ってる古い車があるなんて…」


俺はショールームを見回す振りをして岸田の息子を見た。

岸田の息子は店の隅で携帯を取り出し、メールを入れていた。


「でしょ…。でもこれはボロボロの状態から直したモノばかりです。好きな人に乗って欲しいと思って…」


岸田は俺の前にコーヒーカップを置いた。


「どうぞ。冷めんうちに飲んで下さい。うちは車だけじゃなくて、コーヒーも美味しいんですよ」


岸田は俺の向かいに座った。


「頂きます」


「どんな車が、お好きなんですか」


俺はコーヒーを一口飲んでカップを戻した。


「そうですね。旧車は好きなんですけど、やはりガレージがちゃんとしてないと車が可愛そうですからね…」


岸田は俺の顔を見て微笑んだ。

先日の目付きの悪い岸田とは大違いだった。


「おっしゃる通りですね…。この辺りの車はちゃんとガレージのある方にしかお売りしません。旧車はとにかく雨風に弱いので…」


「そうですか…」


俺はカップを持ったまま、ショールームを見渡した。


「お仕事は何をされてるんですか」


岸田はそう言うとおもむろにタバコに火をつけた。


「あ、私は小説家です」


「ああ、小説家の先生ですか…。いや…うちのお客さんでは初めてですね…小説家」


俺は食い付いて来た岸田に頭を下げた。


「いや…私なんかまだまだです。何か大きな賞でも取ったら社長のお店の宣伝も出来るのでしょうが…」


俺は立ち上がって、外のガレージに停まっている車を見た。


「外も見せてもらってよろしいですか…」


「どうぞどうぞ。見てもらうために置いてますので…」


岸田は笑った。


俺はドアを開けて外に出た。

高級車と言われる車ばかりが並んでいる。


「これ良いでしょう。先日、入ったばかりなんですが、ハマーです」


アメリカの軍用車だ。

大きめの車体は頑丈に出来ていて、日本の道路には不釣り合いだった。


「良いですね…。すぐに乗れるのですか」


俺はそのハマーのドアを開けた。


「少しブレーキが甘い様なので、調整すれば乗れます」


岸田は手を擦りながら言った。


「お高いんでしょうね…」


「そうですね…」


俺は頭を掻いて、笑った。


「さっきのお客さん」


岸田はピクリと動いた。


「さっきのお客さんが乗っておられたキャデラック。あれ、良いですね…」


「ああ…。あれね…。あれはうちで売ったんじゃないんですけど…。何なら探しますよ」


岸田はそう言って微笑んだ。


時間は正午を少し回っていた。


「知り合いの店にも一台、あれの白があったと思うのですが…。ちょっと待ってて下さい」


岸田は店の中に入って行った。

俺も後を追う様に店の中に入る。

そしてショールームの車の陰に隠れて城見の携帯電話でメールを打った。


「客がいるな。時間がない。夕方また来る」


岸田の息子宛てにそう送った。

そして城見の携帯電話の電源を切った。


店の隅に居た岸田の息子の携帯電話が鳴った。

その携帯を息子は岸田に見せる。


「オヤジ…」


「仕方ない。夕方まで連絡を待とう…」


岸田は息子の背中を押した。

息子はよろける様に二、三歩、歩くと俺を睨む様に見て、店を出て行った。

岸田は電話をしていた。

世間話を交えてキャデラックの在庫を確認する。


「ああ…。そうか。それは残念だな…。まあ、売れたなら仕方ない。また探してみるよ」


岸田は受話器を置いた。


「どうも先週、売れた様ですね…。すみません。オークション、気を付けて見ておきますので…」


「ありがとうございます」


「お名刺か何かお持ちですか…」


岸田は自分の名刺を出した。


「いや…まだ駆け出しなモンで…名刺は持ってないんですよね…」


これは嘘だった。

小説家も、他の商売同様に駆け出し程、名刺が必要となる。


「じゃあ、私の名刺、渡しておきますので、また連絡下さい。いつでも寄って下さいね。お茶だけでも飲んで帰って下さい」


岸田は頭を下げた。


「ありがとうございます」


俺は岸田の名刺を受け取ると頭を下げて、店を出た。






店を出ると少し遠回りをして岸田の倉庫に帰った。

一人、ソファで眠る城見がいた。

俺はジェニーに電話を入れた。


「ジェニー。どうだ」


俺は上着を脱いで、タバコを咥えた。


「ああ。西に向かってるよ」


「そうか。こっちは海老と一緒に四百グラム届いた様だ」


「わかった。こっちは西田の隠れ家を見付ければいいんだな…」


俺は積まれたタイヤの上に座り、向かいのタイヤに足を投げ出した。


「そうだ…。お前は面が割れている可能性があるからな…。カマちゃんに動いてもらえよ」


「わかってるよ…」


「じゃあまた。連絡する」


俺は携帯電話を切り、ゆっくりと目を閉じた…。







「色々とわかったぜ…」


カマちゃんは大声でそう言った。


「聞こえるよ…静かに…」


俺はカマちゃんを制する。

ジェニーはどうやら少し離れたコインパーキングに車を停めに行った様だった。


「今日、あの西田ってヤツが行ったところ。この順番だ」


カマちゃんはメモを並べた。


「この三つは滞在時間が約十分。この団地の部屋は二時間程、居たな。そして最後がどうやら自分の店だろう。「ギルド」って怪しい飲み屋だ。その店でカウンターに立ってたよ」


表向きは水商売を真面目にやっている店主って訳だ。


「ちなみにこの三つのマンションは多分、風俗店だろうな…。近くに停めてあった車にピンクチラシが大量に乗ってた。写真撮って来たよ」


裏では未認可の風俗店。

多分、デリバリーヘルスだろう。

その店を回って売上を回収して来る。

そしてそれを事務所代わりに使っている団地の一室に置いて来る。

そういったところだろう。


「良い仕事するじゃん。カマちゃん」


俺はカマちゃんにボディブローをお見舞いした。

カマちゃんは腹を押さえて積まれたタイヤの上にひっくり返った。

カマちゃんの投げ出したスマホを拾い、写真を見た。

写真に写ったピンクチラシをアップにしていくとその風俗店のホームページのアドレスが見えた。

俺はそれをメモに書き写した。


デリバリーヘルスはホームページが命だ。

そこに新しい女が入ると必ずアップされる。

「ギャル専門」「人妻専門」「おまかせ専門」を売りにする三店舗の様だった。

ジェニーの元嫁はギャルでは無いだろう…。

そうすると人妻かおまかせかという事になる。


多分、顔写真が載っている。

ジェニーが戻ったら一緒に見よう。


俺は城見の携帯をテーブルに投げ出した。


そろそろ、痺れを切らした、岸田の息子から連絡がある頃だ…。


「飯、買って来たぞ」


ジェニーが弁当屋の袋を提げて帰って来た。


「俺にも何か食わせてくれ…」


それを聞いて、城見が最初に騒ぎ出した。


「お前の分もあるよ…。死んでもらったら困るんでな…」


ジェニーは買って来た食いモノをテーブルの上に出した。


「しかし、シラケン。この後はどうするんだ…」


ジェニーは心配そうに俺を見ていた。


「もちろん、お前の元嫁を助け出す」


「おいおい。俺たちだけでそんな事出来るのか…」


カマちゃんは弁当の包みを開けながら言った。


「さあな…。そこが得意なのはジェニーじゃないか…」


俺がジェニーを見るとジェニーは拳を握って微笑んだ。


「ジェニー、このサイトを見てくれ。この中にお前の元嫁らしき写真はあるか…」


俺はカマちゃんのスマホをジェニーに渡した。

ジェニーはそれを慣れない手つきで見ていた。


「いや…此処にはないな…」


「そうか」


俺は一旦、ジェニーからスマホを受取り、別のサイトを開いた。


「此処はどうだ…」


再びジェニーに渡した。


「此処にも無い」


ジェニーはカマちゃんのスマホをテーブルの上に置いた。


「そうか…となると…」


俺は弁当を一つ取り、城見のところへ行った。


城見の腕のロープと目隠しを外した。


「弁当だ。食えよ…」


城見は突然解放された事に呆気に取られていた。


「ああ、ありがとう…」


そう言って城見は弁当を物凄い勢いで食べ出した。


「相当、腹が減ってたんだな…」


カマちゃんはその光景を見て呟いた。


「朝、お前がタイヤ食わせただけだからな」


ジェニーはカマちゃんの上腕にパンチした。


「痛てえな…」


二人で笑っていた。

とても今からヤクザ相手に喧嘩しようとしてるヤツらの表情じゃなかった。

昔もそんな事があった…。






その日、近くの学校のヤツに喧嘩を売られたというジェニーは朝から怒り狂っていた。

俺やカマちゃんでさえ話しかけ辛い様子だった。

そのまま放課後を迎え、駅の近くの大きな池にある公園まで俺たちはわざわざ出向く事に…。


この喧嘩の事の発端は、その学校のヤツらがカツアゲをしているのをジェニーが見つけ、締め上げた。

するとそのボス的存在の男にタイマン勝負を申し込まれたという。


「なあ、こんな喧嘩して意味あんのか」


カマちゃんは前を歩くジェニーにめんどくさそうに訊いた。


「俺は俺の信じた道を行く。嫌なら帰れ」


いつになくジェニーはいきり立っていた。

まあ俺たちもそんな事で帰る筈も無く…。

その池の傍の公園に到着した。

既に向こうは集まっていた。

ビー・バップ・ハイスクールが大人気の時代だった。

全員がしゃがみ込んでこっちを睨んでいた。


「おお…結構いるね…」


カマちゃんが嬉しそうにはしゃぎ出す。

確かにこっちは三人。

まあ、いつも三人なのだが、向こうは二十人近い人数が集まっていた。

三段警棒、木刀、金属バッドなど武器も様々だった。


「シラケン。カマちゃん。今日は俺とアイツのタイマンだ。心配する事はない」


ジェニーはカバンをベンチの上に放り投げた。

中学生の喧嘩はあの当時、一番過激だったかもしれない。

殴って人が死ぬなんて考えた事も無かっただろう。


俺とカマちゃんもカバンをジェニー同様にベンチに置いた。


「ここまで来たんだ。俺らも暴れるぜ」


カマちゃんがジェニーと並ぶと、


「タイマンだって言ったろ」


横眼でカマちゃんを見て言った。


「だって向こうはそんな感じじゃないぞ」


西中の岡根の名前は市内ではかなり有名だった。

そんな時代だからこそ、そのジェニーを倒し、名前を上げたいヤツが大勢いた。

ヤクザの世界とそんなに大きく違いはない。


「遅いぞ、岡根」


ジェニーの相手は、隣の中学の番格の大北というヤツだった。


「ビビって逃げたかと思ったわ」


その場にいたヤツら全員が笑っていた。


「駅前にエロ本買いに来たついでに寄ったんだよ。忘れかけてたわ」


ジェニーも負けてない。


「お前ら西中で不良気取ってるけどよ。シンナーもやらない、カツアゲもしないって良い子じゃないか。お勉強もさぞかし出来るんだろうよ…」


大北は何本も無い前歯を見せて笑った。


「悪いけど、馬鹿な不良にはなりたくねえんだ。お前らみたいな…」


ジェニーは百八十センチ近い身長で大北を見降ろす。


「俺らには俺らのポリシーが有ってな。それを踏み外さないってルールが有るんだよ。それが無くなったら、お前らみたいなつまらんヤツらと同じじゃないか…」


「中途半端なのを口で誤魔化すなよ」


大北は後ろを振り返った。


「そろそろやっちまうか…」


「おいおい、大将。お前、俺とやりたいんじゃないのか。まあ、そんな根性ないわな…」


ジェニーはニヤリと笑った。

俺はそのジェニーの笑顔にいつも以上の気迫を感じた。


「今日は何人か、病院行きだな…」


俺はカマちゃんに小声で言った。


「ああ…。いつもよりジェニーの機嫌は悪いしな…」


カマちゃんも気が付いていたのだろう。

ジェニーは普通じゃなかった。


「シラケン。何人でも良い。一人でも多くやってくれ…」


カマちゃんも固く拳を握っていた。


俺はこの三人の中では一番、喧嘩慣れしてなかった。

足を引っ張る程ではなかったが、この二人と比べるとかなり劣る。


「わかった…。目標七人ね…」


俺はそう言って、背中に仕込んだカマちゃんの三段警棒に手をかけた。


「うるせえよ。俺はお前らが目障りなだけなんだよ」


大北はジェニーに向かって走り出した。

そしてジェニーに飛びかかり一発、二発とジェニーの顔面を殴った。


「あれ…ジェニー…」


カマちゃんと俺は、その光景を見て驚いた。

ジェニーがまともに二発も食らう事など今まで見た事も無かった。


「お前ら何処見てんだよ。お前らの相手はコッチだぞ」


大北の後ろに控えていたヤツの一人がカマちゃんの横でそう言った。

カマちゃんはその男を見る事も無く肘打ちで顔面を殴った。

一発でその男は倒れ、それを見てカマちゃんはニヤリと笑った。

いつもそうだった。

一人目を倒した時点でカマちゃんはスイッチが入る。


そのままカマちゃんは、その他大勢の中に走り込んで行った。


「あーあ…。結局こうなるんじゃん…」


俺も自分に近付いてくるヤツを片っ端から片付けて行った。


ジェニーは珍しく口の中を切り、血を流していた。

そんなジェニーは見た事がなかった。


「ジェニー…」


俺は叫んだ。


ジェニーは俺の声に振り返り、血で染まった歯を見せてニヤリと笑った。

わざと殴らせて怒りを倍増させる。

そんな話をした事があった。

ジェニーは余裕だった。


「シラケン」


カマちゃんが俺を呼んだ。

その瞬間、俺は頭を金属バッドで殴られた。

俺はふらつき近くの手すりに掴まった。

初めての衝撃だった。

周囲の景色が歪んで回り始め、立ってられなかった。


「シラケン」


ジェニーもそれに気付き、自分に殴りかかって来る大北を思い切り殴り付けた。

大北はその一発で池の周囲にある手すりを越えて池の中に落ちた。

ジェニーはそんな事に構う事も無く、俺の方へ走って来て、俺を殴った金属バッド野郎のバッドを取り上げ、そいつの脚を思いっ切り殴った。

多分、骨が折れただろう…。

カマちゃんも自分の相手を振り解き、俺のところへやって来た。


「大丈夫か…。おい、シラケン」


その声が徐々にはっきりと聞こえ出した。


そうか…。

俺はバッドで殴られたのか…。


自分の額を手の甲で拭うと、べったりと血が付いていた。


俺たちが喧嘩をする際には暗黙の了解があった。

死に至る様な攻撃はしない。

頭をバッドで殴るなどあり得ない事だった。


俺は意識がはっきりし始めたので、ゆっくりと立ち上がる。

軽い脳震盪だろう。


「大丈夫だよ」


俺の横には足をジェニーに折られた男が、のたうち回っていた。

俺はその折れたと思われる辺りを一度思い切り、踏みつけてやった。

ルールを破るとはそういう事だ。

その男は大きな声を上げて気を失った。


大北の仲間は茫然と立っていた。

大北本人は池から這い上がろうと必死だった。

ジェニーの一撃で池に落ちたのだ。

もう刃向かう気力は無いだろう。

それに加え、バッドを振り回した男。

頭から血を流す俺。

それを見て完全に意気消沈だった。


「片付けるか…」


カマちゃんは立ち上がった。


「そうだな…」


ジェニーも振り返る。


俺は三段警棒を抜いた。

バッドで殴られたのだ。

二、三人の血を見ないと気分が治まらなかった。


「ほら、どうした。かかって来い」


俺も気分が高揚していた。

そう叫びながらその他大勢の中に歩いて行く。

その途中に大北がやっとの思いで池から這い上がっていた。


その大北にジェニーは蹴りを入れ、大北は奇声を上げながら再び池に落ちた。


長い棒を持った男が棒を振り回し、その棒はカマちゃんの肩に当たった。

カマちゃんはニヤリと笑い、その棒を掴んだ。


「長い棒ってのはよ。振り回してもダメージ無いんだよ」


その棒をカマちゃんは簡単に取り上げた。


「長い棒ってのは、こう使うんだよ」


カマちゃんは棒を持っていたヤツの胸を、その取り上げた棒の先で突いた。

その男は胸を押さえて蹲った。


ジェニーは三人相手に暴れていて、その三人を順番に池に落とした。

季節は冬に近かったと思う。

池に落とされたら堪らんだろう。


俺もカマちゃんの三段警棒で向かって来るヤツの拳を狙う。

喧嘩の最中に拳をやられるともう戦えない。


「ほら、最初の威勢はどうしたんだよ」


カマちゃんは踊る様に棒で突きまくる。

ジェニーも同様で、喧嘩の時程ジェニーの楽しそうな顔を見る事は無かった。


二十人程の相手を倒すのに、そう時間もかからなかった。

俺は頭にダメージを食らったが…。


振り返ると池から上がって一人逃げようとする大北がいた。

制服が濡れ、重くなり走れてなかった。


「大北」


ジェニーはその大北を捕まえた。


「勘弁してくれ…。俺が悪かったよ…」


大北はその場に土下座した。


こういった争い事は終わりが無い。

勝った負けたで復讐劇はいつまでも続く。

ジェニーにもそれはわかっていた。

ジェニーは土下座する大北の前にしゃがみ込んだ。


「俺らはよ。別にお前ら負かして調子に乗りたい訳じゃないんだ。俺らのルールとして許せない事をするヤツ。それが許せないだけでよ。つまらん事は止めろよ。不良に良い不良なんてあるとは思わないけど、最低限のルール。お前も下まとめてるんなら作れよ」


大北は地面に手をついて俯いたまま、ジェニーの言葉を聞いていた。


「今日の事は無かった事にしてやるよ。だけど…」


ジェニーは立ち上がった。


「あのバッド振り回したヤツ。アイツだけは許さん。喧嘩のルールも知らんで、バッド振り回すなんて言語道断だ。お前がアイツの頭丸めて、不良辞めさせろ…」


大北は言葉も無く小さく頷いた。


ジェニーは大北の肩を叩いて、


「早く、病院連れてってやれ…」


そう言ってカバンを置いたベンチの方へ歩き出した。


「シラケン。病院行くぞ」


ジェニーは俺に微笑んだ。


「ああ…」


俺とカマちゃんはジェニーの後を追いかけた。







「じゃああの団地に遥を運んだんだな…」


ジェニーは城見の胸座を掴んでいた。


「ああ。先週の水曜日だ。間違いない」


城見はジェニーの目を見て震えながら言った。


「まだあの団地に居るんだろうな…」


カマちゃんはジェニーと顔を見合わせた。


「シラケン。踏み込むか…」


少々のリスクがある。

その団地の隠れ家にどのくらいの人数がいるのかもわからなかった。

それに相手はヤクザだ。

武器も持っているかもしれない。

いくらジェニーやカマちゃんが、腕が立ってもヤクザの持つ武器には対抗出来ないだろう。


「新生会を売るか…」


「売るって誰に…警察か…」


警察に任せていたんじゃ、ジェニーの元嫁も引っ張って行かれる事になる。

それだけは避けたかった。

ジェニーやジェニーの娘に寂しい思いをさせたくなかった。


「ジェニー。お前の知ってるヤクザ。連絡取れるか…」


俺は城見の横でしゃがみ込むジェニーに訊いた。


「ああ。いつでもオーケーだ」


腹は決まった。

今夜、西田の隠れ家に乗り込み、ジェニーの元嫁を助ける…。







「遅くなった。今晩、もう一度連絡する」


城見の携帯電話から岸田の息子にメールを打った。


「了解しました。また連絡下さい」


すぐにメールは返って来た。


俺はそれを見て、城見の携帯電話をグローブボックスの中に放り込んだ。


ジェニーの車で西田の隠れ家へ向かっていた。


「なんかワクワクするな。昔みたいでよ…」


カマちゃんは後ろの席で大きなスパナを手に、はしゃいでいた。


「お前、そんなモン振り回したら死んじまうぞ…」


ジェニーは笑いながらルームミラー越しにカマちゃんを見ていた。


「馬鹿野郎。相手はヤクザだぞ。拳銃とか持ってるかもしれねえのによ」


確かにその心配はあった。

拳銃や真剣など持っていてもおかしくはないのだ。

正直怖い。

それはジェニーもカマちゃんも同じだろう。

だがその事は誰も口にはしなかった。


昔からそれは同じで、どれだけ怖くてもそれを口にする事で最初から負けている気になった。

だから俺たちは怖いという言葉を口にはしなかった。


「しかし、ヤクザとやり合うなんて初めてだな…」


ジェニーはタバコを咥えて火をつけた。


普通の人はヤクザとやり合う事なんて一生ないのだ。

俺は苦笑した。


「ヤクザも同じ人間だからな。俺たちなら勝てるんじゃねえか」


カマちゃんは身を乗り出してそう言った。


「勝つ必要はないんだ。ジェニーが呼んでくれた興林会ってヤクザが西田を押さえてくれるまで持たせればいい」


「西田のバーへもう向かってる筈だ。その後、合流する事になっている」


ジェニーはタバコを灰皿で揉み消した。

その吸い殻はいつもより長かった。

やはり緊張しているのだろう。


「あくまで、ジェニーの元嫁を救出するのが目的だからな…。新生会潰そうなんて考えるなよ…」


俺はジェニーとカマちゃんに言った。

昔から暴走し始めると、この二人は止められない。

相手がヤクザでも同じだろう。

ヤクザに追われる様な生活だけは御免だ。


俺は車窓から流れる景色を見た…。







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