第4話 不良、再び
「マズイから揚げ弁当一つくれ」
俺はいつもの様にそう言った。
「お前いい加減にしろよ。他の客が聞いたらどうしてくれるんだよ」
カマちゃんはいつもの様にカウンターから生えて来た。
「お前もさ、カウンターの下で寝るのは止めろよ」
俺は苦笑しながらカマちゃんの店のイートインコーナーに入った。
「弁当食うのか」
「ああ。お任せで美味いの頼むよ」
俺は自動販売機で缶コーヒーを買って椅子に座った。
「お前、今日、時間あるか。」
「あー良いけどー。何すんの」
カマちゃんはフライヤーに大量のから揚げを放り込みながら言った。
俺はそれを見て顔を引き攣らせる。
やっぱ二十年先までいらないかもしれない…。
「何だっけ…城見だったかな。アイツに会う」
「おいおい。大丈夫かよ。城見はシャブ中かもしれないんだぞ…」
カマちゃんは俺の顔をじっと見てた。
「お前…何か、目が生き返ったな…」
そう言って微笑んだ。
「そうか…。最高のほめ言葉だな」
俺も微笑み、缶コーヒーを飲んだ。
「いいねえ。昔を思い出すよ…」
カマちゃんは楽しそうに厨房に戻った。
俺だってやる時はやるさ…。
携帯電話がけたたましい音を立てる。
「もしもし…」
「俺だ。ジェニーだ」
「どした」
ジェニーの声は、そう聞かずには居れない程、剣幕な声だった。
「今、どこにいるんだ」
「あー今、カマちゃんの店だけど」
俺は立ち上がって外を見た。
何故かジェニーが近くに居る様な気がした。
「今、お前のマンションの前に居る。すぐそっちに行くから」
そう言うとジェニーは電話を切った。
「カマちゃん。そのスペシャル、もう一人前、追加ね…」
俺はカマちゃんの居る厨房を覗き込んだ。
「あいよ」
カマちゃんの威勢の良い返事が返って来た。
「ん…。誰の分だ…」
「何だって…」
カマちゃんは立ち上がった。
「だから落ち着けって」
俺はカマちゃんをなだめた。
ジェニーは会社をクビになったと言った。
「いや…クビとは違うかもしれんが、依願退職してくれってさ。但し、二百万やるから誰にも何も喋らないでくれって言われてよ」
ジェニーはカマちゃんのから揚げを食べながら言った。
「まあ、俺がこの間のシャブ、返したからかもな」
「何だよそれ、全部認めてるみたいなモンじゃん」
カマちゃんは再び立ち上がる。
「だから座れって…」
俺はカマちゃんを押さえつける様に座らせた。
「で…もらったの二百万」
「俺たちは不良だろ…。そんな金…」
ジェニーはペットボトルのお茶を飲んだ。
俺はそのジェニーを見て微笑んだ。
「当然…もらうよな」
俺がそう言うとジェニーはジャンパーの内ポケットから二百万の入った封筒を出して見せた。
「当然だろう…。それにもちろん…」
「こんなモンじゃ…」
「足らねえよなー」
三人で声を揃えて言い大声で笑った。
「しかし、このから揚げ美味いな。お前んとこのから揚げ弁当いくらすんの」
ジェニーは大量のから揚げをどんどん平らげて行く。
「あ、そうだな。税込二百万でいいや」
カマちゃんはジェニーの前に手を出していた。
まず俺たちは城見と同じ会社の人間で、ブログなどをやっているヤツを調べた。
大企業だったのですぐにヒットした。
「コイツがなんか関係あんのか…」
カマちゃんはスマホの画面を横から覗き込んでいた。
どうやらカマちゃんも、俺たちに言えない何か後ろめたい事をやっている様だ。
調べ物をしたいのでスマホを貸せと言うと、相当嫌がった。
メールとか着信、発信は絶対見ないと何度も言ってようやく貸してくれた。
それでも横にぴったりと付いて離れようとしない。
「ああ。この波多野ってヤツが、全部教えてくれるさ…」
俺は城見と同じ会社の波多野って男の情報をメモした。
東京の本社勤務で歳は三十九歳。
どうやら俺たちと同期らしい…。
「エリートか…」
「さあな…」
俺は、今度は東京本社に電話をかけた。
「すみません。私は溝内という者ですが、そちらに波多野さんって営業の方おられますよね。頼まれていた書類をお送りしたいのですが、波多野さんの部署と肩書を教えて頂けないでしょうか」
俺は少し声色を変えてそう言った。
「はい、はい…はい。あーはい」
俺はその女性から聞いた波多野という男の情報をメモした。
「ありがとうございます。溝内から電話があった事をお伝え下さい」
電話を切る。
「なんか、手間かかりすぎないか…」
カマちゃんは早くスマホを返して欲しいのか、横でうるさい。
「お前、黙ってろよ。お前が付き合ってる飲み屋のねーちゃんとか興味ないし」
俺はカマちゃんを椅子に座らせた。
「お前…知ってたのか…」
しらねーよ。
何、ゲロってんだよ…。
俺とジェニーは二人で顔を見合わせて大声で笑った。
「あ、カマかけたのか。酷でぇな…」
カマちゃんはポケットに手を突っ込んで立ち上がった。
「誰にも言やしねえよ。いいから座れよ」
ジェニーが今度はカマちゃんを座らせた。
「で、次はどうするんだ…」
「まあ、見てろよ…」
俺は、今度は城見の居る支店に電話をかけた。
「あー。本社の波多野ですが。営業二課の城見課長おられますか。あー外出中ですか。あの城見課長の出身の大学わかりますか。ええ、本社の方で名簿を更新してまして。以前からお願いしてたんですけど、城見課長だけまだ戴けてないんですよね…。はい。はい。あーそうなんですね…学部は…はい、産業社会学部ですね。ありがとうございます。城見課長によろしくお伝えください。はい。失礼します」
俺が電話してる横で二人は唖然としていた。
テーブルに置かれたカマちゃんの店の弁当の帯の裏には電話で聞いた情報が書き込まれて行く。
「よくわかんねえんだけど…。家の住所くらい会社に聞けば教えてくれるだろ…」
カマちゃんはメモを覗き込んでいた。
「今は個人情報にはうるさい時代なんだよ。まどろっこしいけど、下手打ちたくないからな…」
今度は城見の出身校の人間のブログを探す。
此処も、かなり大きな大学で何十人もヒットした。
比較的、城見と歳の近いヤツを選び、メモした。
「今度は何処に…」
ジェニーはタバコを消しながら訊く。
「今度は大学の…同窓会事務局だ」
俺は電話をかけた。
「すみません。私、産社出身の小城という者です。一年先輩の城見武弘さんの住所を教えて戴きたいのですが」
俺はまた声色を変えて話した。
「はい。はい…いや…息子が就職の件でお世話になりまして。そのお礼をしたいと思いまして…」
俺ははやり小説家だった。
この手の話はツジツマを合わせてサラサラと話が出て来た。
「はい。はい…はい。わかりました。ありがとうございます。失礼します」
俺は息を吐いて、背もたれに寄りかかった。
「わかったぞ…。城見の住所」
二人は歓声を上げた。
「やっぱ流石だな…。いやー、小説家ってのは詐欺師と紙一重なんだな。お前、小説家なんか辞めて、詐欺師になれよ」
カマちゃんは俺の肩をバンバン叩きそう言った。
「馬鹿野郎…」
俺は疲れた…。
パソコンでこんな話を書き込むのはもちろん慣れている。
しかし実際にやるとなるとこれは体力のいる作業だ。
主人公の行動の描写に一つ書き加える事が出来そうだ。
「で、次はどうするんだ」
ジェニーは手に力強く、缶コーヒーの缶を握っていた。
「家に行き、待ち伏せだ…」
「なんか刑事になった気分だな」
カマちゃんはそう言って、ふと気が付いた様だ。
「あ、警察は嫌いだったな…」
「そうだな…」
ジェニーは缶コーヒーを飲み干し、その空き缶をゴミ箱に投げ入れた。
「だから俺たちで何とかしたいんだよ…。信用出来ねえからな…警察は」
噛みしめる様に言うジェニーの顎の骨が軋む様に俺には見えた。
「まあ、後は馬鹿息子と岸田だな…。あわよくば新生会の西田だっけ…。あれもイッてしまおう」
俺はテーブルに置いたタバコを取り、火をつけた。
「馬鹿…ヤクザだぞ」
「関係ねーよ。俺たちは不良だからな…」
「だよな…。俺たちは不良だもんな。何にも怖いモンなんてないさ」
ジェニーは立ち上がり外を見た。
「俺さ…不良になりてえって思ったのが小学生の時だっただろ。でも中学入って、いざ不良の真似事やってみて、正直、何か違ったんだよな…。毎日喧嘩して、騒いで、周囲の大人たちは俺たちの事、不良不良って指さしてたけど、俺の中では違ってた。俺がやりたかったのって別に後ろ指さされる様な不良じゃないんだよな…。もっと何か、自分で納得行く様な…何だろう。今でもわかんねえけど…」
俺とカマちゃんはそんなジェニーの言葉を黙って聞いていた。
「自分のルールで生きたい。そうじゃないのか…」
俺はタバコを消してジェニーの横に立った。
「あー。そうかもしれないな…。誰かが作ったルール。生まれた時からそのルールが正しいって教えられて…。一回、シンナー中毒のヤツらと喧嘩して捕まったじゃん。あの時、本当に思ったんだよ…。こんな大人にはなりたくないってさ…。けど気が付くとそうなっていたのかもしれない…。一番嫌いな大人にさ…。大人になるってそういう事なのかよ…」
「ジェニー…」
ジェニーの言葉は、俺にも重くのしかかった。
諦めの日々。
流されるだけの毎日。
何も変えられない自分。
そんなモノに俺も飽き飽きしていた。
「でもよ…。お前らと再会してさ…。何か自分の中で燻ってたモンがよ…。また燃え始めた気がするんだよ…」
「俺もだよ…」
カマちゃんも前に出て来た。
「俺もそうなんだよ…。一生、この弁当屋で終わるかもしれねえって考えてて、オヤジみたいに諦めの連続で中華屋から洋食屋、定食屋、弁当屋ってどんどん落ちてる気がしてよ。俺がやりたかった事ってこの店には一ミリも無いんだよ。なんかお前ら見てると、これじゃいけないって思って、何か出来ないかって、ずっと考えてる自分が居るんだ…」
珍しくカマちゃんも熱かった。
俺は大きく息を吐いた。
「俺もそうなんだよ。教師辞めなきゃ良かったなんて、後悔してても仕方ないんだけどよ。それでも被害者ぶって、今の日常を全部誰かのせいにして、ダラダラと、毎日毎日エロ小説書いてよ…。書きたいモンが見つからないなんて格好良い事言ってたけど、本当はそうじゃないんだよ。書けないんだよな…。でも三人揃って俺も書きたい事を思い出した。小説家になろうと決めた時にいつか書いてやろうって思ってたんだ…」
「何を…」
ジェニーとカマちゃんは俺を覗き込んだ。
「俺たち三人の事だよ…」
その言葉にジェニーもカマちゃんも笑っていた。
その笑顔が俺には嬉しかった。
「書けよ…。思いっ切りよ…」
「そうだよ。お前が書くなら出演料はチャラにしてやるからよ」
俺は照れ臭く思え、微笑んで目を伏せた。
「その代わり…」
ジェニーは俺の首を昔みたいに後ろから腕で絞めた。
「男前に書かないと承知しねえからな」
「そうだぞ」
カマちゃんは俺の脇腹をくすぐった。
「やめろよ…」
三人は昔のままだった。
そして大声で笑った。
「聞いたか。岡根の話」
「ああ、なんか一人で二十人半殺しにしたって話だったぜ」
「マジかよ…。アイツってそんなに強かったのかよ」
「ああ…名倉も一蹴りで両足骨折だったらしいしな」
中学の時、ジェニーの噂はこんな風に広まっていた。
しかし、火の無いところに煙は立たない訳で…。
あの日は雨が降ってた気がする…。
俺とジェニーとカマちゃんは、学校の帰りにいつもの様に公園に行った。
公園の端っこに屋根のついた一角があり、そこのベンチでタバコを吸いながらつまらん話をしていた。
「四組の酒井がジェニーの事、好きだって噂だぜ」
俺はタバコの吸い殻を空き缶に入れた。
「マジかよ、マジかよ…。酒井ってどんなヤツだよ。可愛いのか」
ジェニーは必死に俺に詰め寄って来る。
「あー酒井な…。どうかな。なぁ、カマちゃん」
カマちゃんは漫画を読んでいた。
「あー酒井…。そうだな…。まあまあじゃないの…」
「まあまあかよ…」
ジェニーは力無くベンチに座った。
不良で硬派を気取っていても、それなりに女には興味もあった。
「でもジェニーの事が好きだって女は結構居るよな…」
カマちゃんは漫画を読むのを止めて話に加わって来た。
「そうだな。まあ、こんだけ目立ってりゃ、言い寄って来る女もそれなりには居るだろうよ…」
俺とカマちゃんが話していると、その横で当人のジェニーは赤い顔をして怒っていた。
「ん…。ジェニー…」
「どしたの…」
カマちゃんはジェニーの真っ赤な顔を覗き込んだ。
「何で、お前らがそんな話知ってて、俺の耳に入んないんだよ…。お前ら、俺の事好きな女、こっそり横取りしようとしてるんじゃないだろうな…」
被害妄想もそこまで行くと大したモンだ。
「馬鹿言うなよ…。なんで俺たちがそんな事…」
既にジェニーは俺たちのそんな話を聞く余裕も無く、今にも飛びかかって来そうな感じだった。
「シラケン、ヤバい…逃げよう」
「そうだな…」
俺とカマちゃんは、雨の中をひたすら走って逃げた。
俺たちの後ろをジェニーは血相を変えて追いかけて来る。
その日、制服の背中の泥跳ねを見て、母にこっぴどく怒られたのを覚えている。
まあ、そんな余談は別として、その日の夜だった。
雨もすっかり止んだ後、俺の家の前にジェニーが立っていた。
冗談でも余りに酷いと思った俺は表に出た。
「何だよ、ジェニー。冗談だろう。そんな本気にならなくてもよ…」
俺は呆れてそう言った。
「ああ。そうじゃない。ちょっとマズイ事になってよ。あの後、お前たちと別れてから家に帰るとさ、家の前に四組の酒井が居てよ。近くの公園で話をしてたんだよ。そしたらそこで高校生に囲まれてよ」
まったく敵の多い男だ…。
俺は少し呆れた。
「それで…」
「そしたらその中の一人が、その酒井の兄貴でよ…。妹に手出すなって言いやがってさ。ムカついたから言ってやったんだよ」
「何て…」
「妹、妹ってうるせーな。お前何だ、妹に恋焦がれてんのか、毎日、妹の風呂覗いてオナニーでもしてんだろ。ってな」
こいつ、丸々喧嘩売ってる。
「そんな事言ったら喧嘩になるだろうが…」
俺は呆れてそう言った。
「ああ、で、その大半をやっちまったって訳よ…」
「お前、何やってんの…。相手は高校生だろ」
俺は玄関の門に寄りかかった。
「関係ねーよ。相手が高校生だろうがヤクザだろうが…」
「馬鹿か…また明日から喧嘩、喧嘩の日々かよ…」
俺は呆れた。
「すまんな。また明日から一緒に戦ってくれよ」
ジェニーは笑ってた。
俺もやぶさかでは無かった。
一緒に暴れるのが楽しかったのだ。
しかし、翌日、学校に行くと、えらい大騒ぎで、ジェニーと一緒にいた四組の酒井が学校中で吹いて回ってた。
話は膨らみ俺たちの耳に入った頃には、相手は六十人を超える大集団。
その中にジェニーは木刀一本で走り込んで行った事になっていた。
ヤクザ映画じゃあるまいし…あり得ない。
そのままほっとけば、素手でゴジラでも倒したって話にもなりかねん勢いだった。
「こりゃ、セン公の耳にも入るな…」
カマちゃんの不安は的中し、校内放送が鳴った。
「二年の岡根、大塚、白石、至急職員室まで来なさい」
「なんで…俺たちも…」
カマちゃんは不服そうだった。
いつも一緒に居たら、そう思われるのも無理はない。
俺はカマちゃんを引っ張ってジェニーと一緒に職員室へ行った。
「入りまーす」
俺たちは職員室に呼ばれるのも既に慣れていた。
一斉にセン公たちの目が俺たちに向けられる。
「何か、いつもと違うな…」
「そうだな…」
俺とカマちゃんはジェニーの後ろに付いて職員室の中を歩く。
「奥の部屋に行け」
体育のセン公が偉そうにそう言った。
俺たちは職員室の奥にある応接室、通称「懺悔部屋」へ入った。
するとそこには四組の酒井が座っていて、向かいには生徒指導のセン公が座ってた。
「酒井さんは教室に戻ってなさい」
セン公は酒井を教室に返した。
ヤバいな…。
ジェニーは酒井に売られたな…。
また荒れるかもしれないな…。
俺はそう思った。
「岡根…。お前、昨日、高校生に絡まれてる酒井を助けたって本当か…」
「は…」
いきなり怒鳴りつけられるのを覚悟していたジェニーは、頭のてっぺんから出た様な声でそう言った。
俺とカマちゃんも顔を見合わせて固まった。
「今朝、学校中で噂になってたのを先生たちが調べたら、四組の酒井が、自分が絡まれているのを岡根が助けてくれたと言って来た。これは本当か」
生徒指導のセン公にそんな口調で話をされた事のない俺たちは言葉も出なかった。
「まあ、酒井がそう言うのなら…」
ジェニーはボソボソと呟いた。
「相手は酒井にしつこく言い寄って来てた高校生らしい。迷惑だったので交際を断ったところ大勢で酒井に嫌がらせをして来たそうだ。そこにお前が通りかかって助けてくれたと言っていた」
俺がジェニーに聞いた話とはかなり違う。
酒井はジェニーを庇ってくれたのだった。
「まあ、やった事は咎める事は出来ん。しかし問題は手段だ。暴力で解決などする事はない。いいか、この先、その高校生たちともめる事など無い様に。いいな…」
セン公は黒いバインダーを持って、懺悔部屋を出て行った。
何故かお咎めなし。
酒井に助けられたのだった。
その日から二十人殺しのジェニーというあだ名がついた。
「実際は何人だったんだよ」
カマちゃんはジェニーに訊いた。
「あー六人いた。けど、その内の三人はビビって立っているだけで…。頑張っていたのは三人だな…」
三人が二十人になるなんて人の噂とは怖いモノだ…。
俺はそう思った。
その後、ジェニーと酒井は、しばらく付き合ってた。
と、言っても当時の中学生の付き合いだ。
せいぜい手を繋いで一緒に帰る程度の話だった。
それでも色ボケのジェニーを俺たちは呆れて見ていた。
その夜、俺たちはジェニーの車で城見の家の近くに来ていた。
少し高台の方にある家だった。
やはり仕事も出来るのだろうか、高級住宅地の中の立派な家だった。
「やっぱ悪い事してるヤツの家は違うな…」
そうなのかもしれない。
しかし俺たちはまだ何も城見のしっぽを掴んでいなかった。
いきなり詰め寄る事は出来ない。
住所を調べただけで、まだスタートラインにも立っていなかった。
「帰って来ない事もあるのか…」
「だろうな…。愛人も居るんじゃ…。あ、すまん…」
俺はジェニーに頭を下げた。
「ん…。ああ、良いよ。元嫁だ。何をしていようが俺には関係ない話だ…」
ジェニーはタバコに火をつけてハンドルに寄りかかっていた。
「まあ、無事でさえいてくれりゃ、娘も安心するだろう…」
ジェニーは薄く窓を開けた。
「しかし俺たちってもう四十だよな…。何でこんな事やってるんだろうな…」
カマちゃんはリクライニングを倒した。
確かにそうだな…。
俺は苦笑した。
「良いんじゃないか…。楽しければ」
俺はそう言った。
「昔はさ、楽しければ何でもやってたじゃん。今はその楽しい事をするのにもイチイチブレーキがかかる。それってやっぱ大人になったって事なんだろうけどさ、それで毎日がつまらないんじゃ意味がない」
俺は後部座席で足を組んだ。
「だよな…。面白そうだってだけで色々とやってたモンな…」
ジェニーは俺の方を振り返り笑った。
「もう一回、本気でやってみるか…不良」
俺とカマちゃんはそのジェニーの言葉に身体を起した。
「不良…、もう一回…本気で…」
カマちゃんはジェニーを覗き込む様に見た。
「不良って…四十のオッサンが不良…」
俺はそう呟くカマちゃんがやけに面白かった。
「俺は元々、不良みたいなモンだしよ…。乗ったぜ」
「シラケンがやるって小学校の時も言ったから決まったみたいなモンだったよな」
「お前らがやるって言ってるのに、俺がやらない訳にはいかないだろ…」
三人は顔を見合わせて笑った。
「ちょっとやる事はあの頃よりヤバいけどよ。それでも楽しけりゃ良いんじゃないか…」
「そうだよな…。確かにヤバいけどな」
「おい、ジェニー、尾崎豊無いのかよ」
「あ、あるよ…」
ジェニーの車の中は大音量で尾崎豊が流れ始めた。
「帰って来たぞ…」
ジェニーはそう言ってカーステレオの音量を下げた。
城見の白いクラウンは運転代行業者の車と共に帰って来た。
「マズイな…。代行が一緒だな…」
カマちゃんは顎を撫でていた。
ちょっとした探偵気取りなのだろう。
「まあ、ここで間違いない事も確認出来た。今日は帰ろう」
ジェニーはギアを入れた。
「良いのか。奥さんの居場所、聞かなくて」
俺は身を乗り出してジェニーに訊いた。
「何…そう簡単に殺しはしないだろう。生きてりゃ良いんだ」
ジェニーは何処か寂しげだった。
しかし今、騒いでもジェニーの奥さんの居場所がすぐにわかる訳でもない。
俺たちは黙って高台を下った。
助手席でカマちゃんは眠っていた。
仕事が仕事だ。
朝早くから仕込みをやったりしてるのだろう。
ジェニーはカマちゃんの店の前に車を停めた。
「カマちゃん着いたぞ…」
なかなか起きないカマちゃんを二人がかりでやっとの思いで起した。
カマちゃんは何も無かった様に帰って行った。
俺とジェニーはそのまま深夜までやっているファミレスに入った。
「今日はすまなかったな…」
ジェニーは改まって俺に言った。
「何を言ってるんだよ…水臭い」
俺はタバコに火をつけながら笑った。
「しかし、冗談抜きにヤバい相手なのかもしれない。学生の時のノリじゃマズイよな…」
「そうだよな…。あ、そうだ。俺なりに調べてみたんだ。新生会ってヤクザ」
「どうやって…」
ジェニーもタバコに火をつけて身を乗り出して来た。
「どうもおかしいんだよ…。いや…車屋の客にも何人かそっち方面の人がいてさ。何気なく訊いてみたんだ」
俺もジェニーに顔を近付けた。
「ほう…」
「そしたらよ…。誰もそんな組知らないって言うんだよ。ただ、西の方で西田ってヤバいヤツがいたって事は皆言うんだ」
ジェニーはファミレスのマズイ水を飲んだ。
「要はその西田ってのが勝手に、その新生会って名前を名乗り、シャブを売り捌いてるって話か…」
俺は声を更に小さくした。
「そうみたいだな。ヤクザ連中も、何処からシャブが出てるのか知りたがってたよ」
ジェニーは固いソファに寄りかかった。
「蛇の道は蛇か…」
俺は真っ暗な窓の外を見た。
「なあ、ジェニー。そのヤクザって、連絡出来るのか」
「ああ。携帯に番号は入っている。シャブが絡んでるんだ。慎重に動かんといかんだろうが、確定したらヤツらに任せるか…」
ジェニーは再び身を乗り出して言った。
「その方が良さそうだな…。流石にシャブは、俺らの手には負えないだろう」
俺はウエイトレスを呼び出すボタンを押した。
「そうだな…。あれ、まだ呼んでなかったのかよ…」
「ウエイトレス呼ぶのは昔からお前の仕事だろうが」
俺はそう言って笑った。
「マズイから…」
「マズイから揚げはうちにはありません…」
俺が言い終わる前に、カマちゃんはいつもの様にカウンターから生える様に出て来た。
「飯食うか」
カマちゃんはニコニコ笑いながら表に出て来た。
ここのところ毎日、カマちゃんの弁当屋で昼飯を食っていた。
「ああ、頼むよ」
俺は、いつもの様にイートインコーナーへ入った。
「よっ」
そこにはジェニーが大盛りのから揚げを食べながら座っていた。
「何だ、居たのかよ…」
俺はジェニーの横に座った。
「居て悪かったな」
ジェニーはから揚げで口の中をいっぱいにしながら言う。
当然、何を言っているのかは聞き取れない。
「お前、何言ってんだよ」
俺がジェニーの背中を叩くと、ジェニーは口の中のモノを勢いよく吹き出した。
「きったねえなー」
ジェニーは口元にご飯粒を付けて笑っていた。
何も昔と変わらない。
俺はこんな普通の事が楽しかった。
ジェニーは仕事を探すという名目で中古車屋を休んでいた。
ジェニーやカマちゃんの様に手に職のあるヤツはすぐにでも仕事は見つかるだろう。
俺なんかはまったく潰しの効かん職業。
毎日毎日、書くしかない。
書くのを止めた時が、小説家が死ぬ時だ。
誰かがこんな事を言っていた。
確かにそうだと俺は思った。
書くのを止めたら俺の存在価値が無くなってしまう。
書く事しか出来ないのなら書き続けるしかない。
「はいよ。おまちどう…」
カマちゃんは俺にも大量のから揚げの載った、いつものシラケンスペシャルを持ってきた。
「またかよ…」
俺は割り箸を割りながらカマちゃんの顔を見た。
昔、いたずらをした時のカマちゃんのしたり顔と同じだった。
「うちの一番人気だ。味わって食え」
カマちゃんはそう言ってカウンターから出て来た。
「ところでよ…。アイツどうするんだ。城見」
「ああ。今日も行ってみるか…」
ジェニーはペットボトルのお茶を飲みながら言った。
「そうだな。城見も毎日、午前様って訳じゃないだろう…」
俺は、から揚げをかじった。
そう味は悪くない事に気が付いた。
問題は量だったのだろうか…。
「じゃあ俺、夕方にオフクロと交代するからよ。それから行こうか」
カマちゃんも嬉しそうだった。
高校の卒業式の日に、俺たちは体育館の裏で、高校最後のタバコを吸っていた。
卒業してしまったらセン公につべこべ言われる事もない。
「シラケン。大学決まったのか」
ジェニーは短くなったタバコを指で挟む様にして吸っていた。
「いや…。明後日、試験なんだよ。これ落ちたら浪人かな…」
俺は吸い殻を溝に捨てた。
「ジェニーは何時アッチ行くんだよ」
カマちゃんは風邪をひいていて、浅田飴をガリガリ噛んでいた。
「ああ。来週の末かな…。オヤジと車で行く事になったから、交代で運転だな…」
ジェニーは栃木の自動車整備士の専門学校へ入学が決まっていた。
「そうか…。寂しくなるな」
カマちゃんは感慨深そうに校舎を眺めていた。
「何…学校出たら、またこっちに戻って来るしよ。もちろん盆と正月にもな」
ジェニーは立ち上がってカマちゃんと一緒に校舎を眺めた。
「何かさ。またいつか一緒に馬鹿やれる気がするんだよな…俺は…」
俺はそう言って二人に缶コーヒーを投げて渡した。
二人とも礼を言いながらそのコーヒーを飲んでいた。
その日を最後に、ジェニーとは二十年以上会う事は無かった。
「じゃあ何か…。その岸田って社長の隠し金庫の金って、本当に表に出せない金だって言うのか」
「そうなんだよ。それをよ…俺は退職金代わりにもらってしまおうと思ってな」
俺は呆れていた。
それは犯罪だ。
「多分、常に五、六百万は入ってると思うんだけどな…」
黙って聞いてる俺に二人は気が付いた様だった。
「何、シラケンは反対か…」
ジェニーは運転席から後部座席の俺を見た。
「あのさ…反対も何も、それって犯罪。刑務所行きたいのかお前ら…」
俺は呆れてそう言った。
「いや、でもよ…。表に出せない金なら別に警察には届けないだろう。だったら平気じゃないか」
カマちゃんも乗り出して来た。
「ダメ。犯罪は犯罪。それは不良のやる事じゃなくて、犯罪者のやる事だ」
俺は手を大袈裟に振った。
「まあ、シラケンがそんなに反対するなら止めとくか」
ジェニーは大人しく引き下がった。
今日も城見の家の近くでジェニーの車を停めて、城見が帰って来るのを待っていた。
夜の十時を回った頃だった。
城見の車が帰って来た。
「帰って来たな…」
「ああ…」
ジェニーとカマちゃんは勢いよく車を降りた。
城見をさらう手筈は完璧だった。
俺は運転席に移り、ジェニーの車を走らせた。
そして城見の家の前で止めた。
「城見さんですよね」
ジェニーが城見に声をかける。
「そうですけど…。ああ、確か…岸田社長のところの整備の…」
城見は車を降りながら言った。
「早良遥さんの事でちょっと…」
城見の背後から、今度はカマちゃんが声をかける。
自分の愛人の名前を家の前で言われると、城見としても都合が悪い。
「な、何を言ってるんだ…」
城見は案の定、慌てていた。
「ここじゃ何なんで、一緒に来てもらえますか…」
ジェニーは城見の肩を力いっぱい掴んだ。
ジェニーの握力は昔から人の域をはるかに超えていた。
「痛い…わかった。わかったから…」
城見は掴まれた肩を回しながら、ジェニーの車の後部座席に乗り込んだ。
その両側にジェニーとカマちゃんが座った。
「俺をどうしようと言うんだ」
城見は不安そうにそう言った。
無理もない。
突然やって来た男たちに拉致されたのだ。
「はいはい。ごめんね…」
カマちゃんは城見の服のポケットに入っているモノを片っ端から助手席に投げ出した。
俺は運転しながらその助手席に投げ出されたモノを横眼で見た。
その中に例の白い粉の入った小さなビニール袋を見つけた。
俺はそれを手に取り、
「ジェニー。ビンゴだ」
そう言ってジェニーたちに見せた。
「城見さん。これは持ってるだけで犯罪ですよ…。警察行きますか…」
ジェニーは楽しそうだった。
そしてルームランプを点けて城見の左腕を捲くった。
そこには注射の跡がはっきりと残っていた。
「シラケン。こっちもビンゴだ」
今度はカマちゃんが城見の携帯電話を触っていた。
メールの中に岸田の息子との履歴があった。
一グラム三万円の表示に、
「はい。こっちもビンゴ」
カマちゃんの声も弾んでいた。
「おいおい。城見さんよ…。サラリーマンがシャブに手出しちゃダメでしょう」
ジェニーは嬉しそうに弾みながら城見の頭を叩いた。
「お前ら警察関係者か…」
「まさか。俺たちは警察が大嫌いでね」
「そうそう。マズイから揚げの次に嫌いだな…」
俺は久々に心から笑った気がした。
ジェニーの車は、岸田が在庫を置いている倉庫の中へ滑り込んだ。
そしてジェニーはシャッターを閉めた。
店からは少し離れたところにあるこの倉庫。
普段は誰も出入りしなかった。
その倉庫の奥にある、昔ショールームで使っていた古いソファに城見は座らされていた。
手足を縛られ、城見のネクタイで目隠しをされている。
「お前ら…これは犯罪だぞ」
城見は何処を見るでもなく叫ぶように言っていた。
「じゃあ、警察呼びましょうか。俺たちは一向にそれでも構わないんですけどね…」
「ま、待て…。何が目的だ。金か…」
城見は慌てる。
「まずは早良遥の居場所、教えて下さい」
俺は城見の耳元で静かに言った。
「それは…」
城見は俯く。
「言えないんですか…」
俺はジェニーに目配せした。
ジェニーがハンディタイプのグラインダーのスイッチを入れると、すごい音が倉庫の中に響く。
そのグラインダーをジェニーは城見の耳元に近付けて行く。
「待て、待ってくれ…。わかった」
目隠しをされた上で、何も聞き慣れない程の音を立てられると恐怖を覚える。
これは人間なら当たり前の事だった。
「遥は…遥は俺が売った」
城見は、音から逃げる様に後退りしながら言った。
「売った…」
「ああ、新生会の西田という男のところに居るはずだ。岸田の息子に頼んで金にしてもらったんだ」
ジェニーはグラインダーを止めた。
「シャブの出所も、その西田ってヤツか」
カマちゃんは城見の横に座って肩を抱いた。
その行為にさえ城見は委縮していた。
「ああ、そうだ…。いや…違う」
「どっちなんだよ」
少し声を荒げてカマちゃんは言った。
「そうなんだが、それをしゃべると俺は殺される…」
城見は全身から汗が噴き出している様だった。
「しらねえよ。その西田って男がシャブ売ってるんだな」
ジェニーは叫ぶように言って、再びグラインダーのスイッチを入れた。
「ひいぃ…勘弁してくれ…。そうだ。西田がシャブを売ってるんだ。岸田と岸田の息子を使ってな」
ジェニーはグラインダーを止めた。
「お前も売ってたのか」
俺は城見のポケットから出したモノを見た。
城見がシャブを販売していた顧客リストの様な手帳があった。
その一つに俺は城見の携帯電話から電話をかけると、すぐに相手は出た。
「城見さん。上物、手に入ったんですか。またお願いしますよ…」
呂律の回らない男の声だった。
俺は電話を切った。
「お前も売人じゃないか…」
俺は思いっ切り城見の頭を蹴った。
ジェニーとカマちゃんはその光景に固まっていた。
「シラケン…」
城見は脳震盪を起して気絶していた。
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