第1話 別れの日
俺はソファの上に投げ出す様にクローゼットから喪服を出した。
数年ぶりに着る喪服だった。
ワイシャツを着て黒のネクタイを締めると、込み上げて来るモノがあり、俺はそれを飲み込んだ。
そして窓に手を突くと、そこから滲む街の風景をじっと見つめ、溢れ出す涙を必死に堪えた。
「ケンちゃん」
その声に振り返ると、妻のトモ子が香典袋を持って立っていた。
「ありがとう…」
俺は囁く様な声でそれを受け取り、テーブルの上に置く。
友人のジェニーが死んだ。
それは、突然の死だった。
「大丈夫…」
そう訊くトモ子に俺は無理に顔を作って微笑むと、ソファに掛けた上着を羽織る。
そして、そのソファに座り込み、大きく息を吐くと目を閉じた。
トモ子も心配そうに俺の横に座ると、俺の肩に手を添えた。
「すまんな…」
多分、それは涙声だった筈だ。
トモ子は何も言わずに俺の肩を摩っていた。
「おい、シラケン、ジェニーが刺された」
そんなカマちゃんからの電話に、俺は無意識にキーボードを打つ手を止めて立ち上がった。
そして、ジェニーが運び込まれた病院に急いだが、既にジェニーは息を引き取った後だった。
霊安室の前には、泣き崩れる奥さんと、無邪気におもちゃで遊ぶ娘。
それにカマちゃんが静かに立っていた。
「シラケン…」
カマちゃんは俺を見付けると傍にやって来る。
カマちゃんは何も言わずに駆け付けた俺の背中を叩いた。
俺は泣き崩れる奥さんに頭を下げると、カマちゃんと一緒にジェニーの眠る霊安室に入った。
俺はそこに横たわるジェニーの血色の無い顔を見た。
綺麗な顔をしていた。
「ジェニー…」
自然と言葉が零れる。
目の奥に溜まる涙が熱く、それを感じながら俺は眠るジェニーの肩に手を添えた。
「何やってんだよ…」
そう言うと一気に涙が溢れ出してくる。
俺は手の甲で流れる涙を拭いながら、何度も何度も、眠るジェニーにそう言った。
「岸田一平…覚えてるか…」
カマちゃんはタバコを片手に、そう言った。
「ああ、覚えてるよ」
俺は缶コーヒーを一口飲んで答えた。
「岸田一平に刺されたんだ」
俺は黙って目を閉じた。
「まさか、あれから十年以上も経って、やられるとはな…。俺も考えてもみなかったよ…」
俺はまた、味のしない缶コーヒーを飲む。
「もう十年も経つのか…」
俺はそう呟いて、暮れた街の風景を見た。
「そうか…。つい、この間の様な気がしてたよ…」
カマちゃんは俺の傍に来て、タバコの煙を吐く。
「俺もだよ…。多分、ジェニーもそう思ってるんじゃないかな…」
その言葉に俺は苦笑した。
「あの無敵のジェニーが、こんなにあっさり死んじまうなんてな…」
俺は言葉が無かった。
そうなのだ、あのジェニーが誰かにやられるなんて、俺たちにとっては考えられない事なのだ。
俺は明け方、部屋に帰った。
妻のトモ子は俺を待っていたのか、薄暗いダイニングテーブルで一人、コーヒーを飲んでいた。
「おかえりなさい」
無理に笑顔を作ると、トモ子に微笑んで、車のキーを棚の上に置いた。
俺は上着を脱ぐと、ダイニングの椅子に座り、テーブルの上にタバコを出した。
「ケンちゃんもコーヒー飲む…。さっき淹れたのよ」
トモ子は立ち上がり、コーヒーサーバーのコーヒーをカップに注ぎ、俺の前に置いた。
「ありがとう…」
俺はトモ子の顔を見て礼を言い、そのカップを手に取る。
トモ子はまた自分の椅子に座り、黙って俺に微笑んでいた。
トモ子なりに気を使ってくれているのが痛い程に伝わった。
「ケンちゃん」
トモ子の声に俺はふと顔を上げ、無言のままトモ子を見た。
「泣いたら…。どうせケンちゃんの事だから、泣くの我慢してたんでしょ」
トモ子の姿が徐々に滲み始める。
そして気が付くと、テーブルの上に涙がポタポタと落ちていた。
俺は久しぶりに誰かのために泣いた。
泣く事自体、もう何年も無かった。
声を殺して俺は涙が枯れるまで泣いた。
ジェニーが煙になった日、俺はカマちゃんと二人でその低い風に流される煙を見ていた。
慣れない喪服と黒いネクタイ。
そんなモノをジェニーのために着るなんて考えてもみなかった。
俺が襟元に指を差し込んでネクタイを緩めると、その様子をカマちゃんはじっと見ていた。
「ん…。ああ、ジェニーなら許してくれるさ…。ネクタイくらい」
俺がカマちゃんに言うと、
「そうだな…」
と言ってカマちゃんもネクタイを緩めた。
「お前、仕事は順調そうだな…」
カマちゃんはタバコを咥えると、ポケットのライターを探しながら言う。
「ああ、おかげさまでな…。休んでる暇もないよ…」
俺の言葉にカマちゃんは頷く。
「なんかまた、映画になるってテレビで言ってたけど…」
俺は無言で小さく頷いた。
「凄いよな…。十年前までヒモ同然のエロ小説家だったのにな…」
カマちゃんはやっとライターを見付けると、タバコに火をつけた。
「うるせえよ…」
カマちゃんはゆっくりと立ち上がり、俺の横に来た。
「もう五十を過ぎたんだ…。そろそろ良いだろう…」
「だよな…。もう五十だもんな…」
まだ五十で逝ってしまったジェニーの煙を俺は見上げた。
「でもよ、確かに身体は五十だけど、中身はあの頃と何にも変わらないんだよな…」
あの頃。
カマちゃんの言う「あの頃」とは多分、俺たちが昔バカをやっていた頃の事だろう。
「ジェニーが一番、あの頃のままだったかもしれないな…」
同感だった。
ジェニーが一番、若い頃のままだったのかもしれない。
「トモちゃん元気か…」
俺は無言で頷く。
妻のトモ子と結婚して今年で八年が経つ。
俺の書いた小説が賞を取り、一端に小説家として書ける様になってようやく十年。
それまでは古い部屋に住み、それこそトモ子に飯を食わせてもらっていた。
そんな生活から抜け出して十年が経ち、まさかジェニーが死んでしまう日が来るなんて、考えても見なかった。
「カマちゃん、シラケンちゃん」
火葬場の入口で俺たちをそう呼ぶのはジェニーの母だった。
俺とカマちゃんはタバコを消して、ジェニーの母に頭を下げた。
ゆっくりと俺たちの傍に来ると、
「食事、準備してあるから…。食べて行って」
ジェニーの母は涙で腫らした目でそう言った。
「ありがとうございます。でも、俺たちはこれで失礼します」
俺はそう言うとジェニーの母に頭を下げた。
「あら、そう…。忙しいのにわざわざごめんなさいね…」
とジェニーの母は言った。
俺とカマちゃんは何度もジェニーの母に頭を下げて、車に乗り込んだ。
どうしても灰になったジェニーを見たくなかった。
俺とカマちゃんはある場所に来て車を停めた。
そこはカットハウスになっていて、以前の雰囲気とはまったく変わっていた。
「こんな風になってしまうと、以前何があったかなんてわかんないな…」
カマちゃんはその店を見て、そう呟く様に言った。
俺は黙ってアクセルを踏んだ。
以前、何があったかなんて直ぐに忘れられてしまう。
そして街はその形相を変え、またそこに新しいモノが流し込まれて行く。
今度は高台の高級住宅地にやって来た。
「表札が杉本になってるな…」
カマちゃんはその家を見て言った。
俺は車をUターンさせると、その高台を下って行った。
あの事件の跡なんて何処にも残っていない。
もう遥か昔に忘れられてしまった事だ。
「うちに寄って行くか」
俺はカマちゃんに訊いた。
カマちゃんは少し考えて、
「ああ、久しぶりにトモちゃんの顔も見たいし、少しだけ寄らせてもらうわ」
カマちゃんはそう言うと窓の外を見ていた。
マンションの地下駐車場に俺は車を入れる。
高層マンション。
今の流行なのか、この十年程でこの街にもたくさんのそれが建設された。
街に近いその一つを俺は買ってトモ子と二人で住んでいる。
トモ子は、
「もっと田舎にしようよ」
と言っていたが、俺は何となく生活圏を変えたくなくて、とりあえず、このマンションを選んだ。
田舎に住みたくない訳じゃなかった。
だが、俺は仲間と離れてしまうのがたまらなく嫌だったのだ。
俺とカマちゃんは車を降り、地下からエレベーターに乗った。
高層マンションのエレベーターは早く、十六階の俺の部屋まで一分とかからず着いてしまう。
「何か凄げえマンションだな…。部屋に入るまで外の景色とか見れないんだな」
カマちゃんは何度か来ている筈だが、いつも同じような感動の仕方をしている。
俺は部屋のカードキーを翳してドアを開けた。
「入れよ…」
とカマちゃんに言うと、部屋に居るトモ子に声を掛け、カマちゃんが来た事を伝えた。
「カマちゃん、いらっしゃい」
トモ子はそう言うと、コーヒーメーカーにコーヒー豆を入れる。
「なんか随分と変わったな…。お前の生活」
カマちゃんは窓から見える風景を見て言った。
確かに変わってしまった。
それが良い事なのか、悪い事なのかは俺にはわからないが、それが俺の十年なのかもしれない。
「弁当屋はどうだ…」
俺はタバコを咥えてカマちゃんに訊いた。
「ああ、キッチンカーが来月から二台になる。もう俺一人じゃやっていけないな…」
カマちゃんは弁当屋のオーナーだが、この数年、店だけじゃダメだと言い、キッチンカーでの販売を始めた。
それが見事に当たり、店の方も客が増えた様だった。
十年前まで、カマちゃんが言う様に、俺は官能小説を月に二本書いて、家賃と国民年金、健康保険を払うと終わりという生活をしていた。
「お前にとっても、俺にとっても良い十年だったのかな…」
カマちゃんはそう言った。
良い十年か…。
どうなんだろうな…。
トモ子がカップにコーヒーを注ぎ、カマちゃんと俺の前に出した。
「ありがとう」
カマちゃんは礼を言うとコーヒーを飲んだ。
俺も灰皿でタバコを消してコーヒーを飲む。
「美味いコーヒーだな…」
カマちゃんはカップを置いて言う。
「ああ、特別にブレンドしてもらってるんだよ」
「へぇ…。あの缶コーヒーばっかり飲んでたお前がな…」
俺はカマちゃんの言葉に、笑った。
「三人で缶コーヒーばっかり飲んでたな…」
俺は窓の外を見て言った。
カマちゃんも俺の視線を追う様に窓の外を見た。
「そうだな…。缶コーヒー、タバコ、カップラーメン。俺たちの三種の神器みたいなモンだわ…」
そう言うと笑った。
トモ子が俺たちの前にお菓子を出す。
「何にもしなくていいよ。トモちゃんも一緒にコーヒー飲もうよ…」
カマちゃんがトモ子にも座る様に言うと、トモ子はカマちゃんの向かいに座り、自分のカップにコーヒーを注いだ。
「お葬式、盛大だった…」
トモ子が俺に訊いた。
刺されて死んだジェニーの葬式は、正直そんなに人も居なかった。
俺は目を伏せて首を横に振った。
「刑事に訊いたんだけどよ、仕事中に後ろから刺されたらしいよ」
カマちゃんは相変わらず情報通で、誰にも気兼ねなく話を聞ける所は、ある意味才能だった。
「まあ、後ろから刺されたんじゃ、無敵のジェニーでも無理かもな…」
ジェニー。
岡根章太。
俺とカマちゃんの幼馴染で、若い頃は一緒に馬鹿ばっかりやっていた仲間だった。
そのジェニーが刺されて死んだ。
もう十分すぎる程に泣いた。
多分、カマちゃんも…。
だから、今、こうやって笑いながら話せている。
昔、ジェニーが良く言っていた。
「俺は畳の上じゃ死ねない筈だ」
その言葉が現実になった。
五年程前に、ジェニーは自分で自動車の整備工場を始めた。
あまり仕事に恵まれた奴では無かったのかもしれない。
それを言ってしまうと、俺もカマちゃんも同様なのだが。
高校を出るまで一緒だった三人だが、高校を出てジェニーが遠く離れた専門学校に行ってしまい、彼だけ疎遠になってしまった。
そして再会したのが十年程前で、そこからまた付き合いが始まった。
再会して俺は楽しかった。
昔に戻った気分で、三人で良く一緒にいた。
しばらく会っていないと考えていた矢先に、ジェニーは逝ってしまった。
ジェニーが何故、刺されなければいけなかったのか…。
それは十年前のある事件が発端だった。
「でも、刺されるのはジェニーじゃなくて、俺でも、お前でもおかしくなかった訳だよな…」
カマちゃんはコーヒーを飲み干すと、そう言って苦笑した。
そうなのだ。
たまたまジェニーが刺されて命を落としたが、それがカマちゃんか俺でもおかしくないのだ。
それ程に岸田一平は俺たちを恨んでいたのだ。
それを考えるとぞっとする。
「まだ、二人居る訳だから、俺たちもしばらく気を付けよう」
カマちゃんはそう言っているが、後の二人は人を刺せるような奴じゃない気がした。
その日、カマちゃんは夕食を食べて帰って行った。
「先生…」
俺は自分が呼ばれている事に気付かず、じっと原稿を見ていた。
何度呼ばれたのかわからなかったが、その声が耳に入って俺は顔を上げた。
「すみません。この部分なんですけど、どうしても繋がりを考えると、こっちの方が良いような気がして…」
俺は赤ペンの入った原稿を受け取り、訂正を承諾した。
直ぐにキーボードを叩くと修正した事を編集者の志村さんに伝えた。
「あ、それから…」
顔を上げると、俺の前に企画書が置かれた。
「何だ、これ…」
俺はその企画書を手に取った。
「わたしの十年」という企画を雑誌でやるらしい。
「これに俺を…」
志村さんはコクリと頷く。
「色々な分野の人を選んで特集をやるのですが、作家部門からは是非先生にお願いしたいと思いまして…」
「俺に語れる十年は無いよ…。悪いけど、他の人に頼んで」
俺はそう言うと、その企画書を志村さんに返した。
「無理ですか…」
志村さんは俺の顔を覗き込む様に見て言う。
俺は微笑み、小さく頷いた。
志村さんはあからさまに肩を落として、私の傍を立ち去る。
そして振り返ると、
「本当に、本当に無理ですか」
と、訊く。
私はおかしくなり、笑いながら首を横に振った。
「どうしたの、亜希子さん」
と志村さんにトモ子が声を掛けた。
「先生に、雑誌の特集、断られちゃって…」
志村さんは月に何度かやって来るので、トモ子とも仲良くなっている様で、トモ子は志村さんの事を名前で呼んでいた。
「ケンちゃん。やってあげたら…」
書斎の入口にトモ子が立ち、俺に言う。
俺は顔を上げて、トモ子にも首を横に振った。
要はこの十年で、名前の売れた人間を晒したいだけの企画なのだろう。
俺はそう思い、いい気はしなかった。
十年。
四十から五十になる俺の十年は早かった。
年々、年を取るのは加速すると言うが、その速度は凄まじく、本当にアッと言う間だったのだ。
トモ子がコーヒーを淹れたので休憩しようと言って来た。
俺は書斎を出てリビングのソファに座った。
「志村さんはどうして編集者になったの…」
俺はコーヒーを飲みながら、志村さんに訊いた。
「あ、私、本当は小説家になりたいんです。働きながら小説を書くにはどんな仕事が良いかなって思いまして…」
俺は小さく頷く。
「だけど、実際に働いてみると、結構激務で、自分で小説なんて書く時間も無くて、寝る時間削って書くと、次の日大変だし、休みもちゃんと取れる訳じゃないし…」
必死に話す志村さんの苦労が伝わって来る様だった。
「先生は、どうされてたんですか…」
志村さんはクッキーを手に取り、そう訊いた。
「俺は…、俺の場合は小学校の教師をやってたんだ。ちょうど、今の志村さんくらいの時だな…。趣味で書いていた小説が、ある新人賞を獲って、それで何冊か本を出した。いや、初めは良かったんだよ。新人賞を獲った作家の本ってだけで売れるからね。でもその後、鳴かず飛ばずで十年くらいかな…」
志村さんは興味深そうに頷く。
「ケンちゃんね。その間、ずっと官能小説を書いてたのよ」
「官能…小説ですか…」
俺はコクリと頷いた。
「月に二本かな…官能小説を書いて、十五万だったかな…。それを数年続けたな。あ、官能小説が悪いって言ってる訳じゃないんだ。だた俺は、それに向いていないのに書いてた。だからさ、途中で気持ち悪くなって吐きながら書いた事もあるよ。それでも生きて行くためって思ってね…」
俺の話に志村さんとトモ子はケラケラ笑っていた。
「でも、私が小説家になりたいって思ったのは、先生の本を読んでからなんです」
志村さんは俺の顔をじっと見ていた。
「ほら、『オレンジの約束』です」
オレンジの約束。
俺が十年前に書いた本だった。
俺とジェニー、カマちゃんの事を書いた話で、自叙伝の様な本だった。
この本が賞を取り、俺は有名作家になれたのだが。
「何か、凄くリアルで、伝わって来るんですよね…。臨場感みたいなモノが…」
ある意味、この上ない誉め言葉なのだが…。
「あれって実話なんですか…」
俺は、微笑むと首を捻った。
「どうだと思う…」
志村さんは、首を傾げて、
「実話だったらそれはそれで凄いなって」
そう言って笑った。
その横で事情を知っているトモ子がニヤニヤと笑っている。
「よし、じゃあ…昼飯食いに行こうか…」
俺はそう言うと立ち上がって凝った首を鳴らした。
俺はカマちゃんの弁当屋の前に車を停めた。
そして後部座席からトモ子と志村さんを降ろした。
「此処ですか」
志村さんは何の変哲もない弁当屋をじっと見る。
「あれ、シラケン」
油で汚れたコック服を着たカマちゃんが顔を出す。
俺はこめかみに二本の指を当てて、カマちゃんに挨拶をした。
「よっ」
そしてカウンターに立って、
「マズイから揚げ弁当三つ」
と注文した。
「お前、いい加減にしろよな…」
とカマちゃんは笑いながら、から揚げ弁当を作り始めた。
俺たちはカマちゃんの店のイートインコーナーに入った。
から揚げ弁当はカマちゃんの店の看板商品で、味も美味いと評判だった。
ただ、俺の口には合わないと言うだけの話で、決してマズイから揚げ弁当と言う訳では無い。
直ぐにから揚げ弁当が三つ、俺たちの前に出される。
「久しぶりに来てくれたんで、お茶も付けるわ」
とカマちゃんは俺たちの前に缶のお茶を出した。
「ありがとうカマちゃん」
トモ子が礼を言うと、志村さんは、
「え、この人がカマちゃんさんですか…」
と、じっとカマちゃんを見る。
「架空の人だと思ってました」
俺はそれを聞いて笑った。
「まあ、とりあえず、マズイから揚げ弁当食ってみなよ…」
俺は久しぶりにカマちゃんのから揚げを食べた。
久しぶりに食うとそう悪い味でもない。
トモ子と志村さんは「美味しい、美味しい」と言いながらカマちゃんのから揚げ弁当を食べていた。
「え…。じゃあやっぱり実話だったんですね…」
志村さんはお茶を飲みながら大声で言う。
「まあ、実話って言えばそうなんだけどさ…。ちょっと格好良く書いてあるのも事実だな…」
カマちゃんは俺たちの前で腕を組んで言う。
当然、カマちゃんの店にも日焼けして色が変わってしまった『オレンジの約束』は置いてある。
「あの話は、間違いなく、俺とこのカマちゃんと、死んでしまったジェニーの話なんだけど、ノンフィクションではないよ。あくまで小説だ」
志村さんは俺の言葉に頷く。
「まあ、俺たちの青春を書いた話ではある」
志村さんは、カマちゃんの店にあったその本をペラペラと捲り、
「じゃあ、その後の話なんかもあるんじゃないんですか」
俺とカマちゃんはその言葉に顔を見合わせた。
ふと様子の違う俺たちに志村さんは気が付いた様だった。
「どうしたんですか…」
俺は息を吐いて、志村さんに微笑んだ。
「志村さん…。さっきの特集の話なんだけど…」
「あ、受けてもらえるんですか」
志村さんは立ち上がる。
俺は、微笑んで口を開いた…。
「いいかい。今から、その本の後の話をするよ。だけど、その話はわたしの十年を語ろうとすると絶対に外せない出来事なんだ」
志村さんは訳がわからないといった表情で、不思議そうに俺を見ていた。
「俺と、このカマちゃんとジェニーの話。四十歳の青春の話だ…」
俺は、目を閉じてそれを話す準備を自分の中で始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます