西の空に光の線が走った日 - 四十歳の青春 -
星賀 勇一郎
プロローグ
俺たちはその日、山がどんどんプリンの様に削られていく光景を見た。
大型のダンプが何十台も連なり、パワーショベルが黄土色の土をダンプに流れ作業で積んで行く。
「すげえな」
その光景が見えるところに一番早く辿り着いたのはジェニーだった。
ジェニーは少し背伸びをしながら俺たちが追い付くのを待っていた。
「何やってんだよ。早く来いよ」
小学生の足では、そんな山でも登るのは楽ではない。
ランドセルを草木で擦り、傷だらけにしながら、その日の目的地まで俺たちはやって来た。
「ジェニーは体力だけはあるよな」
カマちゃんはそう言ってジェニーの横で息を吐いていた。
俺は到着したのが一番遅く、息を切らして二人の肩を掴みながらやっとの思いで立っていた。
「シラケン見てみろよ。すげえから」
ジェニーは俺を自分の前に立たせてくれた。
そこに見えた一面の光景は、表から見る山とはまったく違う世界だった。
草一本ない黄土色の世界。
そんな映画の様な風景だった。
「ここの土で人工島っていうのを作るらしいぜ」
カマちゃんが誇らしげに言ったのを、ジェニーと二人で頷きながら聞いていたが、人工島が何なのか実は三人ともわかってなかった。
「この山、無くなっちゃうのかな」
「何かここには、家がいっぱい建つらしいよ」
またカマちゃんが鼻の下を擦りながら誇らしげに言う。
「お前さー、何でそんなに詳しいんだよ」
「オヤジが教えてくれたんだよ。店の客で、ここで働いてる人がいるんだってさ」
俺たちは、山を削った何も無いその世界に釘付けだった。
先生は行ってはいけないって言ってたけど、そう言われると冒険心を掻き立てる。
そんな年齢だったのかもしれない。
疲れ切っていた俺は、近くにあった大きな岩に座り、ジェニーとカマちゃんの後ろ姿をそこから見ていた。
「あれ。シラケン」
カマちゃんが俺を探していた。
すぐに俺に気付きカマちゃんは俺の横にやって来た。
ジェニーも近くにあった枝を折り、振り回しながら隣に座った。
俺たちは眼下に見える街を見た。
「また来た道、帰るんだよな」
「そうだな…」
「帰りは下りだから早いだろう」
ジェニーは脳天気なヤツ。
ジェニーって呼んでるけど別に外人じゃない。
岡根章太って言う。
苗字がオカネだからゼニって呼ばれ、それがいつの間にかジェニーになった。
俺が転校してきた時には既にジェニーで、俺達より少し身体も大きく力も強かった。
「そう言えばジェニーさあ、宿題の作文、もう書いた」
カマちゃんは岩に寝転んだ。
カマちゃん。
大塚雅一。
大塚なのになんでカマちゃんかって思うでしょ。
これは俺も覚えている。
習字の時間に半紙の左端に名前を小筆で書く。
まだ塚と雅って字を授業で習っていなくて、カマちゃんの習字「光」って文字の横に、「大つかまさ一」って名前を書いた。
その文字の「か」と「ま」がやたらと大きくて、教室の後ろに貼ってあったその習字。
遠目に見ると「かま」だけが目立ち、誰かが、カマちゃんって呼び始めた。
別にオカマって訳じゃない。
「アレだろ、ほら、「大きくなったら」だろ。書く訳ないじゃん。何になりたいかとかわかんねえし」
「シラケンは作文得意だもんな。もう書いたんだろ」
「うん。昨日書いて提出した」
俺がシラケンって呼ばれてる白石健司。
俺みたいな呼び方されているヤツは結構いる。
ケンジって名前が多くて、コバケンだのカワケンだのって。
単にその内の一人って訳。
この街に、オヤジの仕事の都合で引っ越して来て一年。
やっと馴染んだ感じだった。
その中でもこのジェニーとカマちゃんは特に仲が良かった。
「大きくなったらか…。カマちゃんは何になりたいんだよ」
ジェニーは俺たちの頭の横に座って、折った枝で岩を叩いていた。
ジェニーが岩を叩く度に、俺の頭にキンキンと音が響いた。
「俺はさ、家の仕事、継がなきゃいけないし。ホントはなりたいモンあるけど書けないよ」
「何になりたいの」
俺はカマちゃんに訊く。
「やだよ。恥ずかしい」
カマちゃんは少しだけ顔を赤くしていた。
「お前、仮面ライダーとかウルトラマンになりたいって言うんじゃないだろうな」
ジェニーはカマちゃんの首を背後から腕で絞めながら言った。
「馬鹿じゃないのか。それはお前だろ」
カマちゃんはジェニーの腕からするりと抜け出す。
「シラケンは何になりたいんだよ」
「俺は…。先生かな…。小学校の先生」
俺は照れ臭かった。
ただそれだけ言うのに顔が熱くなった気がした。
「なんかシラケンらしいな」
「だよな。でもシラケンなら、なれそうな気がするな」
ジェニーとカマちゃんは再び岩の上で寝そべり暮れかかった空を見た。
見事な夕焼け空に、俺たち三人はオレンジ色に染まっていた。
「俺さ、大人になって何かやりたいってモンはよくわかんねえけど、大人になる前にやりたい事があるんだ」
ジェニーが手に持っていた枝を投げると、背の高い草藪の中に落ちた。
「何がやりたんだよ…」
「言わねえよ。バーカ。お前は黙って中華料理屋やってろ」
「うるせえよ。もう中華屋じゃねえし」
カマちゃんは起き上がり小さな石を採掘場へ投げた。
その石が夕日に光り輝く重機に当たり甲高い金属音がした。
「え…中華屋じゃないの」
俺は驚いた。
カマちゃんの家に遊びに行った時、カマちゃんのお父さんがラーメンを御馳走してくれた。
美味いのか不味いのかわからないけど、生まれて初めて中華料理屋で食べたラーメンだった。
「来月から洋食屋。今、改装工事中なんだ」
「お前のオヤジ、洋食とかも出来んのかよ」
ジェニーもカマちゃんを真似て石を投げた。
ジェニーの石も重機に当たった。
「知らねえけど、毎日、海老フライとかコロッケとか練習してるよ」
「良いなあ。ああ、コロッケ食いたい」
ジェニーはまた石を投げた。
またその石は重機に当たった音が響く。
「お前がやりたい事、教えてくれたら持って来てやるよ」
「ホントか。嘘じゃないだろうな」
ジェニーは身を乗り出してカマちゃんに言う。
小学生の頃。
俺たちは単純だった。
何のしがらみも無い世界で、その日その日を無邪気に楽しんでいた。
それなりに悩み、それなりに喜んだり悲しんだり。
それでも、いつも答えは単純で、楽しけりゃいい。
そう思って生きていた。
「俺さ、不良やってみたいんだよな」
「はあ」
「不良…」
俺とカマちゃんは唖然とし、大真面目に言うジェニーの顔を見て声を上げて笑った。
「ふざけんなよ。人が真面目に言ってんのによ」
ジェニーは照れながら、俺たち二人に土を投げて来た。
「悪い悪い。ちょっと驚いただけだよ」
「そうそう。ジェニーの不良姿って想像出来るから」
カマちゃんは笑うのを止めない。
そのカマちゃんの首をまたジェニーは腕で絞める。
「ギブギブ」って言いながらカマちゃんはジェニーの腕を叩いていた。
俺は西の夕焼け空を見ていた。
埃っぽい採掘場もオレンジ一色に染まり、その太陽の熱は俺の顔にも届いていた。
「でも…。俺もやってみたいかも…。不良」
俺の言葉にジェニーとカマちゃんの動きが止まった。
「シラケン…」
「シラケンが不良…」
二人は絶句だった。
「なんか近藤正彦みたいな髪型とかしてさ、バイク乗って暴走とかするんだよ。そんでそんで、金八先生みたいにさ、学校にボンタンとか穿いて行ってさ。大人になったらそんな事やれないじゃん」
何故か俺は熱く語り、その俺をジェニーとカマちゃんは黙って見ていた。
そして突然、二人は笑い出した。
「だよなあ、大人には出来ねえもんな」
「そうだよ。子供の間しか出来ねえんならさ、思いっきりやればいいじゃんよ」
二人は俺の肩を抱いて顔を寄せた。
「やろうか…三人で、不良」
カマちゃんは西の夕焼け空を見て呟いた。
「おう。この三人なら間違いなく、最強の不良になれるぜ」
ジェニーも上機嫌でニコニコ笑いながら西の空を見た。
「うん。やってみようよ。俺も頑張るよ」
俺は経験した事ない位に胸が熱かった。
二人の視線を追う。
三人は夕焼けに照らされ濃いオレンジ一色になった。
その時、西の空に光る何かを見つけた。
多分、三人はほぼ同時にそれを見つけたんだと思う。
「何だあれ…」
ジェニーが指さす。
俺もカマちゃんも、既にその指の先を見ていた。
「うん」
「UFOかな…」
その輝く光はどんどん空に昇って行く様に見え、そして次の瞬間、その光から一筋の光の線が太陽の方へ流れて消えた。
「マジかよ…」
「UFO見ちゃったよ」
三人は誰からとも無く騒ぎ出し、怖くなって一気にその山を駆け下りた。
後から考えると、その日ロケットの打ち上げがあり、そのロケットが太陽の光に照らされて光っているだけだったのだが…。
当時の俺達には充分過ぎる刺激だった。
一九八一年。
俺たちはまだ十歳だった。
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