最終話 通過点と変化

 彼女もまだ独身で、恋人もいないと言っていた。同じ境遇の私たちはどこか安心して、コンビニの店内で本音で語り合った。傷をなめあう、なんて昔の表現だ。助け合う、きっとこっちのほうがピンと来る。別れ際、彼女が言う。


「私も去年、どうしたらいいか分からないくらい落ち込んでいたんだ。そんなとき、占いの本に出会ったの。読んでいるうちに心が晴れていった。一つの道標ができたって感じかな、水奈みなもあまりにも迷っているならおすすめするよ。まぁ占いはあくまでも参考程度にって、その本の作者も言ってたけど」


 捨てる神あれば拾う神ありとはこのことだろうか。私はさっそく彼女おすすめの占い本を購入した。そのコンビニに売っていた。千円だった。


 この本によると私は、幸せを受け取る覚悟がなかったらしい。

 そうか、納得する。幸せを受け取るのが怖いから「このままでいい」と言って、逃げていた。そのくせ周りを羨んでいた。


 辛いことや苦しいことは、あるもの。同じくらい楽しいことや幸せなことも、あるもの。新しいことに挑戦すると失敗はつきもの。それを失敗にするか、経験とするか。少しの心がけで人生は変わる。そんなことが書いていた。

 私は、みんなは最初から恵まれていると思っていたがそれは違った。みんなは必死で手に入れていたのだと知った。


 買った服を着る勇気。これが私の、幸せを受け取る覚悟だと思った。

 次の土日は外出しよう。この前買った、水玉のワンピースを着よう。


 なんだかわくわくしてきた。今ならなんでもできそうな気がしてきた。

 私はそのままの勢いで親に問いかける。二人とも居間にいた。


「私がこのまま家にいると、お母さんたちは嬉しい?」


 両親は目を丸くしていた。それはそうだ、普段は天候の話しかしない娘がいきなりそんなことを言うなんて。


「何? いまさら。いたければいればいいじゃない、自分の家なんだから」


「嫁に行きたければそうしろ。自分の人生なんだから」


 お母さんはいったん止めた皿洗いの手を再び動かして、お父さんは新聞を再び読み始める。なにもなかったかのような空気だ。そういえばここ数年、親のグチを聞いていないかもしれない。私は天候の話しかしないし、ごはんを食べたら自分の部屋に行くから、話す時間自体少なかったのだ。

 そうか、選べるのだ。もう、両親の呪縛はないのだ。


 土曜日。化粧品を買いに行くことに決めた。新しい色のアイシャドウが欲しい。  

ついでに新刊のチェックもしてこよう。先日買った、水玉のワンピースを着るんだ。


 なんということだ、生理が来た。気分が下がる。水玉のワンピースは地色が生成りだった。生理日に着るのには抵抗がある。

 そういえば、私はいつもこうだった。めかしこんで外出しようとすると、生理が来る。そうしていつも、ラフな服装にしてしまう。今日もそうなるのか。


 いや、もう違う。言い訳はしない。生理痛の薬を持っていこう。もしかしてオシャレがしたくなるのは、生理前の気分の変化が関わっているのかもしれない。化粧品を買って新刊をチェックするだけだ。薬だって持っていく。なにも恐れることはない。


 気を取り直して日焼け止めを塗る。ベタベタする。けれども紫外線対策として、塗ることは必須。手を洗えばいいだけだ。


 デパートに向かう。車のなかはかなり暑かった、クーラーをつける。太陽が照りつける、腕が熱い。日差し対策にカーディガンを羽織る。

 窓を開けて走っている車を見かける。クーラーをつけずに窓を開けているのだろうか、暑くないのだろうか。


 デパートに到着した。

 屋内駐車場に入る。すぐに空きスペースを見つけた。入口から少し離れているが、ここに停める。入口付近はなかなか空いていない。そうなると結局出口に向かい、外の駐車場を一周してまた入り口から入らなくてはならない。一度その経験をした。過ちは繰り返したくない。私は駐車スペースを見つけたらすぐに停めるようにしている。

 そしてそれは正解だった。幾つかの空きスペースを素通りし、入り口付近でさらに徐行している車が目立つ。しかし空いていないので、出口に向かう車だらけだ。屋内駐車場はもわっとしている。排気ガスで気温が上昇しているのだろうか。


 デパートの自動ドアをくぐると一気に冷える。おいしそうな地方グルメフェアをやっている。それをスルーして右に曲がると化粧品コーナーが並ぶ。おすすめの商品は棚に並べられて、キラキラしている。ラメと照明の効果だろうか。


「よかったらお試しください」


 化粧品コーナーのお姉さんが笑顔で言う。誘惑だ。キラキラしたものに惹かれるのは女子力がうずいている証拠だ。けれどもここの化粧品は、少々お高い。私はドラッグストアでプチプラコスメを買う予定なので、我慢して通りすぎた。


 エスカレーターに乗る。本屋は三階にある。ついでに二階の服屋を見ることにした、少しだけ。せっかくバーゲン時期なので、見るだけでも楽しいだろう。

 可愛い服を見つけた。私好みの理想的なワンピース。レースが付いていてドレスのような形をしている。欲しい。けれども、いつ着る? そんな質問はもういらない。着たいときに着ればいいのだ。

 けれども今日はお金を余分に持っていなかった。諦めよう、今日は。ご縁があったらまた巡り合える。

 私は背筋を伸ばして本屋に向かった。なんだか皮肉だ。服が欲しくて買い物に出かけたときに、あんな理想的な服に出会ったことはない。予定外に立ち寄ったときに出会うなんて。待っているとなかなかタイミングは来なくて長く感じる、準備をしないと来る。忘れていると過ぎている。なんだか人生みたいだ。そうか、多分、そうなんだろう。

 そう思ったら、変化が怖くなくなった。今までは、変わることが怖かった。だからずっと同じ場所にいた。


 家をでよう。とっさにそう思った。環境を変えてみることにした。冬期間だけではない、一人暮らしを始めるのだ。

 掃除もごはん作りも、一人で全部やってみよう。今まで知らなかったこと、見えなかったことが見えるのではないか。

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三十五歳 青山えむ @seenaemu

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