結晶からのめざめ 5

 リティは結晶の中で長い夢を見た。


 ほとんどは、アズナイとメイナがいる、日常の光景だった。


 朝、鳥の声とともに起きて、なかなか起きないメイナをゆり起こし、水を汲みにいく。


 アズナイはときおり森に連れてきてくれて、動物や鳥や植物について教えてくれる。


 厳しい魔法の勉強のほかは、退屈な日々。


 『女神ミュートより、魔法の才能を与えられた者は、しっかりと学び、国や人々の役に立たなければならないよ』


 それはアズナイの言葉だが、周りの大人たちもたいてい、そんなことを言っていた。


 父親に、『灰の魔法』のことが見つかった日。あのときの父親の、おどろきと、喜びと、ごくわずかな恐怖がまじった眼差しを忘れない。


 リティが野犬に靴を噛まれ、ひっぱられたとき、リティは叫びながら、右手をのばして野犬の頭をぐいと押した。――押しただけのはずだったのに。それなのに、あんなことになった。


 『大丈夫か? リティ。え……。なにをしたんだ? リティ。まさか……。おまえがこの、野犬の……』 


 ひとは産まれながらに、女神の寵愛を受けて、なんらかの才能をもらって産まれてくるという。はたして、それは寵愛なのだろうか? それに。それに、その女神は、その同じ冷たい手で、人々を凍らせようとしている。おそろしい。それが本当だとしたら。おそろしいことだ。


 女神ミュートが、人々に怒り、世界を凍らせるという。――それは、本当なのだろうか?



 リティは結晶の夢の中で、長い思索の中にいた。


 結晶に入ってからしばらくは、氷の年が世界を覆うさまも観た。


 北から押し寄せる冷気は、空を覆い、町を覆い、すべてを白く染めていった。


 木や山や家屋が凍りついた。動物や人々も。鳥や虫や草花も。川や浜辺も。


 人々が北へと逃げるのは滑稽に思われたが、だれしもが伝承を信じていたようだ。滑稽な旅だったが、旅をした人々の目には光がやどっていた。一方で、信じるよるべのない者から凍っていった。


 そんな夢想の中で、かたわらにずっと、ちいさな灯りがあった。


 その灯りは、リティによりそうように、昼も夜も、いかなる冷たい霜と雪の中でも、絶えずささやかな光をはなっていた。


 ある日、リティは地面に横たわって、散らばった結晶のかけらの中で目を覚ました。夢は終わった。冬が終わり夜がきた。





 メイナは灯りをかかげながら、ひとけのない町並を進んだ。横にはリティがおり、氷の年がくる以前からと同じように、無口だった。


「あの日と、逆だねー」


 とメイナは言った。


「なにが?」


 とリティの声がした。


「だってさー。あの日は、アズナイさまと一緒に、家を出て市場通りを抜けて、森に行ったじゃん」

「そうだねえ。だから?」

「うん。だとしたらさ、もしかしたらさ、アズナイさまが待っているかもよ」

「そうねえ」


 リティはそれっきり、なにも言わなかった。


 市場通りを抜けて、神殿へ続く白い石畳を横目にすぎて、広場の前をすぎると、ちいさなレンガ造りの家が見えてきた。その家は暗闇の中で、メイナの灯りを受けてほんのりとオレンジ色に輝いていた。


 メイナは駆け出した。


「ちょっと、急に走ると危ないって」


 背後でリティがそう言ったが、リティも駆け出していた。


 木材のささくれた扉を引くと、ぎい、と軋んだ音をたててすこし開いた。メイナは手を止めた。


「どうしたの?」


 と言うリティに、


「うん。なんかさ、怖くて……。アズナイさまは……」


 リティはしばらくだまっていたが、「いいよ。開けようよ。見ようよ」と言って、扉をぐいと引いた。



 メイナの灯りに照らされた家の中は、かつてのままだった。


 いつも座っていたテーブルの中央にはランプが置かれ、本棚には本が順番に並んでいた。読みさしていた本からは赤い栞が飛び出ていて、ふたたび開かれるのを待っているようだった。奥には暖炉とベッドが見えた。


 家の隅の簡素なベッドには、布が折り畳まれていた。


「なんかさー。そのうち、帰ってきそうだよね」

「そうだねえ」


 リティはそう答えて、テーブルに近づくと、なにを思ったか椅子を引いて、そこに座った。メイナもそれを真似て、昔のようにとなりに座った。


 リティはうつむいて、肩をふるわせて、両手で顔をおさえた。


 そのときメイナは、テーブルの上に文字が書かれていることに気づいた。その文字は、黒いインクで、なかば彫り込まれるように深く、強く書かれていた。


「ねえ、これさー。なんだろ」


 リティは洟をすすりながら、うるさそうに顔を上げた。


「これってなに?」

「だからさー、この文字」

「え?」


 メイナは右手をかざし、テーブルの上の文字を照らした。そこには、こう書かれていた。


 『心を凍てつかせてはならない』


 メイナはなかば叫ぶように、「レガーダ!」とかけ声を上げた。


「アズナイさまからのメッセージだよ! こんなの、まえは書いてなかったよ!」


 一方でリティはずっと、その文字を見ていた。



 その日はベッドにくるまって眠った。


 冬は終わったらしく、さほど寒くはなかった。




 結晶からのめざめ おわり

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