結晶からのめざめ 4
そこでアズナイは割り込むように、
「とにかく、この伝承を信じる人々の中には、北への移動をはじめた人たちもいるくらいだ。伝承にしたがって、北に行けば救われるのか……。それは、私にはわからない。けれど、世界に異変が起きているのはわかる。北から、これまでにない、冷気が押し寄せてきている。それも、急激に……。明日にでも世界が凍りついてしまうかもしれない。そんな予感ばかりが、私の心にあるんだ」
メイナは不安な気持ちでアズナイを見ていた。これほど切実で、真剣な顔を見たことはない。
「アズナイさま。あたしたちも、北に行くの?」
「いや。そうじゃない……」
それから二日後のことだった。
リティはメイナとともに、アズナイの背中を追って市場通りを歩いていた。
空には夏だというのに灰色の雲が立ちこめ、人々は厚いコートやローブを着こんでいた。それに、人通りは少なくなっていた。
人々は、『氷の年がくる』と口々に伝えあい、その言葉は恐怖とともに疫病のように広まっていた。
そのとき、ひとりの老婆が、アズナイへとすがるように近づいて、話しかけた。
「ア、アズナイさま! わたしらは、どうなるんですかねえ? ミュートさまは人間や生き物を、みんな氷漬けにするつもりなんですかねえ?」
アズナイは目を細めて、
「すみませんが、わかりません。いまは、女神ミュートの慈悲と、太陽神アルガーダの恵みを、願いましょう……」
すると、老婆は失望したように手を引いて、なにごとかをつぶやいて去っていった。
リティは思った。
(アズナイさまは、本気で言ってるんだろうか)
そんな思いを抱きながら、リティはアズナイを追って歩いた。
荷造りをして、遠い北の旅に出ようとする一団がいた。そのほか、帆船の帆を運ぶ者たちもいた。おそらく南へと出港するのだろう。
ついにリティは森の深くまでやってきた。
鳥の甲高い声がひびき、ときおり獣の声がした。木々の間から、冷たい風が絶えず流れてきた。
リティはメイナと並び、アズナイを見上げていた。アズナイはふたりの頭に手を置いてから、腰を落として、
「仮に北に救済があるとしても。きみたちは、その旅に耐えられないだろう。だから、こうすることにした」
「アズナイさまは、どうするの?」
と、メイナが尋ねた。
「私は、人々を連れて、北を目指そうと思う」
こんどはリティが、
「でも、あんなにおぼろげな、伝承なんかを信じて……」
するとアズナイは、薄く笑った。
「心を凍えさせてはならない」
リティは聞き返した。
「心を……?」
「そうだ。人々は、北に住まう女神ミュートの怒りを。それから、その慈悲を信じている。北のはての救済を。いくばくかの、希望を持っている」
「でも、アズナイさまには、町のひとたちを守る義務は、ありませんよ」
アズナイは苦笑して、
「みんなに、結晶の守りを与えることはできない。本当に守れるのは、きみたちだけだろう。ひどい守り神だな。せめて、その埋めあわせをしなけりゃならない」
そのとき、メイナは涙声で言った。
「あたしは、アズナイさまと行くよ!」
すると、アズナイは厳しい目つきで、
「ダメだ。それは。――いいかい、メイナ。きみの魔法は、リティと、きみ自身にとって、大切な導きになるだろう。忘れないでくれ。心を凍えさせてはならない。きみは。きみたちは、その灯りを携えて、生きのびろ」
そこでアズナイはリティを見て、
「リティ、きみも、メイナを守るんだよ。きみの力は、繊細だけれど、新しい世界で、きっと必要になるはずだから。――世界は氷の静寂から産まれたとされているね?」
リティはこくりとうなずいた。
「はい……、アズナイさま」
「いい子だ。きみの力は、静寂をもたらす。女神ミュートに祝福された、すばらしい才能なんだよ。リティ」
リティは目をつむり、アズナイの言葉を聞いた。すべての言葉と、抑揚を聞き漏らすまいと。絶対に忘れることがないようにと。
「ふたりとも、力をあわせて、生きるんだ。そして、また会えるだろう。長い冬のはてで」
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