宿屋の町で

宿屋の町で 1

 ひとけのない荒涼とした夜の街を、ふたりの人影が進んでいた。


「ねー。いい場所、ありそうかな、リティ? もうさ、歩くの疲れたよ」


 そう言うのは、クリーム色の厚手のローブを着た赤髪の少女――メイナだ。


 リティと呼ばれた、長い銀髪の少女は、黒い服に黒いマントを身につけていた。


 リティは「弱音はまだ早いよ。根性ないねえ」と、メイナを見た。


 メイナのバックパックの脇には杖がささり、その先にオレンジ色の魔法の光がともっていた。メイナのこんもりとした赤髪も、光をふくんで輝いていた。メイナは手を振って、顔や杖に近づく羽虫を追い払っている。


 リティが苦笑すると、「え、なに? どうしたの?」とメイナが言った。


「メイナって、虫にもてるんだね」

「え? なにそれー。うわッ、ぺっ。虫が口に入ってきた!」


 そう言って、メイナは唾を吐く。


 羽虫と格闘していたメイナは、やがてなにかに気づいたように、ひょいと指先を前にのばして「レガーダ!」と、かけ声をあげた。


「ねえリティ、あれさー、宿屋っぽくない?」


 リティはメイナが示す先を見た。そこには宿屋らしき建物のシルエットが見えた。


「でも、ちょっと、かたむいてない?」


 するとメイナは非難がましく、


「えー、いいじゃん。もうなんでもいいよ。休めれば」

「いやいや、あのさ。できるだけ、安全を確保しないとさ」

「襲ってくるやつなんていないじゃん。みんな、凍えちゃったんだから……」

「たしかにそうだけど。でも、虫とかは、すこしは、いるからさ。超巨大ムカデとかさ……」


 すると、メイナは短い悲鳴をあげた。


「うわー。嫌なもの思いだしちゃうよ……。あの森の……」

「でしょ。だから」


 やがて宿屋の全体が、メイナの灯りに映しだされた。『氷の年』を乗り越えただけあり、石造りの堅牢そうな建物だった。


「でもさー、これ。入れないよ。入り口、ぐっちゃぐちゃ……」


 そう言ってメイナは宿屋の壊れた扉と、上から崩れてきたらしい石材の塊を指さした。リティはうなずいて、


「これ、いまから一個ずつどかすのは、骨が折れるねえ」


 しばらく悩んで、リティは言った。


「別の場所、探そっか……」


 するとメイナは、


「えー。なんで? いけるじゃん。そのガレキがなくなればいいんだからさ」

「ムリ」

「んー。できないの?」


 リティは苛立たしげな声で、


「できるけど、いやだ。やりたくない」

「そっかー。じゃあ、今夜は野宿かな。危険な危険な……」


 リティは深いため息をついて、「はあ、しかたない、かな」と、宿屋の崩れた扉の前に立った。メイナの声がした。


「よっ。そうこなくっちゃ」

「だまって」

「へいへい」


 そこでリティは深く息を吸う。体じゅうに力を送りこむイメージで。


 『そうだよ。リティ。ゆっくりと、その調子だよ』


 そんな、師匠のアズナイの声が聞こえる気がした。冥界からか、天国からなのか、どこにいるのかわからないけれど。


 リティは両手に意識を集中させる。


 そして、陰鬱な気分で、崩れた扉に歩みより、手をのばす。


 朽ちた木材に手が触れると、木材が白っぽくなった。そして、木材は灰になって崩れていった。続いて、石材にも同じことをした。


 あらかた片づいたころには、足元に灰が堆積していた。


 リティはめまいを覚え、一度外に出て宿屋の外壁に手をついた。メイナが近づいてきて、


「大丈夫?」

「大丈夫じゃない。気持ち悪い。ぐるぐるして、吐きそう」

「そりゃ、おつかれさん」


 そう言ってメイナは、リュックサックにささっていた杖を取り外して、その先端に右手をあてた。灯りはいっそう大きくなった。


「入ろうよ」


 と、メイナは杖を前に突きだす。すると、宿屋の内部が照らされて、あらわになった。メイナはうんざりとした声で、


「うわ、ひどい。建物の中、荒れはててるねー。ま、寝るところだけ、なんとか片づけよっか」


 リティはよろめきながら、「あー、そうだねえ」と、うなずいた。そして、ぼんやりと思った。


 たったひとつだけ使える魔法が、メイナのように、明るいものならよかったのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る