消えたプロポーズ

清見こうじ

いきなりですが。

「昨日の話は、無かったことにして頂きたい」


 ……?

 …………ん?


 ……………………ん?


「あの、昨日のお話って、何でしょうか?」

「昨日の話ですよ? 昨日の!」

「ですから、昨日の、どのようなお話、ですか?」


 目の前にいらっしゃるのは、それなりに親しくお付き合いさせていただいている、お父様の旧友の息子さんです。


 日曜日の昼下がり、突然訪ねてこられて。


「昨日、君にお会いした時の、お話、です」


 確かに、昨日の土曜日、ランチのお誘いを受けて、お会いしました。


 こじんまりとした、静かな郊外のフレンチレストランで、まあ、お味は悪くなかったです。


 わたくしは、どちらかというとあっさりしたお料理が好みなので、和食の方が好きなのです。

 それもシンプルな、おにぎりと卵焼き、とか。


 でも、ご招待されたわけですから、そこは文句は申しません。


「昨日、レストランでお食事して、その時、でしょうか?」

「いえ、その後、温室を散策した時の、話です」


 ああ、そういえば。

 レストランの敷地に、建物より大がかりな温室がありました。


 ガラス張りの建物の中に、ところ狭しと植えられていたのは、薔薇、バラ、ばら。


 確かに、色とりどりで、バラエティー豊かでした、薔薇だけに。


 でも、わたくしは、どちらかというともっとシンプルというか、コスモスとかカスミソウとか、山野草とか、素朴な花や緑の多い植物が好きなのです。

 薔薇や蘭は、色とりどりすぎて、圧を感じてしまうのです。

 

「そこで、君に、プロポーズしましたよね?」

「………………いつ?」


 プロポーズ、されましたっけ?


 いやいやいやいや!

 そもそも、プロポーズ以前に、わたくし達、まだ『そういう』お付き合いは、してませんよね?


 昨日のランチも、他のお友達も一緒でしたし。


 確かに、他の男性と比べたら、プライベートでお会いする機会は多めですけれど。

 

 でも、今はまだ、あくまでもお友達です。


「昨日、温室の薔薇の前で、しましたよね? プロポーズ。君も承諾してくれたじゃないですか?!」

「…………承諾、したんですか? わたくし?」

「し・ま・し・た!」

「……すみません。覚えてません……」


 そこそこ端正なお顔が、ぽかんと開けられたお口で、何だか間が抜けてしまっています。


 こんな顔もできたのですよね、あなたは。


 いつも、小難しく眉根を寄せて、口の端だけ笑うキザったらしい顔よりは、ずっと人間味がありますね。


「……あの、本当に、覚えていないんですか?」

「本当に、覚えていないんです」


 彼は、しばらく考え込んで、何度か頷くと。


「どうやら、僕の勘違いだったようです。失礼しました」

「……って、待て待て待てっ!」


 思わず口汚く制止してしまいました。

 

 無かったことにして欲しい話を、無かったことにされてしまうのは腑に落ちませんっ!


「プロポーズしたのでしょう?」

「いや、僕の記憶違いでした」

「プロポーズ、したのでしょう?」

「いや、きっと夢でもみてたのかと」

「プロポーズ、した、のでしょう?」

「………した、かもしれません、ぐへっ」


 涙目になって、彼は認めました。

 

 あらやだ、ついネクタイごと襟元掴みあげてしまいましたわ。


「で、どんな風に、プロポーズしたのですか?」

「…………」


 わたくしは手を緩めることなく、彼に回答を迫りました。

 涙目で、それでも彼はしゃべりません……って、イヤですわ、首を締め上げられて声が出せなくなっていたみたいです。


 わたくしが手を離すと、彼は咳き込みながら、呼吸を整えました。


「…………あの、言わないと、いけませんか?」

「はい」


 わたくしは彼の気持ちを落ち着かせようと、努めて優しく微笑みました。


 ……何故か、逆に青ざめてしまいましたわ。

 何故でしょうか?


「いや、忘れていらっしゃるなら、無かったことで、よくないですか?」

「よくありませんわ」


 努めて穏やかな口調で答えましたが、何故か彼はますます青ざめてしまいました。


「このままでは、寝覚めが悪すぎますわ。無かったことにしてと言われた内容を知らないで、忘れろなんて、……酷すぎます」


 穏やかにしようとすると逆効果のようですので、今度は感情をあらわに、ちょっと拗ねたようにつぶやきました。


 すると今度は真っ赤になって、「いや、でも……」「もう一度とか、何の罰ゲーム……」などと口をモゴモゴさせています。


 おねだりする時に使うとよいと、従兄の太郎丸お兄様から教えていただいた技でしたけれど、効果バツグンですわ!


「お願いいたしますわ。何も知らないで、一方的に無かったことになんて、できませんもの」


 チラッと、上目遣いで視線を送ると、ますます真っ赤になってしまいました。


 もう一押しですわ!


「ね? お・ね・が・い」


「……わかりました」


 落ちましたわ!

 太郎丸お兄様、グッジョブですわ!


「昨日、温室の薔薇の前で、僕は、君に、こう言いました。『この薔薇を108本の花束にして君に捧げたい』。そしてあなたは、こう答えました。『まあ、素敵ですね』と」

「あー、確かに、そんなこと、仰ってらっしゃいましたわね」

「……へ?」

「それで、それから?」

「……へ?」

「ですから、それから、そのあとは? わたくしは、そのまま引き続き温室の中散策したと記憶しておりますけれど」

「……ソウデスネ」

「それで、無かったことにしてという、肝腎のプロポーズは、どうなりましたの?」

「……プロポーズは、これで終わり、です」

「…………は?」

「先ほどのやり取り、が、プロポーズのシーンだったのですが」

「………………は?」


 えっ、と。

 先ほどの回想の中であった、やり取り、というと。



『この薔薇を108本の花束にして君に捧げたい』

『まあ、素敵ですね』


 ……は?


 そんなの! 分かるわけ! ございません! わぁぁぁぁっ!


「……あんなやり取りで、プロポーズとか、有り得ませんわっ! あと、なんで、『素敵ですね』が、承諾になるんですのっ!?」


 思わず叫んでしまいました。

 彼はびくびくっと、身を縮こませました。


「……まあ、ともかく、その訳の分からない『プロポーズ』なるものを、無かったことにしたい、と、そう仰いますのね?」


 彼は、びくつきながらも、コクコクと頷きます。


 息を整えて、わたくしは、頭の中も整理します。


 意味不明のプロポーズをされて、勝手に承諾したことになっているのは腹立たしいですが、それをご本人から無かったことにして欲しい、と仰られているんですもの。


 きっと、気が変わったのですわね。

 

 そんな軽薄なプロポーズ、こちらからお断りですわ。

 無かったことにしたいと仰るなら、とっと、こちらは、しっかり承諾してしまいましょう。


「分かりましたわ。そのお話は、無かったことにいたしましょう。これでよろしいですわね?」

「……あ、ありがとうございます」


 まだ青い顔をしたまま彼は頭を下げました。


「それで、よければ、もう一度……あ」


 慌てて玄関の外に出て、再び入ってきた彼の手には、とても大きな、真っ赤な薔薇の花束。


「改めて、これを僕の心だと思って、受け取ってください!」


「……はい?」


 どういうことですの?


 訳の分からない言葉とはいえ、プロポーズは先ほど『無かったことに』なったはずです。


「今度こそ、108本の『ちゃんとした』真紅の薔薇を準備しました! あの黒薔薇は、僕の心と違いますから!」


 ……あ、そういうことですのね。


 確かに、あの温室には、色とりどりの薔薇が咲いていて、中には黒い薔薇もありましたわ。

 

 赤い薔薇は、淡い色合いのものから、深い深い、黒に近いものまで。


 はっきりと覚えていませんが、さっきのやり取りは、そんな赤い薔薇(黒を含む)の前だったかもしれません。


 黒い薔薇の花言葉は、確か『永遠の愛』と……。


『憎しみ』


「僕の心は、この真紅の薔薇108本ですからっ!」

「……108本って?」

「花言葉は『結婚してください』ですっ!」


 そう言えば、本数でも花言葉は変わるのでしたわね。

 さすがに覚えていませんでしたが。

 曖昧な表現では、わたくしに伝わらないと学習されたのでしょうね。

 今回は、はっきりと意味を伝えてくださいました。


「お話の内容は理解いたしましたわ」


 下手に『分かりました』なんて答えたら、承諾したと誤解されかねないので、わたくしは慎重に言葉を選びます。

 返事は、もう決まっているのですが、わたくしはあえて、一呼吸おきました。


 彼は、期待に満ちた顔で、目をキラキラさせています。


「ごめんなさい。お断りいたします」


「……は?」


 当然受け入れられると思っていらっしゃったのでしょうね。


 きょとんととして、彼は口をあんぐりあけています。

 

 ちょっと間抜けで、……こういう顔は、可愛いんですけれど、ね。


「なんで…………」

「そもそも、何故プロポーズしようなんて思われましたの?」

「それは、き、き、君が、す、す、す、……好きだから」

「……今さらですの?」

「は?」

「わたくし、今の今まで、一度もそんなこと、言われておりませんわ。それでいきなりプロポーズなんて、色々飛び越しすぎます!」

「……すみません」

「それに、わたくしにだって、好みというものがありますのよ? 正直、あなたのわざとらしい、キザな仕草は、嫌いです」

「な……」

「すごく無理してますよね? いつもこっそり、眉間揉んでため息ついていますもの」

「……知って……?」

「ええ。隙を見て鏡の前でキメ顔練習してるとか、スマホのメモ帳に、カッコいいセリフ集作ってあるとか」

「なんでっ!? 見たの?!」

「え、ホントにやってるんですの?」


 当てずっぽうが、当たってしまいましたわ。


「……とりあえず、こちらを差し上げますわ」


 わたくしは、玄関に飾ってあった花瓶に指してあった花を一輪、抜き取って彼に渡しました。


「……これは?」

「ガーベラですわ。赤いガーベラの花言葉は、『希望』、そして『挑戦』ですわ」

「……挑戦……」


 赤い花弁が放射状に伸びた花を、彼はポカンと見つめています。

 ……可愛いですわ、やっぱり。


「どう解釈するかは、お任せしますわ。……あと、キザなキメ顔の練習の前に、わたくしの好みでも把握してくださいまし。別に隠していませんから」




 1ヶ月後、両手いっぱいのコスモスとカスミソウの花束とおにぎりやおかずを詰めたお弁当を携えてやって来た彼に、わたくしがなんて答えたのかは……ご想像にお任せいたしますわ、うふ。



 




 

 





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消えたプロポーズ 清見こうじ @nikoutako

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