第4話

 俺は顔が真っ赤になっていた。見た目がどうかは知らなけど、顔がどんどん熱くなっていた。暖炉の火のせいだろうか。目の前の人間たちが団子のように丸まって見えた。ずっと俺をネタに笑っている。なぜかわからない。


 〇ねばいいのに。


 昔から思っていたが、神様はなぜ人を平等に作っておきながら、環境だけは千差万別なのだろうか。


 親ガチャという言葉があるけど、生まれた家と環境によって人生はほぼ決まる。人生は不公平だ。


 例えば、貧しい家に生まれ、死ぬまで障害のある家族の世話をして、それだけで人生を終える人がいる。一方で金に苦労することなく、悩みと言えば服と靴の組み合わせをどうするかということくらいで、毎日遊んで暮らせるような人間がいる。そういう人は、働いただけで、子育てをしただけで苦労したと思っている。


 大学を卒業して三十年も経つが、全員いまだに裕福で、何一つ欠けていない人生を送っていたことを知った。金、時間、名誉と地位。こうしたものを持っていない人は一人もいない。


 俺が見たかったのは、やつらが破産したり、病気になったりして、不幸になったという姿だった。

 しかし、金持ちは死ぬまで金持ちなのだ。

 そして、貧乏人は死ぬまであくせく働かなくてはいけない。

 残酷な真実だ。

 富は富を生み続け、貧乏人は人生を犠牲にして得た金で小さくまとまって生きている。逆転は起きない。現実はテレビドラマみたいに安っぽくはできていないのだ。


 夜になって、幹事がチーズフォンデュをセットしてくれた。何年も前から使い古した赤いチーズフォンデュ鍋が出て来た。スイスのマークが入っていた。多分、海外で買って来たんだろう。


「待ってました!冬と言えばやっぱこれだよな」


 幹事が鍋の下にアルコールランプを置いて、下から温めた鍋にニンニクを塗りつけていた。そこに、地元の一かけら千円くらいするような高いチーズを惜しみなく溶かしていく。たかだかチーズフォンデュに何千円かかっているんだろうと思う。地元で作ったソーセージ。これもどう見ても高い。地元の野菜。ワインも地元ワインだ。


 庶民のチーズフォンデュは、電子レンジで溶かす市販のやつだ。


「おいしそう。お店より豪華じゃない?」

 女が気を遣って言う。

「おしゃれ~」

「いいよね。普段からやってそう。いいパパしてるよね!」

「家ではこういうことしないから」

 幹事が謙遜して言う。

「彼女の前だけだろ?」

 他の男が囃し立てる。幹事は否定しない。こんな男と付き合う女がいるのが不思議で仕方がない。


 いい年をした既婚者たちがなぜ家庭を放り出してパーティーをしているのか。

 奥さんは怒らないのか。

 旦那は浮気を疑わないのか。


「そう言えば、みんないいのかよ?家族は?」

 俺は思わず声を上げた。非難めいて聞こえたようだ。


 なぜか急に静かになった。そうか。金持ちは一般の人よりもはるかに自由なんだ。お手伝いさんが旦那や子どもの面倒を見てくれる。俺はしまったと思った。いつも家族で過ごすのは庶民だけだ。


「私、離婚したの」


 外国人と結婚したキャリアウーマンの女が神妙な顔で言った。俺ははっとして顔を見た。女は俺を見ていた。


「ごめん。知らなくて」


 顔がピカピカしていて、しわが一つもない。指先はマニュキュアを塗っていたが、手はちりめんみたいに皺皺で年齢を感じさせた。やはり、どんなに手間と金をかけても年齢相応だった。


「国際結婚はな…離婚多いよな」

 別の男が言った。

「そうそう」

「だけどさ。経験だよ。何事も」

「そうかなあ。結構、きついけどね。でも、どうしようもなくて。相手の人が子どもが好きで養子を貰いたいっていうんだけど、私がそれがどうしても嫌で…。もう、無理だって話になって。だって、血の繋がらない育児放棄された子なんて育てたくないじゃない?精神的にも不安定だと思うし」

 俺は二人が何で別れたのか意味がわからなかった。

「代理出産は嫌なんだっけ?」

「代理出産って自分の子じゃないじゃない?もともと子ども好きじゃないし」

「じゃあ、何で結婚したんだよ」

「自分の子だったらかわいいかなって思ったんだけど」

「じゃあ、作ればよかったのに」

「そういうこと言わないの!」

 他の女が窘めた。俺は何も言わなかった。何というべきかもわからなかったからだ。相手に合わせりゃいいのにと思うが、そんなの俺の価値観の押し付けだ。


「江田、〇〇ちゃんと結婚してやれよ」

 誰かがそう言った。もう、誰が発言しているのか訳が分からない。

「え?」

「この人、渋谷にマンション持ってるよ。離婚した時もらったの!」

 すごいでしょ、とでも言わんばかりだ。

「え?」

 俺は渋谷が大嫌いだった。俺だって家は持ってる。あんたたちに取っては犬小屋だろうけど。こいつらは、俺が渋谷のマンションに目の色を変えると思っているらしい。


 女は誘惑するように俺を見つめていた。俺はその時、ようやくなぜ自分が呼ばれたかに気が付いた。俺とその女を結びつけるためだったんだ。俺は独身。いつも冗談で最後の砦と言われていた。


「私じゃダメ?」


 フィルターを掛ければきれいかもしれないが、まるで魔女みたいだった。

 目の前のおばさんを目にして、時間の残酷さを感じていた。


「俺は無理だよ。病気だし」

 俺はなんと言って逃げたらいいかわからなかった。

「また、そうやって。性病なら病院行けば治るだろ?」

「そういうんじゃなくて」

「HIVとか言うなよ!」

「まあ、似たようなもんかな」

 俺はそんな女のためにも誠実な態度を取るべきか迷っていた。離婚したばかりだし、否定したらかわいそうな気もした。

「え?」

「肝炎とか?」

「そうじゃない」

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