02 誘い

『本日、ルーデシア駅前にポールスの新店舗がオープン――』

『グノーシス海南西部でまたしても失踪者が――』

『政府は未だ消えぬ亜人種差別のために新しい政策を――』


迷宮庁のエントランスに設置された大型投影写板プレートでは、ありふれた報道ニュースが流れている。

報じられている言葉は耳に入ってくるのに、その内容は頭に入ってこない。

迷宮庁を後にしようとする私の姿を何人か見咎めるが、幽鬼のような姿に皆遠巻きにするばかりで、声をかけてくるものはいなかった。

それが、今はありがたい。


あの後、私を宥めるミレイさんに今後の私の身の振り方などを改めて説明され、いくつかの書類にサインを求められた。

私が迷宮内で知りえた情報を国外に漏らさない秘密保持魔法契約書などにサインをしながら、私は本当に探索者を下ろされるのだなと他人事のように考えていた。

そうした雑事を終え、ミレイさんに帰りの送迎を提案されたが、今は一人になりたい気分だったので申し出を断り、その場を後にした。


私は探索者になろうとしたきっかけは、幼い頃に親に連れられてみた一本の映画だった。

世界的に発行された人気小説。ダンジョンに挑む一人の探索者を主人公にした作品は私が生まれる何百年も前の作品らしいが、今なお語り継がれるほどに世界的に愛されており、漫画化、アニメ化、ドラマ化、舞台化、映画化と様々なメディアに展開を広げている。

勿論、そういった事情はその映画を見た時には知らなかった。興味がないままに親に連れてこられただけの映画館。私が見たのは、何度となく制作された実写映画の一番最初の作品のリバイバル上映だった。


『私はこのダンジョンの真実が知りたい。いったい誰が、何の目的でこんなものを作ったのか。その理由を知りたいんだ』


スクリーンの中で、彼女は語る。

その瞳は先に待ち受ける未知に対する期待と夢に満ち溢れて、キラキラと輝いていた。


それが現実を映したものではなく、ヒトの手によって作られたシナリオ通りにヒトが演じる芝居だということは理解していた。

だが、描かれている物語の大元は事実をもとにしたノンフィクションであるということを知っていた。

いくつもの罠や仕掛けを知恵と機転で乗り越え、いくつもの敵をその力で打倒し、奥へ奥へと彼女は進んでいく。

己の好奇心を満たすため、世界の隠された真実を解き明かすため。

そんな彼女に私は魅せられた。

そんな彼女のように私もなりたいと思った。


だから、私はダンジョンという未知を解き明かすものになりたかった。

……なりたかったのに、その夢がこんな形で途絶えるだなんて、思ってもいなかった。



 * * * *



ルーデン王国、王都ルーデシア。

グノーシス海と呼ばれる大陸の内海に面した海岸で、私は一人黄昏ていた。

迷宮庁を後にした後、官舎があるミジェイに戻る気にもなれず、足は駅からどんどん遠のいていき、気がつけば海辺に足を運んでいた。

私は水の精霊である父と人間の母を持つ亜人種デミヒュームの精霊人だ。水の精霊の血が流れているため、こういった海や川などを見るとひどく気分が落ち着いてくる。心が沈み切った私は、無意識のうちに落ち着く場所を求めてここにたどり着いたのかもしれない。


人気のない海岸に、潮騒の音だけが響いている。

夏場であればこの辺りも海水浴場として開放されていただろうが、今は冬。精霊人である私はともかく、国民の半分が人間種ニールゲイン亜人種デミヒュームであるこの国で、寒い冬に冷たい海で泳ごうとするものはほとんどいないし、もう半分の妖精種ファータは海で泳ぐ風習がない。

よって、この海辺は私以外に誰もいなかった。

砂浜に直接腰かけながら、さざ波をただ眺め続ける。


……考えなければならないことは山ほどある。

今後の身の振り方、新しい住居、引っ越しの準備、探索者仲間への挨拶回り。年老いた母に合わせ隠居生活をしている両親にも連絡しないといけないだろうし、やらなければならないことはいくつも思いつくのに、何かをしようという気力が起きない。

私の心は空っぽになっている。

当たり前だ。

私の人生は迷宮探索と共にあった。ダンジョンのために生き、ダンジョンのためにすべてを費やしてきた。

それが、こんな志半ばでいきなりそれを奪われて、どうして平静でいられるというのか。


幼い頃に見た、世界初のダンジョンを踏破した最初で最後の人物の半生を描いた映画「ダンジョンに挑むもの」。

この映画で主人公に憧れた私はいつか自分も迷宮探索者になることを夢見た。

そんな折に、私の故郷にダンジョンが出現したとなれば、そのダンジョンに挑むのは当然だろう。私はすぐに迷宮探索者の資格を取得し、その後30年にわたってダンジョンに潜り続けた。

そんな私にダンジョン以外にできることなどあるわけがない。


他のダンジョンに入るというのは論外だ。

ダンジョンは国の所有物。

基本的に探索者の資格はその国の国民にしか与えられない。そうしなければ、貴重なダンジョン資源が不正に他国に流出する可能性があるからだ。

だから、私が他の国のダンジョンに入るためにその国で探索者になろうとしても、まず資格試験を受けることすらできない。

資格なしに不正にダンジョンに入るのはもっと無理だ。各国はダンジョンの入り口に厳重な警備を敷いており、物理的、魔法的に複数の結界が敷かれている。仮に不法侵入しようものなら犯罪者として捕らえられ、一生を刑務所で過ごすことになるだろう。

いっそのこと、まだ資格がある今のうちにダンジョンに入って見張り役の職員を撒き、ダンジョンで骨をうずめるのも有りかもしれない。

迷宮庁は私に後進の育成や迷宮庁の職員を提案してきたが、自分で限界を感じた末の引退ならともかく、こんな中途半端な気持ちで探索者を辞めさせられて、簡単に受け入れられるわけがなかった。

もう二度とダンジョンに入れなくなるくらいなら、私はダンジョンで死にたい。

それほどまでに、私にとってダンジョンは私の全てだった。


「ヴィーズ……、どうして……」


気がつけば、また私の瞳から涙が溢れ、口から零れ落ちたのはそんな感傷だった。

私からダンジョンを奪ったのは迷宮庁ではなく、国だ。彼は長官というトップの位置にいるだけで、今回の件に直接かかわりがあるとは思えない。それでも、彼に裏切られたような気持になってしまうのはなぜなのか。

まだ幼い頃、共にダンジョン踏破のために一喜一憂した日々を思い出す。

私の過去の輝かしい思い出達。決して色あせることなく、今なお脳裏に刻まれた記憶。

それとも、この考えすらも間違っているのだろうか。

私はただヴィーズに期待しているだけで、彼こそが主導して私をダンジョンから追い出したかもしれないというのに。

でも、それは仕方のないことだ。だって、ヴィーズは私の……。



『―――――――――』



――――その時、声が聞こえた。



「え?」


顔をあげる。

周囲には人気はない。何かがいる気配もない。私の精霊器官は後方十数メートルほどに、私を監視しているのだろう迷宮庁の職員が隠密しているのを感知しているが、感じ取れるのはそれくらいだ。

精霊の血が混じっているため、普通の人間よりも気配に敏感な私の感覚でも、何も感じられない。

だが、確かに声がしたのだ。


『――ばれし―――こち――――』


やはり、聞こえる。

断片的にではあるが、これは耳に直接聞こえているのではない。こちらの魂に直接語り掛ける……思念波だ。


「海の、中から……」


ふらふらと、何かに惹かれるように立ち上がる。

目の前に広がるのは、四方を大陸に囲まれた内海。名をグノーシス海。

起こしてはならぬドラゴンと、怒らせてはならぬ人魚が支配するだ。

遊泳用に開放されているエリアならともかく、その奥深くに立ち入ることなど地元のヒトや精霊ならまずやらない。

そう、本来の私なら。

この海に入ろうなんて気は全く起きないのに。


だが、私はその声に誘われるままに、歩みを進める。

つま先が濡れる。膝まで水に浸かっていく。体にまとわりつく海の水が、私の心を慰めていく。

そのまま、私は海の奥へと潜っていった。



 * * * *



沈む。沈む。

深く、深く。遠く、遠く。


水精霊の血を引く私にとって、水中を移動するというのは苦ではない。

普通の人間のように呼吸を気にする必要もないし、どんな大時化の海だろうとも、重力も浮力も関係なく滑るように移動することができる。

声に導かれるまま、私は流されるままに海を進む。


自分がどこへ向かっているのかもわからない。どのように泳いでいるのかもわからない。

そんなことを気にする思考は欠けている。

気づけば、私は海の底に到達していた。


『選ばれし―――こち――でくださ――』


声がする。

わたしを呼ぶ、声がする。

どこまでも美しい青い海。

海底には一面水草が生え、さまざまな魚が泳ぎ、精霊たちが戯れている。

その地の底をさらに進む。


徐々にすれ違う生命がいなくなっていく。私を呼びとめる誰かの忠告を聞いた気がする。

それらは私の耳には届かない。

届かないから聞こえてこない。

だから私は、声のする方に進んでいく。



――そうして、どれくらいの時がたったか。私はその場所にたどり着いた。


『選ばれし御方よ、早くこちらへいらしてください』

「――――――――」


海の底、水草の中に紛れるようにポツンと1輪の花が咲いている。

土砂と岩が敷きつめられた海底で、伸びた茎から垂れ下がる袋状の白い花をつけたその形は、キエロの花のよう。

私を呼ぶ声は、この花から届いていた。


『選ばれし御方よ。貴方が訪れるのを長きにわたりお待ちしておりました。我が主となり、ともにダンジョンを歩むというのなら、どうぞ御手を』


魂に直接語り掛けてくる声。

ダンジョン。その単語だけが、私の心に強く響く。


そう。

私はまだ、ダンジョンの謎に挑み続けたいのだ――――。


無意識のうちに手を伸ばす。

白い花弁に私の指先が触れる。



――――瞬間、私の視界が反転した。





 * * * *




気がつけば、私は見知らぬ世界にいた。


「!?」


視界いっぱいに白光が広がり、まぶしさに思わず両腕を顔の前に掲げる。

先ほどまで海の底にいたはずなのに、地面が喪失している。真っ白な光の中、私の肉体は突如宙に投げ出された。

浮遊する身体。白い魔法陣が私の身体を通り過ぎていく。


「っあ、つぅ……!」


両の腕に痛みが走る。

痛覚を刺激される外部からの痛みではない。肉体の内側、自分を構成する生命力チャクラを無理やりかき混ぜられる感覚は、半精霊の私には酷く効く。まるで自分のものではない生命力チャクラを無理やり注がれたようだ。

私という輪郭があいまいになりそうになるのを、何かの型に無理やり収められて定まっているような気持ち悪さで吐き気がしそうだった。


『個体名『ライラライラ・アヤメリス・アコーニツム・ライラック』をダンジョンマスターとして登録しました。休眠状態を解除します――。ダンジョンハートを形成します――。星命力マナの供給量を増加させます――。管理人格を起動します――。管理人格のモデリングを開始します――。管理人格の具現化を開始します――』


頭の中に、機械的な人工音声が矢継ぎ早に響いてくる。

声の意味が分からない。言葉の意味が分からない。浮遊する世界で、私は前後を失っていた。


「…………ぇ」


パチン、と。

そんな世界が唐突に終わりを迎えた。

停止した映像のように、世界が切り替わる。

始まりが唐突なら、終わりも突然に。浮遊感を失い、気づけば私は見知らぬ場所で立ち尽くしていた。


「ようやく現れたのか、我がマスター! あんたが現れる今日この日を、この代り映えのしない海の底でどれだけ待ちわびたことか!!」


寝ぼけ眼の理性がうとうとと覚醒し始める。熔けていた思考が明瞭になっていく。

ようやく回転しだした私の頭は、何故と何で埋め尽くされていた。


「ああ、いけないいけない。順番は守らないと。いやダメだな。こうして実体を持ち、マスターと話せることが嬉しくてたまらない! 今すぐ踊りだしたくなるとはこのことか!」


世界は海で満たされていた。

そこにぽっかりとできた空白。

区切られた境界の向こうには、多くの水棲の生命が泳いでいた。

現実感のない幻想的な世界で、この場所こそが中心だった。


「さあ、我が主。我がマスターよ! ここに契約は完了した。契約に基づき、今日からあんたは俺の主となり、俺はあんたの所有物となる!」


視線の先で、見知らぬ男が軽やかに謳う。

両腕を広げ、意気揚々と叫ぶ姿を私は茫然と見つめることしかできないでいた。


「あんたはいったい何を望む? 天高くそびえる塔か、地の深くまで潜る洞窟か、空に浮かぶ島か、海を渡る船か。なんでもいい。なんだっていいさ! 俺を自由に想像することこそが、あんたに与えられた権利!」


こちらを見つめる金の双眸。首の後ろでひとくくりにされた長くまっすぐ伸びた金の髪。

漆黒のスーツに身を包んだ人間の姿をしたソレが浮かべる笑みは、私の郷愁をひどく駆り立て、


「さあ! 我らが母、マザーにより生み出されしとして、あんたに永遠に変わらぬ忠誠をここに誓おう! 我がダンジョンマスターよ、今この時が、俺とあんたの始まりの刻だ!!」


まるで何でもないように、男は私にとって重要な事項を口にした。

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