03 迷宮の主

「…………………………」


絶句、とはまさにこのことだろう。

私の脳は今の状況を理解しようと思考をフル回転させながらも、突然の事態に言葉が出なくなっていた。

私はダンジョンの探索者として、突発的な事態にも即時対処できるように訓練を積んでいる。何が起こるか分からないダンジョンにおいては、一瞬の油断が即死につながるからだ。

その私でも、今起きている現実はいかんとも理解しがたいものであるということだ。


私がいるのは透明なガラスで作られた四角い箱の中のような場所だった。とはいえ、本当にガラスでできているわけではないのは分かる。おそらく、魔法によって作られた現実とは異なる位相に存在する仮想空間の一種だろう。

この場が星命力マナに満ちているのに、精霊の存在はまるで感知できないことからもここが通常空間でないことが伺える。

箱の外には海が広がっているが、これも本当の海かどうかは怪しい。私の感覚も透明な壁に遮られて壁の向こう側にまでは及ばない。

見た限りの認識上では何処までも続いているように見えるが、ここが仮想空間であるのならある程度まで進むとループするタイプの閉鎖空間だと考えた方が自然だ。

私がここに入ったということは出入りするための門が存在するはずだが、それらしき痕跡が感じ取れない。閉じられているのか、そもそも外に出る機能がないのか……。


一方、この空間の中には、私と男の他に中央に鎮座するものがあるのみだ。

円形の金の台座の上に浮かぶ双角錐の結晶がなにかなど、現代を生きるものなら間違えるはずがない。


(クリスタドライブ……しかも、こんな大型の)


魔法を用いた機械である魔導具や大規模魔法システムに用いられる情報集積処理装置。遥か昔から存在しているそうだが、ここまで大きなものは見たことがない。

普通の魔道具に使われるクリスタドライブの一般的なサイズは人間の指の爪ほどしかない小ささで、大きくても手のひら大くらいだ。しかし、今私の目の前にあるものは私の身長よりも大きい。2mは超えているだろう。これほどの大きさを必要とする結晶がいったい何に用いられているというのか。


ただ、この空間の異常性より何よりも。聞き捨てならない単語が男の発言には含まれていたことに、まず私は反応せざるを得なかった。


「一つ、確認させてもらうけれど。今、55番目のダンジョンって言ったわよね、貴方」

「ああ、言ったな」

「……つまり、ここはダンジョンの中ってこと?」

「何を当たり前のことを言っているんだ。ここはダンジョンの中に決まってるだろう。その中でもここはダンジョンハート! ダンジョンの核となるマザーコンピューターが存在する心臓部だ! ……まあ、俺はまだ起動したばかりだから迷宮部分はまだ存在しないんだが。このダンジョンを広げ、創造し、訪れるものに感動と興奮、そして喜びを与えることがマスターであるあんたの役目だ」

「…………ますたぁ、って言うのは?」

「文字通りの意味だ。マスターとはダンジョンを建造し運営し管理する迷宮の支配者。マスターがいなければダンジョンは成り立たない。だから俺はマスターが現れるまでずっと眠り続けていた。そのマスターに、あんたが選ばれたのさ!」

「いやもう意味が分かんないわよ!!」


私はたまらず頭を抱えた。なんだこれ、情報量が多すぎる!!!!

冷静に一つ一つ疑問を解消しようとしたのに、回答以上の情報量をぶつけられて疑問が倍以上に増えていく。これで冷静でいる方が無理だ。

そもそも気になるワードが多すぎるが、その中でも一番気になるのはダンジョンマスターというものだ。

現在、ダンジョンは自然発生した現象というのが定説とされている。

ナニカの意志によって建造・管理されているものならば、それが人であろうと神であろうとそこには目的が存在するはずだ。しかし、ダンジョンはその意図が全くの不明なのだ。

例えば、何かを隠すためや守護のために迷路を作りそこにケモノを配置するというのなら分かる。だが、全てのダンジョンは門戸が開放されているため、それらの目的は当てはまらない。

ダンジョン資源やダンジョン武器を囮にして人々をおびき寄せ、その命を喰らっているのかというのも違うだろう。ダンジョン内で死んだものは魂喰らいをされた形跡がなく、ただそこに残り続け朽ちていくだけだ。

そんな風に、これまであらゆる仮説が出されたものの、それら全てが「根拠がない」「納得できる理由ではない」「整合性がとれていない」「そもそもそんなことをする意味が分からない」と却下されてきた。

明確なダンジョンの存在理由が分からない以上、それは誰の意志にもよらない自然現象だというのが定説になってしまっている。

かく言う私も、過去にダンジョンは何らかの存在によって造られた人工物ではないかというテーマで論文を書いたけれども、迷宮庁の研究部門の連中にさんざんにこき下ろされた挙句に学会にすら上げてもらえなかったことがある。今でもあの時の悔しさはよく覚えている。

ともかく、これまで長い間ダンジョンが自然現象の一種だとされてきたというのに、ダンジョンマスターという支配者によって管理されている被造物というのならその前提は大きく覆ってくる。

これは歴史的大発見であり、私の論文が正しかったことを意味しているのだ。


私は30年間ダンジョンに潜っていた。ダンジョン研究学会に所属し、多くのダンジョン研究の論文を目にしてきた。だから人よりはダンジョンに関する知識があると思っていたが、その私ですら知らない単語、知らない概念が次から次へと出てくるからもう意味が分からない。

分からないけれど、私はものすごくテンションが上がっていた。

つい先ほどまで探索者の資格を奪われ絶望していたというのに、今は初めてダンジョンに入った時のような高揚感が沸き上がっている。

思わず口元に笑みが浮かぶのを隠しきれない。もしここが本当にダンジョンなのだとしたら、とんでもない大発見だ。


「意味が分からない? 俺の説明はどこか不十分だったか?」

「いや、説明はとても分かりやすいわ。突然のことについて行けないというか……。ともかく、ここはダンジョンで、私はダンジョンマスターというものになったのよね」

「ああそうだ。間違いないぜ」


今にも無意味に叫びだして踊りだしそうになる。

この高揚感、この興奮をなんと言い表せばいいのか!

私は今、誰も知らなかったダンジョンの真実に初めて触れようとしているのではないか? そう考えたら嫌が応にもテンションが上がるというものだ。

何せ、私がダンジョンに潜り続けたのはダンジョンの謎を解き明かすためだ。たとえそれがいきなり全ての解答を顔面にたたきつけられたようなものだとしても、嬉しくないわけがないじゃない!


「ね、ねえ。このクリスタドライブ、ちょっと触ってみてもいい?」

「ああ、勿論だ。このダンジョンは全てあんたのものなんだ。あんたの好きにするといい」

「それじゃあ遠慮なく!!」


一目散にクリスタドライブのもとへ駆け寄ると、一も二もなくその結晶部分に触れる。

バカでかいサイズとはいえクリスタドライブには変わりない。触れたことで体内の生命力チャクラと反応し、クリスタドライブが淡い光を放ちながら励起状態になり、投影写板プレートが展開する。

私の両手を広げても足りないくらいの大きさの投影写板プレートには、この透明な箱の部屋を外から俯瞰したかのような光景が表示されていた。投影写板プレートの端には『ダンジョン全景』という文字やいくつものアイコンや数値も表示されている。

どうやら一般的なスフィアとUIは変わらないらしい。試しにアイコンの一つに触れてみると、何かのリストが表示された。


「……ダンジョン内飼育用捕獲一覧?」


新しく展開した投影写板プレートには、そんなタイトルが付けられていた。

リストの項目には『分類』『種族』『学名』と書かれており、その下にずらっと一覧が続いている。

獣種獣種獣種獣種獣種人間種獣種獣種獣種精霊種獣種獣種妖精種獣種獣種獣種獣種獣種獣種獣種獣種獣種亜人種獣種獣種獣種獣種獣種。

殆どが獣種アニマリアで埋め尽くされているが、時折別の種族も混ざっている。下にスライドしてもスライドしてもずっと続く長いリストは終わりが見えない。

高揚していた気持ちが一気に治まっていく。背中を嫌なものが駆け抜けていく。

私の勘はよく当たるのだ。

まさかという予想を否定するために、私は男に問いかけた。


「ねえ、このリストって何?」

「何って、見ればわかるだろ? それは俺が休眠中にオートで捕獲した外の生命体だ」


なんてことが無いように男は告げる。

だが、男とは正反対に私の心は一気に重くなっていった。

嫌な予感が当たってしまったことを理解したからだ。

私は自分でもダンジョン以外に興味がないという自覚がある。その私でも、国内で騒がれている異変は無理やり耳に入れられる。

そう、今日だってニュースが伝えていた。

グノーシス海の北西部で、また失踪者が発生したと。


「……それ、どういうこと?」


口から出た言葉はかさついていた。熱が、一気に引いていく。

あえて気づかないふりをしていた。

この異常な状況も、おかしな発言も、夢心地だった心が急速に現実味を帯びていく。

顔を引きつらせる私に気づいているのかいないのか、男は説明を続けていく。


「このダンジョンの入り口に花が咲いていただろう? ダンジョンが正式にするまでダンジョンには誰も入れないが、あの入り口に近づいたものをダンジョンはオートで捕獲する機能がある。星命力マナを使ってケモノを生み出すことも可能だが、ゼロから産み出すのは非効率的だからな。よそから捕まえた生命体を使役して操作するんだよ」


男の説明は理解できる。

私が探索していたダンジョンにも多くの化者がいたが、それらがどういう理由で生まれたのかはダンジョン学会の議論の一つであった。

外の世界とは明らかに異なる生態系。ダンジョンの中の環境が通常の動物を変化、あるいは進化させたのではないかとは言われていたが。

いたけれども。


「魔の海域……」


そのエリアに踏み入ったものはどんな種族であろうとも返ってこないと噂され、どんな凄腕の調査隊も帰ってこなかった不帰の海域。

数百年にわたり多くの失踪者を生み出しながら、その原因が一切の謎とされてきたその理由が、つまり、ダンジョンのせいということ……?


反射的に、私はリストを滑らせる。その途中でリストの右上にソート用のアイコンがあることに気づいた私は、すぐさまアイコンを選択した。

日付順を選び、一番直近の名前を確認するが、リストの上位は獣種……この海を回遊する魚で占められていた。

そうか、このリストやけに獣種アニマリアが多いと思ったら、近場を泳いでいた魚も手当たり次第に捕まえてるのか?

そう思いながらも、このリストに表示されるのは先ほども言ったように分類と種族と学名のみで、個人・・を特定できるようなものは一切ない。私が確認したいことを確認する術が無いことに苛立ちを覚え始めた。



その時。

そこに、割り込むように、リストに新しい捕獲者が追加された。



――――星霊種 ドラゴン 星海龍



「へぁっ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る