ドラゴン達の暇潰しダンジョン

霧邑ナツナ

01 資格剥奪


――――ダンジョン。


迷宮とも呼ばれるその場所は、誰が、何の目的で生み出したのか不明な未知の建造物である。

世界中に点在する11個のダンジョンは未だ多くの謎に包まれ、建造された無機物ではなく集合無意識が形となった祈神種ウンバヴステの一種ではないかとすら言われるほどだ。

それでも、人々はダンジョンを求め続ける。

ダンジョンにはダンジョンの中にしかいない未知の動植物、鉱物、高性能なアイテムや武具が眠っており、それらは「ダンジョン資源」として世界中で高値で取引されているからだ。多くの者達がダンジョン資源による巨万の富を夢見て、今日もダンジョンへと挑んでいく。


私、ライラライラ・ライラックもそんなダンジョンに魅せられた者の一人であり、30年近くダンジョンを潜り続けた生粋の迷宮探索者であったのだが。


「ライラさん。来月の期限終了を持ちまして、貴方の迷宮探索者資格の更新が行われないことが決定いたしました」


その迷宮探索者としての資格を、今まさに失った。



 * * * *



迷宮庁の応接室。

机を挟んで革張りのソファに向かい合うように座っているのは、私の担当になっているミレイさんだ。

ミレイさんとは彼女が担当になってから3年ほどの付き合いになるが、獣と精霊の違いはあれ同じ亜人種デミヒューマンとして私的にも親しくさせてもらってきた。何度か個人的に食事に行ったこともある。

私が珍しい資源や新しい発見をするたびに我がことのように喜んでくれるお人で、くるくると感情が変わる素直さは見ていて心地が良いものだったけれど、そんな彼女の表情には今ありありと申し訳なさと憤りが宿っていた。

私はといえば、あまりに突然の事態に感情がついてこない。

悲しみも怒りも絶望も零れ落ち、ただただ驚きだけが残っていた。


「……ほんとう、なんですか?」

「ええ、本当です。こちらが正式な辞令になります」


動揺しながらもなんとか絞り出せたのはそれだけだった。

ミレイさんはそんな私の様子にさらに表情を曇らせると、投影写板プレートを展開、操作する。

直後、私のプライバリスフィアに通知が入る。すぐさま私の目の前に半透明の写板プレートを展開すると、たった今ミレイさんに送られた辞令を表示された。

そこには確かに、迷宮庁長官のサインとともに、私の資格が更新されない旨の内容が書かれた正式な辞令が届いていた。正真正銘の本物だ。


「……また、ずいぶん、急ですね。先月の定期面談では、そんな話なかったじゃないですか」

「ええ、そうです。私も二日前にいきなり通達が来たものので……。ライラさんの資格更新がされない理由についてですが、迷宮で回収した資源を他の探索者に融通されていたこと、だそうです」

「……それだけ、ですか?」


ミレイさんから告げられた理由に、何で今更?という疑問が沸き上がる。

ダンジョンは多くのダンジョン資源を手に入れることができる宝の山だが、それ故にダンジョンに入れる者には制限がかけられている。

それが迷宮探索者。

ダンジョンが出現した場所を領地に持つ国家の試験に合格し、ダンジョン探索の資格を手に入れてダンジョン内部に入ることを許されたモノ達のことだ。

迷宮探索者は基本的に国家公務員と同じ扱いになり、数々の特権を与えられる代わりに数年おきの適正試験で資格を更新する必要がある。それ以外にも毎月の必要資源採取量――ノルマが課せられており、そのノルマを下回る月があると罰則を受けたり、更には長期間連続でノルマを達成できないと資格更新日を待たずに探索者の資格を剥奪されてしまう場合もある。

だが、それは逆に言えば毎月最低限のノルマをこなし、資格更新のための適性試験に合格すれば半永久的に探索者を続けられるということだ。

それがどうして、こんなにも急に私の資格を失効されるのか理解が追い付かなかった。

しかも、その理由が資源の融通によるものだなんて、あまりにも不合理すぎた。


「ライラさんは20年以上最低限のノルマしかこなしてきませんでしたよね。ただ、ライラさんは第一世代の攻略組かつ、国内では4人しかいない特級探索者。しかも唯一の単独最深部到達者でもあります。ノルマはギリギリでも迷宮探索においては多大な貢献をしているのは誰もが知るところです。同じように攻略組の方ならノルマぎりぎりの人は少なくありませんし、上もそこまで気に留めていなかったのですが……。先日、とある方からタレコミがあったそうなんです。ライラさんが自分の手に入れた資源を他の探索者に渡して対価を得ている、と」

「……なるほどね。だから、今になってそんな話が持ち上がったんだ」


ぎゅ、とミレイさんが服を掴む。不服を隠そうともしない姿勢。彼女は今回の事例が理不尽だと思ってるんだろう。

まあ、それもそうだ。私は25年前から他の人に資源を渡す代わりにダンジョンの情報収集を行っていた。それも特段隠していたわけでもないし、口止めなどもしていない。私はノルマぎりぎりまで人に渡しているだけで、自分の手に入れた資源を他の探索者に譲って対価を得たり、資源を交換したりすることなど、多少ならみんなやっていることだからだ。

私も一番最初に迷宮庁に問い合わせた時は特に問題はないと言われていたのに、なぜ今になって問題視されるのかと思ったが、どうやら誰かが私を陥れようと上層部に告げ口をしたらしい。


「上の言い分は、「ライラさんが他の方に資源を多量に渡すことで迷宮探索者の資格更新の審査が適正に行われなくなる」というものでした。確かにその通りかもしれませんが、弁明も挽回の機会も与えず、一方的に資格を剥奪するのはライラさんの今までの功績を考えたらさすがにやりすぎです。私も必死に説得を試みたんですが、「即日資格を剥奪せず期限失効日まで待つことがライラ・ライラックの功績に報いた結果だ」なんて……。あのクソじじい!!」


ガン、とミレイさんの拳が机に振り下ろされる。

熊系獣人である彼女の腕力で振り下ろされた拳は机にひびを入れているが、ミレイさんは気づいた様子はない。

どうやら、ミレイさんは私の話を聞いて、撤回しようと独自に色々動いてくれていたようだ。それは素直に嬉しい。

だが、


「確かに、私は相手のノルマ量が足りてるかどうかなんて知らないけど、私が渡した資源のおかげでノルマを達成して資格を失わずに済んだ、っていう人も中にはいたかもしれないわね」

「しれないわねって……、なんでさっきからライラさんはそんなに平然としてるんですか! 探索者の中で一番ダンジョン攻略に貢献してきたライラさんを、こんな訳の分からない理由でクビにするなんてどう考えても間違ってます! こんなの上層部の陰謀です! そうじゃなかったら、ライラさんが免許を失うなんてどう考えてもおかしい……!!」


「扉の外にまで君の声が聞こえているぞ、ミレイ・スチュワーノ。特別に、今の発言は聞かなかったことにしよう」


ガチャリ。

扉が開くと同時に、第三者の声が怒りに震えるミレイさんの叫びを遮った。

感情に任せてヒートアップしていたミレイさんも言葉を逸していた。私とミレイさんの視線が同時に扉の方に向けられる。

そこにいたのは、スーツ姿の年老いた人間の男だった。


「ヴォ、ヴォルグガンド長官……、い、いらしたのですね」

「私が来ることは知っていたはずだろうが、どうやら随分話が盛り上がっていたようだな」


ヴィジナーズ・ヴォルグガング。

人間でありながら迷宮庁のトップに君臨する長官の来訪に、一職員でしかないミレイさんは先ほどまでの勢いはどこへやら、冷や汗と共に彼に怯えていた。

先ほどの自分の暴言を咎められないかと怯えるミレイさんに対し、彼は気にも留めた様子もなく彼女の隣に座り込むと、私と向かい合った。


視線が交錯する。

こんなに近い距離で、彼と面と向かうのも久しぶりとなる。

迷宮庁長官となった彼は常に多忙を極め、一探索者の前に姿を見せることなどほとんどない。私自身、一日の大半を研究か迷宮探索に費やしているため、彼の顔を見る機会すらない。

だから、その生命力チャクラで判断しなければ分からないほど、彼の姿は老いて変わってしまっていたことにわずかながらに驚いた。


「こうして面と向かって話すのは久しぶりだな、ライラック」

「……ええ。貴方が長官に就任した時以来だから、10年ぶりくらいかしら。久しぶりね、ヴィーズ」

「ふん。私をその名で呼ぶのはもう君くらいなものだ。……てっきり、もっとショックを受けているかと思ったが、思ったより平気そうだな」


平気そう?

私が?

もうダンジョンに入れなくなっているのかもしれないのに?

先ほどのミレイさんと言い、私はそんなに平気そうに見えるのだろうか。ヴィーズの言葉は思った以上に深く私の心を貫いた。

二の句が告げなくなっている私に気づかないのか、ミレイさんは親し気な様子の私達に、戸惑ったように視線をさ迷わせている。


「え、え? ライラさん、長官と親交が……?」

「……まあな。私は彼女の一番最初の担当だった。それも、最初の三年だけだったが。ただ、担当から外れた後も、ともに迷宮庁の黎明期を支え合った同士であった。今は私も多忙で、めっきり連絡を取ることも少なくなってしまったけれどな」

「ええ!? ライラさんの初代担当が、ヴォルグガンド長官!?」


ミレイさんが驚きにソファから立ち上がって叫ぶ。

確かに私は一度も口にしたことはないが、引継ぎとかそういうので聞いたりしないのだろうか。

まあ、最初の担当であるヴィーズからミレイさんまで担当は2、3年おきくらいに交代して歴代で13人もいるから、直近ならともかく一番最初の担当など知らないのかもしれない。


「まあ、だからといって今回の件について温情を示すことはない。その点は理解したまえ、ライラック」

「……そうでしょうね。貴方のサインが入った辞令を貰っているんだもの。今更あなたが考えを覆すとは思えないわ」


感情を置き去りに、思考だけは回転し会話を成している。

まるで口だけが動いているようだ。他人事のように、私は現状に対する所感を口にしていた。


「さて。スチュワーノから聞いてると思うが、君の迷宮探索者としての資格は更新を行わずに来月末の有効期限いっぱいで期限切れとなる。期限まではダンジョンに入っても構わないが、その場合は探索支援部の職員を最低でも一人同行させるように。次に、探索者用の社宅と専用倉庫も資格失効と同時に賃貸契約が終了するので、最終日までに引き渡しを完了してくれ。今回は君の資格不適格による非更新という形ではあるが、君のこれまでの功績を評して相応の退職金を用意しておいた。また、新しい職を探すというのなら紹介状を出そう。希望があれば、王政府を通して優遇してもよい」

「なに、それ。随分手厚い待遇ね。……ああ、そう。迷宮庁は私をクビにしたいけど、表向きは円満退職という形にしたいのかしら。そこまでして、私を探索者から降ろしたいの?」

「……そういうことは思っていても口にしないものだ」


まるでこちらの追及を退けるように早口でまくし立てていくヴィーズの説明に割って入る。

心は冷えていくけれども思考はいつものように回っている。


そう。今回の件はミレイさんの言うように、明らかにおかしいのだ。迷宮庁……もとい、この国が私をどうしてもクビにしたいようだけど、その理由が分からない。

自分で言うのもあれだけれど、私は国内外において知名度も人気も高い存在だ。それは私がこの国にダンジョンが発生してから30年、ずっと迷宮探索者として続けてきた最後の一人だから。

後に第一世代と呼ばれる、一番最初に迷宮探索者としての資格を与えられた100人の探索者達。彼らのほとんどはみな、ダンジョンの中で命を落とすか、引退するかをしてしまっている。今でこそ多くの先人たちの功績によりダンジョン内の全容がほぼ明かされて死者が出ることはめったにないが、それは多くの第一世代の探索者達の犠牲の上に解き明かされた調査結果があるからこそのもの。

たまたま私が一番最後まで生き残ってしまい、たまたま私が今も探索者を続けられているとはいえ、最古参の探索者という実績と経歴の持つ意味は大きい。その意味は政府も理解しているはずだ。

なにせ、私はこれまで何度となくその肩書のせいで政府の広報活動に駆り出されてきたのだから。


「我が国にダンジョンが現れてから33年。君の成した功績と武勲は数えきれないほどだ。今回の措置は、我々もあくまで規則を遵守するための、やむを得ない処置と言ってもよい。ダンジョン探索を取り仕切る迷宮庁長官として、また国王陛下の代理として、君の功績に深く感謝しているのだよ。……正式な発表はまだ先だが、陛下は君にヴェーラー勲章を授与するおつもりだ」

「ヴェーラー勲章!?」


ミレイさんが驚いて目を真ん丸に見開きながら叫ぶ。先ほどまでの委縮した姿は何処へ行ったのか。

ヴィーズは私の問いかけを聞いていなかったかのように話を続けている。迷宮庁の長官として、最低限の筋を通すだけの通過儀礼。

ヴィーズの言葉は、何一つ私の心に響くことはない。


「また、本来こういった形での免許失効者には支給されない年金も満額支給される予定だ。これからの生活に困ることもないだろう」

「……それで? そんなもの、なにもいらないわ」

「ちょ、ちょっとライラさん何をそんな平然としてるんですか!? ヴェーラー勲章と言ったら、この国の文化勲章で最高位に位置するものですよ!? それを……」

「ダンジョン探索者を辞めさせるから、代わりに名誉と金を与えるとでも言いたいの? それで私が今回のことを不問にするとでも思ってるの?」


そんな国が授与する勲章の種類なんていちいち覚えていないし、年金なんて貰ったところで何の意味があるというのか。

心が急速に冷えていく。

私は地位も名誉も富も何もいらないのに。私が求めるものが何かを、ヴィーズは誰よりも分かっているはずなのに。


「ねえ、ヴィーズ。知っているでしょう。私にとってダンジョンは全てなの。その私から、どうしてダンジョンを奪うの」


この国は、政府は、迷宮庁は。

何よりも、私の一番最初の始まりを知っているヴィーズが、どうして私から探索者の資格を取り上げるのかが理解できない。

喋って、自分の声が震えていることに驚いた。

これは恐怖だ。自分がこれまで立っていた地面が急に瓦解するような錯覚。私という人間の終わりが近づいている、恐怖。

正面のミレイさんが、悲痛なものを見るような視線を私に向けていた。


「……私、なんでもするわ。ダンジョンに行けるなら、探索者でいられるのなら、何をしたっていい! 何をされたっていい! 何を引き換えにしたって「ライラ!」


……強い、怒号。

ヴィーズが先ほどまでの無表情を捨てて、怒りから眉間にしわを寄せていた。

突然の大声にミレイさんが驚いたようにヴィーズに視線を向ける。ヴィーズは一瞬露にした怒りの表情をおさめると、またすぐに元の無表情に戻っていた。


「……やめたまえ、ライラック。間違ってもそんなことを言うのは。その「なんでも」を受け入れたところで、君の願いが果たされることはもう二度とない」


それは、実質的な死刑宣告だった。

その声色に、哀れみが滲んでいるのを感じ取る。

探索者を辞めさせられる私がどう思うのかわかっていながら、目の前の男は私からダンジョンを奪おうというのだ。

その事実に、私はついに涙をこらえきれなくなった。

悲しみ、失意、絶望。負の感情が一度に襲い掛かってきて、私は感情を制御できなくなってしまう。

泣き出した私にミレイさんが慌てて私の方に駆け寄るも、涙は留まることを知らない。

声もなく泣き続ける私に、ヴィーズが追い打ちをかけるように残酷な最後通牒を突き付けてきた。


「……君がダンジョンに潜り、ダンジョンに心血を注ぐことそのものが、この国の意志に反するものになるとしたら?」

「っ……! それは、どういう……」

「俺から言えるのはそれだけだ。これ以上深追いすれば、あのステイシー・アークライトのようになるぞ」


その名に、私の思考が止まる。

それだけ告げると、ヴィーズは伝えることは伝え終わったとばかりに応接室を後にした。

残された私の胸には、虚無だけが横たわっている。



私がダンジョンに挑むことがこの国の不利益につながるというのなら。

私がこの国で生きる意味が何もないということだ。

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