第9話 北都州 桜里と理久②
「理久、やっぱりやめましょう。明蘭は私たちを助けてくれた人なのよ。集落と何の関係もない人だし。」
切羽詰まった里桜の声が聞こえた。
「わかってるよ。でも、こうしなかったら姉ちゃんが・・・。」
理久の声は泣きそうだ。
「理久。私なら覚悟できてるから。」
明蘭は起き上がり、隣の部屋へ顔を出した。
「何の話をしているの?」
二人は驚いて明蘭の方を見た。
「何で寝てないの?」
思わずといったように理久が聞いてきた。
「お茶から夢幻草の匂いがしたから飲まなかったの。」
明蘭の言葉に理久が顔をゆがめた。
「そんな・・・。」
「何か事情があるの?」
二人のしたことは恩を仇で返されたようで思うところはあるが、理久の様子から何か理由がありそうな感じがする。
二人は俯き黙り込んだが、里桜が意を決したように話し出した。
「うちの家は小作で畑は地主様から借りているの。昨年父さんたちが死んでしまって畑の収穫が減って、山にも前より入りにくくなって木の実や山菜も取れなくて、今年小作料が払えなくなったの。」
「そしたら、あいつ姉ちゃんに妾になれって言ってきたんだ!父ちゃんより年上のじじいのくせに。」
「私に夢幻草を盛ったのは?」
「じじいが言ったんだ。嫌なら自分より綺麗な代わりの女をよこすなら勘弁してやるぞって。」
「・・・。」
黙り込んだ明蘭に里桜が言った。
「たぶん地主様は本気で言ったんじゃないと思うの。そんなことは不可能だからあきらめろってつもりだったんじゃないかしら。」
「でも、そこに明蘭が現れて、しかも熊を撃退できるくらい強くて・・・。だから姉ちゃんの代わりにあいつのところに行ってもらって、いざとなっても何とかなるかなって・・・。」
夢幻草で眠らせて地主のところに運ぶつもりだったのか。途中で起きたらどうなるかとかは考えなかったのか。
まあ子供がとっさに考えたことだし、きっと理久は姉を守ろうと必死だったのだろう。
目に涙を浮かべた理久と、諦観の漂う里桜の表情を見て明蘭は心を決めた。
「私が一度里桜の代わりとして地主の家に行けば、その後どうなろうと里桜は解放されるわけ?」
「たぶん。」
「わかった。」
「えっ?」
二人が声を合わせて聞き返してきた。
「地主の家に行ってくる。どこにあるの?」
「集落の端っこの高台の方だけど・・・。いいの?」
「ブナを伐採したのもその地主なんでしょう?一回痛い目にあってもらうわ。」
それから二人に案内されて地主の屋敷の位置を確認した後、明蘭は一人で森の方へと入って行った。
森の中で夢幻草を採取し、森の動物を集めた。
”この森や山のブナ林を破壊した地主のところに今から行くの。仕返ししたいと思う子達は私についてきて。”
明蘭が合図をしたら集落に向かって来るよう動物たちに念を送り、一旦明蘭は里桜の家に戻った。
里桜が持っている着物の中で一番綺麗な朱色の着物借り、それををまとい二人と共に地主の屋敷へと向かった。
採取した夢幻草を地主の家を囲むように置き、家の門を叩いた。
「地主様、里桜です。旅の方が私の代わりに地主様のところに行ってもいいと言ってくださったので、お連れしました。」
「なんだと!」
地主は驚きの声をあげた後、明蘭を見た。
「ふむ。ちょっと小さいが、まあいいだろう。」
だらしなく顔を二ヤつかせながらまんざらでもない表情で言った。
「よし、今年はこの子供で小作料を免除してやろう。お前たちは行っていいぞ。」
二人は心配そうに明蘭の方を見てきたが、明蘭は大丈夫だというように頷いてやった。
後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら、二人は地主の屋敷を去って行った。
その後、明蘭は屋敷の奥へ通され風呂に入れられた。
風呂の後は、真ん中に大きな布団が一つ敷かれた薄暗い部屋へと案内された。
こんな子供にまでスケベ心丸出しで、気持ち悪い・・・。
明蘭はそんなことを思いながら、布団の上に座り屋敷の外に並べた夢幻草に意識をうつした。
仙術で弱めの火種を起こして夢幻草をいぶし、そよ風を起こし屋敷内に夢幻草の煙が入るように調整した。
夢幻草の煙は山の動物への合図でもある。
明蘭は濡らした手巾で自分の鼻と口を覆いながら、その時を待った。
ガラッ
部屋のひき戸が開き、地主が入ってきた。
「おお、大人しく待っていたか。よしよし、今からわしが可愛がってやるからな。」
デレデレした顔で地主が明蘭の方へと近づいてくる。
風向きを地主の方へ向け夢幻草の煙が彼の周りを取り巻くように仕向けた。
夢幻草の煙には幻覚作用があるのだ。
「ん?なんかフワフワした気分になってきたぞ。」
地主の足取りがフラフラし出して、その場に座り込んだ。
ぼんやりし出した彼に明蘭は冷たい口調で話しかけた。
「お前は自分の金儲けのために山や森のブナを伐採しまくっていたな。森の動物の住処がどうなるかは考えなかったのか?追い出された動物に集落が襲われるとは考えなかったのか?」
「なにをー。」
地主は反論しようとしたが、舌がまわっていないようだった。
ドスッ
その時、庭に面した障子に大きな穴が開き大きな熊が入ってきた。
背後には鹿や栗鼠や様々な森の動物が十数頭ひかえている。
「あわわわ、熊だ・・・。誰か!!」
地主は腰を抜かし床をはいずりながら後ずさろうとした。
床には小水を漏らした跡ができている。
「われは森の神だ。お前の仕打ちに森は怒っている。森の怒りを思い知れ!」
明蘭の言葉と共に熊が地主へと襲い掛かった。
「ぎゃあああ。」
「地主様は一命はとりとめたものの熊に襲われて全身に大怪我を負って、一生歩けないらしいの。まともに話も出来なくなって、ずっと”森が怒っている!”って怯えておられるって聞いたわ。地主様の屋敷から動物が沢山出て行くのを見た人がいて、みんなも森神様の祟りだって言ってた。」
「ふーん。」
翌朝、里桜は集落で聞いてきた噂話を明蘭に話してくれた。
「明蘭、あなた一体何をしたの?」
里桜の問いに明蘭は曖昧に微笑んだ。
「そういえば今年の小作料は免除されたけど、来年からまた取り立てがあるんでしょう?ほらこれ。」
話題を変え、地主の屋敷でつけられた翡翠の首飾りを里桜に渡した。
「森の回復には時間がかかるし、子供二人で畑をやるのは無理だよ。北寧へ行って、町で働いた方がいいと思うよ。お金に困ったらこの翡翠を一粒ずつ売って生活の足しにしたらいいし。」
「!」
理久もびっくりした顔をしている。
里桜は渡された首飾りをしばらく見つめた後、それをぎゅっと握りしめた。
「うん、そうする。」
地主の家の者に明蘭の顔を見られていることもあり、早めに集落を去った方がいいということになった。
「明蘭、いろいろありがとう。恩を仇で返そうとしたのに、なんて言ったらいいのか・・・。」
別れの時、里桜は涙ぐみながら言葉を詰まらせた。
「気にしないで。仕方なかったのは分かっているから。きっとこれからも大変なことが沢山あるだろうけど、二人とも頑張ってね。理久もお姉ちゃんをしっかり支えてあげるんだよ。」
「わかってる。」
理久は真面目な顔で頷いた。
「明蘭、ごめん。それから、ありがとう。」
地主の家を訪れた翌々日の早朝、明蘭は集落を去った。
彼女を見送りながら、理久がつぶやいた。
「なあ、姉ちゃん。明蘭って本当に森神様だったのかもしれないな。あんなに綺麗で、仙術も使えて・・・。」
「そうね。」
姉弟は寄り添いながら、森神への感謝の念を胸に明蘭が去った方を見つめ続けたのだった。
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