第7話 北都州 仙月

 トントントン

 規則正しい包丁の音とともに、汁物のいい匂いが漂ってきた。


 明蘭は見知らぬ家の中で目を覚ました。

 粗末なかやぶき屋根の古屋で壁にもところどころ穴のようなものが見えた。

 手で自分のお腹を押さえてみる。恒安に剣で刺されたあたりだ。


 傷が塞がっている?


 腹に当てた自分の手を見てみると記憶より少し大きい気がした。


 ここはどこなの?


 起き上がろうと身体を起こすと腹に鋭い痛みが生じた。

 その時、顔の横にかかった髪の色と長さを見てぎょっとなった。

 根元から肩上まで金色で、先の方は黒くなっていたのだ。


 髪が伸びている?


 そう思った時、女性の声が聞こえた。

 「ああ、起きたのか?身体の具合はどうじゃ?」

 驚いて声の方を見ると、小さな老婆がこちらに近づいてきた。


 「うちのヤギがメエメエ言うから何事かと思って見に行けばお主が崖の下に倒れておったのじゃ。けがをしとったからヤギでここまで運んだのじゃ。」

 「ありがとうございます・・・。」

 「朝飯が出来たばかりじゃ。お主も食うか?」

 明蘭は首を横に振った。

 「ふん。食わんと身体がもたんぞ。怪我もしとるようじゃしな。」

 明蘭が黙っていると老婆はあきらめたようにため息をついた。

 「まあ、腹がへったら食べたらよかろう。お前さんの分は置いておくし。」

 老婆はそう言うとくりやの方に行ってしまった。


 その背中を眺めながら明蘭は襲撃された時のことを思い返していた。

 知事の弟が言っていた言葉。



 第3皇子に頼まれた。



 現在の皇帝一家については寿峰から聞き知識はあった。

 第3皇子・陽誠ようせいは第1妃・雪花の息子で、第1皇子・泰誠たいせいと同母の兄弟のはずだ。


 第1妃の勢力には歓迎されてないってことか・・・。


 寿峰の座学で、過去の皇帝一族の中で蹴落としあいや殺し合いが起こったことがあるということは学んでいた。

 しかしそれは歴史物語を聞いている気分で、いまひとつ自分が直面している現実だという実感がなかったのだ。


 本音をいえば、自分は皇帝になりたいわけだはない。面倒な役割を押し付けられたとさえ思っている。

 父さんや老師に期待され、その期待を裏切りたくなくて旅に出たようなものだ。


 片方とはいえ血のつながった弟に命を狙われるなんてね・・・。

 

 明蘭は陰鬱な気分で目を閉じた。

 

 老婆は見た目に似合わず仙月せんげつという美しい名前の持ち主だった。


 怪我がいえるまで家にいていいと言われ、お言葉に甘えて滞在させてもらっていた。

 仙月には娘と息子がいたそうだが、娘が明蘭によく似ていたらしい。懐かしそうな表情で話してくれた。

 そのためかとても親切にしてくれ、2週間ほどが経ち傷が癒えたころには明蘭は仙月との穏やかな日々にどっぷりとつかっていた。

 細かいことを気にしないたちなのか、気になりながら知らないふりをしてくれているのか。腹に剣の刺し傷を付けられ崖から落ちたことや、途中で色が変わるおかしな髪の色をしていることについては一切聞いてこなかった。


 傷は龍聖の力のためか、常人ではあり得ない速度で癒えていった。その治癒力の影響のためか髪は伸び身体も成長し、今は12,3歳の姿になっていた。



 北都州ほくとしゅうのはずれにあるこの村は、昔、栄えていた時があったものの都会に人が流れ過疎化が進み、仙月を含む老人が数人残っているだけだそうだ。

 若者がいないため家の修理や力仕事が出来ず、どんどん村が寂れてきており、人が減ったことで景気も治安も悪く、近くの町でも強盗や人攫いなども起こっているらしい。


 家の補修や力仕事を手伝ってすごす間に仙月は様々なことを語ってくれた。


 天竜村も理由は違うけど、人が減っていって色々大変だったな。

 明蘭は自分の村に照らし合わせ、そんなことを考えていた。


 村のことを考えた時、父との約束と村にいる寿峰のことを一緒に思い出した。


 ここでゆっくり安穏と過ごすだけなら、村に戻って体の悪い寿峰に付き添った方がいいように思うが、このまま帰ったら彼は驚き悲しむだろう。


 自慢の孫だって、送り出してもらったのに・・・。


 家の中で悶々としていたら、仙月が声をかけてきた。

 「辛気臭い顔をして、どうしたんじゃ?」

 「村に残してきた老師様のことを考えていました。私のことを心配しているかなって。」

 「なるほど。お主、この後、傷が癒えたらどうするつもりなんじゃ?」


 それに対して明蘭は明確に答えることが出来なかった。

 「どうすればいいのか、自分でもわからないんです。」


 2週間一緒に過ごして仙月の人となりはわかったつもりだ。信頼できる人物だと感じた明蘭は今までの経過を包み隠さず話した。龍聖のこと、竜珠のこと。


 仙月は静かに話を聞いてくれた。

 「短い期間にいろいろなことが起こって大変じゃったな。」

 優しいねぎらいの言葉に明蘭は涙ぐんだ。

 「仙月さん・・・。」

 「皇宮に行くことは気が進まず、今はやりたくないことかもしれないが、やらねばならないことは決まっているじゃろう。ここにずっと潜んでいても竜珠の継承は進むだろうし、皇宮も血眼でお主を探すであろう。」

 仙月は一旦言葉を区切った。


 「まずは竜安を目指して皇帝と面会することは、やらないといけないことじゃろう。やらないといけないことをしているその過程で、自分のやりたい道が見つかることもある。」


 自分が辿るべき道を言葉ではっきりと示されて明蘭は目から鱗が落ちる思いだった。


 やらないといけないことか・・・。


 天竜村に戻るという選択肢が無いということは、前に進むしかないとわかってはいたが、ためらう気持ちも強かった。仙月の言葉でくよくよ悩んでいたのがウソみたいにすっきりした気持ちになっていた。


 「仙月さん。ありがとうございます。頭の中がすっきりしました。私、竜安へ行ってみます。」

 「どういたしまして。フフフ、伊達に長く生きてないからのう。」

 仙月はニタッと笑った。


 心が決まれば決意が鈍らないうちにここを発つ方がいいと、旅立ちの準備を整えた。


 近くの池の周りに黒銀草くろがねそうの群生を見つけたので、粉を作り髪を切って金色の部分を染め直した。

 仙月の息子が昔使用していたという男児用の着物をわけてもらい、当面の食糧や水に加え、旅の途中で入手しにくそうな物をかき集めた。


 「仙月さん。本当に何から何までお世話になってありがとうございました。落ち着いたら必ずお礼に参ります。」

 明蘭は深々と頭を下げ、西都州へ向かう街道沿いで仙月に別れの挨拶をした。


 「難しく考えず、とりあえず頑張っておいで。身体に気を付けるんじゃよ。」 


 仙月の姿が見えなくなるところまで来た時、大きく手を振り大声で叫んだ。


 「ありがとうございました!!」


 それから前を向いて歩きだした。


 明蘭が見えなくなると仙月がつぶやいた。

 「素直で可愛いんだが、世話の焼ける孫娘だ・・・。」

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