その日兄はいなくなった。

 スマホのアラームで目が覚める。

気づけば日付は夏休み初日。

スマホを取り損ねる小さな手。

ふと出た声は高く軽かった。

小学5年の7月某日。


普通の家庭に生まれ育った、ちょっと白髪交じりの普通な少年、志摩裕也しまゆうやは女の子になっておりました。



「父さん!俺の体なんか変だ!!」

志摩裕也は父親にそう言いました。

「おぉ!起きたか裕也!見てみろこれを!」

「えっちょっと────」

裕也と父親の目の前には、新品の大きな高級車。

裕也の体の異常には目もくれずべらべらと話し始めます。

「父さん昔から車が大っ好きだったんだよ!みろこのでかさ!ピカピカのボディ!タイヤもいいが何よりエンジンが─────」


「父さん!だから俺の体が!」

裕也は半泣きで自身の異常を訴えます。

「ん…?あぁそうか。そうだな、裕也。」


「お前は女の子になったんだ。」

何でもないことのように父親はそう言い、また車の話を始めました。


「お母さん!俺っ───」

裕也は母親に泣きつきました。

いきなり「女の子になった」なんて言われたところで、まるで意味が分かりません。

「裕也起きたの!?…あっちょうどいいわねー♪」

母親は見た覚えのないエナメルバッグから色々と取り出し

「お母さん新しい化粧品買っちゃったの♪裕也もおしゃれしてみましょうね~♪」


洋服、化粧、アクセサリー。

自分が女性であることが当然のような扱いに、裕也は理解が追い付きません。

「なんで……なんで…?」

「あら、なにか嫌なことでも思い出したの…?」

「俺、女子の体になっちゃったんだよ…?助けてよ…どうにかしてよ…!」

どうにかしろと言われてどうにかできるならとっくにしているのでしょうし、親が神様ではないことぐらい理解しています。

それでもすがりたいと思うのは当然なのです。

そして。

「まぁまぁいいじゃない。」

とへらへらと言い、母親は部屋の隅に積まれた箱を指さしました。

「裕也が欲しいって言ってたゲームも、たくさん買ったわよ?」


「…誠也。」

「んー?」

裕也は、弟がのんきにゲームしている背中に向かって言いました。

「お父さんもお母さんも、なんか変だ…。」

「んー。」

「意味わかんないこと言うけどさ、俺、なんか女子になっちゃってんだ…でもお父さんもお母さんも、全然助けてくれねぇんだ。まるで当たり前の事みたいに。」

「そうー。」


「しかもあんなに高そうなの沢山買ってて…大丈夫なのか?」

「どーだろー。」

「…俺、元から女だったりしたか?」

「そーかもねー。」

「っ真面目に答えろよ!!」


裕也は限界でした。


「大丈夫でしょー。」

しかし、弟も適当に。


いえ。ある意味ではな言葉を発しました。

「だって、兄ちゃんが姉ちゃんになったおかげで、うち大金持ちなんだよ?」

周りが変である理由を。



賭博。遺産の相続。世紀の大発見。

普通の人生において、大金を一瞬にして手に入れるというのはそうそうありえないことです。

「今日はデカいテレビを買うぞ!」

「夕食は高級フレンチね!」

「ここからここまでのゲーム全部ほしい!」

”遊んで暮らせるほどの大金”。

毎日遊んでしまえば体力は尽きてしまうほどですが、人間の欲と言うのはなかなか尽きないもので、その紙束で豪遊する日々が続きました。

みんな笑顔。みんな楽しい。


「…。」

約一名、そうでない者もいましたが。

なんでお金持ちになったのかも分からない。

自分の体が何でこうなのかも分からない。

身体の異常に戸惑いながらも、今は夏休み。…とりあえずはどれだけ遊んでも無問題。

一応家族が楽しそうなので、それに乗っかっていくことにしました。




ところで。

お金も尽きるものですよね?


「なんでこんなもの買ったの!?」

「うるせぇなぁいいだろの金だぞ!これでさらに儲ければいいだろうが!お前こそ無駄な買い物するんじゃねぇ!!」

「あなたに言われたくありません!こっちだっての金ですよ!?私だって今は周りの人たちにはお金持ちの人で通ってるから、相応のものを持たないといけないの!全くこれで来月までは新しい服が買えなくなったじゃないの…。」


リビングを怒号が飛び交う。

高いソファ。高いテレビ。高いキッチン。高いテーブル。

高くないのは品格だけ。


「…にいちゃん…。」

「…今日は、ファミレスでいいか…?」

「ん…。」

リビング前を立ち去ろうとして。


───「離婚だ。」

立ち去れなくなりました。


「裕也の親権は俺のだからな」

父親の声が響きます。

「何言ってるの?あなたにあの子の面倒が見きれるわけないでしょう。私が連れていきます。」

母親の声も響きます。


でも、どちらも耳には入りません。

「離婚」だなんて言葉をドラマでしか聞いたことのない裕也は、ただ次に親二人が

「ドッキリでした~」なんて言って飛び出してくれるのを願うことしかできません。

それぐらい現実味がなく、それぐらいの禁句でした。

しかしそんな事関係なく、夫婦もどきの会話は進みます。

「駄目に決まっているだろう!」


「お前はあいつを金づるとしか見てないんだからな!」

「あなただって勝手に裕也の金で車とか買ったんじゃない!!」



「…は?」


二人の無駄遣いは裕也の預金から出ていました。


だっての預金は家族が管理していて。

大金があったら家族のために使うものだから。

本当にそう?


思い返せば最近やたら来る叔父さんや叔母さんたちが、やたら自分に優しかったこと。

そのときのやたらじっとりとした目。


そのすべてを理解できたわけではありませんが、裕也はその事実に気づかないほど馬鹿でもありませんでした。

自分が原因であったという事実に。


「なぁ、誠也…」

───俺が悪いのかな…。

そこまで言おうとしたところで、裕也は弟に突き飛ばされました。

「…兄ちゃんのせいだ…。」


「兄ちゃんが姉ちゃんになったせいで、お父さんもお母さんもおかしくなったんだ…。」

「兄ちゃんなんか……家を滅茶苦茶にしたおまえなんか兄ちゃんじゃない…」


「誠也…?」


「おまえなんか──────」


/

その言葉を聞いてから、俺はどこをどう走ったか覚えていない。


外は土砂降りだったけど、もうどうでもよかった。

夜だったけど、どうでもよかった。

吐いたし寒くて泣いてたけど、どうでもよかった。


着いたのは、古い公園。

遊具も錆びて、誰も集まらなくなって、所々草が伸び始めていて。

友達と昔散々遊んだ、古い公園。


…そういえば、保険金目当てに旦那を殺す妻とか、ドラマでよくあったよなぁ。

俺が死んだら、また父さんたちはお金持ちになったりするのかな…。

また…あいつは兄ちゃんって言ってくれるかな…。

最期ぐらい、会っときたかったな…。


──もうどうでも、いいかな。

「ん?おーゼブラちゃんじゃないか?どうしたんだいこんな…所……で……」

 濡れた地面の方が、俺より暖かい気がした。



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